13 / 89
退陣
十三.蒸暑の秀吉
しおりを挟む
天正十年六月四日 未の刻
昼前あたりから雨が降り続けている。秀吉は蒸し風呂と化した本堂でたった今手に入れた間者の知らせ文を読んでいる。そこへ汗と雨に塗れたどす黒い官兵衛が入ってくる。
「出立は暮れじゃぁ。今のうちお休みになられよ、筑前殿。」
官兵衛が座すと、秀吉が応える。
「休もう思うちょるが、こう蒸し暑うては、眠れんわぃ。」
官兵衛は身体を手拭で拭きながら、失笑する。
「それでぇ、何か新しく分かったことでもあるんかぇ。」
官兵衛は懐から干飯を二つ取り出し、一つは秀吉の側に置き、もう一つを頬張り出す。秀吉は官兵衛の振る舞いをよそに、訝しげに応える。
「むぅぅん、まだまだ分からんことが多いのぉ。京や堺じゃぁ、街ん衆の混乱が手を付けられんようで、十兵衛本人は近江を転々としとるようじゃ。御所周りだけは抑えとるようじゃがのぉ。」
「此度の謀反はよほど咄嗟のことじゃったんじゃなぁ。大殿と殿を討った後はどうするかなんぞ考えておらんかったように聴こえるわい。今頃慌てて近江衆を誘っとるとは・・・。」
呆れる官兵衛の一方で、間者の文をじっくり見ながら秀吉は分析する。
「こりゃぁ、混乱しちょるんは街ん衆だけじゃねぇな。官兵衛、考えてみぃや。十兵衛は急いて毛利に書状を出しちょるんに、わしらの東を抑えちょる『摂津衆』に動きがみられん。」
官兵衛ははっとする。
「確かに、わしらにしたら摂津衆の動きの方が察しやすいはずじゃが、全く気配がねぇのぉ。」
「高山殿や中川殿らはとっくに十兵衛に誘われてるはずじゃが、迷うとるんじゃろう。十兵衛がやらかしたことは正義か、それとも謀反か・・・。」
官兵衛は残りの干飯を一気に口に入れ、腕組みをする。
「じゃが、摂津衆の皆々は大殿に恩を感じていると共に、大殿の怖さも存じ上げてる方ばかりじゃからなぁ。どちらに転ぶか分からんのぉ。」
秀吉の眼が輝く。
「あぁ、じゃが結局は利のある方に転ぶぞぉ。兵がいるっ。」
「数なら、寧ろ摂津衆を取り込んで、わしらと彼らが与すれば・・・。」
「まさしくっ。そう思うて既に摂津衆の皆々には声をかけちょぉる。おそらくそんで十兵衛には勝てる・・・。じゃがそれだけじゃぁ足りんのぉ。」
官兵衛の感服はもはや呆れ気味である。
(やる事が卒ないのぉ。それに『勝てる』のに『足りん』とは・・・、こう見えて筑前殿は慎重じゃ。)
「気になるんは織田の方々じゃ。伊勢の三介殿は周りが敵だらけになっちょるじゃろうから、身動きが取れんで城に籠っとるじゃろう。三七殿は堺で渡海の支度をしちょったはずじゃが、堺が乱れに乱れて行方知れずじゃ。そのほかの織田の方々も安否が分からん。」
官兵衛は信長以外の織田家の家族にほとんど関心がなかったので、つい訊いてしまう。
「何が気になる。」
「十兵衛がやらかしたことを『謀反』ってことにするにゃあ、織田のお血筋の方に旗頭になってもろうて『仇討』っちゅう形にせんとあかん。そうせんと皆には大義名分がでけんで、存分に闘ってもらえんからのぉ。わしらは秀勝殿を立てれるが、秀勝殿は『羽柴』を名乗っちょるんで皆々の旗頭としてはちと弱ぇ。」
(そんなこと考えとったんかい。半日前までべそかいとったんが信じれんわ。)
官兵衛は感心する。
「なるほど。三介殿が動けんとなると、三七殿が総大将にふさわしいということか。」
「そういうこっちゃ。誰が総大将かで戦の勢いは変わるからのぉ。五郎左がついちょるから無事だとは思うが、早よ見つけんといかんのぉ・・・。」
秀吉は側に置いていた干飯を取り上げ、口にし始める。
「白湯が欲しいのぉ・・・。」
昼前あたりから雨が降り続けている。秀吉は蒸し風呂と化した本堂でたった今手に入れた間者の知らせ文を読んでいる。そこへ汗と雨に塗れたどす黒い官兵衛が入ってくる。
「出立は暮れじゃぁ。今のうちお休みになられよ、筑前殿。」
官兵衛が座すと、秀吉が応える。
「休もう思うちょるが、こう蒸し暑うては、眠れんわぃ。」
官兵衛は身体を手拭で拭きながら、失笑する。
「それでぇ、何か新しく分かったことでもあるんかぇ。」
官兵衛は懐から干飯を二つ取り出し、一つは秀吉の側に置き、もう一つを頬張り出す。秀吉は官兵衛の振る舞いをよそに、訝しげに応える。
「むぅぅん、まだまだ分からんことが多いのぉ。京や堺じゃぁ、街ん衆の混乱が手を付けられんようで、十兵衛本人は近江を転々としとるようじゃ。御所周りだけは抑えとるようじゃがのぉ。」
「此度の謀反はよほど咄嗟のことじゃったんじゃなぁ。大殿と殿を討った後はどうするかなんぞ考えておらんかったように聴こえるわい。今頃慌てて近江衆を誘っとるとは・・・。」
呆れる官兵衛の一方で、間者の文をじっくり見ながら秀吉は分析する。
「こりゃぁ、混乱しちょるんは街ん衆だけじゃねぇな。官兵衛、考えてみぃや。十兵衛は急いて毛利に書状を出しちょるんに、わしらの東を抑えちょる『摂津衆』に動きがみられん。」
官兵衛ははっとする。
「確かに、わしらにしたら摂津衆の動きの方が察しやすいはずじゃが、全く気配がねぇのぉ。」
「高山殿や中川殿らはとっくに十兵衛に誘われてるはずじゃが、迷うとるんじゃろう。十兵衛がやらかしたことは正義か、それとも謀反か・・・。」
官兵衛は残りの干飯を一気に口に入れ、腕組みをする。
「じゃが、摂津衆の皆々は大殿に恩を感じていると共に、大殿の怖さも存じ上げてる方ばかりじゃからなぁ。どちらに転ぶか分からんのぉ。」
秀吉の眼が輝く。
「あぁ、じゃが結局は利のある方に転ぶぞぉ。兵がいるっ。」
「数なら、寧ろ摂津衆を取り込んで、わしらと彼らが与すれば・・・。」
「まさしくっ。そう思うて既に摂津衆の皆々には声をかけちょぉる。おそらくそんで十兵衛には勝てる・・・。じゃがそれだけじゃぁ足りんのぉ。」
官兵衛の感服はもはや呆れ気味である。
(やる事が卒ないのぉ。それに『勝てる』のに『足りん』とは・・・、こう見えて筑前殿は慎重じゃ。)
「気になるんは織田の方々じゃ。伊勢の三介殿は周りが敵だらけになっちょるじゃろうから、身動きが取れんで城に籠っとるじゃろう。三七殿は堺で渡海の支度をしちょったはずじゃが、堺が乱れに乱れて行方知れずじゃ。そのほかの織田の方々も安否が分からん。」
官兵衛は信長以外の織田家の家族にほとんど関心がなかったので、つい訊いてしまう。
「何が気になる。」
「十兵衛がやらかしたことを『謀反』ってことにするにゃあ、織田のお血筋の方に旗頭になってもろうて『仇討』っちゅう形にせんとあかん。そうせんと皆には大義名分がでけんで、存分に闘ってもらえんからのぉ。わしらは秀勝殿を立てれるが、秀勝殿は『羽柴』を名乗っちょるんで皆々の旗頭としてはちと弱ぇ。」
(そんなこと考えとったんかい。半日前までべそかいとったんが信じれんわ。)
官兵衛は感心する。
「なるほど。三介殿が動けんとなると、三七殿が総大将にふさわしいということか。」
「そういうこっちゃ。誰が総大将かで戦の勢いは変わるからのぉ。五郎左がついちょるから無事だとは思うが、早よ見つけんといかんのぉ・・・。」
秀吉は側に置いていた干飯を取り上げ、口にし始める。
「白湯が欲しいのぉ・・・。」
1
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
if 大坂夏の陣
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話になりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
江戸時代改装計画
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる