生残の秀吉

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退陣

十九.収拾の隆景

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「何を申すか、恵瓊殿えけいどの。この好機を逃す手はありませんぞぉ。」

いきどお隆家たかいえ恵瓊えけいは制する。

「好機ではありませぬ。今のわれらに兵糧ひょうろうが不足しているのをお忘れでございますか。われらが東へ進めば、それこそ大友おおともが『好機』といって、背後から攻め上がるでしょう。ここは動かず、疲れた兵を休ませ、体制を整え直すべきと心得こころえます。」

恵瓊えけいは地に足がついていないような感覚におちいる。まるで自分の行動ではなく、秀吉ひでよしあやつられているような・・・。元春もとはる隆家たかいえ論破ろんぱすることなど慣れているはずなのに、いつもと違って心がうわついていることに不安がる。隆家たかいえ歯向はむかう。

「確かに兵糧ひょうろうは足りないし、兵も疲れておろうが、宗治殿むねはるどの仇討あだうちができると知れば、皆の士気も大いに上がるであろう。今なら短期で決着を付けられると思われぬか。」

普段なら隆家たかいえの興奮など素知そしらぬふりで、真顔で淡々と返す恵瓊えけいなのだが、今日は妙に自分も感情的になっているのを自覚する。

「思いませぬ。高松たかまつの城の周りは既に泥沼どろぬまの地。あれを落とすに、われらの更なる損失が大きいのは必定ひつじょうでございます。それに城には既に筑前殿ちくぜんどのはおりませぬ。とうに姫路ひめじ退いておりましょう。」

(しまったぁ・・・。言い過ぎたぁ・・・。)

隆景たかかげまゆもひくと動く。あせ恵瓊えけい元春もとはるが迫る。

筑前ちくぜんはあそこにいないというのか。何故なにゆえ、そう言い切れるっ。」

恵瓊えけいの身体のすべての穴から熱がる。

(いかんっ、いかんっ。筑前殿ちくぜんどのの退陣を前もって知っていたとなると、わしは余計に追い込まれる。わが身可愛さに言い訳を積み重ねれば縁組えんぐみの話も明かさなぁならんようになる。さすればわしは筑前殿ちくぜんどのの手先ととらえられよう。おしまいじゃぁ。考えろっ、考えろっ、・・・。ここは何とか切り抜けにゃぁならん。)

恵瓊えけいてのひら汗塗あせまみれとなっているが、恵瓊えけいは気付かない。恵瓊えけいいしばるように平静へいせいよそおうが、ふと元春もとはるが持っている書状に眼が止まり、にわかに思いついた言い訳でかわしにかかる。

「考えてもみなされ。此度こたびみやこの知らせをわれらの方が筑前殿ちくぜんどのよりも先に受けることがあり得ましょうか。われらはことごとく水軍を筑前殿ちくぜんどの凋落ちょうらくされてしもうておるのですぞ。筑前殿ちくぜんどのはもう既に次の手を打ったと見るのがことわりでござる。」

自分の云っている事が言い訳にならない言い訳であると自覚しながらも、恵瓊えけい強引ごういんにやり過ごそうとする。だが元春もとはるが抵抗する。

恵瓊殿えけいどのの申すことももっともじゃが、わしらには公方様くぼうさまの御命令という大義名分たいぎめいぶんがある。この勢いをもってすれば、たとい筑前ちくぜんを討てずとも、備前びぜん美作みまさかに入り、裏切り者の宇喜多うきたを追い出すことくらいはできよう。」

隆家たかいえが調子に乗って追随ついずいする。

「そうじゃ、そうじゃぁ。この機をつかめば、わしらは播磨はりままで手中しゅちゅうにできるぞぃ。」

隆家たかいえの危険な思想に、

(しめたぁっ。墓穴ぼけつりおったぁっ・・・。)

と心中で勝ち誇る恵瓊えけいが逆襲する。

まつりごとに振り回されて、りょうに眼がくらむようでは、祖・元就公もとなりこうの意にそむくことになりますぞ。」

元就公もとなりこう』という言葉に毛利もうり家中の人々は弱い。元春もとはる隆家たかいえ輝元てるもともついに声を発せられなくなる。しばらく沈黙が続き、ようやくここで隆景たかかげが静かに口を開く。

兄上あにうえ隆家殿たかいえどの、落ち着きなされ。」

隆景たかかげは手を伸ばし、目線で元春もとはる隆家たかいえを座らせる。

恵瓊殿えけいどの、確かめておきたい。筑前ちくぜん日向守ひゅうがのかみ右大将殿うだいしょうどのの両腕であるのは間違いあるまいな。力は互角と見てよいか。」

恵瓊えけいは素直に応える。

左様さようでございましょう。本来なら宿老しゅくろう柴田修理亮殿しばたしゅりのすけどの滝川左近殿たきがわさこんどのも匹敵する力をお持ちですが、あいにくこちらは今、上杉うえすぎ北条ほうじょうに集中しているはずです。」


うなず隆景たかかげ持論じろんを展開する。

「その書状を解せば、五分ごぶの力を持った者同士が手を組むことは考えられん。」

隆景たかかげは一同を見渡し、呼びかけるように云う。

「ならばわしらにとって確かなことは、いずれ筑前ちくぜん日向守ひゅうがのかみのどちらかが味方となり、どちらかが敵となるということじゃ。しかし今どちらかを決める必要はあるまいて・・・。この先の筑前ちくぜん日向守ひゅうがのかみの争いの行方ゆくえ見極みきわめた上で、勝ちそうな方につけば良いのではござらぬか。今はあせらず、傷をいやすが得策であろう。」

隆景たかかげはまるではかっていたかのようにこの場をまとげ、皆はぐうの音も出ない。隆景たかかげ輝元てるもとの方に座し直し、催促さいそくする。

御下知おげちを・・・。」

輝元てるもと秀吉ひでよし追撃を断念し、体制の立て直しを命じた。それから一刻いっこくほどは今後の領内統治とうちについての話し合いが続いた。その後、輝元てるもと重臣会議じゅうしんかいぎを解散させるが、人気ひとけを見計らって隆景たかかげにこっそり訊く。

筑前ちくぜん日向守ひゅうがのかみ、どちらが勝つと思う。」

「それは分かりませぬが、筑前ちくぜんであれば毛利もうりにとって良いのではと推察すいさついたします。」

「なぜじゃ。」

輝元てるもとが訊くと、隆景たかかげは苦笑しながら応える。

「『謀反むほんを起こすやから』よりも、『おもしろい奴』と組める方が良ぅござりましょう。」
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