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思惑
五十九.饒舌の信雄
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蒸し暑い屋敷の中で、信雄と秀政の会話は続く。
「なっ、何故じゃぁ。」
秀政は懐から書状を取り出し、丁重に信雄に渡す。この書状は、例の長秀からの『重臣会議』についての書状である。信雄はじっくり読んだ後、しばらく考えて云う。
「なるほどぉっ、三法師がおる清洲で今後のことを話し合おうというわけじゃな。確かに兄上の嫡子となると三法師ということになるが、三法師はわずか三歳・・・。後見がいるのぉ。」
「左様で。御血筋から致しますと、信雄様にお願いすることになるかと存じます。」
「うむ。で、政は安土で執るのが良かろうが、安土の城はどうする。」
「大殿が創られたあの御城を再び創り直すのは到底敵いませんでしょう。しばらくは仮御所で執務さられながら、新しい拠り所に新しい城を築くのが良いかと存じます。」
自分で切り出しておきながら、『懺悔』をしたがる信雄の口調は低く弱い。
「そうじゃな、それも早いうちが良かろうな・・・。大殿の天守に火の手が上がるのを見たとき、わしはこれまでになく自分のしたことを後悔したぞぃ。あのときは一刻も早く筑前と合流したいと思っておったんじゃが、その焦りが伊賀者にあのような行いをさせてしもうたぁ。筑前が安土に入るまで、もうちぃと我慢できんかったのかと今でも至極悔いておる。大殿の形見の御殿をわしの軽率な動きで失うてしもうたわぃ。」
「信雄様のせいではございませぬ。自分を責めるのはおやめくだされ。」
「すまぬっ、久太郎っ。ついぞあの光景が目の前に現れてのっ・・・、あれからはよぅ眠れんで、心中で自分を責め続けとるんじゃ。」
信雄には自戒の念が強過ぎるところがある。不手際があっても他人を責めないところは好感を持たれるのだが、自分を責め過ぎるあまりに却って家臣に気を使わせるところがあり、秀政も昔から信雄のそういうところに気苦労する。
「御考えすぎでございます。第一、火をかけた輩が責めを負うべきなのでございます。」
「そっ、そうじゃのぉっ、考えすぎかもしれんのぉ・・・。」
信雄は深呼吸一つして、気を取り直そうとする。
「でっ、次は領をどうするかじゃなぁ。第一の功労者である筑前に十兵衛が治めていた丹波を与えるのが妥当かと思うが、久太郎、如何思う。」
「信雄様のお考えは正しいと思います。しかし畏れながら、筑前殿はお断りになられるかと推察いたします。」
「何故じゃぁ。それだけの功があるとわしは思うておるが、皆は違うのかぁ・・・。」
「いえっ、此度の仇討、誰がどう見ても筑前殿の御働きが第一にございますが・・・。」
言いにくそうな秀政だが、信雄はせっつく。
「何じゃ。遠慮はいらん。申してみよ。」
「はっ、はぁ。実は信孝様が京にて筑前殿が織田家を乗っ取ろうとしているという噂を吹聴しておりまして・・・。」
「なっ、なんとっ、彼奴はろくに手柄を立てられなかった腹いせに、前関白様だけでなく、筑前まで貶めようとしておるのか。三七にはわしの兵を五千ほど預けていたというに、そのほとんどが逃げ去って、筑前がいなければ何もできなかったではないかぁ。自分の人望のなさを功ある者のせいにするとは、何とも情けない奴よぉ・・・。」
先ほどまで弱気を見せていた信雄は、自身を戒めない信孝のこととなると急に眉間に皺を寄せ、堂々と憤りを顕にする。
「三七は昔からそうよぉ。彼奴の手柄は大殿あってこその手柄であるのに、それを何の恥じらいも無く、自らの手柄であると威張り散らす。三七が機嫌を損ねるのを畏れて皆で調子を合わせるが、誰一人彼奴をよぉ思っておらんのをわしは知っとる。一度わしが奢った三七を諌めたようとしたが、生返事だけで、彼奴はわしですらも馬鹿にしくさりおる。」
信雄の愚痴が止まりそうにない。さらに信雄はあることに気付く。
「んっ、待てよっ、そうかぁ・・・。それでわざわざ『清洲』に集まるということかぁ。京で迷惑な思いをしておる公家の方々から三七を遠ざけたいんじゃなぁ。」
信雄は小心なだけに細かいことにはよく気づく。ますます秀政は止められなくなり、信雄に同調せざるを得ない。
「さすがは信雄様、お察しの通りでございます。筑前殿が左様なことを考えていると信じる公家など一人もおりませぬが、あまり京で騒ぎ立てられますと織田家の聴こえが悪くなってしまいまする。」
「筑前を疑うとは罰当たりにも程があるっ。わしが三七を叱りつけてやろうっ・・・。」
秀政は慌てて制する。
「お待ちくださいませっ・・・。信雄様の御腹立ちは尤もでございますが、筑前殿は事が大袈裟に荒げ立てられるのを望まぬでありましょう。筑前殿は誰よりも織田家の方々を敬っておりますし、あぁ見えて自分が野心家のように見られるのを至極嫌う御人でございます。ですから丹波拝領を敢えて辞退することで、これ以上信孝様から忌み嫌われぬようにするのが得策とお考えなさいましょう。」
「そうなのかぁ。筑前も気苦労じゃのぉ・・・。じゃが家臣どもは不満であろうっ。」
「えぇ・・・。ですので、わたくしの見立てですが、五郎左殿は丹波を秀勝様に拝領されるよう御提言されるのではと・・・。」
「なるほどぉっ、丹波を秀勝にかぁ。秀勝の活躍はわしの耳にも届いておる。此度の秀勝の働きぶりを慮れば、秀勝が十兵衛の遺領を治めるということに、筑前の家臣どもも文句は云わんじゃろう。よしっ、もし五郎左がそう提案してきたら、わしは承服致そう。」
少し落ち着きを戻した信雄に、秀政は安堵する。
「後は大殿と殿の領ですが、安土と山城以外の信孝様が欲しがる地を与え、残りを信雄様が御拝領すればよろしいかと存じます。五郎左殿がうまく見繕うでありましょう・・・」
「分かった。五郎左の首尾に任そう。ところで清洲にて皆で会うということならば、わしは一足先に伊勢に戻り、支度を整え直して信包の叔父上とともに尾張へ向かおうと思う。一益のことも気になるからのぉ。叔父上の方が一益からの報せを詳しゅう聴いとるかもしれんしのぉっ・・・。」
「何でも一益殿は東国で劣勢に立たされているとか・・・。」
「あぁっ、じゃがこれからわしが安土で三法師の名代を務めるのであれば、伊勢を一益に任せんといかんからのぉ。一益には無事に戻ってきてもらわねば・・・。」
「なっ、何故じゃぁ。」
秀政は懐から書状を取り出し、丁重に信雄に渡す。この書状は、例の長秀からの『重臣会議』についての書状である。信雄はじっくり読んだ後、しばらく考えて云う。
「なるほどぉっ、三法師がおる清洲で今後のことを話し合おうというわけじゃな。確かに兄上の嫡子となると三法師ということになるが、三法師はわずか三歳・・・。後見がいるのぉ。」
「左様で。御血筋から致しますと、信雄様にお願いすることになるかと存じます。」
「うむ。で、政は安土で執るのが良かろうが、安土の城はどうする。」
「大殿が創られたあの御城を再び創り直すのは到底敵いませんでしょう。しばらくは仮御所で執務さられながら、新しい拠り所に新しい城を築くのが良いかと存じます。」
自分で切り出しておきながら、『懺悔』をしたがる信雄の口調は低く弱い。
「そうじゃな、それも早いうちが良かろうな・・・。大殿の天守に火の手が上がるのを見たとき、わしはこれまでになく自分のしたことを後悔したぞぃ。あのときは一刻も早く筑前と合流したいと思っておったんじゃが、その焦りが伊賀者にあのような行いをさせてしもうたぁ。筑前が安土に入るまで、もうちぃと我慢できんかったのかと今でも至極悔いておる。大殿の形見の御殿をわしの軽率な動きで失うてしもうたわぃ。」
「信雄様のせいではございませぬ。自分を責めるのはおやめくだされ。」
「すまぬっ、久太郎っ。ついぞあの光景が目の前に現れてのっ・・・、あれからはよぅ眠れんで、心中で自分を責め続けとるんじゃ。」
信雄には自戒の念が強過ぎるところがある。不手際があっても他人を責めないところは好感を持たれるのだが、自分を責め過ぎるあまりに却って家臣に気を使わせるところがあり、秀政も昔から信雄のそういうところに気苦労する。
「御考えすぎでございます。第一、火をかけた輩が責めを負うべきなのでございます。」
「そっ、そうじゃのぉっ、考えすぎかもしれんのぉ・・・。」
信雄は深呼吸一つして、気を取り直そうとする。
「でっ、次は領をどうするかじゃなぁ。第一の功労者である筑前に十兵衛が治めていた丹波を与えるのが妥当かと思うが、久太郎、如何思う。」
「信雄様のお考えは正しいと思います。しかし畏れながら、筑前殿はお断りになられるかと推察いたします。」
「何故じゃぁ。それだけの功があるとわしは思うておるが、皆は違うのかぁ・・・。」
「いえっ、此度の仇討、誰がどう見ても筑前殿の御働きが第一にございますが・・・。」
言いにくそうな秀政だが、信雄はせっつく。
「何じゃ。遠慮はいらん。申してみよ。」
「はっ、はぁ。実は信孝様が京にて筑前殿が織田家を乗っ取ろうとしているという噂を吹聴しておりまして・・・。」
「なっ、なんとっ、彼奴はろくに手柄を立てられなかった腹いせに、前関白様だけでなく、筑前まで貶めようとしておるのか。三七にはわしの兵を五千ほど預けていたというに、そのほとんどが逃げ去って、筑前がいなければ何もできなかったではないかぁ。自分の人望のなさを功ある者のせいにするとは、何とも情けない奴よぉ・・・。」
先ほどまで弱気を見せていた信雄は、自身を戒めない信孝のこととなると急に眉間に皺を寄せ、堂々と憤りを顕にする。
「三七は昔からそうよぉ。彼奴の手柄は大殿あってこその手柄であるのに、それを何の恥じらいも無く、自らの手柄であると威張り散らす。三七が機嫌を損ねるのを畏れて皆で調子を合わせるが、誰一人彼奴をよぉ思っておらんのをわしは知っとる。一度わしが奢った三七を諌めたようとしたが、生返事だけで、彼奴はわしですらも馬鹿にしくさりおる。」
信雄の愚痴が止まりそうにない。さらに信雄はあることに気付く。
「んっ、待てよっ、そうかぁ・・・。それでわざわざ『清洲』に集まるということかぁ。京で迷惑な思いをしておる公家の方々から三七を遠ざけたいんじゃなぁ。」
信雄は小心なだけに細かいことにはよく気づく。ますます秀政は止められなくなり、信雄に同調せざるを得ない。
「さすがは信雄様、お察しの通りでございます。筑前殿が左様なことを考えていると信じる公家など一人もおりませぬが、あまり京で騒ぎ立てられますと織田家の聴こえが悪くなってしまいまする。」
「筑前を疑うとは罰当たりにも程があるっ。わしが三七を叱りつけてやろうっ・・・。」
秀政は慌てて制する。
「お待ちくださいませっ・・・。信雄様の御腹立ちは尤もでございますが、筑前殿は事が大袈裟に荒げ立てられるのを望まぬでありましょう。筑前殿は誰よりも織田家の方々を敬っておりますし、あぁ見えて自分が野心家のように見られるのを至極嫌う御人でございます。ですから丹波拝領を敢えて辞退することで、これ以上信孝様から忌み嫌われぬようにするのが得策とお考えなさいましょう。」
「そうなのかぁ。筑前も気苦労じゃのぉ・・・。じゃが家臣どもは不満であろうっ。」
「えぇ・・・。ですので、わたくしの見立てですが、五郎左殿は丹波を秀勝様に拝領されるよう御提言されるのではと・・・。」
「なるほどぉっ、丹波を秀勝にかぁ。秀勝の活躍はわしの耳にも届いておる。此度の秀勝の働きぶりを慮れば、秀勝が十兵衛の遺領を治めるということに、筑前の家臣どもも文句は云わんじゃろう。よしっ、もし五郎左がそう提案してきたら、わしは承服致そう。」
少し落ち着きを戻した信雄に、秀政は安堵する。
「後は大殿と殿の領ですが、安土と山城以外の信孝様が欲しがる地を与え、残りを信雄様が御拝領すればよろしいかと存じます。五郎左殿がうまく見繕うでありましょう・・・」
「分かった。五郎左の首尾に任そう。ところで清洲にて皆で会うということならば、わしは一足先に伊勢に戻り、支度を整え直して信包の叔父上とともに尾張へ向かおうと思う。一益のことも気になるからのぉ。叔父上の方が一益からの報せを詳しゅう聴いとるかもしれんしのぉっ・・・。」
「何でも一益殿は東国で劣勢に立たされているとか・・・。」
「あぁっ、じゃがこれからわしが安土で三法師の名代を務めるのであれば、伊勢を一益に任せんといかんからのぉ。一益には無事に戻ってきてもらわねば・・・。」
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