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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし
ヴィハーンを探しに
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ところがそれからぱったりとヴィハーンは姿を見せなくなってしまった。もしかしたらこの前のように港町に来ているかも、と万に一つの可能性に賭けて二度ほど行ってみたが空振りに終わってしまった。
(まあ、あんなことがあった後だしやっぱり港には来ないかな)
そうは思うが他に思いつく先がないのだから仕方がない。
今日はパドマから出来上がった薬をタクールに届ける用事を請け負って、カイルは再び町へ降りて来ていた。
トカゲに似た港の男たちは以前と同じくカイルを遠巻きにしてチラチラと見ているが、ちょっかいを出してくることはない。カイルはヘシュカを頭に巻き、白シャツにスラックス姿で、帰りにまた小麦を買ってくるつもりでロバの手綱を引きながらタクールの店の扉を叩いた。
「これはミスター、ちょうどいいトコロに……!」
タクールが耳まである口をにんまりと持ち上げてちょこちょこと駆け寄ってくる。
「なんだい藪から棒に」
「最近ミスターはヴァルナの君にお会いニなりましたカ?」
「ええと、ヴィハーンのことかい? いや、会えていないよ」
「そうデスか……」
がっくりと肩を落としたタクールにどうしたのかと尋ねた。すると困ったような顔で鼻先の丸眼鏡を押し上げて言う。
「この先にあるドゥンガの店で、あのお方がごくたまに来て注文される品がありマス。先日それ渡したけれド、品を間違えたと店主が困ってこれをわたしのところニ……」
タクールが大きな布の包みを開くと、そこにあったのは見慣れぬ道具類だった。
「これはなんだ?」
「鑿と鏨デス」
確かにそれはわかるのだが大きさが普通ではない。カイルが両手で持っても余りあるサイズだ。しかも重い。
(ヴィハーンは大工仕事でもしているのか?)
「いつもあのお方にお渡しスルのは特別に硬い錬鉄を使った道具デスが、間違えて安物のを渡してしまッタらしく……。いつもならお渡しスル時に確認してもらうのデスが、珍しくひどく気が急いておられた様子デ、中身を見もセズ急いで店を出てイッテしまったとか……」
なにせ彼は力が強い。気づかずに安物の道具を使えば鏨や刃先が曲がって怪我をするかも、と聞いてカイルは眉を上げた。
「それは大変だ。一刻も早くこれを持っていって、間違えたのは使わないように言ってやらないと」
「そうなのデス」
カイルは少し考えて言った。
「僕に少しだけ当てがある。これは預かってもいいか?」
「もちろんデス」
カイルはその道具をロバに積むと一度家に戻った。そして追加でいくつか荷物を積んでからロバの手綱を引いて細い道を降りて行った。目指す先は以前ヴィハーンとピクニックをした場所だ。あそこには普段ヴィハーンが肉を焼く時に使っているらしい竈があった。つまりあそこで待っていればそのうちヴィハーンが食事を摂りにやって来るかもしれない、というわけだ。
とりあえず一晩そこで野営をしてみようと思い、留守にすることをパドマとダラーに言いに行くと、パドマは呆れた顔をして特別に毛布を持たせてくれた。
「今日ならまんだなんとかなるが、十日も経てば寒くて凍えっちまうようになるよ」
パドマにそう言われたことを思い出しながら以前通ったでこぼこ道を辿っていく。確かにここ最近、朝晩さらに肌寒さを感じるようになったし、地面には落ち葉がたくさん落ちている。
もしたどり着けなさそうならロバに乗って戻って来るつもりで家を出たが、幸い一時間と少しでなんとかあの岩で囲んだ竈のある場所にたどり着くことができた。
「すごいな……本当にたどり着けるとは思わなかった」
正直あまり自信がなかったから今まで試してみなかったのだが、意外となんとかなるものだとカイルは一人感心する。
「君が一緒に来てくれたお陰かな」
そう言ってロバの背を叩いてから荷物を下ろして、近くの木に繋いだ。
「さて、早速竈を調べてみよう」
だが残念ながら残っている燃えさしは冷え切っていて、最近ヴィハーンがここで煮炊きをしたような痕跡は残っていなかった。そこでカイルは少し近所を歩いてみることにする。
(そういえばあの時、ヴィハーンはどこからか薪を持って来ていたな)
大きさもそこそこ揃っていたし完全に乾いていたから、あれはそこらへんで拾ってきたものではなく、薪として使うためにあらかじめ切って乾燥させたものだと思う。
(もしかしてこの辺りに彼が拠点としているような場所があるのかもしれない)
カイルはあまり遠くまで行って迷子にならないように気を付けながらあちこち歩いてみた。すると明らかに人が獣かが定期的に通っている跡と思しきけもの道を見つけた。それを辿って行くと大きな洞窟の入口があった。
「もしかしてあの薪を溜めていた場所かも」
近づいてみると洞窟の入口は広く、ヴィハーンでも楽に入っていけそうだ。しかも壁側には薪が積み上げてある。
(やっぱり、あの時ヴィハーンはここに薪を取りに来てたんだ)
その時、洞窟の奥の方から響いてきた音にカイルはハッと顔を上げた。
(ひょっとしてヴィハーンがいるのか!?)
カイルがそっと奥に向かって歩いていくと、何か硬いものを穿つような音が段々大きくなってくる。
(何か掘ってる……? そうか、鑿と鏨……! 間違いなくヴィハーンだ!)
預かってきた道具をロバのところに置いてきてしまったのを悔やみながら走っていくと、洞窟の天井はますます高くなっていく。薄暗かった足元が不意に明るくなって、奥に松明が掲げられているのが見えた。そしてその揺れる火が照らし出しているものを見てカイルは思わず息を呑んだ。
見上げるほどに高い洞窟の壁一面に巨大な彫像が見事な精緻さで彫られ、刻まれている。それは豊かに茂森の木であり、動物であり、花であり、そして人だった。
(これは……なんて凄い……)
天に向かって伸びる逞しい木々とその足元に咲く花。木の間からはカイルが見たことのない姿の動物たちがこちらをひた、と見据えている。そしてその中央にあぐらをかいて座る人物は男とも女ともつかぬ身体に流れるような布を身に着け、右手に花を、左手は指を複雑な形に折り曲げていた。
カイルはただただ無言で壁の彫刻を見上げる。
カイルは生まれも育ちも良いし高等教育だって受けている。だから文化や芸術に対する素養はそれなりにあると自分でも思っていた。だが今、目の前にある巨大な岸壁に彫られたものを見て言葉一つ発することができなかった。
(……すごい……この迫力を、胸を鷲掴みにされるようなこの感覚をなんと言って表せばいいんだろう……!)
カイルは瞬きも忘れて一歩近づく。そして中央に座る人物の背中に大きな羽根があることに気づいた時、地響きのような声が轟いて硬直した。
『誰だ! そこで何をしている!』
(まあ、あんなことがあった後だしやっぱり港には来ないかな)
そうは思うが他に思いつく先がないのだから仕方がない。
今日はパドマから出来上がった薬をタクールに届ける用事を請け負って、カイルは再び町へ降りて来ていた。
トカゲに似た港の男たちは以前と同じくカイルを遠巻きにしてチラチラと見ているが、ちょっかいを出してくることはない。カイルはヘシュカを頭に巻き、白シャツにスラックス姿で、帰りにまた小麦を買ってくるつもりでロバの手綱を引きながらタクールの店の扉を叩いた。
「これはミスター、ちょうどいいトコロに……!」
タクールが耳まである口をにんまりと持ち上げてちょこちょこと駆け寄ってくる。
「なんだい藪から棒に」
「最近ミスターはヴァルナの君にお会いニなりましたカ?」
「ええと、ヴィハーンのことかい? いや、会えていないよ」
「そうデスか……」
がっくりと肩を落としたタクールにどうしたのかと尋ねた。すると困ったような顔で鼻先の丸眼鏡を押し上げて言う。
「この先にあるドゥンガの店で、あのお方がごくたまに来て注文される品がありマス。先日それ渡したけれド、品を間違えたと店主が困ってこれをわたしのところニ……」
タクールが大きな布の包みを開くと、そこにあったのは見慣れぬ道具類だった。
「これはなんだ?」
「鑿と鏨デス」
確かにそれはわかるのだが大きさが普通ではない。カイルが両手で持っても余りあるサイズだ。しかも重い。
(ヴィハーンは大工仕事でもしているのか?)
「いつもあのお方にお渡しスルのは特別に硬い錬鉄を使った道具デスが、間違えて安物のを渡してしまッタらしく……。いつもならお渡しスル時に確認してもらうのデスが、珍しくひどく気が急いておられた様子デ、中身を見もセズ急いで店を出てイッテしまったとか……」
なにせ彼は力が強い。気づかずに安物の道具を使えば鏨や刃先が曲がって怪我をするかも、と聞いてカイルは眉を上げた。
「それは大変だ。一刻も早くこれを持っていって、間違えたのは使わないように言ってやらないと」
「そうなのデス」
カイルは少し考えて言った。
「僕に少しだけ当てがある。これは預かってもいいか?」
「もちろんデス」
カイルはその道具をロバに積むと一度家に戻った。そして追加でいくつか荷物を積んでからロバの手綱を引いて細い道を降りて行った。目指す先は以前ヴィハーンとピクニックをした場所だ。あそこには普段ヴィハーンが肉を焼く時に使っているらしい竈があった。つまりあそこで待っていればそのうちヴィハーンが食事を摂りにやって来るかもしれない、というわけだ。
とりあえず一晩そこで野営をしてみようと思い、留守にすることをパドマとダラーに言いに行くと、パドマは呆れた顔をして特別に毛布を持たせてくれた。
「今日ならまんだなんとかなるが、十日も経てば寒くて凍えっちまうようになるよ」
パドマにそう言われたことを思い出しながら以前通ったでこぼこ道を辿っていく。確かにここ最近、朝晩さらに肌寒さを感じるようになったし、地面には落ち葉がたくさん落ちている。
もしたどり着けなさそうならロバに乗って戻って来るつもりで家を出たが、幸い一時間と少しでなんとかあの岩で囲んだ竈のある場所にたどり着くことができた。
「すごいな……本当にたどり着けるとは思わなかった」
正直あまり自信がなかったから今まで試してみなかったのだが、意外となんとかなるものだとカイルは一人感心する。
「君が一緒に来てくれたお陰かな」
そう言ってロバの背を叩いてから荷物を下ろして、近くの木に繋いだ。
「さて、早速竈を調べてみよう」
だが残念ながら残っている燃えさしは冷え切っていて、最近ヴィハーンがここで煮炊きをしたような痕跡は残っていなかった。そこでカイルは少し近所を歩いてみることにする。
(そういえばあの時、ヴィハーンはどこからか薪を持って来ていたな)
大きさもそこそこ揃っていたし完全に乾いていたから、あれはそこらへんで拾ってきたものではなく、薪として使うためにあらかじめ切って乾燥させたものだと思う。
(もしかしてこの辺りに彼が拠点としているような場所があるのかもしれない)
カイルはあまり遠くまで行って迷子にならないように気を付けながらあちこち歩いてみた。すると明らかに人が獣かが定期的に通っている跡と思しきけもの道を見つけた。それを辿って行くと大きな洞窟の入口があった。
「もしかしてあの薪を溜めていた場所かも」
近づいてみると洞窟の入口は広く、ヴィハーンでも楽に入っていけそうだ。しかも壁側には薪が積み上げてある。
(やっぱり、あの時ヴィハーンはここに薪を取りに来てたんだ)
その時、洞窟の奥の方から響いてきた音にカイルはハッと顔を上げた。
(ひょっとしてヴィハーンがいるのか!?)
カイルがそっと奥に向かって歩いていくと、何か硬いものを穿つような音が段々大きくなってくる。
(何か掘ってる……? そうか、鑿と鏨……! 間違いなくヴィハーンだ!)
預かってきた道具をロバのところに置いてきてしまったのを悔やみながら走っていくと、洞窟の天井はますます高くなっていく。薄暗かった足元が不意に明るくなって、奥に松明が掲げられているのが見えた。そしてその揺れる火が照らし出しているものを見てカイルは思わず息を呑んだ。
見上げるほどに高い洞窟の壁一面に巨大な彫像が見事な精緻さで彫られ、刻まれている。それは豊かに茂森の木であり、動物であり、花であり、そして人だった。
(これは……なんて凄い……)
天に向かって伸びる逞しい木々とその足元に咲く花。木の間からはカイルが見たことのない姿の動物たちがこちらをひた、と見据えている。そしてその中央にあぐらをかいて座る人物は男とも女ともつかぬ身体に流れるような布を身に着け、右手に花を、左手は指を複雑な形に折り曲げていた。
カイルはただただ無言で壁の彫刻を見上げる。
カイルは生まれも育ちも良いし高等教育だって受けている。だから文化や芸術に対する素養はそれなりにあると自分でも思っていた。だが今、目の前にある巨大な岸壁に彫られたものを見て言葉一つ発することができなかった。
(……すごい……この迫力を、胸を鷲掴みにされるようなこの感覚をなんと言って表せばいいんだろう……!)
カイルは瞬きも忘れて一歩近づく。そして中央に座る人物の背中に大きな羽根があることに気づいた時、地響きのような声が轟いて硬直した。
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