竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話

カイルは肉が食べたい

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 だが、残念ながらあれから十日経ってもヴィハーンが家を訪れることはなかった。とはいえその間もカイルは時間を無駄にせず、新たに借りた寝室を掃除し裏の井戸で敷布を洗って干し、気候の違うこちらの国でも着心地が良さそうな服だけを残してあとの上着やコートは全部長持の中にしまい込んだ。

(とてもじゃないがこの蒸し暑さでネクタイなんて無理だ)

 典型的南部のレディーであった母親の躾のせいで、カイルは人と会う日でなくても紳士としての身だしなみはおろそかにしないという習慣が身に沁みついている。それでも日中は何もしていなくても汗ばむほどの環境で掃除だの洗濯だの細々と働かねばならないのにそんなことにこだわっている余裕はない。今ではカイルは常にシャツの腕をまくり、襟元のボタンも一つ二つ外したままだ。
 今朝もカイルは家の裏手に転がっていた盥と井戸の水で服や布巾を洗い、ついでに身体と髪も拭いてから勢いよく立ち上がった。

「さて、これを干してくるか」

 絞った洗濯物を盥に入れて表に回る。そして木の枝に張り渡したロープに並べて干した。のんびり草を食んでいるロバのところにも水を運んでやれば朝一晩の仕事は終わりだ。
 大富豪の次男として恵まれた生活を送り、家事などしたことがないカイルだったが、やってみれば意外とできるものだと自分で感心する。だがたった一つ、料理だけは駄目だった。

『おはようさん。ロティを持って来たよ』

 いつも通り藪を抜けて隣から来たパドマが抱えた籠を持ち上げる。

『ありがとう、毎日、とてもとても感謝』

 ペコペコと頭を下げて籠を受け取ると、中にはひらべったい種なしパンが何枚も入っていた。嬉しいことにまだ温かい。ちなみにこれは『ロティ』という。
 タクールの店で小麦や塩などを手に入れてから、カイルもパドマの指導のもとロティ作りに挑戦してはみた。だがなぜかカイルの作るロティはボソボソとして口当たりが悪く、パドマいわく『混ぜて捏ねて焼くだけでロバでも作れる』くらい簡単なのになぜか上手くできない。五回やって五回とも失敗してからはパドマに『小麦アタがもったいのうて見ちゃおられんわ。うちのついでにあたしがやるから粉だけ寄越しな』と言われてしまった。

 いつものようにパドマに礼を言って別れ、籠を持って家に戻る。そして船から持って来た日干しトマトとオリーブとハムの瓶詰を棚から持って来て開けた。

「瓶詰だって限りがあるし、またタクールの店に買いに行こうかな」

 それにそろそろ調理された温かい食事が、とくに肉が食べたい。

(町に食堂のような店はあるだろうか? 港の辺りでは夜に出店が並んでいるようだが……)

 そんなことを考えながらダラーに作って貰った背の高い椅子によじ登る。やたらと大きなテーブルでロティの上にハムと日干しトマトを乗せてかぶりついた。そして向かいにある空っぽの巨大な椅子を眺める。

(この椅子もテーブルもやたら高い棚も、全部ヴィハーンのための大きさなんだなぁ)

 自分には何もかもが大きすぎる家の中身を見回しながらしみじみ思った。

(寝台も大きすぎて僕なら二、三人は寝られそうだし)

 先日ヴィハーンが自分の寝室を明け渡してくれて以来、カイルは毎晩彼の寝台を拝借している。おかげで寒暖の差が激しいこの国の夜の寒さも楽にしのげるようになった。今は借りている寝台に船から持ち込んだ毛布と心配性の母に持たされた分厚い毛織のショールを何枚も重ねて、ふかふかで温かい最高な寝床を完成させた。

(次にやるべきことは……やはり食事の改善とこの近辺の探検だな)

 腹いっぱい肉が食べたい。そしてせっかく遠い異国の地へ来たのだからもっとあちこち見て回りたい。

(サンカラーラは竜蛇の神が造り、その末裔が治めるところと言われている。ではその神代を偲ばせる遺跡のようなものもあるのだろうか?)

 もちろんパドマやダラーにも知っている限りの単語を羅列して聞いてみた。だが彼らは自分の国の成り立ちや今現在の支配者などにはとくに興味がないようで、何を尋ねても『うんにゃナヒーン』と首を振るばかりだった。

「やっぱり聞くならヴィハーンしかいないよな」

 一人で質素な食事を済ませてカイルは高い椅子から飛び降りる。そして台所用品として便利に使っている桶に使った食器を入れて裏の井戸に行き、地面にしゃがんで皿を洗った。

(でも彼は彼でどうやら王家に対して思うところがあるようだったな。あの女王にもやけに反抗的だったし)
「聞いたらまた怖い顔で睨まれるかな」

 だが今のとこヴィハーンはほとんどいつも仏頂面でそっけない。なら多少機嫌を損ねたところで大した変化もなさそうだと気づく。

「いまさらか~」

 自分で言って自分で笑いながら洗った皿を空の桶に入れた時、ふいに地面が暗くなって瞬きをした。

「なんだ?」

 不思議に思って上を見ると、天を衝くような大男が恐ろしく不機嫌そうな顔でカイルを見下ろしていた。

『お前は相手もいないのに一人で話をするのか』
「ヴィ、ヴィハーン……」

 格好悪いところを見られてしまってカイルは立ち上がる。

「あー、『人、いない、わたし、ひとり、寂しい』だから……独り言ってこっちの言葉でなんて言うんだろう?」

 するとヴィハーンの眉間の皺がますます深くなった。

(今の言葉の一体どの辺が気に障ったのだろう?)

 気にはなったが、今はそれよりちょうどいいタイミングでいいカモがやって来たことを喜ぶ。

「いいところに来た、ヴィハーン! お茶にしよう!」

 逃がさぬようにガシッと太い腕を掴む。するといきなりベチン! と尻を叩かれた。

「えっ!? なに!?」

 さすがにこの年になって人に尻を叩かれるなどありえない。驚いて後ろを見ると犯人は四本ある腕の一つではなく巨大な尻尾だった。

「え!? 今君、僕を尻尾で叩いたのかい!?」
『フン』

 ヴィハーンは苦々しい顔で鼻を鳴らすと一人でのしのしと歩き出す。その後を追いかけようとして、彼が肩に何か担いでいることに気が付いた。

「それなんだい?」

 するとヴィハーンが足を止め『肉だ』と言った。

「え、肉!?」

 まさに天からの恵み! とばかりにカイルはすぐさま感謝の言葉を述べようとする。だがドサッと目の前に下ろされた物を見て出かけた言葉が喉に詰まった。

「確かに…………肉だね…………」

 皮を剥ぎ四肢と内臓を落とした、いわゆる枝肉というやつである。しかもかなり大きい。これまで料理などしたことがないカイルには多分ポークかマトンか、ということぐらいしかわからなかった。

「嬉しいけどどうやって調理すれば……?」
『お前たちは肉を食べないのか?』
「いや、食べるよ。食べたいんだが……」

 ヴィハーンはよくわからないという顔をしている。なかなかレアな表情だ。

「僕はいわゆる都会育ちのボンボンというやつでね。恥ずかしながら料理は不得意なんだ」

 何度挑戦しても岩のように硬かったロティを思い出してカイルは視線を泳がせた。だが次の瞬間いいことを思いつく。

「そうだ君、これの調理法を教えてくれ! そして一緒に食べよう! 君の家なんだからあの竈の使い方もわかるんだろう?」
『知らん』
「え?」
『俺は使ったことがない』

 今度はカイルの方が「よくわからない」という顔をしていると、ヴィハーンが『俺が食べる時は竈は使わない』と言った。

(もしかして竜蛇の民は生で食べるんだろうか?)

 その時、隣との境の藪がごそごそ動いてダラーが顔を出した。ダラーはしょっちゅう来てロバの世話をしてくれるのだ。そうだ、パドマに調理してもらおう! と思って声を張り上げる。

『ダラー! 肉、食べる、一緒!』

 だがダラーはヴィハーンを見るなり硬直してしまった。

『ダラー、これヴィハーン。家、彼の』

 だがダラーの顔にはダラダラと冷や汗が流れ、細長い黄色の目が限界まで見開かれている。その後ろから『なにボヤボヤしてんだい、あんた!』と声がしてパドマが顔を出した。すると彼女もヴィハーンを見てギュン! と目を吊り上げて固まってしまう。よくよく見れば彼らの細い尻尾もピンと突っ立っていた。

「パドマ? ダラー?」
(一体どうしたんだ?)

 このままでは二人とも失神でもして倒れそうだ。これは困ったぞ? と思った時、ヴィハーンが二人に向かって何か言った。すると止まった時が急に動き出したかのように二人は一目散に家へと逃げ出してしまった。

「……ヴィハーン、君ってそんなに怖がられてるのかい?」
『俺たちイーシュワラの眷属を見たら、大抵の者はああなる』
「イーシュワラ……王族ってことかな、なるほど」

 しかしこれでは肉の調理方法を聞くどころではない。カイルがどうしようか困っているとヴィハーンがため息をついて言った。

『俺が焼く。ただし外でだ』

 そう言って肉を担いだままくるりと踵を返す。

「えっ、外? それってピクニックってことかい?」

 時折母が催していた気の置けない野外の集まりを思い出して、急に気分が上がる。

「待ってくれ! 急いで用意するから!」

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