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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし
薬師パドマとカイルの願い
しおりを挟む『パドマ、いるかい!?』
家に戻るなり藪を抜けて隣の家に行き、カイルは声を張り上げた。するとトカゲによく似たエプロン姿の女が首を振り振り家から出てくる。
『なんだいね、大きな声あげてからに』
『すまない。わたし、聞きたい』
カイルが『パドマは薬師なのか』と尋ねると、彼女は黄色の尖った目をギロリと上げて頷いた。
『そうだよ。あたしゃこの界隈じゃいっとう腕っこきの薬師だよ』
「なんと……そうだったのか」
カイルは感心して頷くと彼女に尋ねた。
『あなたに頼みたい、ある。薬、作ってほしい』
『薬? なんの薬だい』
『”コーシャの血を鎮める薬”だ。わかるか?』
カイルはついさっきタクールから聞いた言葉を繰り返す。するとパドマの縦長の瞳孔がくわ、と大きくなった。
『あんた、コーシャだったのかい』
『そう。私の国、オメガと言う』
『その薬が欲しいんは、あの大きいひとに関係あるんかいね』
カイルは先日ヴィハーンと鉢合わせたパドマ夫妻がものすごい勢いで逃げ去っていった姿を思い出しながら頷く。するとパドマはフン、と鼻を鳴らして言った。
『こりゃあ話が長くなりそうだいね。おいで、お茶淹れっから』
◇ ◇ ◇
それからカイルはパドマに、自分が異国から来たオメガであること、だがまだ発情期はきたことがなく、フェロモンも出ていないこと、そして以前パドマが言っていた”神に近いダラ・イーシュワラ”こそカイルに隣の家を貸してくれた相手であり、その彼の迷惑にならぬように発情を押さえる薬が欲しいのだと話した。
パドマはそのお茶がまるでとてつもなく苦い薬であるかのような顔で飲み干した後、重々しい声で答えた。
『薬はできるよ。けどそれがほんとにいいことか、あたしにはわからんね。神サマに逆らうことじゃあないんかい?』
『わたしずっと、フェロモンない。薬、本当、もしものため』
そう答えて、カイルは密かに唇を噛み締める。
(もしも僕がオメガじゃなかったら、彼とはもっと親しい友人になれるかもしれない)
もしオメガじゃなかったら。そんなことは今まで何度だって考えた。でもそんなことを言ったってどうしようもないのだ。どうしようもないことをグズグズ考えるのは性に合わない。だから今回も自分にやれるだけのことを全力でやるだけだ。
「僕がオメガであることは動かしがたい事実だ。でももしも薬があれば、きっと彼も安心できると思う」
ヴィハーンにフェロモンを武器に迫ったオメガの女たちのように、そして彼女たちを煽りヴィハーンを侮辱した男たちのようには絶対にならない。カイルは絶対にヴィハーンの意思を尊重し、その誇りを傷つけたりしないのだと彼に知って欲しかった。
『頼む、パドマ』
するとパドマは大きく息を吐き出して頷いた。
『しょうがないね。あんたには甘くておいしい”じゃむ”をたくさんもらったから』
「ははっ! ダンニャワード、パドマ!」
発情を抑える薬を四六時中持ち歩くようにすれば、ヴィハーンに自分の気持ちが伝わるかもしれない。
(僕は君の意思を尊重する。僕は君を傷つけない)
「僕は君と友達になりたいんだ」
パドマの家から戻ったカイルは、崖から海を見ながらそう呟いた。
◇ ◇ ◇
あの後すぐにパドマは『もしもの時のために作りおいてあった』という薬を持って来てくれた。
『これは毎日毎晩飲み続けなけりゃあだめだ、いいね』
そう言われて早速カイルはやけに苦くてまずいその薬を頑張って飲み続けている。今後の分はパドマが作ってくれるとのことで、カイルは感謝して残りの瓶詰のジャムをすべて進呈した。
「でもそうなるとまたヴィハーンが来てくれた時にもてなす分がなくなってしまったな」
ジャムは果物と大量の砂糖を煮詰めればできるはずだが、こちらではその砂糖がなかなかの貴重品らしい。カイルは、場合によっては王族への献上品にしようと思って本国から持ち込んだ最新版のブリタニカとウェブスター英語辞典をひっくり返して調べてみた。それによると本国ではテンサイという野菜から砂糖を精製できるほか、サトウカエデの樹液やサトウキビという植物からも取れるらしい。だがテンサイもサトウカエデも冷涼な気候の場所でしか育たないらしい。ここのように朝晩は肌寒いが昼はひどく蒸し暑くなるところにはなさそうだ。
「仕方がない。糖蜜や蜂蜜の瓶はまだあるから、ヴィハーンにはそれを振舞おう」
このように、カイルは次いつ彼に会えるのかとそればかり考えるようになった。一番の理由は、何もかもが珍しかった当初と比べ、さすがに最近は暇を持て余すようになってきたからだ。
家の掃除や簡単な炊事、そしてダラーの手ほどきを受けて庭に作った小さな菜園の世話も午前中には終わってしまう。ダラーは相当ロバが気に入ったらしく、朝早くから来て世話を全部してくれるからカイルは特にやることがない。ダラーはよく町に行くらしく、荷運び用を兼ねてロバを貸すようにしたら大喜びしていた。ロバの方も毎日甲斐甲斐しく自分に話し掛けながら世話をしてくれるダラーのことが好きなようで、お互い仲良くやっているらしい。
それを見ているとますますカイルはヴィハーンに会いたくなった。
「いいなぁ。いいかげん僕も誰かと会話がしたい……」
パドマは忙しすぎるのと無駄なおしゃべりを嫌っているせいで、暇つぶしの相手にはならない。タクールに会いにまた町へ行こうかなぁと考えていると、なんとなく第六感が働いたような気がして外に飛び出した。
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