生残の秀吉

Dr. CUTE

文字の大きさ
上 下
58 / 79
思惑

五十八.支援の久太郎

しおりを挟む
天正十年六月十九日 巳の刻

久太郎きゅうたろうっ、待っておったぞぉっ。入れっ、入れぇ。」

土山城つちやまじょうはかつて滝川一益たきがわかずますによって落とされた城であるが、今はにわかではあるものの、修復の手が加えられている。城といっても堀と柵と土塁を複雑に配置した山の中に、小屋というか木造蔵もくぞうぐらというか、とにかく見栄みばえの良くない建屋が点々としている軍事要塞ぐんじようさいである。堀久太郎秀政ほりきゅうたろうひでまさ坂本城攻さかもとじょうぜめの始末の後、秀吉ひでよし信雄のぶかつの支援を命じられ、この城に兵二千を引き連れて訪れた。城門前の秀政ひでまさらを、首を長くしてがれた織田信雄おだのぶかつみずからがやぐらの上から招き入れる。二人は信雄のぶかつが普段政務をっている屋敷に入る。

「待ちかねたぞぉ、久太郎きゅうたろうっ。これでようやく安心して眠れるわぃ。」

久しぶりに対面した信雄のぶかつはやけに明るい。秀政ひでまさは少々躊躇ためらうが、信雄のぶかつ厄介やっかい伊賀者いがもの相手に、かつ少ない手勢てぜいで防戦一方の重苦しい日々を過ごしてきたことを思うと、安堵感あんどかんが一気に解放されるのも無理はないと感じ取る。

「援軍が遅くなり申し訳ございません。筑前殿ちくぜんどのもようやく安土あづちに入って近江おうみの現状を把握できるようになりまして、これでも急ぎさんじた次第しだいであります。」

「このようなことになるとは誰も考えつかなかったんじゃ。致し方あるまい。それにしても大殿おおとの身罷みまかられた後の伊賀者いがもんまこと鬱陶うっとうしかったぞぃ。昼夜を問わず、ちょこまかと門ややぐらに火をつけて、わしらを揺さぶりまくっとったわぃ。大方おおかた成敗せいばいしたが、兵が少ないもんで残党狩りまで徹底できなんだわぁ。」

まこと御苦労様ごくろうさまでございました。この上はわれらの兵でもって後始末あとしまつを致しますので、どうぞ御一息おひといきおつきくださいませ。」

信雄のぶかつ安堵あんどみが絶えない。

かたじけないっ・・・。ところで其方そなた山崎やまざきでの活躍は聞き及んでおる。坂本さかもとの城も其方そなたが落としたそうではないか。わしも参陣したかったが、この状況では到底身動き取れなんだ。勝手ながら其方そなたらがわしに代わって仇討あだうちを果たしてくれたものと思うておる。」

有難ありがた御言葉おことば、痛みいりまする。」

「それに筑前ちくぜんがこれほど素早い動きをするとは・・・、わしは感服したわぃ。筑前ちくぜんにもよろしゅう伝えてくれ。」

秀政ひでまさはかつて信雄のぶかつとともに伊賀攻いがぜめに参じていたことがあり、信雄のぶかつ秀政ひでまさに対する信頼もそのとき生まれた。その頃の若い信雄のぶかつは、養嗣子ようししとして入った名門・伊勢いせ北畠きたばたけの影響もあってか、秀吉ひでよし光秀みつひでのいないところでは彼らをまさに虫けらのようにののしり、実際にもけがらわしいとか何とかいって面と向かうのを避けていた。あの刺々とげとげしい信雄のぶかつを知る秀政ひでまさにとっては、信雄のぶかつ秀吉ひでよしへの感謝の言葉は意外である。そして信雄のぶかつがやけに口達者くちたっしゃになっているのも意外である。

筑前殿ちくぜんどの信雄様のぶかつさま御褒おほめの言葉を確かにお伝え申し上げまする。」

信雄のぶかつは優しいというべきか、申し訳ないというべきか、力の抜けた眼で語り続ける。

大殿おおとのが亡くなった後でわしの身を案じたふみ寄越よこしてきたのは筑前ちくぜんだけじゃった。最初は情けない思いもしたが、今では筑前ちくぜんに心を支えてもろうたと感謝しとる。」

秀政ひでまさ信雄のぶかつ豹変ひょうへんぶりに、聞かずにはいられなくなる。

おそれながら、昔の信雄様のぶかつさまを知るわたくしめには今の信雄様のぶかつさま御言葉おことばが意外でございまする。昔は筑前殿ちくぜんどのめるどころか、信雄様のぶかつさまの口から『筑前ちくぜん』の『ち』の字も出て参りませんでした。まるで筑前殿ちくぜんどのの名を口にするのもけがらわしいと云わんばかりに・・・。御目おめにかかからぬ間に、信雄様のぶかつさまには何か心の変化でもございましたでしょうか。」

「心の変化というよりも、わしがとしをとって物分かりがよくなってきたからじゃないかのぉ・・・。確かに北畠きたばたけに入ってきた頃のわしは家柄いえがらかさに着て、筑前ちくぜんのような百姓ひゃくしょうがりを下賤げせんあつかいする嫌な奴じゃったろう。しかしあれからときつ中で、わしは北畠きたばたけの家臣どもに次々と裏切られ、命があやうくなったことも二度三度とあった。そのたび大殿おおとのには、わしが家臣を信用しすぎて逆にあやつられておると、よぉ叱責しっせきされたもんじゃぁ。それでもまだ『青い』わしは、人を信じぬ大殿おおとののにようにはなれんと心中で大殿おおとのあらがっとったぁ。」

秀政ひでまさは、自分のことをそう分析する信雄のぶかつに成長ぶりを感じる一方、口達者くちたっしゃになったのは信長のぶながの重圧から放たれた安堵感あんどかんの表れではないかとはかる。

「じゃがな、久太郎きゅうたろう。さらに年月がつとまたより深いところが分かってくるもんじゃ。多くの北畠きたばたけの家臣にとっては、わしよりも『北畠きたばたけ』の方が大事じゃということをなっ。それが分かると、わしは大殿おおとの御言葉おことばを『家臣を疑ってかかり、その中から忠臣を見極め、その者をそばに置け』と解するようになったわぃ。」

「それは上に立つ者として、大層立派な御心掛おこころがけと存じます。」

久太郎きゅうたろうもそう思うかぁ。とにかく上の者としての心得こころえを散々考えさせられてきたわしが、此度こたびいくさ筑前ちくぜんこそまこと織田おだの忠臣と思えたのは、筑前ちくぜんがあっという間に備中びっちゅうから摂津せっつまで兵を返したと聞いたときじゃ。考えてもみよ、日頃から筑前ちくぜんが家臣どもへ織田おだへの忠誠を浸透しんとうさせていなければ、如何いかにして斯様かような大事が成せようか・・・。いろんなことを眠らず考えたが、結局わしにはそれしか答えが出てこん。」

筑前殿ちくぜんどのられないところで、そのように見極められいたとはおそれ入りまする。れば、今からでも筑前殿ちくぜんどの信雄様のぶかつさまからじか一言ひとことお声をかけるのがは如何いかがでしょう。」

「んっ、一言ひとこととは・・・。」

「わたくしは信雄様のぶかつさま御言葉おことばを訊いて、大変感激いたしました。いやっ、今の御言葉おことばには天の大殿おおとの殿とのも大いに喜んでおられるとわたくしは信じまする。ればこそ、今の信雄様のぶかつさまの胸の内をじか筑前殿ちくぜんどの御示おしめしなされては如何いかがでしょうか。」

秀政ひでまさは少し言い過ぎたかと思いつつ、信雄のぶかつが自分を信頼していることにけてみる。信雄のぶかつは腕を組んで考え込み始めたので、秀政ひでまさはさらにむ。

「失礼ながら、筑前殿ちくぜんどのは今もなお信雄様のぶかつさま毛嫌けぎらいされていると思うております。実際に此度こたびいくさでの信孝様のぶたかさま筑前殿ちくぜんどのへの接し方は見るにがたいものでした。それに他にも・・・、わたくしは姫路ひめじにて秀勝様ひでかつさまの飛ばすげきを聴いて参りました。秀勝様ひでかつさま御言葉おことばは家臣たちの気をいつにされる魅力みりょくがございますが、その御言葉おことばには信雄様のぶかつさま信孝様のぶたかさまをどこかしらさげすんでいるようにも御見受おみうけしました。ですが秀勝様ひでかつさま御存知ごぞんじなのは先の『青い』信雄様のぶかつさまでしょうから、今のうちに御二人おふたりとのわだかまりをくされるべきかと存じます。」

信雄のぶかつはさらに考え込んだ後、優しい面持おももちで返す。

其方そなたの云う通りじゃなっ。やはり久太郎きゅうたろうは頼りになるのぉ。今後もよろしゅう頼む。早速さっそく筑前ちくぜん秀勝ひでかつふみしたためるとしよう。ところで筑前ちくぜんはしばらく安土あづちにおるのか。」

「はいっ。近江おうみの混乱がしずまるまでとのことでしたが、それもはやかろうと・・・。」

「そうかっ、筑前ちくぜん安土あづちを抑えたので、近江衆おうみしゅうだけじゃのぉて、伊賀者いがもんもしばらく大人おとなしくするじゃろう。そうじゃっ、筑前ちくぜん安土あづちる今のうちに、わしも安土あづちへ参って、今後のことを話しておこうかのぉ。」

せっかく乗り気になった信雄のぶかつだが、秀政ひでまさこばむ。

おそれながら、それには及ばないと存じます。」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

新・大東亜戦争改

みたろ
歴史・時代
前作の「新・大東亜戦争」の内容をさらに深く彫り込んだ話となっています。第二次世界大戦のifの話となっております。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

信長の秘書

にゃんこ先生
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。 それは、武家の秘書役を行う文官のことである。 文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。 この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。 などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。

よあけまえのキミへ

三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。 落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。 広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。 京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

処理中です...