できる男は恋人を溺愛したい

天汐香弓

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日常

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互いの営業の合間に打ち合わせを重ね、鳳産業への見積もりや施工の日時をまとめた資料を作り終えたのは、週末の夕方だった。
「はい。それでは来週の水曜の午後にお伺いさせていただきます」
営業用のスマートフォンで先方にアポイントメントを取った優がホッとした顔で麻生を見た。
通話を切った優がスケジュール帳に予定を打ち込むのを見て、麻生がカレンダーを突いた。
「こうしてみて思うけど、俺らほんと時間が合わないよな」
「そうだね。麻生は顧客多いから特にね」
「そういう浅葱だって工場系多いじゃないか」
「まあ、うん……大学が工学系だったから、配線とか分かるからね」
肩を竦めて笑った優に麻生が目を細める。
「そう言えばT工大だっけ、浅葱は?」
「うん。工場勤務はバイトでしてたんだけど向いてなくて。で、空調メーカーのここに就職したんだ」
「工場勤務の経験とかすごいな」
感心したように麻生が言うと優が首を横に振った。
「大したことないよ。俺がいたところは流れ作業だし……」
「俺は文系だから、そういうのがさっぱりだな」
資料を揃えながら麻生が笑顔を向けると、真っ赤になった優が俯いた。
「鳳の取りつけは立ち会うけど、ほとんど浅葱に頼ることになりそうだな」
「そこは施工部に任せるよ。俺は専門じゃないからそこは口を出さない」
トントンと自分の書類を束ねた優が立ち上がる。
「それより、今日、俺の部屋を業者が荷造りしてるんだよね」
「ああ、明日新居に搬入できるようにな。終わったって連絡あったし大丈夫だよ」
「うん」
ホッとしたような優の表情にポンと肩を叩いてやる。
「それより、今日はどこかに食いに行かないか?さすがにデリバリーも飽きたし」
「うん」
会議室を出て部署に戻ると数人の社員が残っているだけで、部長も帰社したようだった。
「俺たちも帰ります」
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
会社のフロアを出てエレベーターに乗り込むと互いに顔を見合わせる。
「鳳取れたら、今月、売上結構行くね」
「そうだな。これで査定が上がればいいんだが」
エレベーターを降り、ビルの外に出ようとした時だった。
「優!」
行く手を塞ぐように現れた山海が土下座をした。
「な……」
驚いて麻生が優を抱き寄せたが山海は頭を地面に擦り付けると大声をあげた。
「お願いいたします!契約解除を止めてください!」
「それはウチの社長から話が行っているだろう?」
麻生がそう言い放つと山海が顔をあげた。
「ここだけじゃなく他社からも契約解除が止まらないんです。優は俺の恋人なのに、付き纏ったとか言いがかりをつけられて……」
「お、俺はあなたとなんて付き合ってません!」
優が上擦った声で言うと、山海が優の足にしがみついた。
「優、俺を焦らしたくてそんなこと言うんだろ?優は照れ屋だからなぁ」
「いい加減にしろ!」
麻生が山海の胸を蹴ると優を抱き上げた。
「悪いが約束どおり警察に届ける!いいな!」
そう言うと麻生がさらに山海を足で払い除けた。
「待ってくれ!優!」
タクシーを停止させ乗り込むと警察へ向かってもらう。
「大丈夫か?」
「うん……」
青い顔で頷く優の背中を撫でてやると、大きなため息をついた。
「どうしたら分かってくれるんだろ……」
「警察に届けたことを伝えたら、さすがに近づいて来ないから」
そう言ってなだめてやると、優が麻生に凭れ掛かった。
「ほんと、ゴメン」
「気にするなって、そう言うのも共有するのが大事だろ?」
警察署で、最近は男の人に男が粘着するケースもありますものね、と好意的に対応してくれた。
「それじゃ、飯に行くか」
麻生がポンと頭を撫でると優が小さく頷く。
「そんな顔するな。俺が絶対に守るから」
「うん……」
「それより何食べたい?」
「うーん、美味しい焼き鳥食べたいかな……」
「だったら、あそこに行くか」
「あ、春に行った?」
パッと笑顔になった優に麻生が内心ホッとした。
「あそこのつくね、美味かったよな」
タクシーに乗り込むと優が何事もなかったように話し出す。その様子にホッとしながら、ひとりで営業まわりはさせられないなと思っていた。

目を覚ますと間近に見える優の寝顔に麻生の目がふっと綻ぶ。
今日は優の荷物が新居の方に到着することになっていて、午後から荷物を受け取り片付ける予定でいる。こうして一緒に寝るのは明日までだな、と思っていると優がゆっくりと目を開けた。
「おはよ」
寝ぼけ声の優の声に口元が緩む。
「おはよう。向こうのマンションに行く前に飯食いに行こうぜ」
そう言って笑うと優も目を細めた。
「うん、どこに行くの?」
「新居の近くに十一時までやってる朝だけの店があってさ。おにぎりが絶品なんだって」
「おにぎり……美味しそう……」
ふわふわとした表情で微笑む優をベッドに残し起き上がると先に洗面所を使う。やはり好きな人の裸を見るのは気恥ずかしい。
互いの準備を終え出掛けると、目当ての店に入った。
「種類が多い。どれにしよう……」
「どれが食べたいんだ?」
優が昆布と山わさびで悩んでいるのを見た麻生が山わさびを注文する。
「ひとくち俺のから食べればいいだろ?」
麻生の言葉に優がパッと笑顔になる。
「いいの?」
「ああ」
「じゃあ、梅干しと昆布でお願いします」
注文をし、席につくと優が店の中を見回した。
「いいところ、近所にあって良かったね」
「ああ、いいだろ?近所を調べてて、浅葱が好きそうだなって思ってたんだ」
番号が呼ばれ、おにぎりと味噌汁、そして卵焼きの乗ったプレートを手に戻ると、優がキラキラとした笑顔で手をあわせた。
「いただきます」
ひとくちおにぎりを頬張った優が幸せそうな笑顔になる。
「うわぁ、美味しい」
「ほんとだ。これは当分通いそうだな」
「本当だね。全部制覇したくなっちゃう」
「ほら、山わさび、出てきたから一口食えよ」
優にかじりかけのおにぎりを差し出すと、遠慮がちに齧った優がぱっと笑顔になった。
「美味しい!」
「良かったな」
「うん」
麻生のさりげない気遣いが嬉しい。押しつけがましい優しさではなく寄り添うような優しさが嬉しかった。
「さて、行くか」
優が食べ終えるのを待って立ち上がった麻生と共に店を出て新居へと向かう。
コンシェルジュに挨拶をし、優が持って行こうと提案した摘まめるような土産を渡すと部屋へと向かった。
「俺の荷物は少ないから直ぐに片付くよね」
「ああ。大丈夫だって」
窓を開け準備をすると引っ越し業者がやってきてベッドと荷物を置いていく。それを手早く片付けると、思ったより早く終わった。
「せっかく浅葱と寝るの慣れてたのに、また別々に寝ると思うと寂しいな」
「そうだね。俺も寂しいな」
「だったらさ、もうしばらく一緒に寝ないか?浅葱の布団、一度洗わないといけないだろうし」
思い付きでそう言うと、優がふっと目を細めた。
「そうだね。ちょうどこれから寒くなるし……冬の間はいいかもしれないね」
「決まりだな」
ポンと優の肩を叩き、明日荷物を運び出す麻生のマンションへと戻る。
その前に店で軽く食事を済ませると、それぞれ寝支度をしてベッドに入った。
「普通、ふたりで寝たら疲れそうなのに、麻生とだと良く寝れるんだよね」
「俺もだよ」
優の隣は安心できる。好きだからという以上に、パートナーだと感じているんだろうな、と思った。

荷ほどきが終わり、生活が普通に回り始めた頃だった。
「それじゃ、行ってきます」
鳳産業と契約のため、書類を確認し麻生の鞄にいれると、ふたりで会社を出る。
「緊張するな」
「結構大口の案件だったからな……まあ、契約した後の方が忙しいけど」
国内に工場をいくつも持つ先方の工事の初日に立ちあうことも決まっている。
「立ち合いはほとんど浅葱が担当だから、申し訳ないな」
「いいって。麻生の方は持ってる営業先が多いんだし」
「そう言ってくれると助かるな」
先方に到着し、契約を済ませると、担当者が笑顔を見せた。
「いやー、毎回浅葱さんにお会いできるの楽しみにしていたのに、会えなくなるのは寂しいですな」
「そう言っていただけて嬉しいです」
「いやー、本当にこんな綺麗な方はじめて見ましたよ」
「あはは……」
恐らくどこの営業先に行ってもこういうことを言われているんじゃないかとないかと思う。
「それでは、工事には我々がお伺いいたしますので」
「はい、よろしくお願いいたします。工場長には話を通していますので」
「ありがとうございます」
これ以上ここにいると優が嫌がることになるだろうなと感じた麻生が契約書を鞄に入れると、立ち上がった。
「それではまた何かありましたら、私か浅葱の方にご連絡ください」
手を差し出すと、先方も渋々立ち上がった。
「ありがとうございました」
あきらかに優と長く握手を交わしている相手にため息をつきたくなりながら、退出すると、帰路につく。
「契約までいけたね」
「ああ、そうだな」
気にしていない様子の優に咎めるのは場違いな気がしてそのまま会社に戻り、施工部と話をすると報告書をふたりで作り提出した。
「これだけの大口、よくやったな」
「ありがとうございます。早速来週、北海道の方で工事が始まるので、施工部と浅葱が初日に立ち会います」
「江差か、前日から行くのか」
「はい、かなり内陸なので、前日の朝から行く予定です」
優の言葉に部長が頷く。
「しばらく浅葱が工事の立ち合いで営業に出れないので、浅葱には自分のカバーに入ってもらいたいと思うのですが」
毎週のように立ち合いの入る優のことを思い麻生が提案をすると、部長が工事日程の用紙を見た。
「これはだいぶスケジュールがきついな。浅葱、しばらく出張のない日は麻生のサポートでは構わないか?」
「それはもちろん構いませんですけど。麻生いいのか?」
「報告書とか、下調べとかそう言うの手伝ってくれると助かるから」
麻生の言葉に優がふっ微笑んだ。
「サンキュ」
「じゃあ、鳳のことが一段落するまで、しばらく浅葱は麻生と組んでくれ」
「ありがとうございます」
頭を下げた優とデスクに戻ると直ぐにタスクわけの準備に入った。

出張の多い優をサポートしながら日常業務をこなしていると、勤務終わりに麻生のスマートフォンが鳴った。
「ちょっと待っててくれ、兄貴からだ」
優に断りをいれ通話に出ると、快活な声が聞こえてきた。
『引っ越ししたそうだな』
「あー、うん。ちょっと色々あって」
『父さんから聞いたよ。ところで、今度の父さんの誕生会だが、来るのか?』
「え、あれ?あ、来週か!」
父親の誕生日を思い出した麻生が焦ったようにスケジュール帳を確認すると、受話器の向こうから笑い声が聞こえてきた。
『で、日曜に祝おうかと思うんだが、その噂のお付き合いしている子も連れて来いって父さんが』
「ちょっと待て、連れて来いって、そんな……」
優の方をチラリと見ると、自分のことを言われていると気づいた優が首を傾けた。
『顔を見せてくれるだけでいいしさ。山海の件もあるだろ?』
「まあ、確かに」
『それじゃ、日曜は十一時に本邸でな』
行くとは返事をしていないにも関わらず切れた通話にため息をつき、優を見た。
「実は日曜に親父の誕生会をしようって話でさ、浅葱を連れて一緒に来いって」
「そうなんだ。部屋を貸していただいてる件もあるし、お礼がいいたいと思ってたから」
特に嫌がることもなく頷いた優にホッと息を吐く。
「悪いな、休みの日に」
「いいよ。麻生のお父さんなんだから」
優しい麻生の父親なら、やはり優しい人なのだろう、そう思った優はふたつ返事で誕生会への参加を了承した。
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