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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話
カイルの見合い相手
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「……これはすごいな」
インデシア唯一の玄関口と言われるラージャ・ストラの港の様子を船の上から見下ろして、カイルは思わず声をあげた。岸には男たちの異国の言葉が飛びかい、みな船から投げられた綱を引っ張って着岸させたり木箱をいくつも担いで運んだりと非常に活気がある。
(背格好は人間より小さい者もいればずっと大きい者たちもいるな)
遠目にしか見えないが、荷運びをしている男たちはだいたいがやせ型で手足が長い。そして青や灰、黒や緑など様々な色の肌をしている。どの男も力が強いらしく、人間では持ち上げるのも不可能に見えるような荷を軽々と肩に担いで歩いていく姿を見てカイルは感嘆した。
カイルたちが桟橋に降りると、待ち構えていたらしいインデシアの男たちが数人近づいて来た。早速通訳のダンが彼らと話を始める。
今回の縁談は合衆国側の方が積極的に話を進めており、インデシア側は「とりあえずそのオメガを一度寄越してみよ」といった感じらしい。ダンたちの様子を見て、頭から受け入れを拒否されてはいないようでホッとする。
「それにしても蒸し暑いな」
後ろで政府の役人たちがうんざりとした声で呟いた。なるほど、現地の者たちは大抵は上半身裸で腰に布を巻いているだけの姿が多い。それに対してカイルたちは正装であるフロックコートにシャツとベストとネクタイ姿だ。役人たちは額に汗を浮かべ、げんなりとしている。生来の躾の良さからどんなに暑かろうが寒かろうが顔には出さないカイルでさえ、いささかこたえる暑さだった。
「ミスター、どうやらあれに乗って移動するようですね」
シュレンに言われて顔を上げると、灰色の肌をした現地の男たちが馬によく似た四つ足の動物を連れてくるのが見えた。さっそくカイルは彼らの手を借りてその背に乗り上げる。
近くで見る彼らは明らかに人とは違う顔立ちをしていた。眉間から口に向かって前に突き出していて、吊り上がった目の上には眉がなく、白目のない真っ黒な眼球の中に縦長の瞳孔が異彩を放っている。無言で差し出された手や腕には一切体毛がなく滑らかで、ひんやりと冷たかった。
「大抵の人間は初めてインデシアの住民を見ると蛇やトカゲを思い出すらしい。だがあんたはずいぶんと冷静だな」
「いや、充分驚いているさ」
小声で答えるとダンがニヤリと笑って目線で背後を示す。見れば例の役人たちが嫌悪の表情も露わにして彼らの手を振り払い、何か怒鳴り散らしていた。そして普通の馬より高い背になんとか自力で乗ろうと四苦八苦している。醜態を晒す彼らを放っておいて先へ進むと、ダンが近寄ってきて耳打ちをした。
「この先の館に王族たちが集まってるそうだ。俺だってそんなお偉方とは会ったことがない。どうする、縁談相手がトカゲの親分みたいなのだったら」
「その時はその時さ。それより……すごい大きさだな」
突然目の前に現れた石造りの巨大な建物を見てカイルは驚きの声をあげた。
(まるで神殿だ)
ヴァンダービルト家の屋敷の玄関ホールは二階までの吹き抜けになっているが、それよりずっと天井が高い。馬から降りて中へと歩いていきながら、暗くて見えない天井へ延びる太い柱や石壁、一面に施された彫刻に目を瞠った。
カイルたちを先導していた男がふいに立ち止まった。そして前を向いたまま深々と頭を下げる。カイルは反射的に前方を見て――――息を呑んだ。
『そなたがニンゲンのオメガとやらか』
鮮やかな色の布が敷かれた台座の上のはるか上の方から降って来たインデシアの言葉を、カイルはかろうじて聞き取ることができた。そしてそこに座る、あまりにも巨大な女の姿をあっけにとられて仰ぎ見る。
案内してくれた男がカイルたちに向かって何か言い、ダンが小声で通訳してくれた。
「彼女がこの国の女王だそうだ」
顔立ちはやはり人間とは違う。だが美しい女だ、とカイルは思った。
広い額から突き出した鼻先へなだらかな線を描き、頬の上や口元には輝く宝石を埋め込んだ飾りが見える。その目は薄暗い神殿の中で黄色に光り、大きな唇からは真珠のように白い牙が覗いていた。深く青い肌はところどころ滑らかな鱗に覆われていて、あちこちに灯された燭台の明かりを反射してきらめいている。
女王は片膝を立ててゆったりと座っているというのに、カイルの背丈の二倍はありそうだった。そして何よりもカイル驚いたのは、そこにいた王族たち全員腕が四本もあることだった。
彼らの放つあまりに大きな存在感にカイルはごくりと唾を呑み込む。理屈ではない。
(これがアルファの中のアルファ、支配する側の者なのか)
なけなしのオメガの本能とやらが彼らにひざまずけ、服従しろと命じる。だがここで容易く彼らに叩きのめされるのは嫌だ。とっさに湧き起こった反抗心に、カイルはきつく唇を噛み締める。
彼女の周りを同じくらい巨大な男女が取り巻き、光る眼でカイルをじっと検分しているように見えた。その中心にいて女王は一つの腕で頬杖をつき、もう一つの手には花を、もう一つの手には杯を持って冷たくカイルを見下ろしている。
すぐ隣でダンが冷や汗を垂らしながらも、ぐっと拳を握りしめて顔を上げている。だがそんな気概もない政府の役人たちはあっけなく尻もちをついてガタガタと震えていた。
『ふん、人間とはかように小さき者か』
女がそう言うと、周りを取り巻く同じくらい大きな男女たちが口々に言葉を述べる。
『なんとも弱々しげな。男のオメガと聞いたが■■■のような小ささではないか』
『うっかり踏みつぶしてしまいそうじゃの』
『こんなに小さくて我ら■■の民とつがえるのか』
その言葉に皆がクスクスと笑った。ところどころ分からない単語もあるが、その表情を見れば彼らの話している内容は想像がつく。
そりゃこの体格差ではな、と内心カイルも頷く。だがここで引き下がっては『婚姻を通して両者対等な国交関係を結ぶ』という目論見がおじゃんになってしまう。カイルとしてもさすがに到着してすぐ門前払いされるわけにはいかなかった。
カイルは、ともすれば彼らの放つ王気ともいうべき力に屈しそうになる自分を心の中で蹴り飛ばし、まっすぐに女王を見上げて声を発した。
「お待ちください。確かに私たち人間と貴方がた竜蛇の民とは異なる点が多々あります。ですが違うからこそ互いに供し合える利があるはずです。正式に交易が始まれば我々はこの国にはない様々な物資や技術などを提供することができます。その点をぜひ今一度お考えいただきたい」
隣でダンがカイルの言葉を訳して話すのを聞きながら「正直これは僕じゃなく政府のやつらの言うべきことだよな」と思う。だが彼らは後ろで腰を抜かしたままだし、カイルはどうしてもこのままステイツに帰りたくはなかった。
(せっかくここまで来たんだ。もっといろんなものを見ていろんな場所に行きたい。あの息が詰まりそうな生活に戻るなんて嫌だ)
女王が目を細め、隣の女に耳打ちをする。そしてカイルを上から下まで存分に検分しながら何か言った。彼女の話す言葉はダンから習った言葉とだいぶん違っていてよく聞き取れない。だがダンが時々詰まりながらもカイルのそばで必死に訳してくれた。
「女王が『確かに見合いをすると約束したから約束は果たす』と言っている。自分たちの一族からあんたに相応しいアルファを引き合わせるそうだ。つがいになるかどうかはあんたたち二人の問題だ、と」
「そうか」
女王が手を振ると、ここまでカイルたちを案内してきた男が小走りに駆けて行く。そしてどこかでドアの開く大きな音がして誰かが広間にやって来た。
(この人が……僕の縁談相手……?)
女王の前に並ぶカイルたちには目もくれず、男が彼女を見上げて立ち止まる。その姿にカイルは思わず目を見開いた。
女王よりはずっと小さい。それでもカイルと比べれば大人と子どもほどの差がある巨躯の男だった。
片肌脱ぎしたゆるやかな衣装から覗く浅黒い身体は息を呑むほど逞しく、背の高さも身体の厚みもカイルとは比べ物になりそうにない。漆黒の髪を頭のてっぺんで高く結い上げ、そこから幾本もの太い綱のように背中に垂れている。女王と同じく四本ある腕は恐ろしく太く、筋肉の隆起が深い陰影を刻んでいた。
けれど、それ以上にカイルの目を釘付けにしたのは、ゆったりとした下衣の尻の部分からどっしりと生えた極太の尾だった。
(……すごい……重そうだな……)
そんな馬鹿な感想しかなぜか頭に浮かんでこない。この時カイルは生まれて初めて『何を考えてもろくな言葉が出てこない』という状況を味わっていた。
『なんの用だ、女王よ』
ふいに石の床を伝ってカイルの腹に太く低い声がズン、と響く。それがその男の発した声だと気づくのに一瞬かかった。すると女王が青い唇を三日月のように持ち上げて男に言う。
『そなたの縁談の相手じゃ。仲よういたせ』
『……断る』
低く、唸るような声で男が答えた。
『俺は見合いなどしない』
その言葉にカイルは彼の太い尾から視線を上げる。その時、初めて男がカイルの方を見た。
粗削りな鑿で穿たれたような彫の深い顔立ちの中、真っ黒な目と金色の光彩が息を呑むほど鮮やかに輝いている。驚くことに、彼の顔立ちは人間によく似ていた。だがそこにあったのははるばる異大陸からやってきた縁談相手への興味や思いやりなどではなく、冷たい無関心とかすかな怒りのような感情の揺らめきだった。
男は一対の手を腰に当て、もう一対の腕を分厚い胸の前で組んだまま、カイルに向かって冷たく言い放つ。
『俺はオメガなどいらん。だからお前も必要ない』
そしてくるりと踵を返して行ってしまった。人間たちの誰も何も言えず、ただ黙ってその後ろ姿を見送る。カイルでさえ一言も言い返せなかった。背後では完全に気圧された政府の男たちがただパクパクと口を開け閉めしている。
(あれが竜蛇の民と呼ばれるアルファ……)
ステイツではアルファの誰もがやっきになってカイルの関心を引こうとおもねったり、逆にカイルを屈服させようとフェロモンで威嚇してきたりした。だがカイルの見合い相手であるあの男はカイルになんの興味も示さなかった。
自分の知るアルファとのあまりの違いに驚きながらも、カイルはふと自分が笑みを浮かべていることに気が付いた。パッと前を向いて女王に片膝をつく。
「女王陛下にお願い申し上げます。どうか直接彼と話をさせていただけないでしょうか」
ダンの通訳を聞いて、女王の唇が再び弧を描く。
『なるほど……これもまさしく《運命》かもしれぬのう』
すると彼女の背後で他の者たちがクスクスと笑いながら何かを囁き合う。女王が花を持つ手を持ち上げて男が去った方を指した。
『構わぬ。好きにせよ』
「ありがとうございます」
カイルは勢いよく立ち上がると優雅に一礼し、ダンやシュレンやまだ固まっている政府の男たちを後に部屋を出た。
インデシア唯一の玄関口と言われるラージャ・ストラの港の様子を船の上から見下ろして、カイルは思わず声をあげた。岸には男たちの異国の言葉が飛びかい、みな船から投げられた綱を引っ張って着岸させたり木箱をいくつも担いで運んだりと非常に活気がある。
(背格好は人間より小さい者もいればずっと大きい者たちもいるな)
遠目にしか見えないが、荷運びをしている男たちはだいたいがやせ型で手足が長い。そして青や灰、黒や緑など様々な色の肌をしている。どの男も力が強いらしく、人間では持ち上げるのも不可能に見えるような荷を軽々と肩に担いで歩いていく姿を見てカイルは感嘆した。
カイルたちが桟橋に降りると、待ち構えていたらしいインデシアの男たちが数人近づいて来た。早速通訳のダンが彼らと話を始める。
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「それにしても蒸し暑いな」
後ろで政府の役人たちがうんざりとした声で呟いた。なるほど、現地の者たちは大抵は上半身裸で腰に布を巻いているだけの姿が多い。それに対してカイルたちは正装であるフロックコートにシャツとベストとネクタイ姿だ。役人たちは額に汗を浮かべ、げんなりとしている。生来の躾の良さからどんなに暑かろうが寒かろうが顔には出さないカイルでさえ、いささかこたえる暑さだった。
「ミスター、どうやらあれに乗って移動するようですね」
シュレンに言われて顔を上げると、灰色の肌をした現地の男たちが馬によく似た四つ足の動物を連れてくるのが見えた。さっそくカイルは彼らの手を借りてその背に乗り上げる。
近くで見る彼らは明らかに人とは違う顔立ちをしていた。眉間から口に向かって前に突き出していて、吊り上がった目の上には眉がなく、白目のない真っ黒な眼球の中に縦長の瞳孔が異彩を放っている。無言で差し出された手や腕には一切体毛がなく滑らかで、ひんやりと冷たかった。
「大抵の人間は初めてインデシアの住民を見ると蛇やトカゲを思い出すらしい。だがあんたはずいぶんと冷静だな」
「いや、充分驚いているさ」
小声で答えるとダンがニヤリと笑って目線で背後を示す。見れば例の役人たちが嫌悪の表情も露わにして彼らの手を振り払い、何か怒鳴り散らしていた。そして普通の馬より高い背になんとか自力で乗ろうと四苦八苦している。醜態を晒す彼らを放っておいて先へ進むと、ダンが近寄ってきて耳打ちをした。
「この先の館に王族たちが集まってるそうだ。俺だってそんなお偉方とは会ったことがない。どうする、縁談相手がトカゲの親分みたいなのだったら」
「その時はその時さ。それより……すごい大きさだな」
突然目の前に現れた石造りの巨大な建物を見てカイルは驚きの声をあげた。
(まるで神殿だ)
ヴァンダービルト家の屋敷の玄関ホールは二階までの吹き抜けになっているが、それよりずっと天井が高い。馬から降りて中へと歩いていきながら、暗くて見えない天井へ延びる太い柱や石壁、一面に施された彫刻に目を瞠った。
カイルたちを先導していた男がふいに立ち止まった。そして前を向いたまま深々と頭を下げる。カイルは反射的に前方を見て――――息を呑んだ。
『そなたがニンゲンのオメガとやらか』
鮮やかな色の布が敷かれた台座の上のはるか上の方から降って来たインデシアの言葉を、カイルはかろうじて聞き取ることができた。そしてそこに座る、あまりにも巨大な女の姿をあっけにとられて仰ぎ見る。
案内してくれた男がカイルたちに向かって何か言い、ダンが小声で通訳してくれた。
「彼女がこの国の女王だそうだ」
顔立ちはやはり人間とは違う。だが美しい女だ、とカイルは思った。
広い額から突き出した鼻先へなだらかな線を描き、頬の上や口元には輝く宝石を埋め込んだ飾りが見える。その目は薄暗い神殿の中で黄色に光り、大きな唇からは真珠のように白い牙が覗いていた。深く青い肌はところどころ滑らかな鱗に覆われていて、あちこちに灯された燭台の明かりを反射してきらめいている。
女王は片膝を立ててゆったりと座っているというのに、カイルの背丈の二倍はありそうだった。そして何よりもカイル驚いたのは、そこにいた王族たち全員腕が四本もあることだった。
彼らの放つあまりに大きな存在感にカイルはごくりと唾を呑み込む。理屈ではない。
(これがアルファの中のアルファ、支配する側の者なのか)
なけなしのオメガの本能とやらが彼らにひざまずけ、服従しろと命じる。だがここで容易く彼らに叩きのめされるのは嫌だ。とっさに湧き起こった反抗心に、カイルはきつく唇を噛み締める。
彼女の周りを同じくらい巨大な男女が取り巻き、光る眼でカイルをじっと検分しているように見えた。その中心にいて女王は一つの腕で頬杖をつき、もう一つの手には花を、もう一つの手には杯を持って冷たくカイルを見下ろしている。
すぐ隣でダンが冷や汗を垂らしながらも、ぐっと拳を握りしめて顔を上げている。だがそんな気概もない政府の役人たちはあっけなく尻もちをついてガタガタと震えていた。
『ふん、人間とはかように小さき者か』
女がそう言うと、周りを取り巻く同じくらい大きな男女たちが口々に言葉を述べる。
『なんとも弱々しげな。男のオメガと聞いたが■■■のような小ささではないか』
『うっかり踏みつぶしてしまいそうじゃの』
『こんなに小さくて我ら■■の民とつがえるのか』
その言葉に皆がクスクスと笑った。ところどころ分からない単語もあるが、その表情を見れば彼らの話している内容は想像がつく。
そりゃこの体格差ではな、と内心カイルも頷く。だがここで引き下がっては『婚姻を通して両者対等な国交関係を結ぶ』という目論見がおじゃんになってしまう。カイルとしてもさすがに到着してすぐ門前払いされるわけにはいかなかった。
カイルは、ともすれば彼らの放つ王気ともいうべき力に屈しそうになる自分を心の中で蹴り飛ばし、まっすぐに女王を見上げて声を発した。
「お待ちください。確かに私たち人間と貴方がた竜蛇の民とは異なる点が多々あります。ですが違うからこそ互いに供し合える利があるはずです。正式に交易が始まれば我々はこの国にはない様々な物資や技術などを提供することができます。その点をぜひ今一度お考えいただきたい」
隣でダンがカイルの言葉を訳して話すのを聞きながら「正直これは僕じゃなく政府のやつらの言うべきことだよな」と思う。だが彼らは後ろで腰を抜かしたままだし、カイルはどうしてもこのままステイツに帰りたくはなかった。
(せっかくここまで来たんだ。もっといろんなものを見ていろんな場所に行きたい。あの息が詰まりそうな生活に戻るなんて嫌だ)
女王が目を細め、隣の女に耳打ちをする。そしてカイルを上から下まで存分に検分しながら何か言った。彼女の話す言葉はダンから習った言葉とだいぶん違っていてよく聞き取れない。だがダンが時々詰まりながらもカイルのそばで必死に訳してくれた。
「女王が『確かに見合いをすると約束したから約束は果たす』と言っている。自分たちの一族からあんたに相応しいアルファを引き合わせるそうだ。つがいになるかどうかはあんたたち二人の問題だ、と」
「そうか」
女王が手を振ると、ここまでカイルたちを案内してきた男が小走りに駆けて行く。そしてどこかでドアの開く大きな音がして誰かが広間にやって来た。
(この人が……僕の縁談相手……?)
女王の前に並ぶカイルたちには目もくれず、男が彼女を見上げて立ち止まる。その姿にカイルは思わず目を見開いた。
女王よりはずっと小さい。それでもカイルと比べれば大人と子どもほどの差がある巨躯の男だった。
片肌脱ぎしたゆるやかな衣装から覗く浅黒い身体は息を呑むほど逞しく、背の高さも身体の厚みもカイルとは比べ物になりそうにない。漆黒の髪を頭のてっぺんで高く結い上げ、そこから幾本もの太い綱のように背中に垂れている。女王と同じく四本ある腕は恐ろしく太く、筋肉の隆起が深い陰影を刻んでいた。
けれど、それ以上にカイルの目を釘付けにしたのは、ゆったりとした下衣の尻の部分からどっしりと生えた極太の尾だった。
(……すごい……重そうだな……)
そんな馬鹿な感想しかなぜか頭に浮かんでこない。この時カイルは生まれて初めて『何を考えてもろくな言葉が出てこない』という状況を味わっていた。
『なんの用だ、女王よ』
ふいに石の床を伝ってカイルの腹に太く低い声がズン、と響く。それがその男の発した声だと気づくのに一瞬かかった。すると女王が青い唇を三日月のように持ち上げて男に言う。
『そなたの縁談の相手じゃ。仲よういたせ』
『……断る』
低く、唸るような声で男が答えた。
『俺は見合いなどしない』
その言葉にカイルは彼の太い尾から視線を上げる。その時、初めて男がカイルの方を見た。
粗削りな鑿で穿たれたような彫の深い顔立ちの中、真っ黒な目と金色の光彩が息を呑むほど鮮やかに輝いている。驚くことに、彼の顔立ちは人間によく似ていた。だがそこにあったのははるばる異大陸からやってきた縁談相手への興味や思いやりなどではなく、冷たい無関心とかすかな怒りのような感情の揺らめきだった。
男は一対の手を腰に当て、もう一対の腕を分厚い胸の前で組んだまま、カイルに向かって冷たく言い放つ。
『俺はオメガなどいらん。だからお前も必要ない』
そしてくるりと踵を返して行ってしまった。人間たちの誰も何も言えず、ただ黙ってその後ろ姿を見送る。カイルでさえ一言も言い返せなかった。背後では完全に気圧された政府の男たちがただパクパクと口を開け閉めしている。
(あれが竜蛇の民と呼ばれるアルファ……)
ステイツではアルファの誰もがやっきになってカイルの関心を引こうとおもねったり、逆にカイルを屈服させようとフェロモンで威嚇してきたりした。だがカイルの見合い相手であるあの男はカイルになんの興味も示さなかった。
自分の知るアルファとのあまりの違いに驚きながらも、カイルはふと自分が笑みを浮かべていることに気が付いた。パッと前を向いて女王に片膝をつく。
「女王陛下にお願い申し上げます。どうか直接彼と話をさせていただけないでしょうか」
ダンの通訳を聞いて、女王の唇が再び弧を描く。
『なるほど……これもまさしく《運命》かもしれぬのう』
すると彼女の背後で他の者たちがクスクスと笑いながら何かを囁き合う。女王が花を持つ手を持ち上げて男が去った方を指した。
『構わぬ。好きにせよ』
「ありがとうございます」
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