生残の秀吉

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退陣

十一.哀願の大将 其の一

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しばらくして。

秀吉が陣幕をもぐって入ってくる。

「やぁ、七郎殿しちろうどの、足元の悪いところよう参った。伯父上おじうえもよう参られた。」

二人の老臣は一礼をし、秀吉ひでよしに注目する。

「早速じゃが、ときがねぇので簡単にお話し致す。まず悪い知らせじゃ。一昨日おとといみやこ大殿おおとの殿との明智あけち日向守ひゅうがのかみに襲われ、身罷みまかられた。」

衝撃的な秀吉ひでよしの告白に忠家ただいえ家次いえつぐも言葉を失う。秀吉ひでよしは続ける。

「残念じゃが、今となっては疑う余地はねぇ。その上、十兵衛じゅうべえはわしらも討とうとしちょる。わしらは一刻も早く姫路ひめじまで退き、十兵衛じゅうべえを討つ支度したくを整えにゃならん。」

あまりの大事をあまりに秀吉ひでよしが簡潔に述べるので、二人は頭を整理するのに必死だった。

何故なにゆえ日向守殿ひゅうがのかみどのは・・・」

家次いえつぐが云いかけたところで、秀吉ひでよし怒鳴どなる。

「あやつに『殿』はつけるなぁっ。」

家次いえつぐはびくつくが、気を取り直してたずねる。

何故なにゆえ日向守ひゅうがのかみはこんな謀反むほんを起こしたんじゃ。」

秀吉ひでよしは今度は薄気味悪うすきみわるみを浮かべる。

「『謀反むほん』か、えぇ言葉じゃのぉ。十兵衛じゅうべえが何を考えちょるんか、誰が味方しとるんかはまだわしらにも分からん。じゃがはっきりしちょることは、大殿おおとの殿とのを討ったからにゃぁ、『織田おだ』の血筋は皆敵じゃということじゃ。」

二人の脳裏のうり秀勝ひでかつのことがよぎり、秀吉ひでよしも狙われていることに納得する。

「すまん思うちょるが、他の者にはひそかに既に退支度したくを命じちょる。じゃが二人にはとりわけ大事な務めを頼みちょう思うて、わざわざ呼んだんじゃ。」

忠家ただいえはここの不思議な雰囲気ふんいきにも、そして家次いえつぐが云った通りになったことにも納得する。

七郎殿しちろうどの、わしはこの後すぐにここを退く。じゃが、全ての兵どもが支度したくするにゃぁ、明日までかかろう。朝にゃぁ清水しみずが腹を切るんで、それを見届けたらそなたには退陣の殿軍しんがりを務めてほしいんじゃ。」

秀吉ひでよし哀願あいがん忠家ただいえたずねる。

筑前殿ちくぜんどの清水しみずが腹を切ると申しましたが、一体それは如何いかなることで・・・。それにみやこでのことは毛利もうりは存じているのか。」

待ってましたとばかりに秀吉ひでよしは応える。

毛利もうりはまだこんことを知らん。じゃがそのうち知れるじゃろう。そうなってもおいそれと毛利もうりが出てこんよう既に手は打った。」

秀吉ひでよしふところから昨晩仕上げた誓紙せいしを取り出し、二人の前に広げる。

「急な話じゃったんで皆に告げれんかったんじゃが、昨夜のうちに毛利もうり約定やくじょうを結んだ。河辺川かわべがわより手前がわしらの領じゃ。こっちゃが求める領地を減らす代わりに明朝清水しみずに腹を切らせることになっちょる。こん約定やくじょうがあるんで、毛利もうり大殿おおとののことを知らんうちは攻めてこん。問題は大殿おおとののことを知った毛利もうりがどう出るかじゃ。そうなっても約定やくじょうを破ってまで攻めてこんよう、わしの方でもう一つ策は講じておいた。じゃがそれがうまくいくかどうかはやってみんと分からん。」

緊迫した事態であることを実感する忠家ただいえはじっくり考えた後、秀吉ひでよしに云う。

「つまり退陣するわれらを毛利もうりが追いかけてこなかったら、筑前殿ちくぜんどのの策がこうそうしているということでござるな。ところでどのような手を打たれたのでござるか。」

秀吉ひでよしが返す。

「詳しくは云えんが、要はもうばなしにおわせて、毛利もうり損得勘定そんとくかんじょうさせとるところじゃ。迷えば動きは遅ぉなる。鈍っとる間に、こっちゃはよ動きゃあえぇ。」

まるでとんち問答になりそうだったが、忠家ただいえの頭の中でふと直家なおいえが制したような気がしたので、忠家ただいえはこれ以上問うのはやめた。

「よろしい。承知した。この宇喜多七郎兵衛忠家うきたしちろべえただいえ身命しんみょうを持って皆を姫路ひめじまで送り届けよう。」

秀吉ひでよしは喜ぶ。

「ありがてぇのぉ、七郎殿しちろうどの。感謝するぞぃ。じゃが途中で毛利もうりが追いかけてこんと分かったら、送るんはぬままででえぇ。」

「そんなぬままでといって遠慮なさらずとも・・・。」

秀吉ひでよしはきりとした面持おももちで忠家ただいえに応える。

「遠慮じゃぁねぇ。お主のどころぬままで戻ったところで兵を整え直し、どんと構えて備前びぜん美作みまさかとこの地を見張ってほしいんじゃ。布陣はお主に任せるが、百姓ひゃくしょうらにゃぁ、優しくしてくんろ。」

忠家ただいえは感激する。

筑前殿ちくぜんどの備前びぜん美作むまさかに加え、備中びっちゅうの一部を宇喜多うきたに任せるとおっしゃってくださっておる。兄者あにじゃとのちぎりを忘れるどころか、宇喜多うきたの誇りが何処どこにあるか、よう理解してくださっておる。これでわしらの家臣の不満は和らぐじゃろう。)

そして、秀吉ひでよしは付け加える。

「わしはこれから『明智あけちち』に専念する。そないなおりにこの地でわぁわぁ騒がれちゃぁかなわん。毛利もうり百姓ひゃくしょうらをよぅ見張っちょいてくんろ。騒ぎを起こさんっちゅうんが肝心かんじんじゃぁ。」
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