竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話

インデシア大陸への船旅

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「そう言って本当にたったの一ヶ月の準備でさっさと出発しちまうとはなァ」

 大海原を渡る蒸気船の甲板でカイルに向かってそう言ったのは、通訳としてインデシアへの旅に帯同しているダニエル=アレスターという男だった。
「ダンと呼んでくれ」としょっぱなから気さくに笑って握手の手を差し出した彼は、貿易船の船長としてこれまで非公式にインデシアから香料やスパイス、織物や貴石類を取引していたという。カイルにとってはインデシア語の教師でもあった。
 無精髭の生えた顎を掻きながらニヤニヤ笑うダンを、カイルの従者兼秘書のシュレンが半目で睨んだ。

「何か問題でも?」
「いやいや、天下の鉄道王の次男坊で大陸一のオメガ様にしちゃァ、えらく思い切ったやつだな、と思っただけさ」
「あれ以上母の心配や小言や哀願や不吉な予言に付き合いきれなかっただけだよ」

 そうカイルが答えると、ダンは吹き出しシュレンは半目で「ただ単に貴方が一刻も早く初めての船旅に繰り出したかっただけでしょう」と言った。シュレンとはユニオン・ステイツ鉄道に入社して以来の付き合いだが、表ではともかく二人きりになると割と遠慮がない。
 彼は肩を竦めるといつものポーカーフェイスで言った。

「ですが、ミスターにとってはこれが最善の道だったかもしれませんね。あのままステイツにいても先が知れてましたし」
「そうかい?」
「政府はミスター・カイルにとってアルファと婚姻し優れた子孫を残すことこそ最大の責務と考えています。ですがあのリチャードのようなクソ野郎ばかりが相手では碌な未来じゃありません」
「ははっ、お前もなかなか言うなァ」

 ダンがどっと笑ってシュレンの肩を乱暴に叩いた。その手をシュレンが嫌そうに見ている。再び視線を大海原に戻したカイルにダンが葉巻を咥えて尋ねてきた。

「で、実際のところアンタはお相手のインデシアの王族との結婚を真剣に検討してんのかい?」
「もちろん。そういう約束でこうやって立派な船や随員まで仕立ててもらったんだからね。おまけに渡航費も滞在費もすべて政府持ちだ」

 するとすかさずシュレンが口を挟む。

「それくらい当然のことです。恩に着る必要はありませんよ。それよりダン船長は何度もインデシアに渡って現地の者たちと取引をしているのでしょう? 本当に我々人間とは似ても似つかない姿をしているんですか」
「ああ、そうだな。といっても色々だぜ?」
「色々じゃわかりません」
「あと数日で着くんだ。自分の目で確かめりゃいい」

 ニヤニヤ笑っているダンをシュレンが「役に立たないオッサンですね」と斬り捨てるのを見てカイルは思わず吹き出した。
 こんな風に軽口を叩きながらのんびり旅をするのは初めてのことだ。幸い船酔いもなく、正直楽しくてしかたがない。
 母エリザベスは「そんな蛮族とカイルが結婚だなんて!」とカイルをひどく心配していた。確かに不安がないといえば嘘になるが、それよりもほとんどの人間が見たことのない未知の世界をこの目で見られるという興奮の方がはるかに上回っていた。
 カイルは旅が始まって以来何度となくしたように、胸を膨らませて大きく息を吸い込む。蒸気船のデッキで吹かれる海風も潮の匂いも気持ち良くてたまらなかった。

 その時、柱の向こう側から誰かの話し声が聞こえて来た。振り向くとカイルに同行している政府の男たちがよろよろと甲板に出て来たところだった。

「ったく、何十日もこんな船に揺られるハメになるとはな。いまいましい波め」
「まったくだ」

 どうやら相手はカイルたちに気づいていないらしい。カイルはダンとシュレンに目くばせして柱の影に隠れる。

「しかし《旧世界》のやつらとの縁談だと? 馬鹿げた話だ」
「でもあっちのスパイスだの貴石だの貴重な薬だのが正式に取引できるようになればとんでもない儲けだろう?」

 すると最初の男がうんざりした顔で相手に言った。

「なぜインデシアが《旧世界》と呼ばれているか知ってるか? あっちは未だに蒸気機関もガス灯も銃もない未開の野蛮な土地だ。まさに文明に取り残された旧時代の世界だからさ」
「そんなところなら最新式のウェブスター銃を山ほどと大砲の百や二百でも持ち込めばイチコロじゃないか?」
「噂じゃあっちの王族とやらは象よりデカくてバイソンより狂暴らしい。中には角や牙のある者もいるという噂だ」
「おいおい、それじゃまさにバケモノだな」
「いくら”もっとも優秀なオメガ”だなんて言われてるあのお坊ちゃんだって、そんなやつら相手に……」

 そこまで聞いたところでシュレンに腕を引っ張られた。

「行きましょう」

 そっと船室に降りてドアを閉める。

「ったく、政府の役人もたいがいクソですね」
「本当に口が悪いね、お前は」

 なぜか一緒についてきたダンが、それを聞いてぶはっと噴き出した。カイルは真顔で怒っているシュレンの肩を叩いて言う。

「僕のことなら大丈夫だよ。なんとでもなるさ」
「……貴方は本当に楽観的ですね」
「そうでもなけりゃオメガとわかった時点で悲観して身投げしてるさ」

 だがあいにくカイルにそんな趣味はない。

「僕はこう見えて図太い方なんだ」
「それは見てればわかります」
「あんたら見ててほんと飽きないな」

 そう言って笑うダンを見ながらカイルは思う。

 この世界には全部で七つの大陸があるという。さまざまな種族があらゆる大陸を踏破し、領土を広げ覇権を争ってきた。そんな中で人間の歴史よりもはるかに古くからインデシア大陸を支配してきたという竜蛇の一族とはいったいどんな者たちなのか。そして王族に連なりながらまだつがいを持たず、《異種族》である人間のオメガを受け入れ娶ろうという相手はいったいどんな人物なのかひどく興味があった。

 まだ眉を顰めたままのシュレンにカイルは微笑む。

「初めての船旅で、果ての見えない海を日夜眺めながらつくづく思ったんだ。僕が生まれて過ごしてきた場所は全世界すべての海と大陸と比べれば恐ろしく狭い。やれ優秀だなんだと持ち上げられたって、あくまでそんなちっぽけな輪の中の話でしかないんだ」

 この縁談が持ち上がってからカイルはすぐさまインデシアと交易を行っている貿易会社を突き止め、直接交渉してダンを呼び寄せた。そして必死に旧世界の言葉を勉強してきた。他者の侵入を嫌い閉鎖的でどことも正式な国交を結ぼうとしない彼らを知るためには言葉くらい話せないとどうにもならないと思ったからだ。
 ダンからインデシアの話を聞くたびに、また自分たちとはまったく異なる異大陸の言葉を一つ知るごとに感動さえ覚えた。
 作り付けのデスクに散らばる自筆のインデシアに関するメモ書きを見下ろしてカイルは腕を組む。

「僕だって男だからね。それが突然オメガだと言われてやれ優秀なアルファとつがってたくさんのアルファを産めだのなんだのと頭ごなしに言われたって、正直『馬鹿言うな』以外の言葉なんて出てこないさ」

 ステイツでは大っぴらには言えなかったが、それがカイルの本心だ。

「この僕を”女”にしたいっていうなら僕より断然頭が良くて腕っぷしも強くて尊敬できて度量の広い男じゃなくてはな。そうだろう?」
「それで人間の男に見切りをつけて異種族のアルファを品定めに行くんですか」
「本当に大したタマだな、あんた」

 再び半目になるシュレンと葉巻を咥えてニヤニヤ笑うダンに、カイルはにっこり笑って答えた。

「ここだけの話、異種族のアルファというのに興味がある」
「興味って……」

 呆れたように言葉を返すシュレンにカイルは「大丈夫、なんとなるさ」と笑った。

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