推しに婚約破棄されたので神への復讐に目覚めようと思います

九重

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1巻

1-1

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   プロローグ


「フルール・ドゥ・ラウン! 君との婚約を破棄する!」

 底知れぬ湖のごとき碧眼へきがんを怒りに波立たせ、見目うるわしき青年が声高こわだかに叫ぶ。
 ひとの隣には、光の加減で赤く見えるストロベリーブロンドをふわりと編み上げた可憐かれんな少女が寄り添っていた。
 また、彼女を守るかのように、別の二人の青年も背後に立っている。
 少女の華奢きゃしゃな体を包むのは薄手のブラウス一枚とスカート。ブラウスの上から明らかにサイズの違う大きな制服の上衣がかけられていて、彼女は小さく体を震わせている。
 庇護欲ひごよくをかきたてられる姿だが、不安そうに揺れる若草色の眼の奥に、かすかに愉悦の光が混じっているように見えるのは、気のせいか。
 そんなストロベリーブロンドの少女は小さく体を震わせると、より一層青年に身を寄せた。
 ここは、ソリン王国随一の規模を誇る、ソリン王立魔法学園の講堂。
 つい先刻、今年度の卒業式が粛々しゅくしゅくと行われ、在校生一同で見送ったばかりだ。
 そんな式典終了後のざわつきの中、騒動は起こった。
 一学年に在籍している公爵令嬢フルール・ドゥ・ラウンが、同じ一年の在校生代表として挨拶あいさつする予定だった少女を壇上に立てなくするために、彼女の制服を破ったと告発されたのだ。
 告発した青年の手には、おそらく少女のものだろうズタズタになった制服の上衣が握られている。

「――なんということを!」
「また、ラウン公爵令嬢の仕業なの」
「これは、いくらなんでもひどすぎる」
「婚約破棄も無理はないな」

 周囲からは、次々と公爵令嬢を非難する声が上がった。

「誤解です、リューさま。私はそんなことをした覚えがありません」

 四面楚歌しめんそかの中、えと輝く銀の長髪をきっちり結い上げた少女――公爵令嬢フルールが、りんとした態度で否定する。青年を真っすぐに見つめるアメジストの瞳は揺るぎもしない。

「言い訳は聞きたくない。すでに証拠はそろっているのだ。……それに、君はもう私の婚約者ではない。今後は、私を愛称で呼ぶのを控えてもらおうか」

 フルールから『リューさま』と呼ばれた青年は、冷たく彼女の言葉を切り捨てた。
 碧眼へきがんが、冷たく元婚約者をにらむ。
 フルールは、静かに下を向いた。
 銀の髪が一房ハラリとうなじに落ちて哀れを誘う。
 たった今、彼女を婚約破棄した青年の名は、リューク・オンス・イエルド・ソリン。名からわかるように、この国ソリンの王太子だ。
 そして、ストロベリーブロンドの少女の名は、プリムローズ・ラモー。元は平民だが、稀少きしょうな治癒魔法を持っていることからラモー伯爵家の養女となった人物だった。
 リュークは天使のように愛らしく健気けなげなプリムローズと、身分の差を超えて交友を深め、それに嫉妬しっとしたフルールがプリムローズをいじめている――という話は、学園の生徒ならば誰一人知らぬ者のないことだ。
 そして、今日。ついにフルールは、リュークから婚約破棄を告げられてしまった。

(ホント、まるで絵に描いたような乙女ゲームの断罪シーンだわ。……あぁ、でも正真正銘ゲームの世界なんだから、これが当たり前なのかしら?)

 うなだれたまま床をジッと見つめるフルールは、心の中でそうつぶやく。
『乙女ゲーム』『断罪シーン』などという非現実的な言葉で軽く聞こえるが、実際は、とてつもない疲労感に襲われていて動けないのだ。

(……やっぱり、婚約破棄は避けられなかった)

 フルールの脳裏に、リュークと婚約してからの思い出が走馬灯のようにめぐる。
 こうなることは、かなり前からわかっていたのだが、それでも彼女の心は泣いていた。


(予想通りだったけど、思った以上につらいわ。……だって、私はリューさまを愛してしまったから)

 彼女の心のなげきは、〝今〟のリュークには届かない。

「ラウン公爵令嬢、同じ学園に通う身だ。姿を見せないようにというのは無理だろうが、今後は、私に近づくことも話しかけることも禁ずる。いいな、そのつもりでいろ!」

 かつて優しく語りかけてくれた声が、冷たく響く。
 そこで、プリムローズが声を上げた。

「そんな、リュークさま! それじゃラウン公爵令嬢があまりに〝可哀相〟で〝みじめ〟です! きっと彼女はリュークさまが私に優しくしてくれるのがうらやましくて嫉妬しっとしちゃっただけなんです! 私は、罪を認めて謝ってもらえればそれだけでいいですから!」

 一見フルールをかばった言葉に聞こえるが、その実『可哀相』だの『みじめ』だの『嫉妬しっとした』だの、相手をおとしめる言葉を羅列られつしている。
 しかも、やってもいないことを『認めて』『謝れ』とか、図々ずうずうしいにもほどがあった。
 しかしそう思うのはフルールだけのようで、リュークは感じ入ったようにプリムローズを抱きしめる。

「プリムローズ、君はなんて優しいんだ! ――それに引き換えラウン公爵令嬢、君の所業は許し難い! それでも、天使のごときプリムローズがこう言うんだ。婚約破棄を撤回するつもりはまったくないが、今すぐ謝罪すれば少しは情状酌量じょうじょうしゃくりょうを考えてやってもかまわない」

 さげすむように見てくる彼に、フルールはきっぱりと首を横に振った。

「行ってもいない罪を認めるわけにはいきません」
「ラウン公爵令嬢!」

 リュークの怒声にも、フルールはひるまない。
 アメジストの瞳とあおの瞳が交差する。先にれたのは揺れるあお
 それを誤魔化ごまかすかのように、リュークの声が一段高くなる。

「ならばもういい! 君には当分の間、自宅謹慎を命じる! 己が行いを恥じ、つつましく過ごすように。……婚約破棄の正式な書類は、追って王宮から公爵家に通知する!」

 言いたいことを言うと、彼はプリムローズを連れ、去っていった。
 帰り際、振り返ったプリムローズの唇が『馬鹿ね』と動いたような気がしたのは、被害妄想ではないだろう。
 二人の姿が完全に消えてから、ようやくのろのろとフルールは動き出す。

(結局、ゲームの『強制力』には勝てなかった。――学園に入り、乙女ゲームの始まりである入学式が過ぎたとたん、私の周囲はすべて変わってしまったから)

 政略上の婚約者とはいえ、良好な関係を築けていると思っていたリュークは、突然冷たくなり、他にも親しかった人々が疎遠になった。
 やってもいない罪を押しつけられ、どう主張しても聞いてはもらえなかった。
 どんな証拠も正論も、理不尽に踏みにじられた。
 こんなことが立て続けに起こる原因は、ゲームの『強制力』としか思えない。
 もちろん、フルールは、ここが乙女ゲームの世界で、自分が悪役令嬢だということはわかっている。だから、悲惨な悪役令嬢の末路を変えたいと、幼い頃から努力してきたのだ。
 学園に入学した後も、多少の紆余曲折うよきょくせつはあったものの、想定外の〝協力者〟の助けも得て、なんとか『強制力』を跳ね返そうと努力して一年。
 しかし、そのすべてが失敗した。

(リューさま……大好きな〝し〟だったのに! 前世では、いっぱいいっぱい課金して! グッズも集めまくって! 何度も何度も繰り返し攻略したのに‼ 婚約破棄されるなんて……どうして、私は〝悪役令嬢〟なんかに転生したの⁉)

 フルールは、心の中で滂沱ぼうだの涙を流す。
 いくらわかっていたことだといえ、悲しいものは悲しいのだ。
 ――しかし、どんなになげいても婚約破棄の現実はくつがえらない。

(帰ろう。帰って、これからのことを相談しなくっちゃ)

 そして、今回の婚約破棄騒動に、フルール以上に傷ついているだろう〝協力者〟たちをなぐさめなくてはならない。
 悪役令嬢フルールは、気力を振りしぼり、前を向いた。



   第一章 ゲーム開始前の、氷の公爵令嬢と完璧な王太子


 フルール・ドゥ・フランには前世の記憶がある。
 地球という青い星の日本という国に住む女性だった記憶だ。
 享年は二十七。独身でそこそこ大きな会社で働いていた。
 名前は吉野綾千よしのあやせ
 背が高くキリッとした顔立ちをしていたため、一見、真面目でとっつきにくそうに思われていたようだが、実際には、職場ではともかく私生活は自由気ままなオタク寄りの人間だ。
 寝食を忘れてゲームをするのも度々で、特にまっていたのが乙女ゲームだった。


 ――乙女ゲーム。
 それは、めくるめく夢の世界。ゲームという仮想世界の中でヒロインとなり、様々なタイプの違うイケメンとの恋愛を楽しめる。

「特に! 今、私のまっている『月のにじ』は、ビジュアルが綺麗なだけじゃなくシナリオもっていて、最高にステキなゲームなの! 中でも、メイン攻略対象者のリュークさまが、私のいちしで、もうもう! 言葉にできないくらいイケメンなのよ! 三つ編みにして背中に流した黄金の髪に、神秘的な湖のようなあおの瞳。神か天使かってくらいの容貌ようぼうで、しかも文武両道! おまけに性格まで優しいときたら、完璧すぎてこわいくらい! 私がこれまでやったゲームの中でも最高のヒーローだと断言できるわ‼」

 思い出す記憶の中で、綾千はテンション高くそんなことを力説していた。彼女の動きに合わせて、ポニーテールの髪がぴょんぴょんと飛び跳ねるので、いかに興奮しているのかがよくわかる。
 そんな彼女につき合わされた女友だちは、あきれたような視線を向けてきた。

「はいはい。もうそのリュークさまの話は、耳にたこかってくらい聞かされているから、おなかいっぱいよ。腹黒で、ヤンデレで、魔王属性なんでしょう?」
「違うわよ! そりゃあ、策略家で、ヒロインへの溺愛できあいがとんでもなく深いけど、魔王とか絶対違うから! どうせならカリスマ性があるって言ってよね!」

 プンプンと怒る綾千に、友人は両掌りょうてのひらを上に向け肩をすくめてみせる。
 お手上げだというポーズだ。

「モノは言いようよね。……まったく、今のあんたの姿を会社の人に見せてやりたいわ。みんな、綾千を真面目で面白味のない仕事人間だと思っているんだから」
「私が真面目なのは、本当のことだもん」

 綾千は心外だと言わんばかりにツンと口をとがらせる。
 友人は相変わらずのあきれ顔。

「会社ではね! でも綾千は、仕事から一歩離れれば、自分の趣味に全力投球する自由人じゃない。ゲームにそこまでまれるなんて、なかなかいないわよ? ギャップがあるにもほどがあるわ」
「ONとOFFの切り替えがうまいって言ってよね! 仕事は仕事、プライベートはプライベートで楽しまなくっちゃ、人生つまんないわ」

 それは、綾千の人生訓だった。この考えのもと、二十七年間を生きてきたのだ。
 その間に、まった趣味は数知れず。料理に手芸、スポーツ諸々。
 そして、最近は乙女ゲーム――それも、その中の一攻略対象者にのめり込んでいた。
 友人が眉間みけんに深いしわを寄せる。

「綾千のは、切り替えっていうより二重人格に近いでしょう?」

 そんな指摘は、どこ吹く風。綾千はあっけらかんと笑った。

「あらいやだ。どっちの私も私だもの、同一人格よ。まぁ、でも私の人格なんて、どうでもいいけれど。……そんなことより、リュークさまの話を聞いてよ! 私、今、三週目の攻略をしている途中なんだけど、もう何度も見ているはずのリュークさまの笑顔が、前よりもっとうるわしく見えるの! これってやっぱり私のリュークさまへの愛が深まったせいよね!」

 喜々として語り始める綾千に、友人は諦めきった視線を向ける。
 こうなった彼女が、何を言っても止まらないのを知っているからだ。

「……わかった。わかったわよ。リュークさまでもなんでも、とことん話を聞いてあげるわ。その代わり、明日のランチはあなた持ちだからね!」
「OK! ランチをおごるくらいでリュークさまを語り尽くせるなら全然惜しくないわ! あ、でもワンコインにしてね?」
「せこすぎでしょう!」

 ペロッと舌を出した綾千を、友人が怒鳴りつける。
 にらみ合った二人は、やがて同時に噴き出し大声で笑い合った。
 そんな前世の休日の一コマが鮮やかによみがえり――やがてセピア色に変化する。


(ああ、ランチおごれなかったな)

 フルールが、前世の記憶を思い出したのは、十三歳の春だった。
 このとき彼女は、唐突に思い出した記憶に翻弄ほんろうされ、クラリと目を回して咄嗟とっさに隣に立つ人の腕にすがる。

「――どうかしたか?」

 急に倒れかかった彼女を心配して、隣にいた人物が、耳に心地よい少し高めのバリトンボイスでたずねてきた。
 とはいえ、その声には特別な感情はこもっておらず、義務的なもの。
 本気で心配しているのかどうかは、わからない。

「……バランスを崩してしまいました。申し訳ありません」

 同じく感情のこもらぬ声で返事をしながら、フルールの中の綾千は内心めちゃくちゃ動揺した。
 突如よみがえった前世の二十七年の記憶が頭の中を駆け回り、それまでのフルールとしての記憶が、一瞬にして飛んでしまったから。
 自分が誰で、どうしてここにいるのか、さっぱりわからない状態にあせる。
 それに――

(待って! 待って! 待って‼ 今の声って……まさか、リュークさま⁉)

 彼女は、そっと視線だけ上向けて、隣を確認した。

(――っ⁉)

 瞬間、息が止まりそうになる。
 輝く黄金の髪に、この世のものとも思えぬ美貌びぼう
 そこにあったのは、間違いなく綾千のいちし、乙女ゲーム『月のにじ』の攻略対象者リューク・オンス・イエルド・ソリン王太子の顔だった。

(いったいこれは、どういう状況なの?)

 今この瞬間までの記憶をなくしてしまった綾千は、ガン見してしまいそうな視線を無理やり引きがし、周囲をうかがう。
 見ればここは十畳ほどの部屋の中で、目の前には重厚な両開きの扉がある。
 自分たち以外に人気ひとけはなく、扉の前に立っているということは、この扉が開くのを待っている状況なのではないかと思われた。
 なおも見回した先には、白い壁をバックに高級そうなアンティーク家具、そしてこれまた値打ちもの間違いなしの大きな姿見がある。
 キラリ光る鏡面に、視線が釘付けになった。
 それに、たった今確認したばかりの王太子リュークと、彼と腕を組み背筋を伸ばして立つ一人の女性の姿が映っている。

(悪役令嬢フルールだわ!)

 綾千は、愕然がくぜんとした。
 フルール・ドゥ・ラウン公爵令嬢は、乙女ゲーム『月のにじ』で、王太子リュークのルートを選んだ際に、ヒロインの前に立ちはだかる悪役令嬢だ。
 白銀に輝く長髪に、太陽が地上に昇る前の黎明れいめいに似たアメジストの目。整いすぎて冷たく見える美貌びぼうゆえに氷姫と渾名あだなされている。
 実際、フルールは冷たい女性だった。感情にとぼしく、その行動は、知識に裏付けされた明確な理論に基づくもののみ。
 悪役令嬢であるからにはヒロインをいじめるのだが、その理由も嫉妬しっとや権勢欲ではなく、あくまでヒロインの能力不足だ。

『リューク・オンス・イエルド殿下のご寵愛ちょうあいを受けるのならば、それに相応ふさわしい知識と教養を身につけなさい。今のままの貴女あなたでは、側室に上がることさえ分不相応だわ』

 絶対零度の視線でヒロインを見つめるフルールの迫力は、怖ろしいの一言だった。
 その怖ろしいはずのアメジストの目が、なぜかおどおどと鏡の中から綾千を見返している。

(まさか?)

 綾千は、ほんの少し自分の自由になるほうの手を上げてみる。
 鏡の中のフルールも、同じ動作で手を上げた。

(嘘っ?)

 フルールのもう片方の手は、彼女の隣に立つリュークの腕に絡まっている。
 綾千は、自分の自由にならないほうの手が掴んでいる〝誰か〟をそっと見上げた。
 先ほどと同じ、この世のものとも思えぬ美貌びぼうを持つリュークの横顔が目に入る。

(……ってことは、やっぱり私はリュークさまと腕を組んでいるのよね?)

 鏡の中で、リュークと腕を組んでいるのは、悪役令嬢フルールだ。

(――つまり?)

 ここから導き出される答えは、たったひとつ。

(そんな! そんなことって、ありえるの⁉)

 辿たどり着いた答えに、綾千はフリーズした。
 そこでようやく彼女は、自分が他ならぬ悪役令嬢フルールになっていたのだと気がついたのだ。
 そんなバカな! と、思うと同時に、ひとつの考えが頭に浮かぶ。

(まさか? 私、ラノベでよくある乙女ゲーム世界への異世界転生ってやつをしたの? それも、悪役令嬢モノ⁉)

 信じられない出来事の衝撃で、また体がぐらつく。

「――っ? 本当に、どうしたのだ?」

 今度は、先ほどより幾分気遣わしそうな声が聞こえてきた。
 こんなときなのに、綾千の心はドキン! と大きく跳ねる。

(ああっ! リュークさまが私を心配してくださるなんて! ……とうとい!)

 とんでもない事態なのは変わらないのに、しに心配してもらえたというその一事だけで、瞬時に彼女は立ち直った。
 内心もだえながらも、鉄壁の無表情を崩さないようにして首を横に振る。

「重ね重ね申し訳ありません。少し緊張してしまったようです。でも、もう問題ありませんから」
「問題ないはずがないだろう? いつもわずかなすきさえ見せない君が二度も体勢を崩したのだぞ」

 さすが完全無欠の氷姫。

すきがまったくないなんて、いったいどんなご令嬢なの? そして、リュークさま、優しい! 婚約者とは名ばかりで、互いに役目を果たす以外は興味も関心も持っていないという設定のはずのフルールを、ちゃんと見ていてくださっているなんて! ああ、やっぱり最高のヒーローなんだわ!)

 綾千は、心の底から感動した。

「大丈夫です。……それより夜会が始まりますわ。参りましょう」

 内心のハイテンションをおくびにも出さずに、綾千――いや、フルールは前を向く。
 いったいどうして、こんなことになっているのか? とか。
 なんで、自分は平然としてフルールを演じようとしているのか? とか。
 いや、リュークさまの隣に立てるのなら、フルールになりきる一択でしょう! とか。
 どこまでリュークさまが好きなんだ! とか。
 いろいろツッコミたいこと満載だが、それら全てを棚に上げ前を向いた。
 たとえば、この人生が乙女ゲーム『月のにじ』への転生悪役令嬢モノだとしても。
 自分が大好きなしのリュークさまに、いずれは婚約破棄されるのだとしても。
 今この瞬間この場に立つフルールが、体調不良で欠席なんてありえない!
 ――そう思う。

(そんな、リュークさまのご迷惑になるような真似、ファンの面子メンツにかけてもできないわ!)

 しのためならなんでもできる!
 それは、『し』という存在を持つすべての人に共通する気持ちではないだろうか?
 少なくともフルールにとっては、できて当然のことだ。

(それにしても、フルールがリュークさまにエスコートされているなんて。……つまり、まだ婚約破棄前なのよね? ……っていうか、よく見たらリュークさまもフルールも、めちゃくちゃ若いじゃない? ……ひょっとしてまだ学園入学前なの? ……ってことは……え? 今から出るのって、リュークさまとフルールの婚約発表の夜会なんじゃない?)

 たしかゲームの回想シーンに、そんな場面があったと思う。
 思い至った事態に、フルールは自分が異世界転生したのかも? と思ったときより愕然がくぜんとした。
 それでもなんとか態度に出さないようにしていると、上から小さなため息が降ってくる。

「……わかった。君は言い出したら聞かないからな。だが、無理は絶対しないでほしい。ダメだと思ったら、すぐに私に言うこと。……それにしても、君でも緊張なんてするんだな」

 フルールの言うことを聞き入れてくれたリュークが、最後にはフッと吐息といきをこぼす。
 見上げた先にあったのは、超レアなリュークの笑顔で。

(うっわぁ~! うっわぁ~! うっわぁ~‼)

 ほんの一瞬のその姿を、フルールは心のメモリにしっかりと書きこんだ。

(やっぱり、リュークさまって優しいわ! こんなにステキなリュークさまに恥をかかせるわけにはいかないもの。この後の夜会、なんとしても成功させなくちゃ!)

 幸いにして、この世界のマナーには自信がある。
 ゲームをクリアするために、平民出身のヒロインがマナーを覚えるイベントが多数あるからだ。立ち居振る舞いだって、バッチリ覚えていた。

(ゲームをやりこんでいてよかったわ)

 ――それに、幸いなことに先ほどから時間が経つにつれ、飛んでいたフルール本人の記憶がよみがえってきている。

(ううん。違うわね。本当によみがえったのは、フルールの中に眠っていた綾千の記憶のほうだと思うわ。その記憶があんまり刺激的だったから、フルールとして今まで生きてきた記憶が一時的に飛んでしまっただけよ。……うん。落ち着きさえすれば、ちゃんと思い出せるわ。私がフルール・ドゥ・ラウン公爵令嬢なんだってことを)

 まあ、ちょっと……いや、だいぶ性格が変わったような気がするが、そこは大きな問題ではないだろう。

(何より変わったのは、リュークさまへの感情だもの! こんなにステキなしのリュークさまを、今までの私は政略上の婚約者としか見ていなかったなんて。……なんて、もったいないことをしていたのかしら! 我が事ながら信じられないわ)

 これからは今まで以上に〝でよう〟と心に誓う。
 ちょうどそのタイミングで、目の前の扉が開いた。
 ドキッとするフルールの目に、まばゆいばかりの光にあふれた大広間の光景がとびこんでくる。明るい音楽と大勢の人々の話し声も聞こえた。

「リューク・オンス・イエルド・ソリン王太子殿下、並びにフルール・ドゥ・ラウン公爵令嬢、ご入場です!」

 きらびやかな光が扉の向こうの世界をいろどり、おごそかに名前を呼ばれる。
 そのとたん、ざわざわとした喧噪けんそうがピタリと止まった。

「行こうか」

 フルールのほうを見ながら、リュークがささやいてくる。

「――はい」

 その声に、しっかりとうなずいた。


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