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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし
【閑話】ヴィハーン、タクールの店に行く
しおりを挟むここ数日、朝晩の冷え込みがきつくなってきた。そのせいで眠気がひどい。ここ十数年は冬眠せずに暮らしてきたヴィハーンだったが今年はやけに眠い、と不思議に思う。そしてくわ、と何度目かの大きなあくびをするとタクールが元々細い目をさらに細くした。
「蛇王の旦那様はたいそう眠たげでいらっしゃいますね。おめずらしい」
慣れた手つきで小さな茶の器に茶を注いで言う。
今日、ヴィハーンはカイルに泊めて貰った礼をするための品物を買おうとこの店を訪れていた。
タクールは市井の商人にしては非常に滑らかで教養あるサンカラーラ語を話す。ヴィハーンはそれには答えずギロリ、と見下ろした。そういえばこの男はカイルの母国である”すていつ”の言葉も話せるのだった、と思い出す。
「店主。”ぶりたにかひゃっかじてん”という書物を知っているか?」
「ああ、ミスター・カイルのお国の本ですな。大変貴重な本であり、かなりの大著でありますから全部は取り揃えておりませんが、ミスター・ダニエルが以前持ち込まれたものが数冊ございますよ」
そう言ってタクールが出してきた本の見返しをめくると、その書物が作られた年号が書いてある。
(カイルが持っていたものより古い版だな)
これは手書きではなく印刷という技術を使って大量に刷られた書物だと昨夜カイルから聞いた。そこには彼の国の動植物や新しく発明された機械、天候、政治、有名な人物などについて幅広く網羅した説明文が書かれている。もちろんヴィハーンはその文字を読むことはできないが、二晩カイルの家に泊まった間にいくつかの項目を読んでもらった。ヴィハーンが特に興味を持ったのは、細く繊細なペンで描かれたような細密画に色を乗せてあるページだった。
ヴィハーンはタクールの店の”ぶりたにか”をめくったが絵は少なく、色もついていなかった。そして中身は動物や植物、天候など自然に関するもので、カイルの家で見た”じょうききかん”や武器についての巻は所持していないらしい。
カイルに見せられた版の話をすると、細い目をキラリと光らせてタクールが身を乗り出した。
「ではヴィハーン様はこれの最新版をご覧になられたと?」
「あいつはそう言っていた」
「なるほど……それはたいそう貴重な機会を得られたわけですね」
タクールに言われずとも意味はわかった。このような国土の万物について網羅した書物など本来なら門外不出、少なくとも簡単に国外に持ち出して良いものではない。特に武器や機械類、農業技術などは国防の観点からしても機密事項に当たるだろう。そんなものをヴィハーンに軽々しく見せたりして危機管理ができていないのでは、と頭によぎる。だがヴィハーンの疑問を察したかのようにタクールが鼻先の小さな眼鏡を押し上げた。
「最近ミスター・カイルが食材などの購入のついでに度々店を訪れてくださいまして、その度に様々なお話をさせていただきました。それでも一度も”ひゃっかじてん”の話は出ませんでした。恐らく貴方様だからこそ、見せてくださったのかと思います」
突然そんなことを言われて思わず尾が跳ねた。その拍子にテーブル横の棚の置物が倒れる。手を伸ばして妙な顔つきをした動物の像を元の位置に戻し、咳ばらいをした。タクールは気づかないふりでお茶を飲みながら言う。
「私の印象では、あの方は陽気で快活でいらっしゃいますが、非常に考え深く慎重な方のようにお見受けいたします」
見たこともない異種族の男と見合いをしに突然海を渡ってきて、不機嫌丸出しな見合い相手に直談判して一人見知らぬ異国に残るような男は慎重という言葉からは一番遠いように思うが黙っておく。
あのカイルというニンゲンは相変わらずヴィハーンにとって謎の塊のような男だ。いつもは恐ろしく単純で子どもっぽくさえあるように見えるのに、時折ひどく不可解なことを言い出したりする。特に泊めて貰った晩、カイルの寝台で眠り込んでしまう直前に彼が言った言葉の意味をヴィハーンは理解しあぐねている。
――――ここにいる間は僕が君を甘やかしてあげるよ。
ふと脳裏に彼の穏やかな声が蘇って思わず茶の器をゴトン、とテーブルに叩きつけた。
「ヴィハーン様、お茶に何か交じっておりましたか」
「…………いや、なんでもない」
カイルは「ヴィハーンが今まで誰にも頼らずに生きてきた代わりに自分が世話を焼いてあげるのだ」と言った。大の男である自分への侮辱でしかないその言葉を、ヴィハーンはなぜか怒ることができなかった。
それに二度も他人の前で眠り込んでしまったことも不覚だった。ましてや夢も見ないほどぐっすり眠れたとは。
ヴィハーンはまだ幼かった自分に跨って寝込みを襲おうとしていた同族のオメガの女を夢に見て今でもうなされることがある。あれ以来オメガと同衾するなど考えただけでも虫唾が走るというのに。
こうなるとヴィハーンも考えざるをえなくなる。
(あいつと俺はもしかして相性がいいのだろうか)
オメガが嫌いで運命という言葉はもっと嫌いなヴィハーンだが、生物学的に”相性がいい”アルファとオメガがいることは理解している。ここでいう”相性がいい”というのは”よりフェロモンが効き発情しやすく、また子を成しやすい二人”ということだ。
ヴィハーンがオメガに対して感じる生臭い匂いや不快さがカイルにはなく、一緒にいてぐっすり眠ってしまうほど警戒心が解けてしまう。これが”相性の良さ”なのだろうか。
(…………いや、ないな)
本当に相性が良ければとっくに発情してつがっているはずだ。そう考えた時、不意にぞくりと奇妙な震えが背筋を駆け上った。
「ヴィハーン様?」
「いや、なんでもな」
い、と言いかけた時、店の扉が開いて小柄な蜥蜴の女が入って来た。その女はヴィハーンを見た途端に細い尾をピンと尖らせる。ヴィハーンはその女に見覚えがあった。反射的に視線で威嚇しようとしたがそれより早く女がズカズカとやってきてヴィハーンに食ってかかる。
「あんたさん、あれからあの金髪のぼっちゃんをいじめたりしてねぇだか?」
「…………していない」
「そんならいいが、あんたさんは自分の《力》のおっきさを忘れちゃなんねぇよ。ちゃんと扱いきれない力なんて穴の開いた桶と同じくらいの役立たずさ」
「貴様に言われるまでもない」
ヴィハーンとパドマが睨み合っているとタクールがにこやかに割って入った。
「おや、すでにお知り合いでしたか」
知り合いというほどの仲ではない。だがヴィハーンはつい先日、カイルが具合が悪くて伏せっているとこの女に聞かされた。その時も女はひどくヴィハーンに腹を立てていて、ヴィハーンよりはるかに小さな蜥蜴族とは思えぬほどの勢いでヴィハーンに迫ったのだ。
パドマの旦那と思しき男が慌てて飛んでくる。どうやら薬か何かを納品に来たらしい。
「パドマはここらでは一番の薬師ですからね。今回カイルさんを通じてうちでも色々と扱わせてもらうことに」
商売となると本当に抜け目がない男だ。実際先日もヴィハーンが出来損ないの彫刻道具を掴まされた時に言葉巧みに勧誘され、いつの間にか次からはタクールがのれん分けしたと言う店に発注することになっていた。
パドマとタクールが話し始めるタイミングでヴィハーンは店を辞することにする。色のついた絵が載った”ひゃっかじてん”が他にもあるなら自分でも欲しいと思って来たのだが、ないのなら町に用はなかった。
初めて会った時は仰天して逃げだしたくせに、今ではずけずけと物言いをつけてくる薬師の女とは目を合わさぬように椅子から立ち上がる。そして彼女とタクールが話し始めるタイミングで店から出ようとした。だがどうしても聞いておきたいことを思い出して舌打ちをする。
「おい、女」
「あたしゃパドマって名があるんだがね」
「…………カイルが飲んでいる薬は本当に害がないのか」
誰かに向かって『カイル』と彼の名を呼んだのが初めてで妙な感じがする。だがそんなことはおくびにも出さずにパドマに尋ねると、彼女はひどくとんがった目をして言った。
「そりゃこっちが聞きたいね。あたしがどんだけ飲みすぎちゃいけねぇって言っても薬の減りが早すぎる」
「……なんだって?」
ヴィハーンが眉を吊り上げると、パドマはまたフン、と鼻を鳴らしてヴィハーンに指を突き付けた。
「どんないい薬だって量が過ぎれば毒になる。あんたさんからも言っておやりな。あのぼっちゃんはあんたさんのために薬を飲んでいるんだから」
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腰を痛めてしまって椅子に座れず、申し訳ありませんが更新遅れます。
ごめんなさい~!
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