生残の秀吉

Dr. CUTE

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退陣

十三.蒸暑の秀吉

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天正十年六月四日 未の刻

昼前あたりから雨が降り続けている。秀吉ひでよしは蒸し風呂と化した本堂でたった今手に入れた間者かんじゃらせぶみを読んでいる。そこへ汗と雨にれたどす黒い官兵衛かんべえが入ってくる。

出立しゅったつは暮れじゃぁ。今のうちお休みになられよ、筑前殿ちくぜんどの。」

官兵衛かんべえが座すと、秀吉ひでよしが応える。

「休もう思うちょるが、こう蒸し暑うては、眠れんわぃ。」

官兵衛かんべえ身体からだ手拭てぬぐいきながら、失笑しっしょうする。

「それでぇ、何か新しく分かったことでもあるんかぇ。」

官兵衛かんべえふところから干飯ほしいを二つ取り出し、一つは秀吉ひでよしそばに置き、もう一つを頬張ほおばす。秀吉ひでよし官兵衛かんべえの振る舞いをよそに、いぶかしげに応える。

「むぅぅん、まだまだ分からんことが多いのぉ。みやこさかいじゃぁ、まちしゅうの混乱が手を付けられんようで、十兵衛じゅうべえ本人は近江おうみを転々としとるようじゃ。御所ごしょまわりだけは抑えとるようじゃがのぉ。」

此度こたび謀反むほんはよほど咄嗟とっさのことじゃったんじゃなぁ。大殿おおとの殿とのを討った後はどうするかなんぞ考えておらんかったように聴こえるわい。今頃慌てて近江衆おうみしゅうを誘っとるとは・・・。」

あきれる官兵衛かんべえの一方で、間者かんじゃふみをじっくり見ながら秀吉ひでよしは分析する。

「こりゃぁ、混乱しちょるんはまちしゅうだけじゃねぇな。官兵衛かんべえ、考えてみぃや。十兵衛じゅうべえいて毛利もうりに書状を出しちょるんに、わしらの東を抑えちょる『摂津衆せっつしゅう』に動きがみられん。」

官兵衛かんべえははっとする。

「確かに、わしらにしたら摂津衆せっつしゅうの動きの方がさっしやすいはずじゃが、全く気配けはいがねぇのぉ。」

高山殿たかやまどの中川殿なかがわどのらはとっくに十兵衛じゅうべえに誘われてるはずじゃが、迷うとるんじゃろう。十兵衛じゅうべえがやらかしたことは正義か、それとも謀反むほんか・・・。」

官兵衛かんべえは残りの干飯ほしいを一気に口に入れ、腕組みをする。

「じゃが、摂津衆せっつしゅう皆々みなみな大殿おおとのに恩を感じていると共に、大殿おおとのの怖さも存じ上げてる方ばかりじゃからなぁ。どちらに転ぶか分からんのぉ。」

秀吉ひでよしまなこが輝く。

「あぁ、じゃが結局はのある方に転ぶぞぉ。兵がいるっ。」

「数なら、むし摂津衆せっつしゅうを取り込んで、わしらと彼らがくみすれば・・・。」

「まさしくっ。そう思うて既に摂津衆せっつしゅう皆々みなみなには声をかけちょぉる。おそらくそんで十兵衛じゅうべえには勝てる・・・。じゃがそれだけじゃぁ足りんのぉ。」

官兵衛かんべえの感服はもはやあき気味ぎみである。

(やる事がそつないのぉ。それに『勝てる』のに『足りん』とは・・・、こう見えて筑前殿ちくぜんどの慎重しんちょうじゃ。)

「気になるんは織田おだの方々じゃ。伊勢いせ三介殿さんすけどのは周りが敵だらけになっちょるじゃろうから、身動きが取れんで城にこもっとるじゃろう。三七殿さんしちどのさかいで渡海の支度したくをしちょったはずじゃが、さかいが乱れに乱れて行方ゆくえれずじゃ。そのほかの織田おだの方々も安否あんぴが分からん。」

官兵衛かんべえ信長のぶなが以外の織田家おだけの家族にほとんど関心がなかったので、つい訊いてしまう。

「何が気になる。」

十兵衛じゅうべえがやらかしたことを『謀反むほん』ってことにするにゃあ、織田おだのお血筋の方に旗頭はたがしらになってもろうて『仇討あだうち』っちゅう形にせんとあかん。そうせんと皆には大義名分がでけんで、存分に闘ってもらえんからのぉ。わしらは秀勝殿ひでかつどのを立てれるが、秀勝殿ひでかつどのは『羽柴はしば』を名乗っちょるんで皆々みなみな旗頭はたがしらとしてはちと弱ぇ。」

(そんなこと考えとったんかい。半日前までべそかいとったんが信じれんわ。)

官兵衛かんべえは感心する。

「なるほど。三介殿さんすけどのが動けんとなると、三七殿さんしちどの総大将そうだいしょうにふさわしいということか。」

「そういうこっちゃ。誰が総大将そうだいしょうかでいくさいきおいは変わるからのぉ。五郎左ごろうざがついちょるから無事だとは思うが、よ見つけんといかんのぉ・・・。」

秀吉ひでよしそばに置いていた干飯ほしいを取り上げ、口にし始める。

白湯さゆが欲しいのぉ・・・。」
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