竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし

【閑話】ヴィハーンの問い

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『あ、よかったシーヤ。また来てくれたんだね』

 ヴィハーンが三本の腕にそれぞれ麻袋や毛布や肉の塊を担いで家に駆け戻ると、玄関の前の石段にぼんやり座っていたカイルがパッと顔を明るくした。

『君、雨が止んで暖かくなった途端怒った顔で飛び出していってしまったから、もう来てくれないかと思ってたよ』
「……いくらなんでもそこまで子どもではない」

 さすがに聞き流せないカイルの言葉に思わず言い返す。

「それよりこんなところで何をしている」
『いや、雨上がりの空って綺麗なんだな、と思って』

 そう言われてヴィハーンも上を見ると、確かに青い空にところどころ霞がかった雲がたなびいている様は清々しく見えた。

『雨の後の空気っていつもより澄んでいるような気がしないかい?』

 そんなことは今まで考えたこともなかった。なんとなく一緒に黙って空を眺めていると、不意にカイルの声がした。

『君、聞こえてたんだろう? 僕が君を甘やかすとかなんとか言ってたのを……。あれで怒らせちゃったんじゃないかと心配していたんだ』

 触れられたくないことを蒸し返されてヴィハーンはぐっと息を呑む。だがそんなことは知らぬげにカイルが空を見上げたまま呟いた。

『決して君を子ども扱いしたり馬鹿にしたりしたわけじゃないんだ。何より僕が君に甘えているしね』
「甘えている? お前が俺に?」

 意外な言葉につい問い返す。するとカイルは屋根から落ちて来た雫を手で払って小さく笑った。

『君は嫌なら嫌と言うだろうし、そこに君自身の意思以外のものは交じっていないだろう? だから僕は安心してわがままが言えるし自由奔放に過ごせているんだよ』

 何と答えるべきか考えている時、冷たい風が通り過ぎてカイルがくしゃみをした。見ればカイルは白いシャツ一枚で上着も着ずに家の入口の冷たい石段に座っている。ヴィハーンは舌打ちをすると唯一空いていた下腕の左手でカイルの腕を掴んで立たせた。

「家畜の世話は終わったのか」
『ああ、餌もやったし水もあげたよ』
「ならお前も温まれ」

 引きずるようにして家に入り、玄関の隣に担いできた荷物を下ろす。

『また何か持って来てくれたのかい? 本当に借りを作るのが嫌いなんだな、君は』

 興味深げに麻袋の中身を見ているカイルをおいて、ヴィハーンは勝手知ったるなんとやらでさっさと水桶から水を汲んで湯沸かしを竈に置く。そして勝手に寝室に入るとカイルが”きると”と呼んでいる上掛けを引っ剥がした。ヴィハーンが持って来た荷を漁っていたカイルを担いで竈の前の長椅子に下ろすと、その頭にポイと被せた。

『君は寒くないかい?』

 のんびりとしたカイルの問いに鼻を鳴らして答える。ヴィハーン自身、確かに寒さは苦手だ。だから数日前から厚手の服に変えているし、寒さに弱いと言ってもカイルほど痩せていないしひ弱でもない。そう答えるとカイルはいつかと同じように不服そうな顔で「いや、だから僕はひ弱じゃないからね。君のような筋肉おばけと一緒にしないでくれ」と言った。
 しばらく二人で茶を飲んで、カイルが作った”菓子もどき”を食べる。カイルの説明では、失敗した硬いパンを糖蜜に浸して冷やし固めただけのものらしいが、ヴィハーンはこれが嫌いではなかった。
 熱い茶を淹れ直してヴィハーンも長椅子に座る。その隣でヴィハーンが持って来た陶器の皿と揃いのボウルを楽しそうにひっくり返して眺めながらカイルが言った。

『ずいぶんたくさん、いろんな物を持ってきてくれたんだね。タクールの店で買ったのかい?』
「おかげで俺はやつの上得意にになりつつある」
『ははっ、僕もだよ。彼は話が上手いから、気が付くと要らないものまで買ってしまって後悔しながら帰って来るんだけど、いざ家で品物を広げてみるとやっぱり買って良かったと思うんだよ』

 ちなみに僕の最新の無駄遣いはあれだ、とテーブルに置かれた一輪挿しを指さす。そこにはそこらにいくらでも生えている黄色の小さな花が活けられていた。

「そういえば、お前の持っている”ぶりたにか”をやつも一冊持っていたぞ。お前のものより古い本だったが」
『ああ、僕が乗ってきた船の船長のダンが昔彼に売ったやつだろうな。あれは数年おきに内容が新しくなったり項目が増えたりと進化しているんだ。君も欲しかったのかい?』
「……お前の国の動物や植物に興味がある」
『ああ、なるほど! そういえば君が彫っていた……』

 と言いかけてカイルが口をつぐんだ。そして何気ないそぶりで戸棚の方を見る。

『うちにいる間ずいぶんと熱心に読みふけっていたから、あそこに並べておいたんだ。好きな時に読んでくれていいし、描き写したければ紙もインクも貸そう』

 恐らくそこしか手が届かないであろう、一番下の段に立派なつくりの本が十冊並んでいた。
 タクールの話を聞かずとも、これが彼の国でも数の限られた非常に貴重な物だということくらい容易に想像がつく。それをあまりに気軽に与えられることに居心地の悪さを感じた。
 ヴィハーンは顎を掻いて視線を飛ばし、ため息をついてから口を開いた。

「……隣の薬師が案じていた。薬を飲む量が多すぎるのではないかと」

 カイルが目を見開いてヴィハーンを見る。そしてきゅっと唇を噛んだかと思うと一瞬で表情を変えて笑った。

『体調に問題はないよ。自分が一番よくわかっている』

 それからほんの少し眉を下げて言った。

『無理はしない。信用してくれないか?』

 こちらの機嫌を窺うような顔に声を荒げそうになるのを我慢する。

(見返りも求めず食事と寝床を与え、貴重な本を惜しげも無く貸し、自らを害する恐れもある薬を重ねて飲む。それもこれも全部この俺と『友達になりたいから』だと言うのか)

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