生残の秀吉

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思惑

五十二.憤怒の信孝

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その後、秀吉ひでよし秀勝ひでかつ二条御所にじょうごしょに一旦入り、信忠のぶただを忍んでから近衛邸このえていに入る。やかた御広間おんひろまには信孝のぶたかが正面に、丹羽長秀にわながひで池田恒興いけだつねおきが左右にそれぞれ座しており、秀吉ひでよし秀勝ひでかつの到着を既に一刻いっこくほど待たされている。信孝のぶたかはその間、立っては座りを繰り返しながら苛立いらだちをあらわにしていたが、到着のしらせが届くと同時にすっと床几しょうぎに座し直し、いかにも静かに待ち続けていた風をかもす。秀吉ひでよし秀勝ひでかつ御広間おんひろまに入り、信孝のぶたかの対面に座す。二人は両手を床に突き頭を下げる。

此度こたびは、逆賊ぎゃくぞく明智惟任日向守あけちこれとうひゅうがのかみを討ち取り、見事に大殿おおとの殿との仇討あだうちを果たせましたこと、心より御慶およろこもうたてまつりまする。」

深々と頭を下げる秀吉ひでよし秀勝ひでかつに、信孝のぶたかは相変わらず無愛想ぶあいそうである。長秀ながひでねぎらう。

「大義であった、筑前殿ちくぜんどの其方そなた中国ちゅうごくより大軍を寄越よこしたおかげで日向守ひゅうがのかみ早々はやばやと討ち果たすとができた。既に昨日坂本城さかもとじょうは落ちたし、これから間もなく亀山城かめやまじょう中川殿なかがわどの高山殿たかやまどのによって落ちるじゃろうから、後始末あとしまつも早く終わるであろう。」

恒興つねおきが加える。

「先ほど藤孝殿ふじたかどの一色義定いっしきよしさだの領へ逃げ落ちる十兵衛じゅうべえの残党どもを取り押さえたとのしらせが参った。これで他の丹波衆たんばしゅうもわしらにあらがわんようになるじゃろう。」

秀吉ひでよしは正面は見ず、両隣りょうどなりに笑顔で話しかける。

「そうかっ、じゃあ次は近江衆おうみしゅうじゃなっ。近江おうみは随分と混乱しとる様子じゃ。慎重に事態を見極めながら平らげるつもりじゃ。」

自分を避けるように盛り上がる三人を信孝のぶたかは気に入らない。

いくさはまだ終わっておらん。」

三人が静まり返る。

此度こたびいくさ首謀しゅぼう明智惟任日向守あけちこれとうひゅうがのかみは確かに討ち果たした。じゃが彼奴あやつそそのかしたものがおる。其奴そやつこそ此度こたびいくさの黒幕ぞっ。其奴そやつを討ち果たさぬ限り、このいくさが終わったことにはならん。」

きりと言い放つ信孝のぶたかに、秀吉ひでよしは少々とぼ気味ぎみで尋ねる。

「何とっ、そん黒幕とはいずれの者でございまするか。」

信孝のぶたか秀吉ひでよしにらむ。

御前おまえ、わしを馬鹿ばかにしとるのかぁっ。分かっておって訊いておるだろう。このやかた主人あるじ前関白さきのかんぱくっ、近衛前久このえさきひさじゃあ。彼奴あやつ御所ごしょを攻めるために、このやかたを使えと十兵衛じゅうべえを手引きしおった。」

「なっ、何とっ、前関白様さきのかんぱくさま十兵衛じゅうべえそそのかしたと・・・。うぅむ、やはりかたが背後で十兵衛じゅうべえあやつっておりましたかぁ。」

御前おまえ、今『やはり』と申したか。」

「はいっ、兼ねてから十兵衛じゅうべえ前関白様さきのかんぱくさまが裏で繋がっていると疑っておりましてぇ・・・、それも元々は十兵衛じゅうべえ大殿おおとの内密ないみつ赤井忠家あかいただいえ丹波たんば領内でかくまっておったというのが疑念の発端ほったんでございました。十兵衛じゅうべえ忠家ただいえかくまう理由などありませんので、探らせましたところ忠家ただいえ叔父おじ直正なおまさの妻が前関白様さきのかんぱくさまの娘でありまして、その者が前関白様さきのかんぱくさま忠家ただいえ忠家ただいえに従う自分の御子息ごしそく助命じょめい嘆願たんがんしておったことまでは突き止めました。大殿おおとのは『裏切り者』をお許しになりませんから、板挟いたばさみの前関白様さきのかんぱくさま十兵衛じゅうべえを使って忠家ただいえ一派いっぱかくまっておったと推察しておりましたが、その確たるあかしまではられずじまいでありました。」

信孝のぶたかはにやと笑うが、秀吉ひでよしの次の言葉が信孝のぶたかの鼻を折る。

「結局、わたくしは十兵衛じゅうべえ前関白様さきのかんぱくさま間柄あいだがらを突き止められませんでしたが、さすがに信孝様のぶたかさまはご存知のようで・・・。それでそのあかし如何いかなるもので・・・。」

「このやかたを使って十兵衛じゅうべえ御所ごしょを襲っておったのが何よりのあかしではないかぁ。」

「さてぇっ、見たところこの御館おんやかたの門や壁は外側から崩されております。手引きしたのであれば門は綺麗きれいに残されておりましょう。それに御館おんやかたのこちら側も踏み荒らされたままで、前関白様さきのかんぱくさま指図さしずならとうに十兵衛じゅうべえに修理を命じておったでしょうし・・・。これがあかしとはとても御上おかみに申し上げられませんなぁ。」

秀吉ひでよしの云う『こちら側』とは『二条御所側にじょうごしょがわ』という意味である。信孝のぶたかは反論する。

れど、二人ではかって十兵衛じゅうべえやかたに押し入ったと見せかけたかも知れぬではないか。」

「『見せかけたかも』・・・、つまり十兵衛じゅうべえ前関白様さきのかんぱくさまつるんでおったというあかしはないということでござるかぁ。」

言葉を詰まらせる信孝のぶたかに、秀吉ひでよしおどすように迫る。

「いけませんなぁっ、信孝様のぶたかさまぁっ。例え疑いがつようても、確たるあかしがなけりゃぁ勝手に公家くげの方々の処罰しょばつどころか詮議せんぎも出来ませんぞぉ・・・。あっ、まさかではござるが、この御館おんやかた詮索せんさく関白様かんぱくさま御下知おげちがあってのことでありましょうなぁ。もなければわしらはみやこを荒らした者として処分を受けますぞぉ。あぁっんっ、それと前関白様さきのかんぱくさま御逃おにげになった御様子ごようすじゃが、この御館おんやかた以外に詮索せんさくして困らせちょる公家くげの方はおりませんでしょうなぁ・・・。」

居心地いごこちが悪くなった長秀ながひでが冷静をよそおって云う。

「すっ、既に御所ごしょにはわしらへの苦情の届けがいくつか出ておる。」

「そりゃぁ、いかん。信孝様のぶたかさまっ、みやこ池田殿いけだどのに任せて、一刻も早く安土あづち支度したくをお始め下されぇぃ。」

信孝のぶたかは意地を張る。

「いやっ、前関白さきのかんぱくを捕らえるまでわしはみやこを出るつもりは・・・。」

秀吉ひでよし信孝のぶたか我儘わがままさえぎるかのように大声で制する。

前関白様さぁきぃのぉかんぱくさまはぁっ・・・御忍おしのかくれる名人でおわせられますぞぃ。かたは今までそんして生きてこられた御人ごじんじゃぁ。容易たやすく捕まえられませんぞぉ。いつかはみやこに戻ってくるつもりじゃろうが、そん前に信孝様のぶたかさまの評判が落ちて朝敵ちょうてきになってしもうては、せっかく仇討あだうちを果たしたとはいえ、ここまで織田おだを大きくされた大殿おおとの殿とのに顔向けできもうせんっ。」

信孝のぶたか歯軋はぎしりを立て、怒りの眼で秀吉ひでよしにらむ。

信孝様のぶたかさま、ここは耐え忍び、此度こたび謀反むほん前関白様さきのかんぱくさま加担かたんせず、十兵衛じゅうべえのみが起こしたということに仕立て、わしらは一刻も早く近江おうみを平らげ、畿内きない平穏へいおんを取り戻すことで朝廷ちょうていの覚えをよくすることが肝要かんようかと存じます。わしと秀勝殿ひでかつどのはこれより急ぎ園城寺おんじょうじに戻り、安土あづちへの道を整え、信孝様のぶたかさま御迎おむかいた支度したくを始めます。それでは御免ごめん・・・、安土あづちにてお待ち申し上げております。」

秀吉ひでよし秀勝ひでかつは一礼し、御広間おんひろまから立ち去るが、誰も彼らを止められない。憤怒ふんど信孝のぶたかかたわらで、恒興つねおき心中しんちゅうつぶやく。

(あぁあっ、ついに三七殿さんしちどのを敵に回してもうたぁ。まっ、やむを得んかのっ・・・。)
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