31 / 89
仇討
三十一.憶測の幽斎
しおりを挟む
たまは幽斎の眼をぎぃと見ながら、一つ頷く。それを確かめて幽斎も一つ頷く。幽斎は側にあった栗色の文箱を開け、一つの書状を取り出す。書状を両手で持ちながら幽斎は話を始める。
「四年前、十兵衛殿とわしは再度の丹波攻めを大殿から申しつかった。それまで長らく丹波衆には煮湯を飲まされておったが、ようやく一年以上かけて首謀の波多野秀治らを八上の城で捕らえた。『裏切り者』を許さん大殿は波多野を磔にされた。わしらはその勢いでもってさらに奥の黒井の城を攻めた。以前は強固な城であったが、わしらが攻める頃は波多野もおらんし、毛利の援軍も期待できなかったので、もう一人の首謀の赤井忠家をはじめとする『赤井党』はすでに散り散りになっておった。わしらは容易く黒井の城を抑えたが、それでも大殿は『赤井党』の一掃を命じられ、それからしばらくわしらは死に物狂いで残党狩りに励んだ。こうしてわしらは丹波とこの地の全ての城を落とし、大殿にその報せを申し上げた。大殿は大層お喜びになり、翌年には丹波を十兵衛殿に、丹後をわしに拝領してくださった。その刻のわしらの悦び様は、たま殿も鮮明に覚えておろう。」
たまは頷く。そして丹波攻めの武勇伝を何日も訊かされた二年前を思い出す。その頃の父と義父が明るい表情で酒を酌み交わす光景が忘れられない。幽斎が続ける。
「それから一年もしないうちに、安土である噂が流れた。『赤井の残党が丹波国内で匿われている』という噂であった。あの頃のわしらは少し有頂天になってたのかもしれんが、大方、わしらの武勲を妬む輩の妄言だろうと放っておいた。するとこれが大殿の耳に入った。これが真であれば『裏切り者』を許さん大殿はわしらも許すことはない。わしらは大殿に呼ばれ、奉行が同席する中で事の真否を問われた。もちろん、十兵衛殿もわしも身に覚えのないことなので、きちと否定した。大殿はわしらの言い分を汲んでくだされ、それ以降、この話が持ち上がることはなかった。しかし奇妙に思ったのは、それからしばらくした頃から大殿が公然と人前で十兵衛殿をひどく罵るようになってきたことだ。わしは『何かあったのか』と問うたが、十兵衛殿は『別段・・・』と応えるだけだった。にもかかわらず、大殿の暴言・暴力はますます大きくなる一方でな、それが何故か、わしも、わしの周りの近習たちも不思議でならなんだ。」
父が信長公にそんな扱いをされていたことをたまは初めて訊いた。幽斎はほんの少しにやとして、さらに続ける。
「あるとき、わしだけが大殿に呼ばれたことがあってのぉ。そのとき大殿は中国・四国攻めが落ち着いたらわしを丹波に配置換えするから、心得ておくようにと申された。わしは『日向守殿は何処へ』と恐る恐る訊ねると、大殿はただ『遠国じゃ』とだけお応えになって、それ以上は何も申さなんだ。わしも畏れ多くてその場で追求するなどせず、理解せんまま今日まできた。」
ここで幽斎は手元の書状の中身をゆっくり取り出し、忠興に手渡す。
「ところがつい先ほど送られてきた筑前殿からの書状で、このとき何が起こっていたかを知る羽目になった。」
忠興が書状に眼を通す傍らで、幽斎はたまの眼をじっと見つめ、太い声で告げる。
「実は十兵衛殿とわしが大殿に弁明した後も大殿はわしらを疑っていたらしい。そこで大殿は筑前殿にわしらには内密に真相を調べよと命じたそうだ。」
たまは『まさかっ』とはっとする。
「筑前殿は御家来の脇坂安治殿を使って、丹波と丹後の領内を入念に探らせた。脇坂殿はこの地によく通じておるからのぉ。そして脇坂殿は『赤井忠家が丹波のしがない村で匿われている』ことを突き止め、筑前殿は大殿にこれを報せた。大殿は『十兵衛には秘して、忠家を誅せよ』と筑前殿に命じたそうだ。筑前殿から伝えられた脇坂殿は村を囲み、忠家の首を刎ねんと匿われていた棲家に押し入ったが、もはやそこはもぬけの殻だった。」
たまは唾を飲み込む。
「忠家の行方は今となっても分からんままだが、脇坂殿は忠家を襲う数日前から明智の御家来衆が棲家に出入りしていたことを村の百姓から訊き及んだ。つまり十兵衛殿こそが赤井忠家を匿っておったということだ。」
忠興もたまも瞬きすらできない。
「なぜ忠家を匿ったのかは存ぜぬが、筑前殿は前関白様が背後で動いていたと疑っておられる。かつて黒井に住んでおられたというだけだがな・・・。しかしそれはどうでもえぇ。問題なのは、あの生真面目の十兵衛殿が大殿に隠し事をしていたということだ。」
たまはゆっくり俯く。
「其方が申すように、十兵衛殿は真面目一辺倒に大殿に尽くしてきた御方だ。だからこそそんな御人が大殿の前で抜け抜けと嘘を申したことに、大殿は十兵衛殿への一層の疑いと苛立ちを覚えたらしい。すでに大殿は十兵衛殿を見限っており、これからはわしをお側に置こうとしておったと筑前殿は申しておる。筑前殿がわしを謀っておるのか、真の大殿の意であったのかどうかは今となっては窺い知れんが、少なくともわしのこれまでの疑念に対しては全て筋が通る。」
忠興が訊ねる。
「何故、筑前殿はこのような書状を・・・。」
幽斎が返す。
「わしが迷っておると思ったのであろう。そして十兵衛殿を討つ大義名分をわしの中で膨らませたいのであろう。筑前殿は十兵衛殿のように叶わぬ褒美をちらつかせるようなことはせん、・・・戦略からして既に筑前殿の方が一枚も二枚も上手だ。」
顔を上げられないたまに幽斎は優しく声を掛ける。
「たま殿、大殿と十兵衛殿との間で赤井の件のやりとりがあったのかどうか、そしてそれが此度の動機なのかどうかは、わしには知る由もない。今申したのは、あくまでわしの『心当たり』である。他の動機があったのかもしれん。しかしいずれ大殿は十兵衛殿を切るつもりであったろう。譜代の林殿や佐久間殿を簡単に切り捨てる御方であったからのぉ。」
俯くたまの眼から大粒の涙が落ちる。
「四年前、十兵衛殿とわしは再度の丹波攻めを大殿から申しつかった。それまで長らく丹波衆には煮湯を飲まされておったが、ようやく一年以上かけて首謀の波多野秀治らを八上の城で捕らえた。『裏切り者』を許さん大殿は波多野を磔にされた。わしらはその勢いでもってさらに奥の黒井の城を攻めた。以前は強固な城であったが、わしらが攻める頃は波多野もおらんし、毛利の援軍も期待できなかったので、もう一人の首謀の赤井忠家をはじめとする『赤井党』はすでに散り散りになっておった。わしらは容易く黒井の城を抑えたが、それでも大殿は『赤井党』の一掃を命じられ、それからしばらくわしらは死に物狂いで残党狩りに励んだ。こうしてわしらは丹波とこの地の全ての城を落とし、大殿にその報せを申し上げた。大殿は大層お喜びになり、翌年には丹波を十兵衛殿に、丹後をわしに拝領してくださった。その刻のわしらの悦び様は、たま殿も鮮明に覚えておろう。」
たまは頷く。そして丹波攻めの武勇伝を何日も訊かされた二年前を思い出す。その頃の父と義父が明るい表情で酒を酌み交わす光景が忘れられない。幽斎が続ける。
「それから一年もしないうちに、安土である噂が流れた。『赤井の残党が丹波国内で匿われている』という噂であった。あの頃のわしらは少し有頂天になってたのかもしれんが、大方、わしらの武勲を妬む輩の妄言だろうと放っておいた。するとこれが大殿の耳に入った。これが真であれば『裏切り者』を許さん大殿はわしらも許すことはない。わしらは大殿に呼ばれ、奉行が同席する中で事の真否を問われた。もちろん、十兵衛殿もわしも身に覚えのないことなので、きちと否定した。大殿はわしらの言い分を汲んでくだされ、それ以降、この話が持ち上がることはなかった。しかし奇妙に思ったのは、それからしばらくした頃から大殿が公然と人前で十兵衛殿をひどく罵るようになってきたことだ。わしは『何かあったのか』と問うたが、十兵衛殿は『別段・・・』と応えるだけだった。にもかかわらず、大殿の暴言・暴力はますます大きくなる一方でな、それが何故か、わしも、わしの周りの近習たちも不思議でならなんだ。」
父が信長公にそんな扱いをされていたことをたまは初めて訊いた。幽斎はほんの少しにやとして、さらに続ける。
「あるとき、わしだけが大殿に呼ばれたことがあってのぉ。そのとき大殿は中国・四国攻めが落ち着いたらわしを丹波に配置換えするから、心得ておくようにと申された。わしは『日向守殿は何処へ』と恐る恐る訊ねると、大殿はただ『遠国じゃ』とだけお応えになって、それ以上は何も申さなんだ。わしも畏れ多くてその場で追求するなどせず、理解せんまま今日まできた。」
ここで幽斎は手元の書状の中身をゆっくり取り出し、忠興に手渡す。
「ところがつい先ほど送られてきた筑前殿からの書状で、このとき何が起こっていたかを知る羽目になった。」
忠興が書状に眼を通す傍らで、幽斎はたまの眼をじっと見つめ、太い声で告げる。
「実は十兵衛殿とわしが大殿に弁明した後も大殿はわしらを疑っていたらしい。そこで大殿は筑前殿にわしらには内密に真相を調べよと命じたそうだ。」
たまは『まさかっ』とはっとする。
「筑前殿は御家来の脇坂安治殿を使って、丹波と丹後の領内を入念に探らせた。脇坂殿はこの地によく通じておるからのぉ。そして脇坂殿は『赤井忠家が丹波のしがない村で匿われている』ことを突き止め、筑前殿は大殿にこれを報せた。大殿は『十兵衛には秘して、忠家を誅せよ』と筑前殿に命じたそうだ。筑前殿から伝えられた脇坂殿は村を囲み、忠家の首を刎ねんと匿われていた棲家に押し入ったが、もはやそこはもぬけの殻だった。」
たまは唾を飲み込む。
「忠家の行方は今となっても分からんままだが、脇坂殿は忠家を襲う数日前から明智の御家来衆が棲家に出入りしていたことを村の百姓から訊き及んだ。つまり十兵衛殿こそが赤井忠家を匿っておったということだ。」
忠興もたまも瞬きすらできない。
「なぜ忠家を匿ったのかは存ぜぬが、筑前殿は前関白様が背後で動いていたと疑っておられる。かつて黒井に住んでおられたというだけだがな・・・。しかしそれはどうでもえぇ。問題なのは、あの生真面目の十兵衛殿が大殿に隠し事をしていたということだ。」
たまはゆっくり俯く。
「其方が申すように、十兵衛殿は真面目一辺倒に大殿に尽くしてきた御方だ。だからこそそんな御人が大殿の前で抜け抜けと嘘を申したことに、大殿は十兵衛殿への一層の疑いと苛立ちを覚えたらしい。すでに大殿は十兵衛殿を見限っており、これからはわしをお側に置こうとしておったと筑前殿は申しておる。筑前殿がわしを謀っておるのか、真の大殿の意であったのかどうかは今となっては窺い知れんが、少なくともわしのこれまでの疑念に対しては全て筋が通る。」
忠興が訊ねる。
「何故、筑前殿はこのような書状を・・・。」
幽斎が返す。
「わしが迷っておると思ったのであろう。そして十兵衛殿を討つ大義名分をわしの中で膨らませたいのであろう。筑前殿は十兵衛殿のように叶わぬ褒美をちらつかせるようなことはせん、・・・戦略からして既に筑前殿の方が一枚も二枚も上手だ。」
顔を上げられないたまに幽斎は優しく声を掛ける。
「たま殿、大殿と十兵衛殿との間で赤井の件のやりとりがあったのかどうか、そしてそれが此度の動機なのかどうかは、わしには知る由もない。今申したのは、あくまでわしの『心当たり』である。他の動機があったのかもしれん。しかしいずれ大殿は十兵衛殿を切るつもりであったろう。譜代の林殿や佐久間殿を簡単に切り捨てる御方であったからのぉ。」
俯くたまの眼から大粒の涙が落ちる。
1
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
if 大坂夏の陣
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話になりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
江戸時代改装計画
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる