Roket Hanabi

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遠くへ

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紅色の煙が遠くの空に漂う。それを見て男の心臓がどくんと音を立てる。この男は技術者である。それもただの技術者ではない。今のロケット工学の基盤を築いたと言われている歴史的な偉人である。しかし今は第一線から退き、平日の昼から何をするでもなくぼーっと空を眺める身分となった。「技術者として後継の指導をしてほしい」「成功者として講演会に出てほしい」様々な場所から連絡は今でもひっきりなしに届く。ただ男がそれらに応じることは決してなかった。今日もまた手元に置いていたスマホが音を立てた。いつもであれば無視するが、男はその澱んだ見た目からは想像できないような速さでスマホを耳に重ねた。
「あれ!先生が出てくれるなんて珍しいですね!折り行ってお話があるんですが、来月のロケット展覧会で」
男は自分が求めていないものだと知り、舌打ちして強引に電話を切った。そして男は祈るように、また逃げるようにもう一度窓辺の椅子から遠くの空を眺めた。
別に男は仕事をするのが嫌になったわけではない、ただロケットという存在に一切関わりたくないのだ。自分が生み出してしまった悪魔のロケット「紅」に。

数十年前、地球の総人口は200億を超えていた。それは人類の手により加速的に進化し続けた化学技術の賜物だった。ただ地球には限界があった。この星にはそれだけの数の人々を支える食糧、土地は存在しないのだ。そして人類は気づいた。このままではそう遠くない未来にこの星は滅亡すると。そこで人類は宇宙に目をつけた。無限に思える宇宙にならこの状況を解決してくれる何かがあると思えた。早速、天才的な学者達を中心として宇宙の研究が進められた。ただ一つの誤算があった。宇宙は余りにも広すぎたのだ。人が住める可能性があるような星は数億光年先にしか見当たらず、もしそこが仮に住めたとしてもそこに人の寿命内にロケットで向かうことは不可能だった。もとろんそれを解決するために日夜、男を筆頭にロケットの研究を重ねた。ただ地球の技術や資源をどれだけ組み合わせてもこの問題を解決することは不可能だった。
「何をしている」「税金泥棒」「死ね」政府や国民は多額の資金を提供しているのにも関わらず、何の成果も残せない男らに対して様々な方法で苛立ちをぶつけた。今思えば彼らも限界であったのかもしれない。日に日にはっきりと目の前に浮かんでくる「滅亡」に怯えていたのであろう。ただある時それは一つの線を越えた。研究施設への襲撃。人々の苛立ち、不安は暴動となり多くの血が流れた。多くの人が死んだ。男はなんとか逃れたが、彼の同胞の大部分は亡き人になった。しかしそんな中、一つの希望が空に放たれた。それは一見なんの変哲もない宇宙船であったが空に浮かぶと紅色の煙を撒き散らし忽然と姿を消した。それから1時間後、その宇宙船は姿を現した。見たことのない煌めきを見せる鉱物と放心した男とともに。

この不可思議な現象は「ワープ」であった。ワープ技術により地球から遥か遠い星への一瞬の移動を可能にした。後日男は会見でロケットエンジンの燃料としてあるものを使うとそれが可能であることを証明した。そしてその燃料を用いたロケットに「紅」と名前をつけた。その瞬間、男は税金泥棒から地球の危機を救ったヒーローとなった。ただ男の目は深く澱んでいた。そしてその燃料を聞いた人の反応を言葉で表すなら、真っ直ぐな喜びではなく、仕方ないという何かを受け入れた喜びであった。
偶然であった。あの日の暴動の最中、彼の研究室にも血の気の多い狂乱した連中が入ってきた。彼の助手は殺された。やらなければやられる。彼がこの後したことは仕方のないことだった。そしてちょうどロケットの燃料として適切な材料を探していた。彼がそれをそれとして使ったことは人道的に許されることではないが、国民のために頑張ってきた彼を裏切った国民に何も怒りを感じないほど彼はいい人ではなかった。

今この時代を生きている全ての人は諦めている。多くを救うための小さな犠牲は必要不可欠であると考えている。日本では週2回、選ばれた10人の幸福な人は地球と非常によく似た遥か遠い星に移動して、選ばれた1人の不運な人ははここから最も遠い場所に移動している。
これは「紅」が出来て、男がロケットとの関わりを絶った後の様々な研究により判明したことだが、燃料としては老いているより若い方がいいらしい。狂乱したやつより正常なやつの方がいいらしい。血気盛んな男より女がいいらしい。事実、燃料を若い女にしてからはワープ効率が上がり、一度に10人もの人のワープを可能にした。だから17から25の女性を対象として週に一回不幸な一人は選ばれる。選ばれた人は嘆いてはならない。それがお星のためであるから。選ばれた瞬間、笑顔でロケット発射場まで歩いていかなければならない。ネットの噂でしかないが、燃料としてはただの死体ではなく、死後まもない状態のものが最もいいらしい。他の人なら鼻で笑えるようなデマのように思えるが男は初めての発射を思い出し、否定しきれなかった。
またスマホが音を立てた。彼はすぐにスマホを耳にとる。私と助手が残した宝物の声であった。
「もしもし、お父さん。私大丈夫だったよ」
男は力を無くしその場で崩れ落ちて泣いた。「よかった、よかった」と何度も声を上げた。ひとしきり泣いた後、ニュース速報がスマホに流れた。1ヶ月後から週に2回ではなく週3回のワープを行うらしい。今もなお地球の人口は加速的に増えている。適切な人口維持のためそれは仕方のないことだ。ただ…

1時間後、来月成人を迎える目元にどこか助手の面影を感じさせる女が男の家に入ってきて男と抱き合う。幾度繰り返されてきた光景であった。そしてあと何回繰り返すことができるのか、それは誰にも分からない。男は目元を拭い視線を外にする。また紅色の煙が遠くの空に漂った。
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