竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

文字の大きさ
上 下
13 / 44
Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話

おだやかな午後

しおりを挟む

 シュレンたちが帰った後、カイルはなんとなく家の入口の横の石に座って、庭の隅で木に繋がれているロバを眺めた。ずいぶんのんびりした気性らしく、突然連れてこられたにも関わらずムシャムシャと辺りの草を食べている。

「……水がいるな」

 それに荷物を家に運び込んで片付けないといけないし、中の掃除だってしたい。カイルは勢いをつけて立ち上がると昨日港と町を眺めた家の裏手に回る。そしてその時見つけた丸い煉瓦の囲いの上に乗せられた木の蓋を取った。

「やっぱり、井戸だなこれは」

 傍らには縄に括りつけられた手桶が転がっている。試しに中に桶を下ろしてから引っ張り上げてみると、ありがたいことにかなり綺麗な水が汲めた。カイルは一度家に戻って別の桶を取って来ると、そこに水を注いで運んだ。
 物置で見つけたボロ布を絞ってとりあえずテーブルや竈周りなどを拭く。そして埃だらけの床を見下ろしてモップがないことに気が付いた。

「お隣さんから借りられないかな」

 ならば、と庭に戻って運ばれてきた木箱を開ける。中には着替えやリネン類などの外に、母に持たされた大量のジャムの瓶とお茶の葉、そして芥子の種などが入っていた。

「相変わらず、ちょっとした病気ならスグリのジャムとお茶とカラシナの湿布で治ると信じているんだな、あの人は」

 カイルは丁寧にラベルの貼られた瓶を手にして微笑む。
 母エリザベスは最後の最後までカイルがここへ来ることを反対していた。いわく、そんな未開の土地にはどんな病原体があるかわからない、未知の病にでもかかったらどうなるのか、《旧世界》の野蛮なアルファにカイルが誘惑されてめちゃくちゃにされてしまったらどうしてくれる、と。

(まあ、でもアルファに誘惑されてってのは今後もなさそうだな)

 万が一力で押されたらさすがのカイルも彼らには敵わないだろうが、あそこまであからさまに迷惑がられていれば向こうがその気・・・になる可能性は皆無だろう。
 とにかく、縁談うんぬんはともかくこの故郷を離れて味わえるあまりに貴重な自由を思いっきり満喫しようとカイルは心に決めている。
 カイルはジャムの瓶を一つ取ると再び藪をくぐってお隣へ行った。

「ミセス パドマ!」

 カイルが大声で呼ぶと中からエプロン姿のままのパドマが出てくる。カイルはニコニコしながらさきほど借りた籠と一緒にはしりのイチゴの瓶詰を差し出した。

『これ お礼 ありがとう』

 カイルは知っている限りの単語を並べ、さらに身振り手振りも加えて『これはパンに塗って食べるものだ』と伝える。パドマは目をとんがらせた疑い深い顔でカイルと瓶を見ていたが、やがて受け取った瓶の蓋を開けて中の匂いを嗅いだ。そして指で掬って舐める。次の瞬間、黄色の目がパッと丸くなった。

「美味しいでしょう? うちのジャムは」

 ふいにパドマの顔の半分近くを占めている大きな口がにんまりと弧を描く。そしてまたペラペラとこちらの言葉で何かをまくしたてた。それをわかったようなふりで頷きながら「すみません、箒をお借りしたいんですが」と頼んでみる。そして扉の横に立てかけてある例の箒を指さすと、パドマは頷いてカイルに箒を差し出した。それから瓶と籠を持って家に入り、代わりに桶や布を持って出てくる。

「えっ、手伝って下さるんですか?」

 カイルの住まいに向かってスタスタと歩き始めた彼女の後について行きながらまた「ダンニャワード、ダンニャワード」と繰り返した。

 結局二人で半日かかって薄暗い小屋の木戸を全部開け、あの鍵が掛かった部屋を除いてすべての場所を上から下までひっくり返す勢いで掃除をした。あの物置部屋も整理してなんとか寝床らしい場所を確保する。
 途中、食堂兼台所にあるただ一つの椅子がカイルにとっては大きすぎるのを見て、パドマはまた何か言った後家を出て行った。そしてもう一人トカゲ人を連れて戻ってくる。擦り切れたシャツとゆったりとしたズボンを履いたそのトカゲは、どうやらパドマの夫のようだった。スボンの尻の部分には穴が開いていて、根本が太く先端にいくにしたがって細くなる尻尾が地面まで垂れているのが見える。うっすらと鱗に覆われた尻尾はまさしくトカゲそのものだが、昨日見たヴィハーンのやたらと太くて巨大な尾と比べればずいぶんとかわいらしいものだ。
 そのトカゲ氏は自分の胸を親指で突いて「ダラー」と言う。カイルはまた例の自己紹介を述べながら頭を下げた。

 ダラーはどこからか木の板と丸い棒をいくつか持って来ると、たちまち背が高くて背もたれのないバースツールのような椅子を拵えてくれた。しかも下の方に横棒を渡してくれたので、そこを足掛かりして容易に座ることができる。

「なるほど、これならこのテーブルの高さにも合うし、上り下りもしやすいわけか」

 カイルはダラーの見事な手際に感動して思わず拍手した。するとまんざらでもなさそうにダラーの尻尾がブンブンと左右に揺れる。
 それから三人は庭に出て適当な古布を敷き、カイルが開けた瓶詰のジャムとパドマが家から持ってきた薄焼きパンとで食事にした。
 どうやら夫婦はともにおしゃべりなようで、あれこれずっと話し続けている。それを聞きながら知っている単語が出れば相槌をうち、時折いろんなものを指さしながらこちらで何というのか尋ねたりした。

 藪を抜けて家に帰っていく二人を見送り、カイルはあの眺めのいい家の裏手の崖に回る。カイルが乗ってきた船はまだ港に着岸したままだ。お役人たちは一刻も早く国に戻りたがっていたようだが、燃料や食料などの積み込みにはもう少し時間が掛かるだろう。
 
 ベッドもなく、やたらと大きくて戸棚の一番上にも手が届かない不便な家で暮らすより、きちんと整えられた最先端の蒸気船の一等船室の方が過ごしやすいに決まっている。けれどカイルはあの船に戻りたいとはこれっぽっちも思わなかった。

(意外と僕は田舎暮らしに適性があったようだ)

 風味豊かなソースのかかった肉料理も皮目をパリパリに焼いた香ばしい魚料理もないし、うまいワインもふわふわの白パンもない。それでも雑草だらけの庭でトカゲそっくりな夫婦とにぎやかに食べた食事はとてつもなく美味しかった。

(これも全部ヴィハーンのおかげだ)
(次に会えたらぜひお礼を言おう。会えたらいいが)

 カイルは少しずつ傾いていく太陽と賑やかな港町を眺めながら、いつまでもそこにたたずんでいた。


しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果

ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。 そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。 2023/04/06 後日談追加

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

あなたと過ごした五年間~欠陥オメガと強すぎるアルファが出会ったら~

華抹茶
BL
子供の時の流行り病の高熱でオメガ性を失ったエリオット。だがその時に前世の記憶が蘇り、自分が異性愛者だったことを思い出す。オメガ性を失ったことを喜び、ベータとして生きていくことに。 もうすぐ学園を卒業するという時に、とある公爵家の嫡男の家庭教師を探しているという話を耳にする。その仕事が出来たらいいと面接に行くと、とんでもなく美しいアルファの子供がいた。 だがそのアルファの子供は、質素な別館で一人でひっそりと生活する孤独なアルファだった。その理由がこの子供のアルファ性が強すぎて誰も近寄れないからというのだ。 だがエリオットだけはそのフェロモンの影響を受けなかった。家庭教師の仕事も決まり、アルファの子供と接するうちに心に抱えた傷を知る。 子供はエリオットに心を開き、懐き、甘えてくれるようになった。だが子供が成長するにつれ少しずつ二人の関係に変化が訪れる。 アルファ性が強すぎて愛情を与えられなかった孤独なアルファ×オメガ性を失いベータと偽っていた欠陥オメガ ●オメガバースの話になります。かなり独自の設定を盛り込んでいます。 ●最終話まで執筆済み(全47話)。完結保障。毎日更新。 ●Rシーンには※つけてます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

元ベータ後天性オメガ

桜 晴樹
BL
懲りずにオメガバースです。 ベータだった主人公がある日を境にオメガになってしまう。 主人公(受) 17歳男子高校生。黒髪平凡顔。身長170cm。 ベータからオメガに。後天性の性(バース)転換。 藤宮春樹(ふじみやはるき) 友人兼ライバル(攻) 金髪イケメン身長182cm ベータを偽っているアルファ 名前決まりました(1月26日) 決まるまではナナシくん‥。 大上礼央(おおかみれお) 名前の由来、狼とライオン(レオ)から‥ ⭐︎コメント受付中 前作の"番なんて要らない"は、編集作業につき、更新停滞中です。 宜しければ其方も読んで頂ければ喜びます。

処理中です...