王さまに憑かれてしまいました

九重

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第二巻 児童書風ダイジェスト版

10 スパイとお皿 

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そして、また別の日、コーネリアは王都の街中を一生懸命走っていました。
(こらっ!コーネリア、もう少し、おしとやかに走らんかっ!)
スカートが、捲り上がって、足がたくさん見えてしまうのではないかと心配して、ルードビッヒが注意します。
(そんなこと、言っている場合ですか!)
なんと、マルセロが捕まったという報せがコーネリアの元に届いたのです。
取るものもとりあえず、息せき切ってマルセロが捕まっているという衛兵の詰め所に、コーネリアは駆けつけます。
「無事ですか!? マルセロさん!」
「マールだよ」
それなのに、鉄格子の向こうで、マルセロはニコニコと手を振っていました。
彼に会うのは、故郷ホルテンの街で別れて以来のことです。
「のんきに呼び方を直している場合ですか!」
「私にとっては、いつだって最優先のことだからね」
怒鳴る彼女に、たれ目の青い瞳が、嬉しそうに向けられます。
コーネリアは……ガックリと肩を落としました。
それでもなんとか気を取り直し、マルセロにたずねます。
「どうしてこんなことに、なったんですか?」
「それが私もよくわからないんだよ。ただ単に知人に頼まれたおみやげ用の皿を買おうとしただけなんだけれど――――」
心底わからないといった風に、マルセロは首を傾げます。
「え? それって、どういうことですか?」
皿を買おうとしただけで捕まるなんて、あるはずがありません。
なんでも、王都に来たマルセロは、目についた食器店で有名なローディア王立磁器製陶所製の王笏のマークが付いたコバルトブルーの皿を買おうとしたのだそうです。
「大きさは十五センチくらい。ちょっと深めな皿が欲しいって店主に言った途端、ちょっとこちらへって店の奥に通されてね。しばらくしたら、衛兵が現れて、あれよあれよという間に、ここにぶちこまれてしまったというわけさ。私はいったいどんな悪いことをしてしまったんだろうね?」
マルセロに不思議そうに尋ねられ、コーネリアも困ってしまいます。
彼の行いに不審な点は、ひとつもありません。そんなことで捕まえられては、おちおち皿を買うこともできないでしょう。
マルセロを捕まえた衛兵に聞けば、彼らはマルセロの行ったお店で、彼の言ったようなお皿を求める者が現れたら、身元を確認しろと命令されているのだそうでした。
わけがわからないコーネリアたち。
その時、黙って考え込んでいたルードビッヒが、ようやく口を開きました。
(マルセロの言う皿の特徴に、ピッタリ合うモノに心当たりがある――――それは、王宮でわしが直々に、ユリアヌスにエサを与える用に使っていた皿だ)
故国王陛下は、そう言いました。
(……ユーリのエサ用のお皿ですか?)
コーネリアは、呆気にとられます。
ローディア王立磁器製陶所製のお皿というのは、とても高級なお皿なのです。少なくとも、コーネリアの家にはそんな立派なお皿は一枚もありません。
その皿を、犬のエサ用に使っていたというのですから、驚きです。
しかし、問題はそこではありませんでした。
(それが、今回マルセロさんが捕まったことと、どう関係するのですか?)
コーネリアの質問に、ルードビッヒは、考えながら答えます。
(フム。……先日の山の件もあるのだが、わしは、わしの死のドサクサに乗じて王家の私有財産がかなり流出したのではないかと疑っておる。……流出したのは、一見しただけでは無価値に思えるような品々だろう。王家の山しかり、ユリアヌスの皿しかり。一つ一つは有っても無くてもよいと思えるつまらない品ばかりを、誰かが意図的に流したのではないかと思っておる。しかし、その中には山のように無価値に見えて、実は計り知れない価値を持つモノもあるのだ。そんなものが流出しては大問題だ)
ルードビッヒの表情は、だんだん厳しくしかめられていきます。
(もしも、このことが公になった場合……管理不行き届きという名の罪の糾弾が、わしの王位を継ぐもの――――つまりは、王太子アレクサンデルに向かうだろう)
重々しくそう言いました。
思わずコーネリアは息を呑みます。
(アレクが!)
(そうだ)
(なんで? どうしてアレクが、王家の財産を売り払ったって疑われてしまうのですか?……そんなわけないでしょう! ……だって、アレクは、わざわざホルテンまで山を探しに来たんですよ。もし自分が売ったんだとしたら、そんな苦労して探さなくったって買い戻すことは簡単にできるはずです。……そりゃ、いったん手放した後で買い手の行方がわからなくなって、慌てて探したってことも考えられますけれど……でも、アレクは、そもそも、どんなに価値のないモノでも、“お父さん”の遺したモノを売ったりするような人じゃないって思います!)
コーネリアは、まるで自分が疑われたかのように怒って、アレクを庇いました。
そんな彼女の様子が嬉しいのでしょう、ルードビッヒはフッと頬をゆるめます。
(わしは疑ってはおらぬ。しかし、問題は、流出させたのがアレクサンデルかどうかではないのだ。犯人が誰であろうとも、そんなことは糾弾する側にとっては、どうでもいいことだ。……彼らが問題とするのは、王家の私有財産の流出という事件が起こってしまったこと。そしてそれを、次期国王であるアレクサンデルが“止められなかった”ということだけだ)
それはそのまま、アレクの次期国王としての資質を問う問題となるのだそうです。
(そんな!)
コーネリアは叫びました。
自ら犯したわけでもない罪のために、アレクが辛い立場になるのかと思えば、彼女の胸は、はりさけそうです。
コーネリアの目には、涙が浮かんできました。
ルードビッヒは慌てて「大丈夫だ」と言葉を続けます。
(心配いらぬ。おそらくアレクサンデルは、流出した品々を全て回収したはずだ)
(本当ですか!)
(ああ。シモンも出ていたようだし、大丈夫だろう。……それに、だからこそ、マルセロが捕まったのだと思う)
(え? ……品物が戻ったのに、なんでマルセロさんが捕まるんですか?)
普通、無くなった物が戻れば、それでめでたしめでたしで、事件は終わるのではないのでしょうか?
コーネリアの疑問に、ルードビッヒは厳しい表情になりました。
(今回の流出事件が、故意に誰かが仕組んだものであった場合、その犯人を捕まえねば、真の解決とはならぬ。アレクサンデルは皿を買い求めに来る者の中に、犯人に繋がる手がかりがあると思っているのだろう。そのため身元を確認させているのだ)
それは確かにありそうな話でした。
(マルセロさんは、偶然その捜索網に引っかかってしまったんですね)
コーネリアはそう思います。
しかし、ルードビッヒは首を横に振りました。
(いや、偶然ではないだろう。おそらくマルセロは、自国の命令で皿を買いに来たのだろう)
マルセロは他国のスパイかもしれない人物です。
……ルードビッヒの言葉は、重くコーネリアの胸に響きました。



それからしばらくして、
「今日はありがとう。コーネリアさんのおかげで助かったよ」
マルセロは、丁寧にコーネリアにお礼を言います。
コーネリアが身元を保証したことで、無事に牢獄から釈放されたマルセロ。
お礼に彼は、コーネリアをホルテン侯爵邸まで送っていくことになったのです。
コーネリアと二人で歩く、賑やかな王都の道。
ものすごく嬉しいはずなのに、しかし、マルセロの心は暗く沈んでいます。
(私は……自分の国に使い捨てられた)
いくらお気楽な性格のマルセロでも、わかります――それが現実でした。
今回のマルセロの任務は、いたって単純、簡単明瞭な仕事のはずでした。
『王都へ行って指定された店で一枚の皿を買ってくること。』
“遠話”という魔法で、詳細な皿の情報と共に下された命令を、マルセロは大喜びで受けました。
だって、王都に行けば、コーネリアに会えるのですから。
(あの時に、もっと慎重に確かめるべきだったんだよな)
皿を買うだけという誰でもできる簡単な命令が、何故わざわざ王都から遠いホルテンに居たマルセロに下されたのか? 彼はもっと深く考えるべきだったのです。
たぶん、この任務は、かなりの確率で危険があるとわかっていた任務なのでした。それをあえて、相手の反応や態勢を知るために、決行されたのだとマルセロは思います。
王都に潜入している他のスパイは、マルセロなどとは違い、優秀で危険な任務もこなす超一流の者たちばかり。彼らは決してこんな仕事は受けないでしょうし、おそらく命令する人も彼らにはさせないでしょう。
そして選ばれたのが、簡単な仕事ばかりしていて、味方の重要な情報も何一つ持っていない――――つまりは居ても居なくてもどうでもいい――――敵に捕まったって痛くもかゆくもないようなスパイの、マルセロだったのです。
(しかも、奴らの予想通り、疑いもせずに仕事を引き受けて、あげく捕まっているし……どれだけ、バカなんだ、私は)
本当に悔やんでも悔やみきれません。
もしもコーネリアが身元を保証してくれなかったならば、きっと彼は釈放されることもなかったでしょう。
マルセロの上司は、それでもかまわないと思っていたということです。
(いや、それどころか……)
マルセロは、心の内で暗い笑みを浮かべました。
彼とコーネリアの背後、隠れて後をつけてくる気配が、2つあります。
(役立たずの用済みは、消してしまえということか)
コーネリアを送り届け、マルセロが一人になり、人目がなくなった途端……きっと彼は殺されてしまうのでしょう。
(長く間諜を続けてきたけれど……よりによって味方から命を狙われるなんて)
残酷な現実に、マルセロが逆らう術はありません。
(でも、コーネリアさんだけは、巻き込まれないようにしないと)
マルセロはそう思います。
彼に関わったばかりにコーネリアが狙われたら、たいへんです。
(どうしよう? 今日別れ際に大ゲンカでもして、もう二度と顔も見たくないと思われるくらい嫌われてしまおうかな)
マルセロとの接点がなくなれば、コーネリアは狙われなくなるはずでした。
(どうせ私は、この後、殺されるのだ)
そうだ、そうしようと思いながら、前を見たマルセロの目に、ホルテン侯爵邸の堂々たる前門が映りました。
(さて、どうやってケンカしようか?)
マルセロが考え込んだ時です。
彼の隣で、突如コーネリアは、何の前触れもなく、指笛を吹きました。
柔らかそうな頬が膨らんで、赤い唇からピィ~ッと、高い音が鳴り響きます。
「え?」
閉まっていたホルテン侯爵邸の高い門扉を跳び越え、黒い疾風がマルセロの脇を通り過ぎていきました。
「ユーリ! 相手は二人よ」
コーネリアが叫びます。
「え、え?」
マルセロが呆然としている間に、彼の後をつけていた間諜二人が――――あっという間にユリアヌスに倒されたのでした。

その後、
「……最初から、私がスパイだと思っていたって?」
マルセロは、呆然として叫びます。
「黙っていて、ごめんなさい!」
コーネリアは勢いよく謝りました。
――――ここは、ホルテン侯爵邸の奥まった一室。
品の良い落ち着いた部屋に、コーネリアとホルテン侯爵、そして執事のジムゾンがいます。
マルセロは先刻から驚きっぱなしでした。
なんと、マルセロの正体をたコーネリアは見抜いていて、自分たちの後をつけてくる不審人物にも気づき、侯爵邸に着くなり優秀な飼い犬であるユーリに捕まえてもらったのだと言うのです。
――――もちろん、本当に不審人物に気づいたのはルードビッヒですし、ユリアヌスへの指笛での指示も故国王陛下の助言ですが、それはこの際関係ありません。
「もう、大丈夫ですよ。ここなら安心です。マルセロさんが狙われる心配はありません」
そう言いながらマルセロに笑いかけてくるコーネリア。
……マルセロは、ますます困惑しました。
「コーネリアさんは、ひょっとして私を助けようとしてくれているのかい?」
「助けるとか、そんな大層なことじゃありませんけれど、マルセロさんがこのまま危険な目に遭うのは、嫌だって、そう思いました」
不信感丸出しのマルセロの問いかけに、コーネリアは真剣な表情でそう答えます。
――――事実、マルセロは今、助かっているわけではありませんでした。
とりあえずの命の危険はありませんが、他国の間諜である彼が、財務長官で侯爵のホルテンの元にいることは、別の意味で命の危険があるのと同じことです。
(このまま衛兵に引き渡され、拷問されて、洗いざらい喋らされてから、監獄行き。……その後は、強制労働かな?)
良くてそんなところだろうとマルセロは思いました。
それでも、彼がコーネリアに命を救われたのは間違いない事実です。
「そうか。ありがとうコーネリアさん」
暗い未来予想図に絶望しながらも、マルセロはコーネリアにお礼を言います。
頭を項垂れ落ち込むマルセロ。
その様子に、コーネリアは慌てて彼の顔を覗き込んできました。
「あのっ! 大丈夫ですよ、マルセロさん。私たち別にマルセロさんを捕まえようとか、そんなことを思っていませんから」
「……え?」
驚きポカンとして、マルセロは顔を上げます。
コーネリアはニコッと笑いかけてくれました。
「だって、マルセロさんは何も悪いことをしていませんもの。王都に来てお皿を買おうとしただけですよね。……それって別に罪でも何でもないでしょう?」
コーネリアはそう言います。
彼女の問い掛けに、何だそれは? とマルセロは思いました。
そんな理屈が通らないことは、よくわかっています。
「私は、スパイ――――」
「――――の疑いがあるだけです! 私がそう思っていただけだって話で、実際にはマルセロさんは何も悪いことをしていないんですから! 罪になんてなるはずありません!」
話し出したマルセロの言葉に被せるようにして、コーネリアは叫びました。
必死な少女の、握りしめた手が小刻みに震えています。
呆然とするマルセロ。
二人の様子を見ていたホルテン侯爵が、優しい瞳をコーネリアに向けながら、彼女の隣に移動しました。
「いろいろと思うところがないわけではないが――――財務長官職は多忙なのだ。自国に使い捨てられるような役立たずのスパイを衛兵に突き出し、大して成果もないだろう調書の作成に立ち会えるような暇はないな」
「あ……」
それは、マルセロをこのまま見逃してくれるということです。
信じられない状況に、マルセロは口を開けて……閉めました。
ホルテンの大きな手が、コーネリアの細い肩にのせられます。
「コーネリアは、我が家の大切な一員だ。彼女の“友人”が、王都で宿泊する場所がないと言うのであれば、邸に滞在させるのに否やはない」
「当家のセキュリティは、万全ですよ。どんな者も当家には入り込めません」
マルセロなど近づけるはずもないほどに身分の高い侯爵とその執事は、そう言うと、これでいいか? というふうに、コーネリアを見ました。
「ありがとうございます!」
本当に嬉しそうにコーネリアはお礼を言います。
「良かったですね、マルセロさん!」
心からの真っ直ぐなその言葉。
……マルセロは、ギュッと唇を噛んでうつむきました。
自国に捨てられた自分を、スパイと知りながら匿ってくれるコーネリアとホルテン侯爵達。
何の利益にもならないのに、……彼らは嬉しそうでした。
優しい雰囲気が、涙が出そうなほど温かく、身に沁みます。
――――やがて、マルセロは顔を上げました。
「マールだよ」
そう言いました。
いつも通りのマルセロの言葉に、コーネリアは、クスッと笑います。
「――――はい。マール」
その笑顔に、たまらなく幸せになりながら、マルセロは、少し顔をしかめたホルテン侯爵に向き合いました。
「お世話になります。……その代わり、役に立つかどうかわかりませんが、私の知る限りのことはお伝えしようと思います」
北の国の“元”スパイは、そう言って頭を下げたのでした。  
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