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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話
一日の終わりと翌朝
しおりを挟む薄暗い家の中に入ってまず最初に思ったのは『何もかもが大きい』ということだった。
まず天井が高い。石を積み上げて作ったいかにも頑丈そうな壁を見て、そこに取り付けられている棚の高さに首を痛めそうになる。
外の扉を入って最初にあるのは台所兼居間のような場所だった。隅に竈があり、中央に古びた木のテーブルと椅子が一脚だけ置いてある。全体的に物が少なく殺風景なほどだ。
試しに竈を覗いてみたが、カイルが見た事がないほど旧式で原始的な造りだ。おまけに使われた形跡がなく、周りを見ても調理器具や食器もほとんどない。
(一体誰の家なんだろう。ヴィハーンはなぜ僕をここに?)
締め切られた窓の木戸を開けてまわるとようやく部屋に明かりが差し込んだ。するとどこもかしこもうっすらと埃を被っていることに気づく。
「誰も住んでない空き家だったんだろうか」
いくつか扉があって、カイルは順番に開けて中を覗いてみた。一つは物置のようでさまざまなガラクタや家具が押し込められている。もう一つは家の裏手に出る扉で、最後の一つは鍵が掛かっていて開かなかった。部屋はそれで全部のようだ。
「うーん、これは一度掃除をする必要があるな。それに足りない物が多すぎる」
裏手の扉から外に出てみるとすぐそこが崖になっていて、見晴らしのよさに思わず目を見開いた。
(これはなかなかの眺めだ)
いつの間にか時間が経っていたようで、中天にあった太陽はかなり傾き、だんだん空が暗くなり始めている。遠く右手の方に見える港は働く男たちの数が減り、替わりに港から続く町の方に一つ二つと明かりが灯り始めていた。
「……綺麗だな」
ステイツを出発してから何十日も経っているのに、今頃になって不意に「自分は今、住み慣れた町から恐ろしく遠く離れたところに来ているのだ」と実感する。
(ずっと、これを望んでいた)
安全で守られた生まれ故郷の町。清潔で上品で安全で、全員が互いの顔を知っているが深い付き合いはしない。
誰も彼もがカイルを知っているあの町から離れて、一度でいいから好きに生活してみたかった。
ふとひんやりとした風が頬をなぶる。日中はかなり蒸し暑いが、日が傾くと急に気温が下がる土地柄のようだ。そんなところも好ましい、と思う。
「おっと」
景色に見惚れて危うく崖を踏み外しそうになり、慌てて飛びのく。カイルはもう一度町を見下ろしてから家に戻った。誰もいない家の中を見渡すと、なんだか急に疲れが襲ってくる。
「今日はいろいろあったからな」
まさに怒涛の一日だった。
カイルはあくびをしながらフロックコートを脱ぎ、台所のテーブルに放り投げる。それを見て眉をひそめる母親も、そっとコートを片付けてくれる使用人もここにはいない。それがなんだか妙に愉快だった。
カイルは鍵がかかっていない物置部屋へと向かう。ガラクタを乗り越え掛けられている布をどかすとその下から壊れかけた長椅子が現れた。
「ここでいいか」
カイルは一度戻ってコートを取って来ると、それを長椅子の上に広げる。そしてネクタイを緩めるとごろんと横になってあっという間に眠ってしまった。
◇ ◇ ◇
翌朝、コツコツと何かを叩くような音がして目が覚めた。のっそりと起き出して目をこする。一瞬自分がどこにいるのかわからなかったが、肩の痛みとギシギシに強張った身体のせいで我に返った。
「そうだ、僕はインデシアに……」
と呟きかけて口を閉じる。
「そうだ、確か本当の名は……」
――――ここはいにしえのイーシュワラの治める土地――――
昨日聞いた、あの腹の底に響く太い声を思い出した。
「サンカラーラ」
声に出して言ってみると、その異国の響きに妙に気分が高揚する。人間とは明らかに違う種族の者たちが生きるこの世界には、インデシアという名よりもその名の方がずっとしっくりくる、と感じた。
その時、ふたたびコツコツと小さな音がした。どうやら物置部屋の窓に嵌められた木戸から聞こえてくるようだ。起き上がって木戸を開けようとしたが、積み重ねられたガラクタが邪魔をする。おまけに鍵は錆びついているし戸も非常に重い。
「こりゃ無理だ」
仕方なくカイルは起き上がって伸びをした。途端に腹が音を立てて鳴る。
「昨日は何も食べず仕舞いだったものな」
乱れた髪を掻き上げてカイルは首に引っかかっていたネクタイを抜く。皺だらけのスーツを脱ぎシャツの首元を緩めると、埃っぽい家から外へ出た。
改めて庭を見ると明らかに雑草と思われる草があちこちに蔓延っている。
「果物のなる木が庭に……なんてことは都合よく起こりはしないよな」
それにしても腹が減った。だがあの埃っぽい家の中に食べ物があるとは思えない。
「そういえばシュレンとダンをほったらかしにしてきてしまったな」
放置したのはあの政府の役人たちも同じだが、そっちは割とどうでも良かった。
(なんとか居場所を知らせて荷物を運んでもらわないと)
今回船にはこちらの王族たちに献上するものや貿易品の見本などを積んできているが、何十日にも渡る航海に備えてカイルの個人的な持ち物もいくらか持参していた。その中には着替えや日用品も入っている。それがあればこの家での生活もだいぶんマシになるだろう。
「一度港まで降りて船に戻るか……」
と考えていた時だった。突然ガサガサッと物音がして、叫び声とともに何かが飛び出してきた。
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