推しに婚約破棄されたので神への復讐に目覚めようと思います

九重

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1巻

1-3

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「何度も言い聞かせてはいるのですが……あの子も素直でないというか、あまのじゃくというか、相当こじらせているみたいで」
こじらせている?」

 いったい何をこじらせているのだろう?
 フルールがきょとんとして首をかしげると、スゥランは困り顔で苦笑した。

「ええ。レインさまと同じくらいこじらせていますわ」
「レインと?」

 さっぱりわからないフルールに、スゥランが笑いかける。

「お嬢さま、何度も言っておりますが――無理にクラインを訓練相手にご指名くださらなくてもいいのですよ。お嬢さまならばもっと腕の立つ騎士を選び放題なのですから。お嬢さまの訓練相手として共に指導を受けられる恩恵を少しもわかっていない弟など、どうか捨て置いてください。……そうすればあの子も自分の〝やり方〟が間違っていることに気がつくはずですわ」

 口と同時に手を動かしテキパキとフルールを着替えさせながらそう話す。
 たしかに彼女の言う通りなのだが……しかし、クラインは未来の攻略対象者だ。しかも騎士枠なのだから、今はお子ちゃまでも立派に進化するのは保証付きである。

「大丈夫よ。クラインも剣の筋はいいみたいだもの。きっと今に優秀な騎士になるわ。それに、どんな人だって最初から完璧な人なんていないもの。そんな人は――リュークさまくらいよ!」

 力いっぱい叫んだフルールの言葉に、スゥランはガックリと肩を落とした。

「……お嬢さまにとって、王太子殿下以外の男性は、たいして気にかける価値もない相手なのだと、よくわかりました」
「あら? 私はクラインのことは気にかけているわよ。だって、スゥランの弟なんだもの。もちろん、私の弟のレインだって気にかけているわ」
「……それが、あの子たちには不満なんですけどね」

 どうして不満なのだろう?
 さきほどから、スゥランのセリフに時々意味のわからない言葉が交じる。

こじらせているとか、やり方が間違っているとか、不満とか? ……みんなクラインとレインのことだと思うけど、いったいなんのことのかしら?)

 わからなくて目をパチパチとさせていると、スゥランがニッコリ微笑ほほえみかけてきた。

「いいのです。これはあの子たちが自分で解決しなければならないことなのですから、どうかお気になさらないでください。……クラインは、今日もいつものようにコテンパンにやっつけてくだされば、それでいいのですわ」

 よくわからなかったが、やっつけるくらい簡単だ。

「任せて!」
「……ほどほどにお願いします」

 いったいどっちなのだろう?
 コテンパン?
 それともほどほど?
 頭を悩ませるフルールに、苦笑するスゥランだった。


 そして、一時間後。
 フルールは、スゥランに言われた通りに、クラインをコテンパンにやっつけていた。
 ちなみに一時間後とはいえ、彼女がクラインと剣の稽古を始めたのは、ほんの数分前。その前に髪を結ったり朝食を食べたりと、貴族令嬢はいろいろ忙しい。

「クソッ! 魔法をそんなふうに使うなんて卑怯ひきょうだぞ!」

 地面に尻もちをつきながら、派手な容貌ようぼうの赤髪の少年が叫んだ。赤い三白眼さんぱくがんが、悔しげにフルールをにらみつける。

「訓練は実戦同様に行うと決めてあったはず。実戦で相手が魔法を使うのは当然だから、少しも卑怯ひきょうではないだろう?」

 叫ぶクラインに淡々と言い聞かせるのは、ラウン公爵家が雇った剣術講師だ。引退した元王国騎士団長で、白髪しらが交じりの口ひげがダンディなご老人だったりする。
 たしかに彼の言う通りだった。実戦となれば持てる力のすべてを駆使するのは当然のこと。卑怯ひきょうだなんだと言っている場合ではない。

「普通の攻撃魔法なら俺だって文句は言わない! 足元を凍らせて転ばせるなんて、騎士道精神にもとる行いだ!」

 クラインはますますいきり立った。

「戦いで負けてしまえば、騎士道も何もあるまいに」

 剣術講師は、あきれたと言うように肩をすくめてみせる。
 訓練の模擬戦が始まると同時に氷の魔法でクラインを転ばせて、その上で彼の頭をポカリと殴ったフルールは、涼しい顔で立っていた。カッカッと怒るクラインなど眼中にないようだ。
 その様子がなおのことクラインをあおった。

「もう一度だ!」
「何度やっても結果は同じだと思うぞ」

 ガリガリと白髪しらが頭をかきながら、剣術講師があくびをする。
 彼の言葉は正しい。別にクラインが弱いというわけではないのだが、いかんせん彼は直情傾向。駆け引きも何もない力任せの剣に負けてやれるほど、フルールは大人ではない。

(前世の年齢? もちろんリセットしたわよ。死んだのだから、ゼロからのスタートで間違いないわよね?)

 異論は認めない! 認めないったら、認めない!
 誰に向けてかはわからないが、心の中でフルールが力説していると、クラインがすっくと立ち上がった。

「俺と、もう一度戦え!」

 叫ぶなり、剣を構え突っ込んでくる。
 さすがに凍った地面をけるくらいの冷静さはあるようだが、真っ向から打ちかかってこられても、フルールは対応に困る。

(どこまでやっつけていいものか? 迷うのよね)

 実戦ならば完膚かんぷなきまでに叩きつぶして終わりだが、訓練ともなればそうもいかない。
 なんといってもクラインは、将来王国一の騎士となる予定の攻略対象者なのだ。ここで若いその芽を摘むわけにもいかないだろう。
 考えこんでいるすきに、間近にせまったクラインが剣で切りつけてきた。
 条件反射で剣を合わせたフルールは、これまた条件反射でその剣に魔法をかけて氷らせる。
 二本の剣は、交わった形のままてついた。

「くっ! もうその手はくわないぞ!」

 叫んだクラインが氷ついた剣を握っていたグローブから自分の手を引き抜く。
 そして、すぐにその場から退しさった!
 ――実は、以前同じようにフルールが剣を凍りつかせたとき、クラインはそれを握っていた手ごと凍らされてしまい身動きできなくなったのだ。
 そのまま別の剣を用意していたフルールにボコボコにやられたという悲しい過去を持つ彼は、今回は厚手のグローブをして剣を握っていたらしい。

(まあ、少しは考えたってことかしら? 所詮浅知恵は、浅知恵なんだけど)
「フリーズ!」

 クラインの足下を狙ってフルールは氷の魔法を放った。

「それも計算済みだ!」

 そう叫んだクラインは、多少カッコ悪くはあるのだが、地面に両手両足をついて転ばぬようにいつくばる。
 まあ、たしかにすっ転ぶよりましかな? とは思う。
 しかし、その体勢からどうするつもりなのだろう?
 興味深く見ていると、なんとか転倒を防いだ彼は、自分の持つ魔法の力を使いその場で高く飛び上がった。

(ようやく魔法を使う気になったのね)

 クラインは、風魔法の使い手だ。長時間飛行するなどという高度なことは無理だが、高くジャンプしたり、走る際に追い風を起こして素早く移動したりする程度なら、余裕でできる。
 だったら最初から魔法を駆使し多彩に攻撃すればいいものを、彼はいつも剣術のみにこだわって戦っていた。魔法を駆使するのは、められた果ての果て。しかも、ものすごく不本意そうに使う。
 剣の実力だけで勝ちたいということなのだろうが、そういうのはもっと実力がついたときにやるべきだ。
 まあ、考え方は人それぞれ。実戦ではなく訓練なのだから、好きにすればいい。

(だからって、私までその考えにつき合う義理はないけれど)

 飛び上がったことで、格好の的になったクラインに、フルールは魔法で生み出した氷のつぶてをぶつけた。クラインは、自分の周囲に暴風を起こすことで、つぶてから身を守る。

「行くぞ!」

 同時に、腰に差していた二本目の剣を大上段に振り上げて、上空からフルールめがけ突進してきた。

「イヤァァァ!」

 勢いと素早さのある、いい攻撃だ。

(残念ながら、届かないんだけど)

 彼の剣が振り下ろされるその前に、フルールの放った氷のつぶてのうちクラインの風が防ぎきれなかったものが彼の足をかすっていく。
 小さな氷の欠片かけらがクラインの履くブーツの先に貼りついているのがわかる。
 フルールが魔法の力を強めた次の瞬間、クラインのブーツに貼りついていた氷の欠片かけらが急速な成長を始めた。
 ブーツがビキビキと凍っていく。
 そして、時を置かずブーツは厚い氷におおわれて、やがて足ごと大きな氷塊と化してしまった。
 当然、その氷塊はクラインの動きのさまたげとなる。

「う、うわぁぁ!」

 文字通り、氷に足を引っ張られた少年は顔色を青くして落ちてきた。
 ドサッ! と派手な音がして「グェッ!」とうめいたクラインが動かなくなる。
 かなりの高さがあったので、当然だ。
 フルールは、ゆっくりと彼に近づいていった。
 そのまま剣のつかで氷のかたまりを叩き割り、ついでにクラインの頭もポカリと殴る。

「そこまで! 勝負あった。フルール嬢の勝ちだ!」

 高々と剣術講師が宣言して、フルールとクラインの訓練は終わる。
 準備万端。熱々に温めたタオルを持って、スゥランが弟に駆け寄った。


   ◇◇◇


「大丈夫? ひどい凍傷は、ないみたいだけど?」

 姉に聞かれたクラインは、頬をふくらませてプイッと横を向いた。
 弟の態度に苦笑したスゥランが、タオルを手で二、三度叩くことで熱を逃がし靴を脱がせた弟の足にそっと当てる。
 冷え切った足には気持ちよかったのだろう。クラインはホーッと深く息を吐いた。

「……ありがとう。姉さん」

 小さな声で感謝を伝える。
 姉の前では素直な少年なのだ。

「お礼はお嬢さまに言いなさい。熱いタオルを用意するようにおっしゃったのはお嬢さまなのよ」

 その言葉を聞いたクラインは悔しそうに表情をゆがめる。
 スゥランが大きなため息をつく。

「そんな態度じゃ、いつまで経ってもお嬢さまに振り向いてもらえないわよ」

 あきれたような言葉に、クラインはカッと頬を熱くした。

「振り向いてもらいたいなんて、思っていない!」
「ハイハイ。……意地っ張りもいい加減にしなさいよね。お嬢さまには、全然通じていないんだから」

 クラインを軽くいなした姉はテキパキと手当を続ける。
 甘んじてそれを受けながらクラインは下を向いた。
 そんなこと、言われなくてもよくわかっていた。


 ――彼がフルールに出会ったのは、今から五年前。九歳のときだ。
 大好きな姉が貴族の屋敷に侍女としてつかえることになり、一緒に行きたいと願った彼をその貴族は共に雇ってくれたのだ。
 屋敷のお嬢さま――フルールと同い年だから、遊び相手になると思われたらしい。
 そのとき姉のスゥランは十四歳だった。
 平民とはいえ手広くあきないをしていて十分裕福な家の娘が、若くして働きに出るのには理由がある。
 第一の理由は教育だ。
 この国の最高学府は、当然のことながら王都にある王立学園。王族も通うこの学園が門戸を開いているのは貴族のみで、いくら裕福でも平民は入れない。
 しかし、何事にも裏道はあるもので、高位貴族につかえる使用人のみ学園に通うことが許されていた。王立学園を優秀な成績で卒業した執事や侍女をそばに置くことが、貴族のステータスなんだとか。

(くだらない見栄だよな。使用人にはくをつけようなんて思うより、自分自身を磨けばいいものを)

 しかし、裕福な平民はこの制度をうまく利用している。
 高位貴族に自分の子どもたちをつかえさせ王立学園に入学させるのだ。そうすることで我が子に最高の教育を受けさせることができる。
 スゥランも十四歳でフルールにつかえ、翌年には王立学園に入学した。卒業したのは二年前。成績優秀だったのは、言うまでもない。
 クラインもフルールと一緒に学園に入学予定だ。一応護衛という名目になっているが、フルールの氷魔法にクラインは手も足も出ない。おかげでプレッシャーが半端ないが……頑張るしかないだろう。
 第二の理由は、スゥランとクラインの少し複雑な家庭の事情だった。
 二人の生家は九人家族。両親と二人を含んだ子ども七人という家族構成なのだが、現在の母は二人の実母ではない。――実は、父の婚姻歴は三回で、最初の妻との間に長兄と長女がいて、スゥランとクラインの母は二番目の妻。今の妻は三番目で、弟二人と妹一人を産んでいる。
 裕福な商人で尚且なおかつ顔もいい父は、めちゃくちゃ女性にモテる男だったのだ。
 結果こんなことになっていて、最初の妻と別れたのも、スゥランとクラインの母と別れたのも、みんな父の浮気が原因だ。次に浮気をしたら兄弟全員で父をめようと約束しているのは、家族公然の秘密だ。
 おかげで、兄弟仲は悪くない。
 義母が継子イジメをしているわけでもなかったが、それでも二番目の妻の子という微妙な立場にいるスゥランとクラインは早めに家を出ることを希望していた。このまま家にいたとしても、商売を継ぐのは兄姉で、家を継ぐのは弟妹の誰かだろう。
 とんだ貧乏くじだと思っていたが、ラウン公爵家に雇われてフルールに出会ったとたん、それはラッキーに変わった。
 そう思えてしまうくらい、フルール・ドゥ・ラウン公爵令嬢は美少女だったのだ。
 九歳の男の子が恋に落ちるのは一瞬。
 しかし、その初恋は三日で砕け散る。
 クラインが何を言っても、彼女は笑いもしなければ泣きもしない。公爵令嬢の綺麗な紫の目に、彼の姿は映っていても〝見て〟はくれなかったのだ。
 悲しいかな、クラインはそれに気づけるくらいはかしこい子どもだった。
 それでも、なんとしても自分を見てほしかった彼は懸命にフルールの気をこうとした。将来はフルールの護衛騎士になることを期待されていたおかげで一緒に剣を学ぶことを許されたので、そこで頑張ろうと奮起したのだ。
 しかし、結果は無残なもの。彼の力はフルールの足下にも及ばなかった。
 一見はかなげな美少女だった公爵令嬢は、とてつもない攻撃力を持った魔法剣士だったのだ。

(あんな見た目なのに強いなんて、絶対反則だろう!)

 つけいるすきがないというのは、フルールを示す言葉だ。
 何をどうしても勝てなかったクラインは、唯一自分がフルールに勝てそうな可能性――単純な力の強さによる勝負にこだわった。
 負けても負けても、何度でも力で彼女に立ち向かう。
 繰り返す日々の中で徐々にクラインは当初の目的を見失っていった。もはやフルールの気をきたいなんて思いはなく、ただただ相手を打ちのめしたいだけで鍛錬たんれんする。
 ……それが変化したのは、今から一年前のこと。
 いつものように剣の訓練を受け、いつものように負けたクラインに、その日のフルールはいつにない様子で話しかけてきた。

「……もう少し軽い剣を持ったほうがいいわね」
「――は?」
「今使っているのもいい剣だけど、あなたには重すぎる。それを持つのはもう少し大きくなってからにしたほうがいいわ。……後で別の剣をあげるから」

 何を今さら――と思った。
 これまで、クラインがどんな剣を持っていても気にもかけなかったくせに。
 怒りがこみ上げるのと同時に、なぜか心がざわついた。
 見てくれたのだと、ようやく自分に目を向けてくれたのだと、心が勝手におどる。

「うるさい。俺の勝手だろう!」

 素直になれずに怒鳴り返したとたん、姉の拳固がクラインの頭に落とされた。

「お嬢さまに対して、なんてことを言うの⁉」

 ポカリといい音がして、殴られたところがジンジンする。
 すると、フルールがプッと噴き出した。

「仲がいいのね」

 クスクスと笑う。
 ――それは、初めて見たフルールの笑顔。
 枯れたはずの想いが、パッと色鮮やかに新芽を吹き出す。

(いや! こいつは俺を笑っているんだぞ! それなのに嬉しいとか、ないだろう⁉)

 このときのクラインは十三歳。思春期の少年の心は、自分で思っている以上に単純だ。
 とはいえ、ここまでこじらせた心が素直になれるはずもなく。

「もう一度だ! もう一度、俺と戦え!」

 今日もクラインは、フルールに突っかかっていく。
 姉が隣で大きなため息をついた。


   ◇◇◇


 昼前に剣術と魔法の訓練を終えたフルールは、ドレスに着替え登城した。
 ソリン王国の首都は中心に大きな湖があって、王城はその中の島に建っている。
 青い湖面に白い城影が映る景色は美しく、跳ね橋を馬車で渡りながらフルールはうっとりと見惚みとれていた。

「――クラインが、申し訳ありません」

 ジッと外を見ていると、一緒に馬車に乗っているスゥランが謝ってくる。
 実は馬車に乗る前にクラインが自分も一緒に登城したいと言い出して、フルールを困らせたのだ。

「謝ることではないわ。クラインだって護衛騎士としてそろそろ同行してもいい頃合いですもの。ただ、今日は夕食も一緒にとお誘いを受けているから、長い時間お城で待機させるのも可哀相かなと思って断ったのよ」

 フルールの言葉を聞いたスゥランは、困ったような顔で笑う。

「長時間離れることになるからこそ、一緒に来たかったみたいですけどね」
「そうなの? クラインったら仕事熱心なのね」

 そう言われれば、剣術の訓練でいつまでもいどんでくるのも熱意の表れなのかもしれない。
 どうやら彼は、フルールが思うよりずっと真面目な性格のようだ。

(ゲームでは、腕の立つ騎士だけれど遊び人みたいな感じだったのに。幼いときから自分に無関心なフルールの相手をさせられて、グレちゃったのよね。まあ、まだ十四歳だしそこまでひねくれていないのかしら?)

 何はともあれ感心なことだと思う。次は必ず一緒に連れてこようと決意した。

「クラインは偉いわ。レインなんて王宮に近寄ろうともしないもの」

 常にフルールのそばにいようとするクラインに比べ、義弟レインはフルールを避けているふしがある。特に王宮には決して同行しようとせず、どんなに誘っても首を縦に振ったことがなかった。

(いずれ次期ラウン公爵として正式に認められれば、出仕せずにはいられないのに。……そんなに私が嫌いなのかしら)

 ゲームのフルールは、自分が王子の婚約者になったからといってラウン公爵家の家督を従弟いとこに譲ることを納得していなかった。王妃となっても公爵を兼任するのは可能だと主張して、レインを邪険にしていたのだ。

(今の私は、そんなことをしていないのに、やっぱり悪役令嬢と攻略対象者が仲よくするのは難しいのかしら?)

 落ち込みかけたフルールだが、顔をキッと上げる。

(ううん、そんなことないわ! だって、リュークさまと私は、今のところとてもいい関係を築けているもの!)

 だから大丈夫だと、フルールは心を奮わせる。
 そうこうしているうちに馬車は城の入り口に到着した。
 扉が開かれ降りようとしたところに、外からスッと手が差し伸べられる。
 まだ大人になりきらない少年の、しかしフルールより大きな手だ。

「え? ――リュークさま?」
「ようこそフルール。ちょうどそこまで来たのでね。君の到着を待っていたんだよ」

 フルールは、アメジストの目を大きく見開く。
 慌ててリュークの手に掴まり馬車から降りた。

「申し訳ありません。まさかお待ちになっているとは思わず、遅くなりました」

 頭を下げて謝罪する。

「大丈夫。それほど待ってはいないから。それに、ほら、ここから見る景色は美しい。少しも退屈しなかったよ」

 首を横に振るリュークの視線の先には、湖の対岸に並ぶ王都の街並みが見えた。
 白い壁に赤い屋根。統一性を持たせて建築された建物が並ぶ様子は、圧巻の一言だ。
 しかし、王都の景色よりもリュークの優しい声のほうに、フルールはジンと胸を震わせた。

(ああ! リュークさま、なんて素晴らしい方なのかしら! 政略上の婚約者をわざわざお出迎えになって、しかもこちらが気にしないように気遣ってくださるなんて! もうっ! もうっ! やっぱり最高だわ‼ どうしよう? 好きがあふれすぎて……つらい!)

 フルールは内心で狂喜乱舞した。
 しかし、それはあくまで内心。表面上は、静かな表情でリュークの指さす先の景色に目を向けている。
 そのまましばし二人で景色を眺めた。
 風がさわさわと、二人の間を優しく通りすぎる。

「……行こうか」

 やがて声をかけられ、フルールはリュークのほうを向いた。

「はい」

 自然に笑みが浮かぶ。
 外に立っていて寒かったのだろう。リュークの耳が少し赤くなった。
 まだ繋いでいた手を引かれ、フルールは城の内部へと歩き出す。

(どうしよう? この手、洗えないわ!)

 ぽわぽわと浮き立つ心を抑えられずに、フルールは足を運んだ。


 そして、昼食にきょうされたマドゥは、とてもしかった。
 カットされた生のものは、甘さと芳醇ほうじゅんな香りが口いっぱいに広がり、とろりと舌の上でとろけて消える。プリンにしてもケーキにしても最高の味わいで、思わずほころぶ口元を引きしめるのが大変だった。
 もちろん他の料理も素晴らしく、さすが王城の料理人は違うと、フルールは感心することしきり。
 彼女が言葉を尽くして料理を褒め称え感謝を伝えると、控えていた料理長は恐縮し、リュークが楽しそうに笑った。

「フルールが、こんなに饒舌じょうぜつに褒めるなんて珍しいね」
「あら、だってとても美味おいしかったのですもの」

 それにフルールは、リュークのすぐ隣に座っているのだ。通常、貴族の食事は大きなテーブルの両端に座って食べるのだが、今日のリュークはマドゥの説明をしたいからと、わざわざ隣に腰かけてくれた。

(こんなに近くでリュークさまと食事ができるなんて! 舞い上がって饒舌じょうぜつになったとしても仕方ないじゃない! しとランチよ! しかも、午後からずっと一緒で、ディナーまで食べられるの! もうもう、どうしたらいいかわからないくらいだわ⁉)

 フルールは心からそう思う。
 とはいえ、彼女の別名は氷姫。いくら興奮しているとはいえ、あまり騒いでは不審に思われるかもしれない。

(私のイメージも、ここ一年間でかなりソフトな方向に変えられたと思うんだけど、急に態度を崩しすぎたら病気を疑われるかもしれないわよね? 転地療養をすすめられてリュークさまのおそばを離れることにでもなったら……そんなの耐えられないわ!)


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