追い出され女子は異世界温泉旅館でゆったり生きたい

九重

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1巻

1-3

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 しかし、アベルには『危機感が足りないせいで力が発現しないのでは』と言われて、魔獣の前に放り出されたりもした。
 間一髪かんいっぱつのところでカロンが飛び出してかばってくれなければ、間違いなく死んでいただろう。
 九死に一生を得た真由を前に、アベルは『おかしいな?』と不思議そうに首をひねった。

(マジで死ぬかと思ったわ……。おかしいのは、あなたの考え方よ!!)

 のどもとまで出かかった言葉を、真由はなんとか呑みこんだのだった。
 殺されかけた彼女は、今後絶対に魔獣のそばに寄らないと宣言した。
 さすがのアベルも、それ以降は無理に戦わせようとしない。
 本当は勇者一行から脱したいくらいだったが、ここはすでに果ての荒野。今さら真由一人で、魔獣の闊歩かっぽする道を引き返すのは無謀むぼうだ。にものぐるいで勇者一行についていくしかない。
 そして、夜を迎えた。果ての荒野での、はじめての夜だ。
 ようやくたどり着いた野宿の場所で真由がへたり込むと、食事として携行食の硬い乾パンと干し肉を渡された。

「え? あの、その……また〝これ〟なんですか?」

 昼の小休憩に渡されたのも、まったく同じ携行食だ。その時は移動中だし仕方ないと、無理やり水で流し込んだが、夜までこれでは悲しすぎる。
 しかし、全員から何を言っているんだというような冷たい視線を向けられた。その中でも同情の色を含んだ目をしたカロンは、申し訳なさそうに頭を下げた。

「すまないな。今、俺たちはこれしか食べるものを持っていないんだ」

 今度は真由が、何を言っているのかという視線を向けてしまう。
 別に真由は、携行食が嫌だと言っているわけではない。〝これ〟をこのまま食べるつもりなのかと聞いているのだ。

「えっと……村でもらった野菜とか、ありますよね?」

 荒野に入る前、一行は小さくて貧しい村に立ち寄った。そこで村人たちは、彼らなりに最大限のもてなしをしてくれた。旅立つ際には、収穫したばかりのなけなしの野菜まで持たせてくれたのだ。
 勇者一行には、どんなに荷物を入れてもかさばらず、重くもならないという魔法のかかった、便利な収納バッグがある。野菜がそこに入れられたのを、真由は確かに見た。
 あの野菜を調理すればいいのではないか。それに干し肉だって、何もそのままかじらなくても、調理できる。
 しかしサラは、真由の言っていることがわからないらしく、プンプンと怒りだした。

「あんな土まみれの野菜をどうしろっていうのよ? 皮もむいていないし切ってもいないのよ。あの村の住民は、私たちを家畜か何かだと思っているんじゃないの? 野菜を丸ごと渡すなんて、バカにして。あれじゃ食べられっこないわ」

 そういえば彼女は村を出てからずっと不機嫌だったが、そんな不満をため込んでいたらしい。
 真由は、呆気あっけにとられた。

「え? 土は洗えばいいでしょう? 皮をむくのも切るのも、普通に自分でやればいいじゃないですか」

 それとも異世界の野菜は、皮をむいたり切ったりするのに、特別な道具が必要なのだろうか?
 不思議に思った真由が首をひねると、隣にいたカロンが、ガバッと肩をつかんできた。

「真由! 君は料理ができるのか!?」

 ものスゴイ勢いに、真由は思わず震えてしまう。

「え? ええ。そんなに難しい料理はできませんけれど、普通の家庭料理くらいなら」

 おそるおそる答える真由。大学時代から一人暮らしで自炊をしていたおかげで、料理は不得意ではないつもりだ。

「おぉ! なんたる幸運だ! 神は我を見捨てなかった!!」

 カロンは突然、涙を流さんばかりに喜んだ。
 真由はドン引きしてしまう。

「ちなみにこの携行食ならどんな料理にできる?」

 今度はアベルが興味津々しんしんに聞いてきた。

「えっと――干し肉は野菜と煮込にこんでスープにしたり、肉野菜いためにしたりしてもいいと思います。薄く切った乾パンの上に野菜と干し肉、チーズをのせて焼いてもおいしいかもしれませんね?」

 収納バッグの中にはチーズもあったはずだと思い出しながら、真由は答える。

(塩や砂糖、高価な香辛料なんかも入っていたんじゃなかったかしら? 調理道具もあったみたいだし、不可能じゃないわよね?)

 少なくとも周囲の人間は、勇者たち一行に役立ちそうなものを用意してくれていたはずだ。
 真由の話を聞いたアベルは、ゴクリと生唾なまつばを呑みこんで、命じてくる。

「では、その野菜スープと乾パンにいろいろとのせて焼いたのを作ってくれ」

 カロンはこぶしを握りしめ、ガッツポーズをした。

「これで毎日、朝昼晩携行食の地獄じごくからのがれられるぞ」

 そんな地獄じごくは、真由だってお断りだ。
 カロンの後ろではサラが面白くなさそうににらんでいる。
 いつもぼんやりしているフローラも、熱心にジッと真由を見つめていた。

(私、疲れているんだけど……。でもこのまま、ただ乾パンと干し肉を食べるより、ましかしら?)

 真由は足の痛みをこらえて立ち上がる。そして収納バッグから、必要なものを取り出すと、料理を始めたのだった。


 ――それから真由は、勇者一行に料理を作ったり後片付けをしたりする、いわゆる世話係になってしまった。果ての荒野に入ってから、もう二週間経っている。

(でも仕方ないわ。彼らは誰一人、炊事も洗濯もできないんだもの)

 魔王を倒すという使命を背負った勇者一行を選ぶ選考基準は、ただ一つ……魔王に勝てる強さがあるかどうか、だったのだろう。
 当然ながら、料理、洗濯、後片付けなどの生活能力の有無は、選考基準になかったと思われる。
 そのおかげで、勇者一行は生活能力が皆無の、戦闘以外は何もできない集団になってしまったに違いない。一行の中では勇者アベルが唯一の平民。彼は元々、地方の農夫だったらしいが、剣を振ること以外は何もできなかった。

「――真由、食事はまだなの!?」

 考え事をしていた真由を、サラが催促する。

「あ、はい! もう少しでできます」

 大きな声で返事をすると、「グズ」「のろま」などと文句を言うサラの声と、「まあまあ」と彼女をなだめるカロンの声が聞こえる。アベルは黙々と剣の手入れをしていて、残るフローラはぼんやりと座っていた。
 手のかかる勇者一行のお世話係。これが今の真由の日常だ。
 ため息をこらえつつ手を動かしていると、カロンが近づいてきた。

「相変わらず美味うまそうだな。今日の夕食は何だい?」
「今日は、豆と干し肉、野菜のスープで乾パンを煮込にこんだリゾットです。あと、乾パンで作ったパン粉にみじん切りした野菜と干し肉をこねて焼いた、ミートローフもありますよ」

 真由の返事を聞いて、カロンは顔をほころばせる。

「おお! スゴイな。あの味気ない携行食を毎度こうも見事に料理するとは、たいしたものだ」

 大柄な騎士は、手放しで真由の料理を褒める。

「……フン、どれも貧乏くさい田舎いなか料理ね」

 一方のサラは、いつも通り文句しか言わない。
 確かに、リゾットもミートローフも欧米の田舎いなか料理だ。おっしゃることはごもっともだが、元々の材料が携行食なのだから、豪華な料理を期待されても困ってしまう。

「すまないな。……〝姫さま〟も、本当はわかっていらっしゃるのだが」

 カロンは大きな体を丸め、小さな声で真由に謝る。
 そして、この一行に隠されていた事情を明かしてくれた。
〝姫さま〟というのは、サラのことだ。なんとサラは、カロンがつかえる国王の末姫なのだという。
 旅の仲間ゆえ、『敬称なんてつけずに呼び捨てにしろ。特別扱いするな』という命令が下りていて、フランクに話しているらしいがれっきとした王女さまなのだ。
 そんなお姫さまがなぜ旅に出ているのかというと、聖剣に選ばれて勇者になったアベルが国王に謁見えっけんした際、サラが彼に一目ひとめれしたからだとか。
 もちろんただ恋のためというわけではなく、サラにはその素質も、大義名分もある。
 そもそも魔王を討伐とうばつする勇者一行には、毎回必ず王族が一人同行する決まりがある。サラはたぐいまれな弓の腕を持つため、許されたらしい。
 危険極まりない役目をたみだけに背負わせられない――というのは建前たてまえ。実際は、魔王を討伐とうばつすることで多大な人気と権力を得る勇者に、玉座ぎょくざを奪われないためだという。

(そういえば、魔王を倒した勇者がお姫さまと結婚して王になるっていうのは、王道ストーリーだものね。……でも、考えてみれば、王の子がお姫さま一人とは限らなくて、もしほかに世継ぎがいた場合、王太子にとっては勇者に玉座ぎょくざを奪われることになっちゃうのね)

 勇者に王位を奪われては、王族としてはたまらない。
 そんな理由で、勇者一行に王族が加わることになったようだ。
 王族の権威を守りつつ、それとなく勇者とも懇意こんいになる。そして、将来王位にこうなんて考えないように、制御するのだという。
 これは代々の王族にとって最も重要なことで、このために王家の直系は武芸をみがく。生まれた時から武芸全般の英才教育をほどこされ、特にひいでたものを集中的に教え込まれて、国で一、二を争うほどの腕前になるのだ。
 サラは特に弓術の才能があり、弓に関しては国で右に出る者がいないほどの実力者だという。

「それでも末姫さまだからな。本当なら、第二王子殿下が勇者に同行されるはずだった」

 第二王子は剣技が得意で、攻撃魔法もそれなりに使える、マルチタイプの戦士。世情に明るく一般常識もあるため、勇者の旅の同行者として最適と目されていた。
 なのにアベルに一目ひとめれしたサラは、何がなんでも自分が同行すると言い出したそうだ。

「一緒に旅をしなくても、アベルが無事に魔王を倒したあかつきには、必ず姫さまと結婚させてやると陛下が説得されたんだが――姫さまはがんとしてうなずかれなくてな」

 サラは『私がおそばにいない間に、ほかの女性と想いを交わしてしまうかもしれない』と心配し、『一緒に行けないなら自殺する』と王を脅した末に、勇者一行の仲間となった。

「……陛下も末姫さまには、甘くていらっしゃるからなぁ」

 こっそり事情を話し終えると、カロンは深いため息をつく。
 旅立ちにあたりカロンには、勇者を助けるという本来の任務と同時に、末姫サラの警護という名の〝おり〟の任務も与えられたそうだ。彼はほとほとまいっているらしい。

「いいんですか? そんなことを私に話したりして」

 赤裸々せきららな打ち明け話をされて、真由は思わず確認してしまう。

愚痴ぐちくらいこぼさせてくれ。なにせフローラは話し相手にならない。アベルにこんな話をして、それが姫さまにバレたら殺される」

 カロンはそう答えて、ブルブルと体を震わせた。
 確かにカロンの気苦労は耐えないようだ。真由が異世界人で、王家に対してなんの思い入れもないということも、カロンの口を軽くしているのかもしれない。

「アベルさんは、どこまで知っているんですか?」

 将来サラと結婚したいとか、ましてや王族になりたいというような素振りは、アベルからは少しも感じない。

「アベルが知っているのは、サラが王女だってことくらいじゃないか? 王族が一行に加わることは周知の事実だから、王女が仲間に入ることは自然に受け入れた。あとは、まるっきりだ」

 カロンはまたまた深いため息をついた。

「アベルさんって、私を仲間に入れる時もそうでしたけど……周囲が見えていないことが多いですよね? 思い込むと人の声が聞こえなくなるっていうか?」

 きっとアベルの頭の中では、サラは王女で仲間の一人。それ以上でもそれ以下でもないのだろう。アベルは平民出身なので、王女と結ばれるなんて想像もしていないのかもしれない。

「アベルさんって、恋の相手としては最悪なんじゃないですか?」
「……やっぱりそう思うか」

 真由とカロンは顔を見合わせ、同時にガックリと肩を落とす。
 一方的に真由を嫌い、嫌味いやみと文句ばかりを言ってくるサラだが、ちょっと可哀想だなと思ってしまったのだった。


(――だからって、サラの言動がすべて許せるかって言われたら、そうじゃないんだけど)
「もう、やっと食事の用意ができたの? 戦いにはまったく役に立たないんだから、もっと早く作りなさいよ。本当にグズね」

 出来上がったリゾットとミートローフを前に、サラは悪態をつく。
 カチンときた真由だが、自分が戦いでは役に立たないのは事実なので、黙って料理を取り分けた。
 カロンが『すまない』と目線で謝ってきて、フローラはうつむく。
 アベルも不快そうに眉をひそめたが、サラは気づいていなかった。

(っていうか、気づいたとしても、アベルを不快にさせた原因は私だって思いこみそう)

 世界の一大事という魔王討伐とうばつの旅に、自分の感情だけで無理やり同行したお姫さまだ。自分が悪いと殊勝しゅしょうに反省することなど、天地がひっくり返ってもなさそうだった。

美味うまい!」

 そんな微妙な空気を払おうと思ったのか、リゾットを一口食べたカロンが大きな声で叫ぶ。

「……おいしい」

 フローラも、アツアツのリゾットを口に含むと、小さな声でつぶやいた。

「おお! フローラもわかるか? いつも美味うまいが、今日の料理も最高だよな」

 ニコニコと笑うカロンに、小さくうなずくフローラ。
 そこまで褒められては、真由だって不機嫌なままではいられない。

「ありがとう」

 笑って返せば、場の雰囲気はほっこりした。

「本当に美味うまいぞ。この旅でこんなに美味うまい食事がとれるなんて、思わなかった。おかげで最近の俺はものすごく調子がいいんだ」

 調子に乗ったカロンは、右腕を曲げ、力拳ちからこぶしを作ってみせる。

「……私も。……私も、おいしい料理を食べると、ま、魔法の威力が、いつもより強くて……」

 ささやくような声ながら、フローラも一生懸命話してくれた。こんなに長いセリフははじめて聞く。

「――確かに、俺も最近は剣が軽く感じるな」

 アベルまでそう言ってくれて、真由は照れてしまった。

「そう言ってもらえると、食事も作り甲斐がいがあります」
(……私もちょっとは役に立っているってことなのかな? イヤイヤだったけど、このまま旅を続けるのもいいかも)

 少しは前向きに自分の立場を受け入れられそうな気がしたのだが――そんな気持ちはあっという間に地に叩き落される。

「確かに食べられなくはないけれど……真由が作るのはどれも地味な田舎いなか料理ばかりじゃない。こんな誰でも作れるような料理で調子が上がるなんて、ありっこないでしょう」

 サラはそう言って、憎々にくにくしげに真由をにらみつけてきた。
 わざわざ言われなくたって、そんなことは真由もわかっている。お世辞せじだと理解していても、褒められれば嬉しいものなのだ。素直に一言『おいしい』と言ってくれればいいのに――
 あまりにかたくななサラの態度に、真由はあきれてしまう。
 その時、アベルが静かに口を開いた。

「そうだな。確かに真由の作る料理は田舎いなか料理だ。だが、俺にとってはなつかしい味がする」

 ミートローフを一口頬張り、ふわりと微笑んだアベル。美形の笑顔には、とんでもない破壊力があった。

「真由の料理は、俺の母の味に似ている。……君はきっといい奥さんになるな」

 嬉しそうな声でつぶやくと、アベルは甘やかに真由を見つめてきた。

(ヒエェェ~ッ!)

 真由は思いっきり顔を引きつらせる。
 サラの方から冷気がただよってきて、背中に寒気が走った。

「グッ! ……ゴホッ! ゲホッゲホッゲホッ!」

 のどに料理を詰まらせたのか、カロンが激しくき込みはじめる。
 フローラも青ざめ、スプーンを落とした。

(いやぁぁぁっ! 怖すぎてサラの顔が見られないわ!!)

 サラが怒っているのは確実だ。きっと般若はんにゃのような顔になっているだろう。

「――どうした? カロン、むせたのか?」

 そんな中、アベルはのんびりとカロンの心配をした。

(……無自覚鈍感って怖い)

 真由はプルプルと震えながら、しみじみとそう思うのだった。


 翌朝、真由はいつも通り早起きをして朝食の準備をしていた。

(……無事に目が覚めてよかったわ)

 昨晩のサラは、いつも以上に殺気をこめた目で真由をにらみつけてきて、ひょっとしたら寝首をかかれるかもと心配してしまった。

(いくらサラでも、さすがに殺したりはしないと思うけど)

 それでも安心できなかったため、眠りは浅く、おかげで先ほどからあくびが止まらない。
 スープを作りながら何度目かわからないあくびを漏らしていると、とげとげしい声が聞こえてきた。

「見張りもまともにできず、ぐうぐう眠っているはずなのに、大きなあくびね」

 嫌味いやみたっぷりなその言葉の主は、もちろんサラだ。

(誰のせいで眠れなかったと思っているのよ!)

 真由は思わず顔をしかめてしまう。
 魔獣の出没する果ての荒野で、野宿をする際に見張りを立てるのは、常識だ。
 一応、魔獣けの精霊石を設置してあるのだが、強い魔獣には効かないため、夜中に見張りの声で飛び起きていきなり戦闘――なんてこともあった。そのため勇者一行は、交替で見張りに立っている。
 しかし戦闘力はもちろん、注意力や危機察知能力もない真由は、見張りのローテーションから外れていた。

(だからその代わりに、毎朝早起きして朝食を作っているじゃない!)

 真由にも言い分はあるのだが、きっとサラはわかってくれないだろう。言うだけ無駄な抗議を、真由は心の中に押し込めた。
 まだ起床には早い時間帯なので、今夜の見張り当番が彼女なのだろう。ほかの仲間が寝ているはずの男女別に張られた二つのテントを見ても、起きてくる気配はない。
 またいろいろ文句を言われるのかと思いながら、真由は暗い気分で料理を続ける。
 しかし意外なことに、サラは黙って真由の料理を見ているだけだった。それはそれで不気味だったが、絡んでほしいわけではないので、真由はこれ幸いと静かに朝食を作る。
 材料をすべて切って鍋に入れ、あとは煮込にこむだけとなった段階で、サラが話しかけてきた。

「それをそのまま火にかけてれば、料理は完成なの?」

 その通りなので、真由はうなずく。もちろん、ただ火にかけるだけではなく、火を止めるタイミングを見たり味を調ととのえる必要があったりするが、細かな説明はいらないだろう。

「……そう。それだけ聞けば、もうあなたに用はないわ」

 そう言うと、サラはニヤリと笑う。

「えっ!?」

 驚く真由の腕を、サラが右手でガシッと掴んだ。
 彼女の左手には、黒くて丸い石が握られている。

「転移。一週間前」

 小さな声でサラがつぶやいた途端に、真由の視界がぐにゃりとゆがむ。
 貧血を起こしたみたいにクラッとして、気づけば二人っきりで荒野の真っただ中に立っていた。

「……ここは?」
「一週間前に私たちが通った場所よ。たぶんさっきの場所から、二百キロメートルくらいは離れているんじゃないかしら?」

 真由の質問に、サラは楽しそうに答える。そして左手に握っていた黒い石を見せてきた。

「これは転移石。王家の秘宝よ。文字通り転移の力があって、今まで石が通ってきた場所ならば、好きなところに移動してくれるわ。万が一のことを考えて、お父さまが私にこっそり持たせてくれたの。……あなたのような者は二度とお目にかかれない貴重な石だから、よく見るといいわ」

 饒舌じょうぜつで機嫌のいいサラに、真由は恐怖を覚える。
 それを察したのか、サラはますます上機嫌に笑った。

「あなたは邪魔なのよ。なんの力もないくせに、ヘラヘラとアベルのそばにいて。目障めざわりだから消えてもらうことにしたの」

 ニンマリと口角を上げて笑うサラ。しかし表情とは裏腹に、緑の目はにくしみでギラギラしている。

「……消えるって?」

 驚く真由に、サラは勝ち誇った顔を向けた。

筋書すじがきはこうよ。――今朝あなたと世間話をしていて、私はうっかり転移石の話をしてしまうの。丁度その時、物音が聞こえて、当然私はそれを見に行く。でも何もなくて、戻ってみたらあなたと転移石が消えていた……ってわけ。みんな、あなたを怒るでしょうけれど――大丈夫。盗まれた私にも責任はあるんだって、かばってあげるわ」

 得意満面に言われて、真由は呆気あっけにとられる。

(何、その無理な設定? まず、私とサラが世間話をするってところから、ありえないでしょう?)

 ツッコミどころ満載の筋書すじがきだが、サラはまったく気にしていないようだ。彼女の頭の中には、何がなんでも真由を一行から追い出したいということしかないのだろう。身勝手なサラに対し、いかりが湧いてくる。

(私だって好きで仲間になったわけじゃないのに! そんなに嫌なら、もっと早く追い出してほしかったわ。喜んで出て行ったわよ!)

 腹立ちまぎれに叫びたくなったが、きっとサラに言っても通じないだろうと、心の中で叫ぶだけにとどめた。それより真由には、気にしなければならないことがある。

(――ここ、どこ? 一週間前ってことは、果ての荒野の中よね?)

 真由たちが果ての荒野に入ったのは、二週間ほど前だ。一週間前ということは、アベルたちが野宿をしている場所と荒野の入り口の町との中間地点となる。

(さっきサラは二百キロって言っていたわ。どちらからも二百キロくらい離れているってこと?)
「……サラ。まさか……あなた、私をここに置き去りにする気なの?」

 おそるおそるたずねれば、サラはクスクスと笑い出した。

「今頃気づいたの? 当然でしょう。アベルの目にまる女なんて、生かしておけないわ! なんのために私がこんな不自由で面倒くさい旅に同行したと思っているのよ? すべて、アベルに近づくあなたみたいな虫を排除するためよ。旅に出てよかったと、今ほど思ったことはないわ」

 声高こわだかに叫ぶサラ。勇者一行の旅の目的としては明らかに間違えているが、今はそんなことを指摘している場合じゃない。

「私は戦えないのよ! 魔獣の出る場所に置き去りにされたら、絶対死んでしまうわ!」

 たとえ魔獣が出なくとも、何もない荒野を飲まず食わずで二百キロも無事に旅できるはずもない。サラに置き去りにされた時点で、真由の死は確定したも同然だ。
 真由が必死でうったえる一方、サラはすがすがしげに笑う。

「そうね。それが目的だもの。心置きなく死んでちょうだい」
「サラ!」
「うるさいわね! 異世界から来たとはいえ、なんの身分も持たない平民風情ふぜいが、私を呼び捨てにしないでちょうだい! 呼ばれるたびに腹立たしかったけれど、これでやっと終わりね。あなたの顔を見ないで済むと思うとせいせいするわ」

 サラには、真由を助けようという心などまったくなかった。

「ああ、いけない。早く帰って転移石を隠さなきゃ。を私が持っているわけにはいかないものね」

 そんなことをつぶやきながら、サラはグッと石を握りしめる。明らかに転移しようとしていた。

「ま、待って! サラ! 行かないで!!」

 慌てて真由が呼び止めるが、もう遅かった。

「サヨナラ、真由。もう二度と会うこともないでしょうけれどね」

 最後にそう言って、サラはその場からグニャリと消える。
 あとに残ったのは、本当に何もない荒野だ。

「嘘でしょうっ!!」

 真由の叫びが無情に響いて――消えた。
 枯れかけた低木以外何もない果ての荒野に、風が吹き抜ける。
 乾いた土が風で巻き上がり、視界を茶色く染めた。

「ハハハ……本当に何もないわ」

 真由は呆然とつぶやく。

「ああ。でも、こうしちゃいられないわ」

 サラの行動に対していきどおっているが、怒っていても事態は好転しない。

「ここにこのままいても魔獣に食べてくださいって言うようなものだし、早く移動して……できれば誰かに見つけてもらわなくちゃ」

 人の通らぬ果ての荒野だが、実はまったくの無人ではないらしい。荒野の入り口にあった村では、比較的弱い野生のけものを狩るために、荒野に入るのだと言っていた。とはいっても、あまり村からは離れないようにしているようだが。
 真由はそこに、かすかな希望を見出す。

(目指すなら勇者一行を追いかけるんじゃなく、入り口の村の方よね。運がよければ、狩りで荒野に入っている人に会えるかもしれない)

 右も左もわからぬ荒野だが、勇者一行は魔王のいるという西に進路をとっていた。ならば村は、正反対の東にあるはず。
 ありがたいことに、この世界でも太陽は東から昇って西に沈む。
 真由は、昇りはじめた太陽の方を向いた。入り口の村は、およそ二百キロ先だ。
 その距離を考えれば、すべてを投げ出してうずくまりたくなるが、それではサラの思うつぼである。

(絶対このまま死んでなんかやらないんだから!)


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