竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし

【閑話】ヴィハーンの謝罪1

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 ヴィハーンが家の戸を叩くと、カイルが出てきて驚いたように目を丸くした。

『こんな時間にどうしたんだい、ヴィハーン』

 その言葉は明らかに異国の響きであるのに、相変わらずなぜか相手の言っていることが理解できる。不可解ではあるが便利なことには違いない、などと考えているとカイルがまた口を開いた。

『ちょうどよかった。君にこの間のことを謝りたかったんだ。入ってくれたまえ』
「謝る? お前が?」

 思わずそう聞き返す。謝りに来たのはヴィハーンの方で、カイルが謝罪することなどないはずだ。するとカイルは不思議そうにヴィハーンを見上げた。

『あの場所は君にとって大事な場所で、不用意に他人には入って欲しくなかったんだろう? そうとは知らずに勝手にズカズカ入っていってしまってすまなかった』

 思いもせぬ言葉を掛けられ思わず絶句する。そんなヴィハーンを見てなぜかカイルが一瞬笑い出しそうな顔をした。だがすぐに真面目腐った顔で言う。

『あんな失態をしでかした後で言っても信じて貰えるかはわからないが、僕は君と一緒に楽しいことがしたいと思っているのは間違いないが、君のプライバシーを侵害したり不快な思いをさせたいわけじゃないんだ。それだけは信じて欲しい』

 その言葉はヴィハーンの心を強く打った。人からこんなことを言われたのは初めてだ。今まで誰もがヴィハーンを都合よく利用することしか考えていなかったのに。この異種族のオメガは、ヴィハーンが大事にしたい静寂や孤独やあの彫像たちを尊重する、と言うのだ。
 ヴィハーンはきつく拳を握る。

(俺はこんな男を自分の悋気のために気で殴り付け、追い返したのか)

 自分が仕出かしたことが腹立たしく、恥ずかしい。

(確かにこの男はオメガだが、俺よりずっと器の大きな男だ)

 ヴィハーンは自分の答えを待っているカイルに向かって頷いた。

「謝罪を受け取ろう。だから俺の詫びも受けて欲しい」

 カイルは時々考えなしではあるが元が敏い男だ。すぐに、あの洞窟でヴィハーンがカイルに向かってアルファの気をぶつけ、無礼を働いたことを謝っているのだと気づいたらしい。

『いいんだ。こっちこそ醜態を晒してしまったね。気にしないでくれ』

 カイルはなんでもないといわんばかりの気安い仕草で首を振った。

『何せアルファのフェロモンに自分が反応したのが初めてのことで、僕も上手く対処できなかったんだ』
「初めてだと?」

 反応があったのが初めて、ということは、あの時のようにアルファに暴力を振るわれた経験はある、ということだろうか。

(なぜだ、こいつは母国では高い地位にあり、親兄弟にきちんと守られたオメガではなかったのか)

 思わず一歩踏み出してカイルに詰め寄ると、彼は驚き顔でヴィハーンと視線を合わせた。身長差があるせいか、カイルはほぼ真上を向いている。後ろにひっくり返るんじゃないかとふと心配になった時、カイルが穏やかな声音で言った。

『前にも話したと思うが、本国ではどのアルファのフェロモンを嗅いでも発情しなかったし、あんな風に圧倒されてしまうこともなかったよ』
「ニンゲンのアルファは余程の……」

 腰抜けばかりか、と言いかけて口をつぐむ。あんなことがあった後でも丁寧で礼儀正しいカイルに向かって発するには相応しくない言葉だ。それに女王たちにできそこない呼ばわりされて何度も腹を立ててきた自分が、同じように力が足りないだけの異国のアルファを罵ることはしたくない。
 結果的に黙りこくってしまったヴィハーンにカイルがにっこり笑って空気を換えた。

『さあ、入ってくれ。気温が下がって来たよ』

 すでに季節は秋。朝晩の冷え込みはだんだん厳しくなっている。カイルも最近は堅苦しいスーツは袖をまくり上げた白いシャツを着ていたが、今はその上に上着を羽織っている。蛇族の宿命で寒さに極端に弱いヴィハーンには忌々しい季節だ。だから口答えせず大人しく後について家に入る。
 夕食時だったのか、カイルはテーブルに平たい種なしパンをたくさん入れた籠と小さなウズラの串焼きに中身のわからない瓶詰を戸棚から持って来て並べた。それを見て、うっかり手ぶらで来てしまったことに気づく。そんなヴィハーンにすぐに気づいてカイルが笑った。

『もしかして手土産を忘れたと思ってる? だったらそんな遠慮は無用だ。なにせ君はこの家の家主なんだから。賃料の代わりに食事を食べていく権利は充分すぎるほどある』

 恐らく、以前ヴィハーンが「借りを作るのは好きじゃない」と言ったのを覚えていたのだろう。本当に、この男の気づかいの細やかさやこちらの気持ちを汲み取る力には敵わない。ヴィハーンは間違って恐ろしく苦いナマカドの実を食べてしまった時のような気持ちで竈へ行き、せめてもの礼に茶を淹れた。
 それからしばらく二人は無言で食事をしたが、数日飲まず食わずだったヴィハーンは自分の空腹を思い出し、つい次々にパンや肉を平らげてしまう。あっという間に空になった皿を見てカイルがさらにパンや野菜の酢漬けを追加してくれた。

『君、まるで数日食事をしていなかったような食べっぷりだね。それだけ熱中していたの……』

 と言いかけたところで慌てたように口をつぐむ。きっとあの洞窟でのことを話すのはヴィハーンが嫌がると思ってやめたに違いない。

(この男は他人に気を遣ってばかりで疲れないのだろうか)
 
 ヴィハーンがジロリとカイルを見ると、彼は不思議そうに首をかしげてこちらを見返した。

(次ここに来る時にはもっと肉や何かを持ってこよう)

 そう頭に刻み付けた後、ヴィハーンは今日この家を訪れた本題を口にする。

「最近、誰かが尋ねてきたり変わったことはなかったか」
『え? 君と会った後にかい? いや、特にないな』

 きょとんとした顔でカイルが答えた。またこちらに遠慮して何か隠していないかとじっと相手を観察していると、なぜかカイルはどぎまぎしたように目元を赤らめて視線を逸らした。そして場を誤魔化すように言う。

『ええと、何かあったのかい?』

 ヴィハーンは眉を顰めて言った。

「もしかしたら女王からの呼び出しがあるかもしれん」

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