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番外編

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夢を見た。

『明日はお誕生日ね。ねぇ、ホントにうちに来ないの?』
『明後日も朝から講義があるから』
『だったら、いつ来れそう? ママ、茉莉の好きなものなんでも作るわよ。お誕生日ケーキも予約しないとだし』
『そんな、ホールじゃなくて普通に売っているやつでいいわよ。……うん、うん、ありがとう。じゃ決まったら連絡するね』
『あ――――』
20歳の誕生日の前日、茉莉はそう言って、まだまだ話足りなさそうな母との電話を切った。
(だって、毎日電話していたし、明日も明後日も普通にそれが続くと信じていたから……)
そんな日常が、あっという間に終わるだなんて、あの時の茉莉は思ってもいなかった。
(もっと長く、きちんと話を聞いておくんだった)
胸の奥がズキンと痛む。
(パパも弟も、自分たちが居る時にゆっくり電話を寄こせっていつも言っていたのに……叔父さんだって、用なんかなくても電話しろって……)
母とは毎日話していた茉莉だったが、他の家族と最後に会話をしたのはいつだっただろう?


思い出せば、後悔ばかりが押し寄せた。
あの時こうしていれば、もっと話していれば――――
そんな思いが胸に溢れ、のど元にまで込み上げて……
茉莉は、自分が日本の家族への思いを、少しも整理できていないのだと気づかされた。
突然引き離され、もう二度と会うことはできない。
(ママ、きっと泣いている。……ううん、他のみんなだって、きっと)
茉莉は、自分が家族に愛されていたことを知っている。
同じくらい自分も家族を愛している。
閉じた瞼の裏に、家族の顔が浮かぶ。
喉に、重いかたまりがせり上がり、息苦しくなってきた。
目の奥が熱くなり、涙が滲む。
「……っつ」
茉莉は、嗚咽をこらえる。
(ダメ。リオンを起こしちゃう……)
背中に感じる温かな人のぬくもり。同じベッドで眠る、自分の夫でもある大好きな人の眠る気配を茉莉は感じる。
昨晩も政務が長引き、茉莉は夜遅くに眠った。そんな茉莉よりも、リオンはさらに忙しく、一日中ものすごいハードスケジュールで休む暇なく働いていた。茉莉が眠った後にもまだ残って仕事をしていたはずだ。
きっとリオンは、眠りについたばかりだろう。
茉莉は唇を噛み、自分の両手で自分の口を塞いで、声がもれるのをこらえる。
それでも、込み上げた涙は頬を伝い――――

「あっ……」

その涙を、伸びてきた優しい手がぬぐった。
「茉莉、一人で泣かないでください」
そう言うと、茉莉の涙を拭いた大きな手は、そのまま軽々と茉莉の体の向きを変え、向かい合う形でそっと抱きしめてくる。
「リオン――――」
「私にとっては、どんなことよりも、あなたが一人で泣く方がつらい」
優しい茉莉の夫は、伸ばした手で彼女の背中を撫でた。
「リオン」
「茉莉」
互いに呼び合った名前の音が、夜の空気に溶ける。
リオンの優しさに包まれて、こらえきれず茉莉の黒い瞳に涙があふれた。
「リオン、ごめんなさい。私っ……日本の、家族の、夢をっ……見て……」
泣きながら途切れ途切れに、茉莉は自分の胸の内を語る。
少し切なそうに顔を曇らせたリオンは、茉莉を抱く手に力を込め、黙って茉莉の言葉に耳を傾けてくれた。
茉莉の語る家族の話を真剣な表情で聞いて、時折茉莉が声を詰まらせれば、慰めるように優しく髪や頬を撫でてくれる。
茉莉を見つめる青い瞳も暖かな大きな手も、とても優しくて……
茉莉は、自分が心の奥に抱えていた深い後悔を吐き出してしまっていた。
自分が日本の家族に与えてしまった大きな悲しみ。
女王が蘇生術を使わなければ、茉莉と名付けられた娘は死産となってしまっただろうが、20年育てて突然殺されるよりも、その家族の悲しみはうんと小さかったかもしれない。
「……私は、ママや叔父さんたちを、これ以上ないくらい、ひどく、傷つけてしまった」
それは懺悔であり、茉莉の心の上げた悲鳴だった。
涙が、止まらない。
そんな茉莉の両頬に、涙をぬぐうようにリオンが優しく口づける。

「……悲しい思い出ばかりではなかったでしょう?」

そのまま耳元に口を寄せて、小さくそう囁いた。
茉莉は、目を見開く。
「茉莉、あなたはそんなにも異世界の家族を愛している。それほどに心を寄せられるのなら、その思い出は、楽しく、温かく、優しかったはずです」
一言一言を言い聞かせるように、リオンは話しかけてくる。
茉莉は……コクリと頷いた。
その言葉だけで、楽しかった思い出が後から後から溢れるように蘇ってきた。
――――遊園地、海水浴、年に一度の家族旅行。
普通の家族とはちょっぴり違ったけれど、茉莉は叔父と、そして徐々に家族とも沢山の思い出を重ねて生きてきた。
寺の境内をタローと駆け回った。……転んでひざをすりむいてしまい、ものすごく沁みる消毒薬に泣いて、貼ってもらった花柄のバンソーコーに笑って、尻尾を垂れて心配そうなタローの頭をわしゃわしゃと撫でた。
当たり前の、かけがえのない、沢山の幸せな思い出の数々。
「悲しみは大きく強く、人の心を縛ります。でも、その悲しみと同じくらい……いいえ、もっと多くの喜びを私たちは知っているはずです。――――悲しまないでくださいとは言えません。悲しみもまた、人の心に必要なものです。でも悲しみだけに囚われて、幸せだった思い出を閉じ込めないでください。……茉莉、あなたは幸せで、そしてご家族も幸せだったはずです。そうでしょう?」
リオンの言葉が、茉莉の心に沁みてくる。
ぱっくりと開いた茉莉の心の大きな傷痕は、塞がることは決してないけれど、でもむき出しだった傷口が優しさで覆われて行く。
花柄のバンソーコーを、貼ってもらっているのかもしれなかった。

「……リオン、ありがとう」
「茉莉。愛しています」

茉莉の耳元で囁いたリオンの唇が、茉莉の唇の上に降りてくる。
「…………ん」
優しい口づけだった。
ゆっくりと触れ、温かく覆い、撫でるように唇の輪郭をなぞる。
「あ――――」
そのまま優しい唇が離れてしまった時、思わず茉莉は寂しそうな声を上げてしまった。
リオンがクスリと笑う。
茉莉は、真っ赤になった。
ほんのつい今しがたまで、ボロボロと泣きじゃくっていた自分の上げた、どこか艶めいた声が恥ずかしくてたまらない。
………悲しみは、未だ胸の中に溢れている。
でも、――――いや、だからこそ、茉莉はリオンに触れていてもらいたかった。
もちろん、リオンはずっと茉莉を抱きしめたままだ。しっかりと大きな胸の中に抱えられ、ぬくもりと鼓動が伝わる。
でも――――
(足りない)
そう思ってしまう。
隙間などないほどに体を合わせ、キスや、もっとその先がしたかった。
「以前、アンナに言われたのですが――――」
それなのに、そんな茉莉の気持ちがわかっているのかいないのか、リオンはアンナのことを話し出してしまう。
「アンナさんに?」
それでも律儀に聞き返す茉莉に、リオンは真面目な顔で頷く。
「――――動揺している女性に、必要なのはすべてを忘れさせ、そんなものの欠片も思い出せないほどに愛してくれる男だと」
茉莉は、ポカンと口を開けた。
(それは、確かにアンナさんらしい発言だけど……)
戸惑いながら、リオンを見上げる。
リオンの青い目の中に、茉莉が幾度も見たことのある、情欲の光が見えた。
「茉莉、そんな風にあなたを愛していいですか?」
リオンの低い声が、茉莉の耳に侵入する。
茉莉は――――真っ赤になって、頷いた。
「リオンに、愛されたい。……そんな風に愛して」
小さな声で呟く。
その声は、間違いなくリオンの耳に届き――――


異世界で大きな悲しみを背負った女性は、その悲しみを抱えたまま生きていく。
それでも、彼女は幸せに生きた。
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