生残の秀吉

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仇討

四十九.追走の秀吉

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 天正十年六月十四日 子の刻

 秀吉ひでよし淀城よどじょうに到着するまでには、城はもぬけのからとなっており、ほとんど闘うことなく入城できた。秀吉ひでよしはここで摂津衆せっつしゅう小一郎こいちろう秀政隊ひでまさたいからの兵の配備の連絡を確認してから、翌朝勝竜寺城しょうりゅうじじょうを攻めるつもりでいた。恒興つねおきからしらせが届くまでは・・・。

 雨は小雨こさめとなったが、兵たちを包む空気は湿気で重く、皆の体力をいでいる。秀吉ひでよしは城門を入ってすぐのところに篝火かがりびかせ、床几しょうぎに座りながら恒興つねおきからのふみにらける。そこへ門外から間者かんじゃに背負われた官兵衛かんべえ頼隆よりたかがやって来る。

如何いかがしたぁ、筑前殿ちくぜんどのっ。」

官兵衛かんべえっ、頼隆殿よりたかどのぉっ、こっちさ来いや。事情が変わったぁ。」

 官兵衛かんべえ間者かんじゃから降り、秀吉ひでよしの右手の床几しょうぎに座す。左手には頼隆よりたかが座す。

勝三郎かつさぶろうからのしらせじゃ。どうやら十兵衛じゅうべえ勝竜寺城しょうりゅうじじょうを抜け出したらしい。」

 官兵衛かんべえ頼隆よりたかも特に驚かない。

「あの城ではこもっても援軍が来る前にやられるとさとったんじゃろぅ。十兵衛じゅうべえにしたら賢明かもしれん。ここからならみやこ坂本さかもとへ向かうじゃろう。」

「あぁっ、それはえぇんじゃが、三七殿さんしちどのがこれを知って、勝三郎かつさぶろうの制止を振り切って勝手にみやこに向かったそうじゃ。」

「何とっ、みやこで暴れなけりゃえぇんじゃが・・・。」

五郎左ごろうざは一緒のようじゃが、勝三郎かつさぶろうが後を追って軍勢をみやこに入れるわけにはいかんからのぉ・・・。頼隆殿よりたかどの、すまんがわずかな手勢てぜいだけでみやこに入って三七殿さんしちどのを抑えてくれんかぇ。」

「承知しました。とにかく明智あけち一派が御所ごしょに出入りできぬようにすること、そして何よりもみやこでの乱暴狼藉らんぼうろうぜきは起こさんこと、・・・ですな。」

「あぁっ、じゃがもう一つ。十兵衛じゅうべえみやこかくひそんどるっちゅううわさを流してくんろ。」

「はて、それは何故なにゆえでありましょうか。」

「二つある。一つは十兵衛じゅうべえがそんうわさを耳にしたら、みやこにはおられんようになって、それこそ坂本さかもとへ向かうはずじゃ。そこをわしらが討つ。も一つは、こんうわさが流れれば三七殿さんしちどのみやこから動かんじゃろう。わしが動くなと申せば、三七殿さんしちどのはわしにあらがって動いてまうが、十兵衛じゅうべえが近くにおると分かればみずかとどまるじゃろう。」

「なるほどっ。三七殿さんしちどの大人おとなしくしてもらうということですな。」

 官兵衛かんべえあきれる。

面倒臭めんどくせ御方おかたじゃのぉ・・・。」

「まぁ、そういうでねぇ・・・。勝三郎かつさぶろうが止めるんを訊かんかったっちゅうことは、昨日のいくさ勝三郎かつさぶろうがわざと三七殿さんしちどのを前に出させんようにしたこつに気付いたんじゃろぅ。そん上、もしかすると秀勝殿ひでかつどのの活躍を皆がめちぎっとるこつも耳にしとるやもしれん。ここへ来て、ふてくさられても困る。こんいくさが終わるまでは少々我儘わがままを云わせてでも、機嫌きげんそこねず、おとなしゅうしてもらおう。」

 頼隆よりたかが続きを聴きたがる。

「でっ、他の方々はどうなされまする。」

勝竜寺城しょうりゅうじじょう摂津衆せっつしゅうに任せる。主人あるじらねば容易たやすく落とせるじゃろう。勝竜寺城しょうりゅうじじょうが落ちたら、そこで摂津衆せっつしゅうには少し休んでもろうて、丹波たんばへ向こうてもらう。一方でわしらはまず園城寺おんじょうじあたりを抑え、安土あづちからの敵兵を警戒しながら坂本さかもとを攻め落とす。」

「確実にみやこ坂本さかもと亀山かめやまを抑えるということでございますな。」

安土あづちもじゃ。坂本さかもと安土あづちを抑えれば、近江衆おうみしゅうはわしらにくだらざるをんじゃろう。」

 納得した頼隆よりたかは立ち上がり、秀吉ひでよし官兵衛かんべえに一礼してから、城門を出る。少し寝不足ねぶそくなのか、まなこが赤く充血している秀吉ひでよし官兵衛かんべえねぎらう。

安土あづちを抑えりゃぁ、ようやく長浜ながはまじゃのぉ。奥方おくがた御無事ごぶじなのか。」

「城から逃げれたんは分かっちょるが、岐阜ぎふまでは辿たどけてねぇようじゃぁ・・・。」

「心配じゃのぉ。」

「いやぁっ、なぁに・・・。おねもおかぁも、そもそも育ちのえぇ姫君ひめぎみじゃねぇんじゃから、きっとたくましく生き延びちょるわぃ。」

「そうならええんじゃが、おね殿は松寿丸しょうじゅまるの面倒を見ていただいた大恩人だいおんじんじゃぁ。わしとしても何としてでもお救いしたい。」

有難ありがとうなぁ、官兵衛かんべえ・・・。そういやぁ、お主っ、御子息ごしそくを連れて来ちょらんのぉ。何故なにゆえじゃ。」

「父上が止めたぁ。」

職隆殿もとたかどのがぁ・・・。あん御人ごじんなら、むしろ長政殿ながまさどのに父君をお支えせよと云って訊かせるような気がするが・・・。」

此度こたびだけは違うそうじゃ。父上は此度こたびいくさ黒田くろだ一世一代いっせいいちだい大勝負おおしょうぶと見ておる。わしに黒田家くろだけの行く末を託すから、家族の心配をせず、心置きなく戦ってこいと送り出されたわぃ。くそうて、こんなのは初めてじゃぁ。」

「なるほどのぉ。よわい六十の御人ごじんかんがそう申しておるんじゃろう。お主は御家族に恵まれちょるのぉ。」

「あぁっ・・・。じゃが松寿丸しょうじゅまるにはもうちょいとしっかりして欲しいんじゃがのぉ。同じ年頃の秀勝殿ひでかつどのとはえらい違いじゃあ。」

「何のっ、何のぉっ、これからよぉっ・・・。それに秀勝殿ひでかつどのは、あの若さにしちゃぁ出来過できすぎじゃぁ。比べちゃぁいかんじゃろぅ。」

 二人が談義を続けているところへ小兵こひょうが割って入り、しらせを告げる。

小一郎様こいちりうさまからの伝令です。安土あづちにて、明智勢あけちぜいが兵を集結させているとのことです。」

左馬助さまのすけかぁ・・・、筑前殿ちくぜんどのっ、わしらも支度したくじゃぁ。」

 秀吉ひでよし伝令でんれいに告げる。

小一郎こいちろうに伝えよ。が明けたらわしらもそちらへ向かう。それまで久太郎きゅうたろう左馬助さまのすけの軍勢を見張らせ、他は十兵衛じゅうべえ琵琶湖びわこへ抜け出んよう全ての道をふさげ・・・となっ。」
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