11 / 104
退陣
十一.哀願の大将 其の一
しおりを挟む
しばらくして。
秀吉が陣幕を潜って入ってくる。
「やぁ、七郎殿、足元の悪いところよう参った。伯父上もよう参られた。」
二人の老臣は一礼をし、秀吉に注目する。
「早速じゃが、刻がねぇので簡単にお話し致す。まず悪い知らせじゃ。一昨日、京で大殿と殿が明智日向守に襲われ、身罷られた。」
衝撃的な秀吉の告白に忠家も家次も言葉を失う。秀吉は続ける。
「残念じゃが、今となっては疑う余地はねぇ。その上、十兵衛はわしらも討とうとしちょる。わしらは一刻も早く姫路まで退き、十兵衛を討つ支度を整えにゃならん。」
あまりの大事をあまりに秀吉が簡潔に述べるので、二人は頭を整理するのに必死だった。
「何故、日向守殿は・・・」
と家次が云いかけたところで、秀吉が怒鳴る。
「あやつに『殿』はつけるなぁっ。」
家次はびくつくが、気を取り直して訊ねる。
「何故、日向守はこんな謀反を起こしたんじゃ。」
秀吉は今度は薄気味悪い笑みを浮かべる。
「『謀反』か、えぇ言葉じゃのぉ。十兵衛が何を考えちょるんか、誰が味方しとるんかはまだわしらにも分からん。じゃがはっきりしちょることは、大殿と殿を討ったからにゃぁ、『織田』の血筋は皆敵じゃということじゃ。」
二人の脳裏に秀勝のことが過り、秀吉も狙われていることに納得する。
「すまん思うちょるが、他の者には密かに既に退く支度を命じちょる。じゃが二人にはとりわけ大事な務めを頼みちょう思うて、わざわざ呼んだんじゃ。」
忠家はここの不思議な雰囲気にも、そして家次が云った通りになったことにも納得する。
「七郎殿、わしはこの後すぐにここを退く。じゃが、全ての兵どもが支度するにゃぁ、明日までかかろう。朝にゃぁ清水が腹を切るんで、それを見届けたらそなたには退陣の殿軍を務めてほしいんじゃ。」
秀吉の哀願に忠家は訊ねる。
「筑前殿、清水が腹を切ると申しましたが、一体それは如何なることで・・・。それに京でのことは毛利は存じているのか。」
待ってましたとばかりに秀吉は応える。
「毛利はまだこんことを知らん。じゃがそのうち知れるじゃろう。そうなってもおいそれと毛利が出てこんよう既に手は打った。」
秀吉は懐から昨晩仕上げた誓紙を取り出し、二人の前に広げる。
「急な話じゃったんで皆に告げれんかったんじゃが、昨夜のうちに毛利と約定を結んだ。河辺川より手前がわしらの領じゃ。こっちゃが求める領地を減らす代わりに明朝清水に腹を切らせることになっちょる。こん約定があるんで、毛利は大殿のことを知らんうちは攻めてこん。問題は大殿のことを知った毛利がどう出るかじゃ。そうなっても約定を破ってまで攻めてこんよう、わしの方でもう一つ策は講じておいた。じゃがそれがうまくいくかどうかはやってみんと分からん。」
緊迫した事態であることを実感する忠家はじっくり考えた後、秀吉に云う。
「つまり退陣するわれらを毛利が追いかけてこなかったら、筑前殿の策が功を奏しているということでござるな。ところでどのような手を打たれたのでござるか。」
秀吉が返す。
「詳しくは云えんが、要は儲け話を匂わせて、毛利に損得勘定させとるところじゃ。迷えば動きは遅ぉなる。鈍っとる間に、こっちゃは早よ動きゃあえぇ。」
まるでとんち問答になりそうだったが、忠家の頭の中でふと直家が制したような気がしたので、忠家はこれ以上問うのはやめた。
「よろしい。承知した。この宇喜多七郎兵衛忠家、身命を持って皆を姫路まで送り届けよう。」
秀吉は喜ぶ。
「ありがてぇのぉ、七郎殿。感謝するぞぃ。じゃが途中で毛利が追いかけてこんと分かったら、送るんは沼まででえぇ。」
「そんな沼までといって遠慮なさらずとも・・・。」
秀吉はきりとした面持ちで忠家に応える。
「遠慮じゃぁねぇ。お主の拠り所の沼まで戻ったところで兵を整え直し、どんと構えて備前・美作とこの地を見張ってほしいんじゃ。布陣はお主に任せるが、百姓らにゃぁ、優しくしてくんろ。」
忠家は感激する。
(筑前殿は備前・美作に加え、備中の一部を宇喜多に任せると仰ってくださっておる。兄者との契りを忘れるどころか、宇喜多の誇りが何処にあるか、よう理解してくださっておる。これでわしらの家臣の不満は和らぐじゃろう。)
そして、秀吉は付け加える。
「わしはこれから『明智討ち』に専念する。そないな折にこの地でわぁわぁ騒がれちゃぁ叶わん。毛利と百姓らをよぅ見張っちょいてくんろ。騒ぎを起こさんっちゅうんが肝心じゃぁ。」
秀吉が陣幕を潜って入ってくる。
「やぁ、七郎殿、足元の悪いところよう参った。伯父上もよう参られた。」
二人の老臣は一礼をし、秀吉に注目する。
「早速じゃが、刻がねぇので簡単にお話し致す。まず悪い知らせじゃ。一昨日、京で大殿と殿が明智日向守に襲われ、身罷られた。」
衝撃的な秀吉の告白に忠家も家次も言葉を失う。秀吉は続ける。
「残念じゃが、今となっては疑う余地はねぇ。その上、十兵衛はわしらも討とうとしちょる。わしらは一刻も早く姫路まで退き、十兵衛を討つ支度を整えにゃならん。」
あまりの大事をあまりに秀吉が簡潔に述べるので、二人は頭を整理するのに必死だった。
「何故、日向守殿は・・・」
と家次が云いかけたところで、秀吉が怒鳴る。
「あやつに『殿』はつけるなぁっ。」
家次はびくつくが、気を取り直して訊ねる。
「何故、日向守はこんな謀反を起こしたんじゃ。」
秀吉は今度は薄気味悪い笑みを浮かべる。
「『謀反』か、えぇ言葉じゃのぉ。十兵衛が何を考えちょるんか、誰が味方しとるんかはまだわしらにも分からん。じゃがはっきりしちょることは、大殿と殿を討ったからにゃぁ、『織田』の血筋は皆敵じゃということじゃ。」
二人の脳裏に秀勝のことが過り、秀吉も狙われていることに納得する。
「すまん思うちょるが、他の者には密かに既に退く支度を命じちょる。じゃが二人にはとりわけ大事な務めを頼みちょう思うて、わざわざ呼んだんじゃ。」
忠家はここの不思議な雰囲気にも、そして家次が云った通りになったことにも納得する。
「七郎殿、わしはこの後すぐにここを退く。じゃが、全ての兵どもが支度するにゃぁ、明日までかかろう。朝にゃぁ清水が腹を切るんで、それを見届けたらそなたには退陣の殿軍を務めてほしいんじゃ。」
秀吉の哀願に忠家は訊ねる。
「筑前殿、清水が腹を切ると申しましたが、一体それは如何なることで・・・。それに京でのことは毛利は存じているのか。」
待ってましたとばかりに秀吉は応える。
「毛利はまだこんことを知らん。じゃがそのうち知れるじゃろう。そうなってもおいそれと毛利が出てこんよう既に手は打った。」
秀吉は懐から昨晩仕上げた誓紙を取り出し、二人の前に広げる。
「急な話じゃったんで皆に告げれんかったんじゃが、昨夜のうちに毛利と約定を結んだ。河辺川より手前がわしらの領じゃ。こっちゃが求める領地を減らす代わりに明朝清水に腹を切らせることになっちょる。こん約定があるんで、毛利は大殿のことを知らんうちは攻めてこん。問題は大殿のことを知った毛利がどう出るかじゃ。そうなっても約定を破ってまで攻めてこんよう、わしの方でもう一つ策は講じておいた。じゃがそれがうまくいくかどうかはやってみんと分からん。」
緊迫した事態であることを実感する忠家はじっくり考えた後、秀吉に云う。
「つまり退陣するわれらを毛利が追いかけてこなかったら、筑前殿の策が功を奏しているということでござるな。ところでどのような手を打たれたのでござるか。」
秀吉が返す。
「詳しくは云えんが、要は儲け話を匂わせて、毛利に損得勘定させとるところじゃ。迷えば動きは遅ぉなる。鈍っとる間に、こっちゃは早よ動きゃあえぇ。」
まるでとんち問答になりそうだったが、忠家の頭の中でふと直家が制したような気がしたので、忠家はこれ以上問うのはやめた。
「よろしい。承知した。この宇喜多七郎兵衛忠家、身命を持って皆を姫路まで送り届けよう。」
秀吉は喜ぶ。
「ありがてぇのぉ、七郎殿。感謝するぞぃ。じゃが途中で毛利が追いかけてこんと分かったら、送るんは沼まででえぇ。」
「そんな沼までといって遠慮なさらずとも・・・。」
秀吉はきりとした面持ちで忠家に応える。
「遠慮じゃぁねぇ。お主の拠り所の沼まで戻ったところで兵を整え直し、どんと構えて備前・美作とこの地を見張ってほしいんじゃ。布陣はお主に任せるが、百姓らにゃぁ、優しくしてくんろ。」
忠家は感激する。
(筑前殿は備前・美作に加え、備中の一部を宇喜多に任せると仰ってくださっておる。兄者との契りを忘れるどころか、宇喜多の誇りが何処にあるか、よう理解してくださっておる。これでわしらの家臣の不満は和らぐじゃろう。)
そして、秀吉は付け加える。
「わしはこれから『明智討ち』に専念する。そないな折にこの地でわぁわぁ騒がれちゃぁ叶わん。毛利と百姓らをよぅ見張っちょいてくんろ。騒ぎを起こさんっちゅうんが肝心じゃぁ。」
2
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる