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仇討
二十.姫路の秀吉
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天正十年六月七日 卯の刻
「とのっ・・・、とのっ・・・。」
(女子の声がするのぉ。わしを呼んどる。)
「とのっ・・・、夜が明けましたよ・・・。」
(起こしとるようじゃなぁ、わしは寝とるんかぁ。)
「とのっ・・・、とぉのぉっ・・・。」
(えっとここは何処じゃっけ。わしは何をしておったんじゃっけ・・・。そうじゃっ。)
秀吉が眼を覚ます。一人の女性が仰向けの秀吉を覗き込んでいる。
(はてっ、誰じゃっけ・・・。)
女性が身体を戻すと、秀吉はゆっくり起きる。武具は全て外されて、真新しい下着を纏っているが、褌は濡れたままである。秀吉は杉の香を感じ取りながら部屋を見回し、どうやらここは姫路の城らしいことに気付く。着替えを支度する女性をじっと眼で探り、ようやく思い出す。
「みつ殿かぁ。」
「ようやくお目覚めになられましたな。」
笑顔の女性は、官兵衛の奥方である。利口でありながら、少し勇ましいところがあり、秀吉の好みではないが、きびとした振る舞いは武将の妻として好感が持てる。
「湯風呂の支度が整っておりますので、お疲れをお取り下さいませ。」
みつの手元には湯帷子が用意されている。秀吉はまだ現状が呑み込めていない。
「わしはいつから寝ちょった・・・。」
みつは秀吉の戸惑いを察する。
「昨晩でございます。四つ頃だったでございましょうか。皆さまずぶ濡れでございました。城の者総出で殿をお迎えいたしましたら、殿は『明けたら起こしてくれ』と申されながら、門を入られたところでお倒れになりました。そしたら、大きな鼾が聞こえてきて・・・。」
隠れるように笑うみつに、秀吉は恥ずかしがる。
「そうであったか。そっ、そりゃぁ、醜態を見せてしもうたのぉ。」
秀吉はようやく外は雨が降り続いていることに気づく。
「『醜態』などと、とんでもございませぬ。事情は夫から訊き及び、皆も知っております。」
「官兵衛から・・・。わしが着く前にもう知っておったか。」
秀吉は官兵衛とみつの手際の良さに感服する。
「はい。夫より、本丸に入って殿の御世話をするように仰せつかっております。湯風呂からお上がりになられたら、朝餉をお召し上がりくださいませ。」
「官兵衛は戻っているのか。」
「いえ、昨夜は雨が一段とひどかったので、あのお身体ですからどこかで立ち往生されてるのでございましょう。まだこちらには着いておりません。」
「そうか、早う着いて、官兵衛にも休んでもらわんとのぉ・・・。みつ殿、これからしばらくこの城は騒がしゅうなる。よろしく頼むわぁ。」
と甘えた声で秀吉が頼むと、みつはきりと云い切る。
「さすれば、わたくしに奥をお任せいただけませんでしょうか。」
少し唖然とする秀吉だが、
「もう既に仕切っておるんじゃろう。」
と云って、二人で笑う。みつが用意した湯帷子を手にした秀吉が尋ねる。
「誰が戻ってきておるか分かるか。」
「小一郎様は姿はお見かけしますが、城に出たり入ったりと、何やら忙しないご様子で動き回られてございます。」
秀吉は鼻息を一つ漏らす。
「小一郎らしいのぉ。じゃがあやつにも休んでもらわないかん。わしが呼んどると伝えてくんろ。そいで他のもんはどうじゃ。」
「一刻ほど前から秀勝様が別間でお待ちでございます。」
秀吉は驚く。
「何ぃっ、秀勝殿が・・・。思うたより早よ着かれたのぉ。」
みつは申し訳なさそうに、秀吉に説明する。
「『殿は今しばらくお休みにございます』とお伝えしたのですが、『ここで待つ』と仰せになりまして・・・。」
秀吉は同情する。
「無理もねぇ。実の父と兄が討たれたんじゃ。じっとしとれん思いじゃろう。」
秀吉は少し考え込み、みつに告げる。
「湯浴びは後じゃ。先に秀勝殿に会おう。」
「とのっ・・・、とのっ・・・。」
(女子の声がするのぉ。わしを呼んどる。)
「とのっ・・・、夜が明けましたよ・・・。」
(起こしとるようじゃなぁ、わしは寝とるんかぁ。)
「とのっ・・・、とぉのぉっ・・・。」
(えっとここは何処じゃっけ。わしは何をしておったんじゃっけ・・・。そうじゃっ。)
秀吉が眼を覚ます。一人の女性が仰向けの秀吉を覗き込んでいる。
(はてっ、誰じゃっけ・・・。)
女性が身体を戻すと、秀吉はゆっくり起きる。武具は全て外されて、真新しい下着を纏っているが、褌は濡れたままである。秀吉は杉の香を感じ取りながら部屋を見回し、どうやらここは姫路の城らしいことに気付く。着替えを支度する女性をじっと眼で探り、ようやく思い出す。
「みつ殿かぁ。」
「ようやくお目覚めになられましたな。」
笑顔の女性は、官兵衛の奥方である。利口でありながら、少し勇ましいところがあり、秀吉の好みではないが、きびとした振る舞いは武将の妻として好感が持てる。
「湯風呂の支度が整っておりますので、お疲れをお取り下さいませ。」
みつの手元には湯帷子が用意されている。秀吉はまだ現状が呑み込めていない。
「わしはいつから寝ちょった・・・。」
みつは秀吉の戸惑いを察する。
「昨晩でございます。四つ頃だったでございましょうか。皆さまずぶ濡れでございました。城の者総出で殿をお迎えいたしましたら、殿は『明けたら起こしてくれ』と申されながら、門を入られたところでお倒れになりました。そしたら、大きな鼾が聞こえてきて・・・。」
隠れるように笑うみつに、秀吉は恥ずかしがる。
「そうであったか。そっ、そりゃぁ、醜態を見せてしもうたのぉ。」
秀吉はようやく外は雨が降り続いていることに気づく。
「『醜態』などと、とんでもございませぬ。事情は夫から訊き及び、皆も知っております。」
「官兵衛から・・・。わしが着く前にもう知っておったか。」
秀吉は官兵衛とみつの手際の良さに感服する。
「はい。夫より、本丸に入って殿の御世話をするように仰せつかっております。湯風呂からお上がりになられたら、朝餉をお召し上がりくださいませ。」
「官兵衛は戻っているのか。」
「いえ、昨夜は雨が一段とひどかったので、あのお身体ですからどこかで立ち往生されてるのでございましょう。まだこちらには着いておりません。」
「そうか、早う着いて、官兵衛にも休んでもらわんとのぉ・・・。みつ殿、これからしばらくこの城は騒がしゅうなる。よろしく頼むわぁ。」
と甘えた声で秀吉が頼むと、みつはきりと云い切る。
「さすれば、わたくしに奥をお任せいただけませんでしょうか。」
少し唖然とする秀吉だが、
「もう既に仕切っておるんじゃろう。」
と云って、二人で笑う。みつが用意した湯帷子を手にした秀吉が尋ねる。
「誰が戻ってきておるか分かるか。」
「小一郎様は姿はお見かけしますが、城に出たり入ったりと、何やら忙しないご様子で動き回られてございます。」
秀吉は鼻息を一つ漏らす。
「小一郎らしいのぉ。じゃがあやつにも休んでもらわないかん。わしが呼んどると伝えてくんろ。そいで他のもんはどうじゃ。」
「一刻ほど前から秀勝様が別間でお待ちでございます。」
秀吉は驚く。
「何ぃっ、秀勝殿が・・・。思うたより早よ着かれたのぉ。」
みつは申し訳なさそうに、秀吉に説明する。
「『殿は今しばらくお休みにございます』とお伝えしたのですが、『ここで待つ』と仰せになりまして・・・。」
秀吉は同情する。
「無理もねぇ。実の父と兄が討たれたんじゃ。じっとしとれん思いじゃろう。」
秀吉は少し考え込み、みつに告げる。
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