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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話
【閑話】二人でピクニック
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(一体何がそんなに楽しいんだか)
ただ肉を焼いて食うだけでどうしてこんなに荷物が多いのかまったくわからない。その上、まるで天から落ちた星を拾いでもしたかのように上機嫌なのも不可解だ。
この男はわからないことだらけだ、とヴィハーンはわずかに苛立つ。
知識は力だ。ヴィハーンは発情を抑制する薬を知っているから、これまでもオメガたちのあざとい罠や女王の眷属たちのつまらぬいたずらやちょっかいを退けることができたし、森や洞窟で生きて行く術を知っていたから小うるさい一族がいる町から離れて一人静かに生活できている。
なのにこの金色の髪をしたオメガはあまりに突拍子がなさすぎてヴィハーンの知識や常識がまるで通じないのが腹立たしくて仕方がなかった。
それ以上カイルのことは考えないことにして、黙々と肉を焼く準備をする。カイルが『ぜひ使ってくれ』と出してきた塩や香辛料を擦り込み、傍に生えているいい匂いのする草の乾いたのと木の実を取って来て枝肉の腹に詰める。
「ここにいろ」
カイルにそう言って一人洞窟へ戻り、蓄えてある薪の太いのをいくつか抱えて戻った。『そんないい薪をいったいどこから?』とカイルが覗き込んできたが聞こえないふりをする。洞窟はいわばヴィハーンの聖域だ。忌々しい女王に押し付けられた、素性も知れぬ縁談相手なんぞに教えるつもりは毛頭ない。
岩で囲った竈に薪をくべて火を点ける。太い枝にくくりつけた肉を竈に掛けて、その下で燃える薪をならして広く火が当たるようにした。
『しばらく時間が掛かるんだろう? お茶でもどうだい?』
そう言ってカイルが湯沸かしのポットを焚き火の傍に置く。その時、素手で取っ手を持っていて竈の火に当たり『熱っ!』と慌てて手を引っ込めていた。どうやら本当にこういう事には経験がないらしい。
仕方なくヴィハーンは重ねた服の裾で湯気を吐く錫の湯沸かしの取っ手を持ち、カイルが蓋を開けて待っている茶のポットに注いでやった。
『ああ、いい香りだ』
カイルは目を閉じてポットから上がる香りをひと嗅ぎしてから蓋をする。だがヴィハーンに言わせればカイルが国から持ち込んだ茶葉はサンカラーラの茶に比べて香気も風味も全然足りなかった。だが世の中にはどんなものでも例外がある。カイルが籠の中から布の包みを取り出した。それを開いて四角く平たい小さな菓子を一枚手に取るのをヴィハーンは目の端で見る。カイルは微笑んでそれをヴィハーンに差し出しながら言った。
「さあ! 遠慮せんと、たーんとおあがりぃな|!」
「…………それも隣人から習った言葉か」
「そう、パドマ、言う、いつも」
カイルは『どうだ完璧な発音だろう!』と胸を張っている。確かに完璧だ。下町の年寄り特有のなまりを見事に再現している。
ヴィハーンはカイルの黄金の髪と抜けるように白く傷一つない肌、空のような青い目と荒々しさとは程遠い穏やかなしぐさからおよそかけ離れた、あまりにも残念すぎる言葉が飛び出す度に酷い頭痛を覚えた。
こめかみを押さえて黙り込んだヴィハーンを、カイルが不思議そうに見つめている。
『どうしたんだい、ヴィハーン。肉が焼けるまでビスケットをどうだい? 君、これ好きだろう』
ここでまたお茶と菓子を貰ってしまったらまた礼をしなければならなくなる。そうなればまたしてもこのやたらと陽気でおしゃべりな男と会うはめになる。これでは堂々巡りだ。そう思うのに気が付いたら菓子を受け取っていた。
口に放り込み、歯を立てる。さっくりとした独特な歯ざわりと、噛むなり口の中にぶわっと広がるバターと小麦の香りが非常に好ましい。サンカラーラの菓子はもっとずっと堅いか柔かいかのどっちかだ。
悔しいが美味い。あっという間に胃の腑に消えてしまった豊かな風味を密かに惜しんでいると、すかさず二つめが差し出された。
『何から何までしてもらうばっかりでは申し訳ないからね』
カイルがにっこり笑う。
『食べたまえ。正当な報酬だ』
「…………いただこう」
ヴィハーンはビスケットを受け取り口に放り込んだ。カイルがやけにしまらない顔をしてこっちを見ているのが不気味だ。
『どのくらいで焼けるんだい?』
「陽の刻一つぐらいだな」
『ええと……陽の刻一つは……だいたい一時間だったかな』
カイルが擦り切れた手帳を見ながら呟いた。ヴィハーンは前にもあの家でその手帳を見たことがある。どうやらこの国特有の言葉や物などの覚え書きらしく、あのタクールという商人の店のこともそこに書いてあった。
カイルが手帳に何か書き込んでいる。その拍子にヘシュカがずれて落ちかかるのを邪魔そうに何度も手で払っていた。
「……貸してみろ」
『え?』
ヴィハーンはカイルの返事を待たずに手を伸ばし、ヘシュカを奪う。そして縁を折って彼の白い額を覆い、裾を合わせてから自分の腰に差していた青石のピンで留めてやった。
「……ダンニャ ワード」
カイルが少し照れたように礼を言う。先ほどの聞き苦しい田舎なまりとは似ても似つかぬ、涼やかな声音が印象的な美しい発音だった。
それからしばらくヴィハーンとカイルは黙ってパチパチと爆ぜる薪の音を聞き、焼けて脂が落ちるたびにパッと散る火花や皮目がチリチリと焼けて縮んで美味そうな焦げ目がついていくさまを眺めていた。
ただ肉を焼いて食うだけでどうしてこんなに荷物が多いのかまったくわからない。その上、まるで天から落ちた星を拾いでもしたかのように上機嫌なのも不可解だ。
この男はわからないことだらけだ、とヴィハーンはわずかに苛立つ。
知識は力だ。ヴィハーンは発情を抑制する薬を知っているから、これまでもオメガたちのあざとい罠や女王の眷属たちのつまらぬいたずらやちょっかいを退けることができたし、森や洞窟で生きて行く術を知っていたから小うるさい一族がいる町から離れて一人静かに生活できている。
なのにこの金色の髪をしたオメガはあまりに突拍子がなさすぎてヴィハーンの知識や常識がまるで通じないのが腹立たしくて仕方がなかった。
それ以上カイルのことは考えないことにして、黙々と肉を焼く準備をする。カイルが『ぜひ使ってくれ』と出してきた塩や香辛料を擦り込み、傍に生えているいい匂いのする草の乾いたのと木の実を取って来て枝肉の腹に詰める。
「ここにいろ」
カイルにそう言って一人洞窟へ戻り、蓄えてある薪の太いのをいくつか抱えて戻った。『そんないい薪をいったいどこから?』とカイルが覗き込んできたが聞こえないふりをする。洞窟はいわばヴィハーンの聖域だ。忌々しい女王に押し付けられた、素性も知れぬ縁談相手なんぞに教えるつもりは毛頭ない。
岩で囲った竈に薪をくべて火を点ける。太い枝にくくりつけた肉を竈に掛けて、その下で燃える薪をならして広く火が当たるようにした。
『しばらく時間が掛かるんだろう? お茶でもどうだい?』
そう言ってカイルが湯沸かしのポットを焚き火の傍に置く。その時、素手で取っ手を持っていて竈の火に当たり『熱っ!』と慌てて手を引っ込めていた。どうやら本当にこういう事には経験がないらしい。
仕方なくヴィハーンは重ねた服の裾で湯気を吐く錫の湯沸かしの取っ手を持ち、カイルが蓋を開けて待っている茶のポットに注いでやった。
『ああ、いい香りだ』
カイルは目を閉じてポットから上がる香りをひと嗅ぎしてから蓋をする。だがヴィハーンに言わせればカイルが国から持ち込んだ茶葉はサンカラーラの茶に比べて香気も風味も全然足りなかった。だが世の中にはどんなものでも例外がある。カイルが籠の中から布の包みを取り出した。それを開いて四角く平たい小さな菓子を一枚手に取るのをヴィハーンは目の端で見る。カイルは微笑んでそれをヴィハーンに差し出しながら言った。
「さあ! 遠慮せんと、たーんとおあがりぃな|!」
「…………それも隣人から習った言葉か」
「そう、パドマ、言う、いつも」
カイルは『どうだ完璧な発音だろう!』と胸を張っている。確かに完璧だ。下町の年寄り特有のなまりを見事に再現している。
ヴィハーンはカイルの黄金の髪と抜けるように白く傷一つない肌、空のような青い目と荒々しさとは程遠い穏やかなしぐさからおよそかけ離れた、あまりにも残念すぎる言葉が飛び出す度に酷い頭痛を覚えた。
こめかみを押さえて黙り込んだヴィハーンを、カイルが不思議そうに見つめている。
『どうしたんだい、ヴィハーン。肉が焼けるまでビスケットをどうだい? 君、これ好きだろう』
ここでまたお茶と菓子を貰ってしまったらまた礼をしなければならなくなる。そうなればまたしてもこのやたらと陽気でおしゃべりな男と会うはめになる。これでは堂々巡りだ。そう思うのに気が付いたら菓子を受け取っていた。
口に放り込み、歯を立てる。さっくりとした独特な歯ざわりと、噛むなり口の中にぶわっと広がるバターと小麦の香りが非常に好ましい。サンカラーラの菓子はもっとずっと堅いか柔かいかのどっちかだ。
悔しいが美味い。あっという間に胃の腑に消えてしまった豊かな風味を密かに惜しんでいると、すかさず二つめが差し出された。
『何から何までしてもらうばっかりでは申し訳ないからね』
カイルがにっこり笑う。
『食べたまえ。正当な報酬だ』
「…………いただこう」
ヴィハーンはビスケットを受け取り口に放り込んだ。カイルがやけにしまらない顔をしてこっちを見ているのが不気味だ。
『どのくらいで焼けるんだい?』
「陽の刻一つぐらいだな」
『ええと……陽の刻一つは……だいたい一時間だったかな』
カイルが擦り切れた手帳を見ながら呟いた。ヴィハーンは前にもあの家でその手帳を見たことがある。どうやらこの国特有の言葉や物などの覚え書きらしく、あのタクールという商人の店のこともそこに書いてあった。
カイルが手帳に何か書き込んでいる。その拍子にヘシュカがずれて落ちかかるのを邪魔そうに何度も手で払っていた。
「……貸してみろ」
『え?』
ヴィハーンはカイルの返事を待たずに手を伸ばし、ヘシュカを奪う。そして縁を折って彼の白い額を覆い、裾を合わせてから自分の腰に差していた青石のピンで留めてやった。
「……ダンニャ ワード」
カイルが少し照れたように礼を言う。先ほどの聞き苦しい田舎なまりとは似ても似つかぬ、涼やかな声音が印象的な美しい発音だった。
それからしばらくヴィハーンとカイルは黙ってパチパチと爆ぜる薪の音を聞き、焼けて脂が落ちるたびにパッと散る火花や皮目がチリチリと焼けて縮んで美味そうな焦げ目がついていくさまを眺めていた。
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