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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話
新しい住処
しおりを挟むなんの遠慮も気遣いもなく大股で歩いていく男の後ろをカイルは走って追いかける。途中シュレンとダンの姿が中庭越しに見えて手を振った。
建物を出ると男は先ほどは気づかなかった脇道へ入っていく。ずいぶんと高い丘の上にあったようで、緩やかなカーブを曲がった途端崖下に広がった景色に思わず息を呑んだ。
(あれは……僕たちが上陸したラージャ・ストラの港か)
港で働く大勢の男たちがせわしなく行き来し、たくさんの積み荷が押し車で運ばれていくのが遠目にもわかる。どこまでも広がる海は太陽の光を反射してキラキラと輝き、カイルたちが乗っていた船から男たちが大きな木箱を下ろしているのが見えた。
港から内陸の方に入ると一転して人家と思しき建物がぎっしりと密集している。その一見無秩序な並びようが珍しくて、カイルは男の後を追いながらもついそちらに目を奪われていた。それがいけなかった。気が付くとずいぶんと遅れてしまって、慌てて走る速度を上げた。
男は相変わらずカイルを気遣うこともなくどんどん歩いていく。そして坂を下り細い道を抜けてさらに奥へと歩いていった。やがて木々が鬱蒼と茂りだし、辺りの景色が森のようになる。
(一体どこへ向かっているんだろう)
まさかこのまま森の奥に捨てられるのだろうか、と一瞬嫌な想像をしてしまったところで突然男が立ち止まった。
『入れ』
男が木戸のようなものを開けてカイルを見ている。
「あ、ああ。ありがとう」
礼を言って通るとそこは誰かの家のようだった。建物へと続く小道には雑草が生えていてあまり手入れはされていなさそうだ。庭らしき場所を抜けてたどり着いた建物には青く塗られた木の扉があった。彼のサイズに合わせてあるらしく、取っ手が随分と上にある。
男はドアを開けると、無言で中へと促した。カイルがその家に入ると中は薄暗くてあまり見えない。目が慣れるまでしばし待っていると、後ろから男の声がした。
『ここを使え』
「え? ああ、それはありがたいが、一体誰の家なん……」
と聞こうと振り向くと、驚いたことに男はとっくに歩き出して庭から出て行こうとしているところだった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
慌てて扉まで行って男を呼び止める。だが振り向いた男のあまりにも不機嫌そうな顔に言葉が喉に詰まった。男はまるでおそろしく苦い食べ物を食べたような顔をしてカイルに言う。
『先に言っておく。俺はつがいなど欲しくはないし、結婚そのものを望んでいない。お前がここにいたいのなら好きにしろ。だが俺に世話を期待するな』
冷たく、好意の欠片も感じさせない声音にカイルはこみ上げる感情をぐっと呑み込む。けれど立ち去ろうとする男の背中に向かってもう一度声を掛けた。
「ありがとう、この家!」
返事は期待していなかった。明らかに迷惑がられている上に、この国を植民地扱いするような真似さえしてしまっている。嫌われても仕方がないし、こんな風に住む場所を与えてくれただけでもありがたい。そう思って彼の後ろ姿を見送っていると、ふいに男が立ち止まって顔だけ向けた。
驚いたカイルは感謝の気持ちだけでも伝えたくてにっこり微笑む。そして何かいい言葉はないかと必死に記憶を探ったが浮かばず、仕方なく手を振った。それを見て男はなぜかますます不機嫌そうな顔になる。けれど唸るような声で一言、言った。
『……ヴィハーンだ』
「………………えっ?」
一瞬何を言われたのかわからず「習った単語の中にあったかな?」と首をひねる。
「え……あっ! ひょっとして名前!?」
気づいて慌てて木戸まで走って行ったが、すでに男の姿は生い茂る木々に隠れて見えなくなっていた。
(そうか……ヴィハーンって言うのか……な?)
名前……多分名前だろう、とカイルは一人ごちる。こちらが最初にきちんと名乗ったから、礼儀として彼も答えてくれたのだろうか。ただの義理かもしれないが、それでもやはり嬉しくてにんまり笑う。本国にいた頃は母によく「お行儀が悪いですよ」と言われていた顔。
カイルは空を見上げて伸びをする。
「とにかく、雨風をしのげる場所は手に入れたんだ。なんとかなるさ」
そして中を探索するべく、足取りも軽く家の中へ戻って行った。
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