生残の秀吉

Dr. CUTE

文字の大きさ
上 下
15 / 89
退陣

十五.傍観の恵瓊

しおりを挟む
天正十年六月五日 午の刻

安国寺恵瓊あんこくじえけい小雨こさめ日差山ひさしやまから灰色の雲が映る高松たかまつの城一帯を眺める。

二刻ふたこくほど前、城を囲む池の上で清水宗治しみずむねはるが切腹した。それとともに周りから小舟が城に向かって繰り出され、秀吉ひでよし方の兵が次々と本丸・二の丸に入り込んだ。しばらくして何艘なんそうかの小舟が池の南側へ漕ぎ出されると同時に、小舟が着岸する辺りへ吉川元春きっかわもとはるの一小隊が移動した。船と吉川きっかわ隊が合流してまもなく、毛利もうり方の撤退の法螺貝ほらがいが鳴り響いた。

籠城ろうじょうしていた清水しみず家臣たちが引き取られ、全ての一文字三星いちもじみつぼし旗差物はたさしものが降ろされた後も、恵瓊えけいは芝の上に座しながら、ただただその景色を傍観ぼうかんする。相変わらずの羽柴はしば軍の旗指物はたさしものの数に、恵瓊えけい

筑前殿ちくぜんどの宗治殿むねはるどのが腹を召したら退陣するとおっしゃっておられたが、その様子はうかがえんのぉ。あれは嘘だったんじゃろうか。)

と思うが、それより先のことを予見する気力を失っていた。そこへ、

恵瓊殿えけいどの、もう皆退きしましたぞぃ。残ってるのはわしらだけじゃ。」

と、恵瓊えけいの後ろから一人の男が近づく。背丈せたけが高く、漆黒しっこく甲冑かっちゅうを身にまとい、精悍せいかんな顔付きをした男に気づいた恵瓊えけい

「おぉ、又四郎様またしろうさま。すまん、すまん。わしもええ加減に山降りんとな。」

と云って、立ちあがろうとする。又四郎またしろうこと小早川隆景こばやかわたかかげ恵瓊えけいの左に並び、彼もまた城一帯を眺める。

此度こたびは参りましたな。敵ながら見事じゃった。恵瓊殿えけいどのにうまく立ち回っていただかなければ、わしらの損害は甚大じんだいだったでしょうな。」

恵瓊えけいは黙ったままである。すると、ごごおぅっという大きな音が辺り一面に響き渡る。

つつみを切りおったか。これでこの辺りは水浸みずびしじゃのぉ。いくさが終わっても筑前ちくぜんの策が効いとるわ。」

隆景たかかげが感心する一方、恵瓊えけいもまた城の周りの水が引いていく様を感慨深く見つめる。

「さて、わしらもはよ御館様おやかたさまの元へ向かうとするか。」

隆景たかかげ恵瓊えけいは歩き出し、ぬかるんだ山道を降りる。いつもなら明るくみの絶えない恵瓊えけいがずっと黙っているので、隆景たかかげ居心地いごこちの悪さを覚える。隆景たかかげも明るい性分しょうぶんなので、

恵瓊殿えけいどの身体からだの具合でも悪いのか。」

と笑顔を作って訊くが、恵瓊えけいは小さな声で

「いえ、左様さようなことは・・・。」

と応え、次の沈黙が始まる。ばつの悪い隆景たかかげえて切り込む。

御館様おやかたさまに無断で宗治殿むねはるどのを説得されたことを気にされとるのか。それならば心配せんでえぇ。ああやってわしらも手が出せん状況になってしもうては、城中の者を一人でも救うのが精一杯じゃ。御館様おやかたさま其方そなたしかりつけるようじゃったら、わしが制してやる。」

隆景たかかげは主君である毛利輝元もうりてるもと叔父おじにあたり、輝元てるもとが若い頃から『名君』としての厳しい教育を施してきた。人前で隆景たかかげ輝元てるもと容赦ようしゃなく叱責しっせきすることも多々あったが、祖父・元就もとなりが残した『財産』の大きさと若くして父・隆元たかもとを失ったことを考えると、周囲の者たちが輝元てるもと下手へたかばうことはなかった。

恵瓊えけいは黙ったままであるが、引き続き隆景たかかげは励ます。

むし其方そなた宗治殿むねはるどのに名誉をあたえ、清水しみず御家来衆ごけらいしゅう毛利もうりから離れんようにしたんじゃ。わしは其方そなたの英断だと思うておる。」

隆景たかかげ的外まとはずれの心配に、ついに恵瓊えけいは黙っていられなくなる。

「いえ、又四郎様またしろうさま、そうではございません・・・。」

恵瓊えけい隆景たかかげの眼を見ることができず、うつむいたまま続ける。

「とても申し上げにくいことです。又四郎様またしろうさま、ここだけの話ということで訊いていただけますでしょうか。」

恵瓊えけいにしては珍しい言葉である。隆景たかかげ滅多めったに訊けない恵瓊えけいの悩み事に関心がく。

「案ずるな、恵瓊殿えけいどの。誰にも云やせん。」

恵瓊えけい頭脳明晰ずのうめいせき隆景たかかげに打ち明ければ、ひょっとすると明るいきざしが見えるかもとわずかな救いに期待する。

「今から申すことは御館様おやかたさまのお耳には入れておりません。いや、お伝えしていいものかどうなのか、判断しかねております。」

恵瓊えけい勿体もったいぶるほど、隆景たかかげの興味は大きくなる。

「実は、約定やくじょうを結んだ後で筑前殿ちくぜんどのに奇妙な頼み事をされまして、・・・それがどういう意味なのか全く分からなくて、頭をかかえておるのでございます。」

隆景たかかげまゆひそめる。

「ほうっ、『奇妙な頼み事』とな・・・。」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話になりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

江戸時代改装計画 

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...