生残の秀吉

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仇討

四十一.寸刻の総大将

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天正十年六月十二日 申の刻

富田とんだの陣には秀吉ひでよし秀勝ひでかつ直臣じきしんたちと摂津衆せっつしゅうつどい、戦勝を祈願した後の軍議が開かれる。正面には秀吉ひでよし秀勝ひでかつが座し、円を描くように右側に小一郎こいちろう官兵衛かんべえ堀秀政ほりひでまさ中村一氏なかむらかずうじが座し、左側に池田恒興いけだつねおき元助もとすけ中川清秀なかがわきよひで高山右近たかやまうこんが座す。中央には戦場いくさば周辺の地図がひろげられており、他の将兵たちはそれを外側からのぞむように立つ。

秀吉ひでよし十兵衛じゅうべえはほんまにちょるんかぁ。」

右近うこん「はいっ、確かに・・・。しらせによると御坊塚ごぼうづか辺りに本陣をいておりまする。数は五千。その前方に円明寺川えんみょうじがわに沿って斎藤利三さいとうとしみつをはじめとした美濃衆みのしゅう近江衆おうみしゅう丹波衆たんばしゅうなどの一万の兵が並んで陣取っておりまする。」

恒興つねおき「寄せ集めじゃのぉ。しかも陣が東西に伸びきっとる。こりゃぁ、どっか一箇所いっかしょでもやぶりゃあ、十兵衛じゅうべえのところまで容易たやす辿たどけるぞぃ。」

清秀きよひで「じゃが、地の利は敵方てきがたにある。こちらが陣を張れるんは天王山てんのうざんとこん大沼の間のわずかな地だけじゃ。陣が縦に伸びてしまう。」

官兵衛かんべえ「いやっ、そうでもない。敵も横からは攻めにくいはずじゃ。天王山てんのうざんさえおさえておけばわしらが崩れることはねぇじゃろう。」

右近うこん「ならばわれらは宝積寺ほうしゃくじあたりを本陣とし、天王山てんのうざん淀川よどがわ沿いの脇を固めた上で、中を二段構えの陣でのぞむのは如何いかがか。後段は鉄砲隊・騎馬隊を中心にして、前段が敵の動きを止めているところで後段が後ろから突けば、どこかしら崩れると思われるが・・・。」

恒興つねおき「えぇ策じゃぁ。ならば池田いけだは東の前後を務めよう。筑前ちくぜんっ、中村殿なかむらどのの鉄砲隊を貸してくれぇ。」

清秀きよひで「では西側は中川なかがわが引き受けよう。今、半分が天王山てんのうざんに陣取っとるんじゃが、誰か入れ替わってくれんかのぉ。」

官兵衛かんべえ「わしと小一郎殿こいちろうどの天王山てんのうざんに入る。」

秀吉ひでよし「川沿いは茂助もすけが固めよっ。久太郎きゅうたろうっ、お主は中川殿なかがわどの高山殿たかやまどのの後段に入れっ。」

秀政ひでまさ承知しょうちつかまつった。」

官兵衛かんべえ「敵が総崩れになった後は如何いかがされるか。」

右近うこん「味方を二手に分け、勝竜寺城しょうりゅうじじょう淀城よどじょうを囲みつつ、こちらの兵も整え直しましょうぞっ。もはやどちらの城も容易たやすく落とせると推察すいさついたすが、次の戦場いくさば坂本さかもと丹波たんばになるであろうから、身体からだを休めて備えることも必要でござる。」

秀吉ひでよし「よしっ、そんときの皆の状況を見計みはからって、わしから下知げちを出そう。そんまでは敵をこん二つの城に追い詰めるんに専念してくんろ・・・。総大将そうだいしょう秀勝殿ひでかつどのはわしとともに本陣にて行く末を見守りくだされっ。」

秀勝ひでかつ承知しょうちいたしました。」

ここにいる者たちは皆、実質的な総大将そうだいしょう秀吉ひでよしであることは分かっている。しかしこのいくさを『仇討あだうち』として世に知らしめるためには、織田おだ家の血筋の者が旗頭はたがしらとなるのが相応ふさわしいことも重々じゅうじゅう承知しょうちしている。秀勝ひでかつがその資格を有することも分かっている。しかし空気の詠めない清秀きよひでがつい口を走らせる。

清秀きよひで「わしの元に入ったしらせでは、信孝殿のぶたかどのがこの近くまで来とるらしい。信孝殿のぶたかどのの合流を待って、信孝殿のぶたかどの総大将そうだいしょうになってもらうべきでないかぁ。」

実はこの情報は清秀きよひでに限らず、全ての将の耳に入っている。しかし皆、眼の前にいる秀勝ひでかつへの遠慮もあるし、また秀吉ひでよしの意中をおもんぱかって口に出せないでいる・・・清秀きよひで以外は。秀吉ひでよし清秀きよひでくもらせたこの場の雰囲気を打ち払おうとする。

秀吉ひでよし「理屈はそうじゃが、こんいくさはよう決着を付けねばならん。高山殿たかやまどののおかげで十兵衛じゅうべえに早々といくさの構えを取らせたまではえぇが、間を与えれば十兵衛じゅうべえが兵を増やし、天王山てんのうざんふさがれ、みやこに進められんようになる。この機を逃すわけにはいかん。じゃから信孝殿のぶたかどのの合流は待ってられん。」

恒興つねおき「そういうことなら、信孝殿のぶたかどのには悪いが、兵は予定通り、明朝出立しゅったつさせることにしよう。問題はそれまでに信孝殿のぶたかどのが到着したらどうするかじゃ。」

右近うこん総大将そうだいしょうというものは一人でなければならないということはあるまい。信孝殿のぶたかどの秀勝殿ひでかつどの御兄弟ごきょうだい総大将そうだいしょうということではいかがかな。」

清秀きよひで切支丹きりしたん右近殿うこんどのらしい考えよのぉ。わしは異論ないが、信孝殿のぶたかどのは不満なんじゃなかろうかぁ。」

清秀きよひで何気なにげない言葉に、秀勝ひでかつは内心むっとする。

三七さんしちあにぃの気分の方が、わしよりも大事なんかぇ・・・。)

秀吉ひでよし秀勝ひでかつの不満に気付く。

(いかんっ、また秀勝殿ひでかつどのが熱くなっちょる。瀬兵衛せひょうえにこれ以上しゃべらすわけにはいかん。)

秀吉ひでよし織田おだ仇討あだうちっちゅうても、総大将そうだいしょう従五位じゅごい信孝殿のぶたかどのと官位のねぇ秀勝殿ひでかつどのとでは、とりわけ朝廷の聞こえは全く違うじゃろう。どちらかぁ云えば、総大将そうだいしょう信孝殿のぶたかどのの方が相応ふさわしい。じゃが実際に、秀勝殿ひでかつどのにはわしらを姫路ひめじからこの地までよぅ引っ張ってもろうたし、右近殿うこんどのの申し出も一理ある。よって信孝殿のぶたかどのが合流次第、総大将そうだいしょう信孝殿のぶたかどのに代わっていただくこととし、秀勝殿ひでかつどのについては信孝殿のぶたかどの御一任ごいちにんするということで如何いかがかな。」

一同は納得するものの、秀勝ひでかつに気を使う。とりわけ姫路ひめじから共にしてきた将兵からの同情の視線を感じる秀勝ひでかつ居心地いごこちが悪くなる。秀吉ひでよしつくろう。

秀吉ひでよし「こんこつは事前に秀勝殿ひでかつどのにも御承伏ごしょうふくいただいちょる・・・。のぉ、秀勝殿ひでかつどのっ。」

秀勝ひでかつこぶしがぎゅとにぎめられるのを恒興つねおきは見逃さない。

(ほほぉっ、くやしいんかぇ・・・。わけぇのにえぇ心構えじゃ。大将としてのうつわはあるようじゃのぉ。こりゃぁ輝政てるまさを送り込んで正解じゃわぃ。せがれよ、でかしたぞぃ。)

秀勝ひでかつは何か言いたげである。ここで秀勝ひでかつが何かを発するのは危ないと危惧きぐする秀吉ひでよし無理矢理むりやりこの場をめようと考えるが、その前に恒興つねおきが優しく言葉をかける。

恒興つねおき秀勝殿ひでかつどのっ・・・。所詮しょせん、『総大将そうだいしょう』っちゅうもんはかざもんじゃ。此度こたび信孝殿のぶたかどのがわしらん中で一番きんぴかっちゅうことに過ぎん。じゃが本当の総大将そうだいしょう筑前殿ちくぜんどのじゃ。こんこつは秀勝殿ひでかつどのも異論ねぇじゃろっ。誰も云わんが、心の内では皆よぅ分かっちょる。じゃから此度こたびいくさ、わしらは気をいつにできる。そんことが最も肝心じゃ。秀勝殿ひでかつどのにはえぇ機会じゃ。御義父上おちちうえそばにいて、『まこと総大将そうだいしょう』の采配をよぅ学びなされ。」

眼が少しうる秀勝ひでかつはまるで友人ができたかのように恒興つねおき元助もとすけに向けて一つうなずき、続いて秀吉ひでよしに向かって笑みを浮かべる。軍議の一同は秀勝ひでかつの心が晴れたことを認め、安心する。

秀勝ひでかつ義父上ちちうえおおせせの通りにしたごうとうございます。」

秀吉ひでよしは苦笑する。

勝三郎かつさぶろうめぇっ、秀勝殿ひでかつどのまで丸め込みやがったぁ・・・。)
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