竜蛇のつがいと運命論

Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし

【閑話】ヴィハーンの問いと答え

　ヴィハーンはなぜカイルがそこまでして自分と友人になりたいのかまるで理解できない。
　カイルはオメガではあるが、本人が言う通りアルファのフェロモンや自身の発情期などに苦労している様子はなく、一人でまっとうに自立した生活を送っている。

　誰にも頼らず一人で生きていける、ということはヴィハーンにとって一番大事なことだ。そうすれば忌々しい竜蛇の眷属の義務だの、高圧的な女王の支配や鬱陶しい一族からの干渉も跳ねのけて自由でいられるし、自分の意思で生き方を決められるのだ。
　カイルだって母国のしがらみから遠く離れて好きに生きられる絶好の機会なのに、なぜか何の得にもならないヴィハーンとの友情とやらにこだわって異種族の薬まで飲んでなんでもないとばかりに笑っているのだ。

　ヴィハーンにとってカイルは《謎》だ。
　自分とはあまりにも違いすぎて理解できない謎。だからこそ会うたび、話すたびに驚かされるし、次は何を言い出すのかと気になってしまう。

（それに、この男の傍は心地がいい）

　ヴィハーンよりもあたたかな体温。丁寧に淹れたお茶の最初の一滴を思わせる香り。穏やかで時に軽やかな声音で語られる突拍子もない話。そしていつでも真摯でまっすぐな思い溢れる眼差し。

　このような男に「友になりたい」と言われることは、恐らくとても名誉なことのはず。なのに素直に喜べないのはなぜなのだろうか。
　ヴィハーンは筒袖の下から覗く自分の手首をじっと見つめる。そして右の上腕から腕輪を二つ取ってカイルを見た。

「腕を出せ」
『え、なんだい？』

　カイルは不思議そうに首をかしげながらもまったく躊躇せずに右手を出す。それに舌打ちしたくなるのを堪えてヴィハーンは手にした腕輪を一つ彼の腕に通した。

「息が詰まるような感じはするか？」
『いや別に……え、これくれるのかい？』

　カイルがヴィハーンがつけた金属の腕をまじまじと見る。そして何か言おうとしたのを遮って畳みかけた。

「本当に？　吐き気や違和感はないか」
『いや、ないけど……これそんなに恐ろしい物なのかい？　呪いの腕輪とか？』
「似たようなものだ」
『は？』

　ヴィハーンはカイルの顎を掴んでぐい、と持ち上げる。右に左に動かして顔色を慎重に観察すると、もう一つの腕輪を重ねて通した。

『ちょ……相変わらず容赦ないな』
「黙ってこっちを見ろ」

　そしてカイルの様子に変化がないのを見てようやく肩の力を抜いた。

「これは竜蛇の気……つまり”ふぇろもん”を抑えるための腕輪だ。お前たちコーシャ……オメガにも効くと聞いている。出所は聞くな」
『言えないような所以の物なわけだな。しかしいいのかい？　そんな貴重なものを僕にくれてしまって』
「まだたくさんある」

　ヴィハーンが袖をめくって他の腕に並んだ腕輪や指輪を見せるとカイルが目を丸くした。そしてハッとした顔でヴィハーンを見る。

『……これ、いつから付けているんだい？』
「物心ついてすぐだ。無駄に強い気を発してオメガを発情させるような面倒を引き起こしたくなかったからな」
『それだけじゃないね』

　カイルの目がキラリと光った。

『フェロモンを抑え込んで弱く見せて、わざと女王が君を見くびるように仕向けていた？』

　ヴィハーンは心の中で彼の察しの良さに舌を巻く。

（そうだ、こいつはやたらと人の心を読むのに長けていたんだった）
『でも女王はこの腕輪のことを知らないのかい？』

　カイルが不思議そうに尋ねた。

「これは女王にとっていわば天敵にあたる者に伝わる魔具だ。竜の血を濃く引く者には目くらましとなる力もある」
『へぇ、すごいね』

　でもなんでそんな物を持っているんだい？　とカイルの目が尋ねている。だがそれを口にしないあたりが彼の育ちの良さと気の良さを表しているようだった。

「俺は竜神より格下の蛇神の血を引いている。生まれてすぐにはスーリヤの徴も現れず、できそこないとして捨てられた。そんな俺を拾って育ててくれたのが崖に巣食う神鳥の一族のコーシャ……オメガだった」

　カイルの空のように青い目が落ちそうなほど大きく見開かれる。

「やがて蛇のアルファヴァルナの力が目覚めた俺に彼がこれをくれた。荒ぶる感情を、彼を傷つけるかもしれない衝動を、運命などというものへの怒りや苛立ちを抑えこむための守りの魔具だ」
『……そんな大事なものを、僕に？』
「お前は俺と友人になりたいと言った。だが俺の友となるのに薬で自らを傷つける必要はない」

　その時、カイルの目が一瞬泣きそうにゆがんだ。ヴィハーンの鱗がぞわり、とめくれ上がるような感覚に襲われる。
　
『ありがとう。嬉しいよ、ヴィハーン』

　ヴィハーンの尾が勝手に跳ねて床を叩いた。買ってきたばかりの皿が落っこちそうになってカイルが慌てて両手で受け止める。ヴィハーンは目を逸らしながら咳払いをした。

「明日か明後日か、晴れたら魚を採りに連れて行ってやる。西の清流からならあの洞窟にも近い」
『どうくつ……ってあの洞窟かい？』
「中を見たいのだろう」
『……ッ！』

　途端に目を輝かせて身を乗り出したカイルに「一宿一飯の恩だ」と言うと『住もう！　一宿とはいわず一緒に住もう！　毎日スカウトのキャンプをしているとでも思えばいい！』と肩を叩かれる。

　それからずっと『あの像について色々聞きたかったんだ』とか『ならまたあの外の竈で肉を焼いてくれ』とか『またピクニックがしたいし釣りも行きたい』などと言っているカイルを横目に、ヴィハーンはため息を押し殺す。

　多分、自分は今ひどく愚かで面倒な沼に足を突っ込んだのだ。

　ヴィハーンは腕を覆う鱗をぐい、と撫でて腕輪の一つを握りしめる。
　
――――いつだって気を抜いてはいけない。油断してはいけない。

　育ての親たる黄金の鳥の声が聞こえた気がしたが、カイルとこの竈の前の長椅子に座っているとどうしても眠くなる。まだ何か話しているカイルに適当に相槌をうちながら、竈の火を掻き立ててやれやれとばかりに大きなあくびをした。