竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話

【閑話】アルファのできそこない

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     ◇   ◇   ◇



「おい、焼けたぞ」

 ヴィハーンが言うと、カイルがハッと顔を上げて瞬きをした。よくよく見ると口の端に涎らしきものが光る。信じられないことにこのオメガはアルファのヴィハーンとこんなひと気のない森の中で二人っきりでいながら居眠りをしていたのだ。もはや呆れ果ててヴィハーンは何も言わなかった。
 腰から抜いたナイフでよさそうなところの肉をこそげ取って一口食べる。すると後ろから『あっ』と声がして、皿を持ったカイルがショックを受けたようにヴィハーンを凝視していた。

「……ちゃんと焼けているかどうか確かめただけだ」
『えっ、あー「だいじょうぶ、ヴィハーン、食べる、だいじょうぶ」』

 カイルのサンカラーラ語は初めの自己紹介と「ダンニャ ワードありがとう」以外はまだつたなく舌足らずなのが、大胆で無鉄砲で図々しいほどに人懐っこい彼の性格とはアンバランスな感じがしてどうにも落ち着かない。なんとなくヴィハーンは尻を動かしてカイルから遠ざかりながら肉を切っていった。
 後ろからカイルが皿を差し出して待ち構えている。その上に山と乗せてやると、ようやく満足したのかにんまり笑った。そして地面に広げた敷物の上にその皿を置き、周りに細々としたものを並べながらペラペラとしゃべる。

『うちの母はとにかく心配性というか備えに長けているというか、とにかくそれはそれはたくさんの瓶詰だの缶詰だのを持たせてくれたんだ。肉そのままでも風味豊かだろうが、パドマの焼いてくれたこの種なしパンに挟んでソースを掛けても美味いと思うんだ。これは我が家秘伝のグレービーソースを瓶詰にしたやつで、こっちのピクルスもなかなかの味なんだ。ぜひ試してみてくれ』

 気が付けば敷物の上にはところせましと皿や瓶やお茶のポットなどが並べられている。なんでもカイルは《新大陸》では屈指の金持ちの息子らしいが、そんな育ちの良さはどこへやら、指についた肉汁を舐めながらお茶のカップをソーサーごとヴィハーンに差し出して『もう一杯どうだ』と言う。
 ヴィハーンは呆れて無言のまま茶を受け取った。

『では、頂こう。サンカラーラの恵みに感謝あれ! だ』

 カイルがロティにあれこれ挟んで大きな口を開けてかぶりつく。

『おお、これは美味い! ヴィハーンも早く食べてみろ』

 ヴィハーンは大きな尾が邪魔にならぬよう慎重にポットから遠い方へ伸ばして腰を下ろすと、上左手にお茶のカップを持ち右手で皿から一番大きな肉の切れ端を取って食べ、下の右手で飛んできた虫を払った。ヴィハーンの好みからいうとやや香辛料が多すぎたが、まあ確かに美味かった。
 ヴィハーンが次の肉を咀嚼している間もカイルは『ピクルスもどうだ』『このソースをかけてみろ』『お茶のお代わりは?』と次から次にいろんなものを渡してくる。ヴィハーンのように四本手があっても持ちきれる量ではない。ヴィハーンはカイルをジロリと睨んで言った。

「騒ぐな。食え」

 するとカイルはピタリと話すのを止め、ようやく大人しく肉を食べ始める。
 カイルはヴィハーンの胸程しかない小ささだが、食べる量もずいぶんと少ないようだ。マトンの足の一本も一人で食べきれずに『もうお腹がいっぱいだ』と言って勢いよく傍の木にもたれかかった。なのでヴィハーンは遠慮なく残りの肉を全て食う。
 茶を飲みながらしばらく無言で空を見上げていると、急にカイルがクスクスと笑いだした。

『ずいぶんと僕は興奮してやかましかっただろう? すまないな』

 ヴィハーンは黙って《新大陸》産の薄い茶をすする。そんなヴィハーンを気にすることもなく、カイルはまた話し出した。

『……初めてなんだ。僕がオメガだとわかってから、こうして誰かと遠出をしたり焚き火をしたり、一緒に食事をしたりするのは』

 どこかから鳥の鳴き声がして、カイルが青い目を細める。

『”アルファと二人きりになって万が一過ちがあってはいけないから” ”オメガの僕がアルファを虜にしてしまったらいけないから” ”それにオメガが不特定多数の男たちと出かけたりするのは外聞が悪いから” といっても僕が魅力的だと思うフェロモンを発するアルファは皆無だったし、妙なことを仕掛けてきたやつらは全員拳で返り討ちにしてきたけどね』

 拳で返り討ち? そう聞こえた気がして首を傾げたが、恐らく聞き間違いだろうと思い直す。こんなに小さくて細くてひ弱そうな身体でアルファに歯向かうなどとは無理な話だ。ヴィハーンは上腕を胸の前で組む。気が付くとカイルがヴィハーンをじっと見ていた。

『ヴィハーンがアルファだとわかったのは何歳ぐらいの時だったか、聞いても?』
「……生まれて三百日目にスーリヤのしるしが身体に現れた」
『すーりゃ・でぃーヴぁ? なんだいそれは』

 今度はカイルが首を傾げている。

「アルファはみな、身体のどこかにスーリヤの徴スーリャ・ディーヴァがある。ニンゲンのアルファは違うのか?」
『僕たちはアルファもオメガも血液検査でわかることが多いね。時々運悪く検査より先に発情期が来て判明する子もいると聞いたことがあるが」
「ケツエキケンサ……? なんだそれは」
『あー、血、調べる、くすり、きかい……?』

 カイルが身振り手振りとカタコトのサンカラーラ語で答えた。どうやら腕を切って流れる血を秘薬とまじないの類で調べるらしい。

「野蛮な国だな、”すていつ”というところは」
『うーん、何か勘違いされたっぽいけどまあいいか』

 カイルが頭を掻きながら何か言ったが聞き取れなかった。木にもたれたまましばらく空を眺めていたが、またカイルがぽつりと言う。

『僕はオメガといっても少し変わっていてね。普通は十三か十四あたりでわかることが多いが、僕がオメガと判明したのは二十をとっくにすぎた頃だった。それまではずっとアルファだと思われていたんだ』

 こんなに小さくて細いアルファがいるものかと思ったが反論はしなかった。だがなぜかカイルはそれに気づいたようで『君、今こんな小さいアルファなんていない、と思っただろう』と言ってきて思わず眉をしかめる。

『ヴィハーン、我々人間はどんなに優れたアルファでも私より大きな体格をしている者はそうそういないんだ。君や女王陛下のような大きさの人間は絶対にいない』
「そうか」
『逆に聞きたいのだが、こちらの国では女王陛下からうちのお隣のパドマから、あまりにも個体差が激しいが、それは種族や生まれの違いによるものなのか?』

 あまりにも当然なことを聞かれてヴィハーンは息を吐いた。

「腕が四本あるのが王族で、二本しかないのはそれ以外の民だ。そしてアルファは大きく、オメガは小さい。あの家の隣人やタクールや港で働く者たちは全員ベータでもっと小さい。生まれ持ったルターの差だ」
『身体が大きければ大きいほど、持っている”ルター”も強いということか? ああ、だから女王陛下に謁見した時にみんな……』

 ぶつぶつと呟きながらカイルが例の手帳に熱心に書き込んでいる。ヘシュカを被ったその頭に向かってヴィハーンはぽつりと尋ねた。

「……腹を立てないのか?」
『は?』
「お前はニンゲンたちの中でもっとも優秀なオメガだと聞いている。さぞかし本国ではもてはやされてきたのだろう」
『あー、いや……まぁ……』
「なのにこんな遠い異国に来てまで見合いをする相手が俺のような男だとは思いもしなかったはずだ」
『……すまない、言っている意味がよくわからないのだが』

 本気で理解していない顔で首を傾げているカイルに、ヴィハーンは大きくため息をついた。

「俺は生まれた時から《スーリヤの徴》も身体も女王たちよりずっと小さかった。ヴィハーンという名は元々《蛇の王》という意味を持っている」

 カイルが何か言おうとしたのをヴィハーンは押しとどめた。


「俺も竜蛇の眷属と言われる王族の一人ではあるが、竜と蛇とでは天と地ほどの差がある。お前は女王に、できそこないのはずれ者のアルファと娶せられるところだったんだ。腹を立てて当然のことだろう」

 カイルは無言だった。ただ大きく目を見開いてヴィハーンを見つめている。その視線に耐えかねて「そろそろ戻ろう」と言って立ち上がろうとした時、突然腕を引っ張られた。

『ヴィハーン』

 真剣なカイルの顔がすぐ近くにある。そしてまっすぐにヴィハーンを見上げて言った。

『通じるかどうかわからないが聞いてくれ。本国にいた時僕はアルファが嫌いだった。スポーツも勉強も喧嘩でも勝てないくせに、ただアルファであるというだけで僕がやりたかった仕事や役目を全部かっさらっていき、当然のように僕をトロフィーにできると思っているアルファが大嫌いだった。でも君のことは嫌いじゃない。むしろとても好感を持っていると言ってもいいくらいだ』

 まるでヤグルマギクのように青いカイルの目がキラキラと輝いている。

『この国の価値観や君の思いを、僕はまだ完全には理解できていない。それでも僕はアルファの中じゃ君が一番好きだ。それだけは知っておいてくれ』

――――言葉がわかるのは……ひょっとして《運命》だからだったりして。

 この前カイルがそう言った時は、ずいぶんと悪趣味な冗談だと思った。でも今、ヴィハーンは彼の言った言葉の意味をなんとなく理解できたことにほんの少しだけ感謝した。
 



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