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Ⅱ カイルのサンカラーラの暮らし
カイルの驚き
しおりを挟む翌朝、巨大な寝台の端っこでカイルは目を覚ました。しばらくは頭が働かず、とてつもなく高く感じる天井をぼーっと眺める。
昨日はとにかく盛り沢山な一日だった。カイルは朝思いがけずヴィハーンが肉を持ってきてくれたところから日暮れ前に家まで送ってもらったところまでをつらつらと思い返す。
(いや、送ってもらったというより運ばれたというか担いでこられたというか……)
あやうく昼に食べたものが全部逆流するところだった。カイルはステイツから持って来たキルトの上掛けの下で身体を丸めてもぞもぞと腹を撫でる。
(ああ……でも楽しかったな)
オメガだと判明して以来、もう何年もあんな風に友と二人で焚き火を囲んで飲み食いするなんてできなかった。例え身元のはっきりしている知人が相手でもアルファと二人っきりなんて絶対に許されなかったからだ。
もし突然発情期が始まったら。相手のフェロモンに惑わされて望まぬ契約を強いられでもしたら。万が一カイルの身体と心、そして世間の評判が著しく傷つけられることになったら。理由はいくらでもあった。
逆にアルファの方でも常識外れのオメガであるカイルと一緒になろうとしない者もいた。あの幼馴染で唯一の親友のアルフレッドでさえカイルとひと気のない場所で二人きりになろうとはしなかったのだ。
そこまで考えてカイルはふと思う。
「……友、と呼んだら彼は怒るかな」
ヴィハーンの鉄壁の仏頂面を思い出して小さく笑う。そしてキルトにくるまってゴロンと寝返りを打った。
一つ意外だったのは、あんなに大きくて力が強くて怖いものなんて何一つなさそうなのに、彼が自分を「できそこない」と呼んでいたことだ。そんなコンプレックスを抱えているなんて思いもしなかった。
一体彼と女王との間にはどんな確執があるんだろう。カイルはキルトに顔を埋めて考える。
(ヴィハーンはいいやつだ。それは間違いない)
そうじゃなければたった一杯の紅茶とビスケットの礼に、あんな立派な肉を持ってきたりはしないし、カイルが調理できないと知ったからといって、他にやる事があるのにカイルを連れて半日かけて肉を焼いてご馳走してくれたりしない。
(君はできそこないなんかじゃないのに)
もし誰かが彼にそんな事を言ったら全力で反論してやろう、とカイルは心に決める。
それと一つ、ヴィハーンのことで新たにわかったことがある。サンカラーラの民の肌の感触は人間とは全然違うということだ。まるで荷物のように小脇に抱えられて暴れた拍子にヴィハーンの腹に手が当たって、それでわかった。
カイルはキルトにくるまりながら、開いた手のひらを思わずじっと見つめる。
(……ひんやりして、しっとりしてた……)
あの不思議な感触を一体何に例えたらいいだろうか。
(トカゲとか蛇の腹ってあんな感じだっただろうか)
子どものころにトカゲの一匹や二匹捕まえたことがあったはずだ。でも思い出せない。
(そういえば肉が焼けるのを待ってる間、ヴィハーンの腕の鱗に太陽が当たってキラキラ光ってた)
あれも綺麗だったな、とカイルはひとりごちる。
「触ってみたいなぁ」
だがそんなことを言えばまたあの恐ろしく不可解なものを見る目つきで見下ろされる羽目になるだろう。もしくは極太の尾でぺちゃんこにされるかもしれない。カイルとてまだ命は惜しかった。
「残念、無理か」
カイルはのっそり起き出して寝台の頭の上にある木戸をよいしょ、と押し開ける。するととっくに上った朝日がまぶしく寝室に差し込んで来た。窓の外は崖になっていてその向こうは港町だ。目を閉じて深く息を吸えば、風に乗って潮の匂いと港で働く男たちの声が聞こえてきそうだ。
カイルは窓の枠にだらしなくもたれかかって重たい目蓋をゆっくりと瞬く。
「ヴィハーン、また来てくれないかな」
来てくれたら、またお茶を淹れて最後のひと缶になったビスケットを分けてあげよう。そうしたらきっと初めてこの家で一緒にお茶とビスケットを分け合った時に彼が一瞬だけ見せた、あのほんの少し驚いたような顔が見られるかもしれない。
「意外と甘いものが好きなんだな、きっと」
カイルは一人で笑いながらしばらくダラダラと寝台の上で過ごす。
それから起きて台所に置きっぱなしになっていた昨日の籠の中を見て、あの時一緒に持って行ったジャムの瓶がいつの間にか空っぽになっていることに気が付いて一人で大笑いした。
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