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第12話 愚かな女
しおりを挟む「まあ、本当だったのね、幻獣が見られるというのは!」
その場違いな女が現れたのは、私がここへ囚われて三日ほどがたったときだった。
怪我の具合はずいぶんよくなったが、相変わらず体は重く、動くことができない。多分、この拘束具に何か呪いのようなものがほどこしてあるのだろう。
あの男はどこまでも私を苛立たせてくれる。
あの男といえば、ときたま小屋を出て行くものの、ほとんどの時間を私のそばで過ごしていた。
ただぼんやりと。
「これが幻獣……美しいわ。しっぽに宝石がついているわね?」
その女は、十代後半くらいだったろうか。
デコルテの大きく開いたドレスに、小さな日傘を持って、小屋の入り口からこちらを覗いていた。
お付きの人が、そんな彼女を危ないから下がるようにと窘めている。
「大丈夫よ。わたくし、動物には好かれる自身があるの。とくにこのような赤子にはね」
女はそう言うと、日傘をお付きのものに渡して、静かにこちらに近づいてきた。
シリウスはそれを止めずに、じっと見つめていた。
女はすぐそばまで来て、しゃがみこんだ。
「なんと愛らしいのでしょう。それなのにこんな待遇じゃ、かわいそうだわ」
女は心底私を哀れむような目で見た。
「わたくしが、あなたをお家に連れて帰りましょう」
……。
「お父様、飼ってもいいでしょう?」
女が振り返ると、やたらと恰幅のいいオヤジが、小屋に入ってきて私を覗き込んだ。
「なんだ、美しい女の姿をしていると聞いていたが、違うのか?」
絡みつくような視線を向けられる。
「どのみち、このように弱った幻獣は貴重だ。我々(にんげん)の手で保護しなければな」
「やったわ! おうちに連れて帰っていいのね?」
「ああ」
女はきゃっきゃとはしゃぐと、私に手を伸ばしてきた。
「あなたも森で暮らすより、うちに来た方が幸せよ。私の家には、なんだってあるから」
「……」
「あ~もふもふさせてくださいませ」
──気色の悪い女だな。
私は残った力を顎(あぎと)に集めて、思いっきり噛み付いた。
ブチブチブチ!
と筋繊維の引き裂かれる音が脳内に響いた。
「ひぎゃぁああっ!?」
ぺっ。
まんずい血。
「ひっ」
「人間。これ以上私を失望させてくれるな」
血が吹き出す。
みるみるうちに、その美しい顔は恐怖に染まった。
親指と人差し指の間の水かきを噛みちぎってやった。
女は悲鳴をあげ、周りにいた人たちからは怒号が上がった。
「おい、何をぼやっとしている! 早く手当をしろ!」
「お父様、指が、わたくしの指がぁっ!」
慌てている人間たちを見て、私は鼻で笑った。
「このくらいで喚くなよ。これからはもっと、この土地でひどいことが起こるんだから」
「こんのっ!」
びっくりした。
女は顔を歪めて、ハイヒールで私の体を踏みにじったのだ。
めちゃくちゃに蹴られて、死ぬんじゃないかと思った。
サイコパスすぎん? こいつ。
女は私の体の上で暴れ、周りは唖然としたようにそれを見ていた。
その状況を止めたのは、意外にもシリウスだった。
「お前は……」
「俺が管轄している幻獣に、勝手なことはやめろ」
「管轄?」
ハゲ親父はハッとしたような顔で、シリウスを見た。
「まさか、お前……幻獣管理局のものか」
シリウスは肯定も否定もしなかった。
瞼を伏せて、暴れる女の腕を掴むだけだ。
「嘘だ。俺が依頼したのは、もぐりの狩人だぞ!」
何も答えないシリウスを見て、ハゲ親父ははっとした。
「まさかお前……シリウス・レイ執行官か」
「……」
「そうだ、その黒髪と黒目に、人形のような生白い顔」
途端に、ハゲ親父の顔にみるみる嫌悪が浮かんで行った。
「はっ。触るな、汚れがうつる」
なぜそのような態度をとるのかわからないが、どうやらシリウスは嫌われているようだった。
「チッ。もぐりの幻獣対策家へ依頼したつもりが、とんだ貧乏くじをひいたもんだ。さっさと出て行け。この、呪われた血め」
そう捨て台詞を残すと、ハゲ男は痛みに暴れる娘を連れて、小屋を出て行った。
小屋の中は静かになる。
私は全身を襲い来る痛みに耐えながら、喘ぐように言った。
「あんた……そんなこというなら、さっさと止めなさい、よ」
「……」
「わざと、やってたんでしょ」
シリウスは何も言わなかった。
クソ性格の悪いやつだな、本当に。
口からドロドロと血が出た。
もともとこのクソ野郎に切られて腹を怪我していたのに、余計にひどくなってしまったんじゃないの。
ああもう、最悪。
幻獣って、心臓を壊さない限り死なないんだから、こんななぶるようなことしなくてもいいなんじゃないのよ。
シリウスは私のそばにかがんで、その様子をじっと見る。
相変わらず人形のように表情のない男だ。
さっきのハゲ男の話は……一体なんだったのだろうか。
呪われてるって言ってたっけ。
あー、マジで死にそう。
私の周りには血が広がっていた。
まぶたが腫れ上がって、何も見えない。
ひゅうひゅう鳴っているのは、私の呼吸音か。
「もう一度、お前に問う」
「……」
「俺の使い魔になるか、ならないか」
また言ってる。
頭おかしいんじゃないの、こいつ。
「ならないのなら、ここで死んでもらう。あの領主に殺されたことにしておこう」
「……」
それでも、いい。
もう一度主人を持つくらいなら。
「この、ば、か……だれが、おまえなんか……」
視界がぐにゃりと歪んだ。
一気に意識が薄れていく。
あーあ、せっかくレアキャラに転生したのに、また死ぬなんて嫌だな……。
次はどんなに生き物に生まれ変わるんだろう。
できれば人間なんてよしてほしいところだわ。
もう、たくさんよ。
鳥なんかに生まれ変わったら、大好きな空をずっと見ていられるのかな。
そんなことを考えていると、じわりと瞳が熱くなった。
外はどうやら、大雨が降り始めたようだった。
そのうち煙たい匂いはしなくなって、ただ土の濃い匂いと、水の匂いがしてくる。
この雨で森の炎が落ち着いてくれたらいいんだけど……。
そんなことを思っているうちに、私の意識はすうっと薄れていった。
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