竜蛇のつがいと運命論

伊藤クロエ

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Ⅰ ”最も優秀なオメガ”カイルのお見合い話

カイルのお見合い話

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 園遊会での騒ぎはたった一晩で新大陸ステイツ南部のほとんどの名士たちの知るところとなった。
 カイルはあれこれうるさい外野からの詮索や興味本位の視線から逃れるため、ここ数日は自宅に引きこもり父の書斎で書類の決裁を引き受けていた。

「まったく、ハンツヴィル・ラインのどこに新しい駅を建設するか、早く下見に行かなければならないこの時期に出社もできないとは……」

 珍しくカイルがそうぼやくと、従者兼秘書のシュレンが同情するような顔つきでそっとお茶のカップを執務机に置く。ありがたく一口飲みながら「まあ、どっちにしても私は現地へは行かせてもらえないだろうけどね」と呟いた。

(旅がしたいなぁ……)

 カイルはうっすらと煤に汚れた窓から外を眺めて思う。
 ここではないどこか。自分がカイル=ヴァンダービルトだと誰も知らないような、未知の場所に。

 その時、バタン! と音を立ててドアが開いた。見るといつもは沈着冷静な兄が息を切らして立っている。

「父上がお呼びだ、すぐに来い」
「兄さん、一体何が……」

 驚いて問おうとしたカイルを手で制し、兄ヴァージルはぎゅっと唇を噛んで姿勢を正した。

「カイル。大統領からお前に縁談の話が来た」
 

     ◇   ◇   ◇


「冗談じゃありません!」

 家族が集まった屋敷の奥の部屋で、エリザベスは悲鳴のような声をあげた。

「相手は恐ろしい《旧世界》の男ですよ! しかも人外の! アルファとは言っても化け物じゃないですか!」
「これは大統領閣下直々のご下命なのです」

 大統領の勅使としてやって来たアランが咳払いをして答える。

「閉ざされた古き神代の国、インデシア大陸との国交および貿易の樹立のために、かの大陸の者と新大陸ステイツの者とが婚姻を結ぶということこそ、両者の平和と繁栄のために必要だと」

(こりゃあとんでもない話だぞ)

 さすがのカイルも想像もしなかった事態にごくり、と唾を呑み込んだ。

 世界には大きく分けて七つの大陸があると知られている。そしてそれぞれ異なる種族が支配している。
 カイルたち人類が住むのは《新大陸》と呼ばれるこの合衆国ステイツだ。そして今回カイルとの縁談が持ち上がった相手は巨大な海を挟んだ遠い異大陸、インデシアと呼ばれる国の王族の息子だった。
 世界最古の国の一つであるインデシアには香料・スパイス・織物・貴石・鉱物など非常に珍しく貴重な産物が多く存在すると言われているが、彼らは非常に排他的かつ閉鎖的な種族で正式に国交を結んでいる国はない。
 それだけなら遥か昔から行われてきた国や上流階級同士特有の外交手段の再現でしかなく、カイルの母エリザベスもここまで反対はしなかっただろう。問題は「大陸が違えばそこに住む種族もまったく違う」ということだ。

「確かインデシア大陸を支配している王族は、竜蛇の神の血を引くという伝説があるんでしたね」

 カイルが大学で学んだ知識を反芻しながら言うと、アランがうなずく。

「その通りです。あらゆる伝手を辿っても王族と実際に会った者は見つけられませんでしたが、香辛料などを内々に取引している商会の船乗りたちから聞いた話では、人よりずっと大きくて力が強く、また目や肌の色も我々とは違うとか」

 それを遮るようにエリザベスが叫ぶ。

「それだけではありません! 髪は蛇で鋭い牙を持ち、肌は鱗で覆われているというではないですか!」
「母上、それはただの御伽噺や冒険小説のたぐいのものですよ」
「まったくの的外れなら物語の中に語られることもありません!」

 取り付く島もない彼女の態度がわずかに揺らいだのは、それまで押し黙っていたヴァンダービルト家当主ハロルドが口を開いた時だった。

「インデシアとの交易は莫大な利益を生み、この国のさらなる発展に大きな効力をもたらすことは間違いない。そのための両国の婚姻は手段として確かにわかりやすく、かつ有効性は高いだろう」
「そんな……っ」

 エリザベスはまだ何か言いたげに唇を震わせていたが、夫の顔を見て口をつぐみうつむいた。その様子を見てカイルは複雑な思いを抱く。
 母、エリザベスはオメガにしては珍しく才気煥発で頭の回転も速い。『オメガらしくないオメガ』と呼ばれるカイルは間違いなくこの母に似たのだろう。だがそんな彼女でも夫であるアルファには逆らえない。
 カイルは張り詰めた空気を払拭するように穏やかな口調で答える。

「まあまあ、母上。《旧世界》なんて、こんなことでもなければ行く機会は生涯あるかないかでしょう。こっちはもうすぐ夏だし、蒸し暑いこの街でうだうだしてるよりよっぽど楽しいかもしれないですよ」
「相変わらずそんな呑気なことを……」
「僕が行けばとりあえず大統領閣下への顔は立つでしょう。後は『気が合わなかった』とでも言って帰ってこればいいんですよ」

 エリザベスは自分より頭一つ半高いところにある息子のあっけらかんとした答えにため息をつき、アラン氏は光る額の汗を拭きながらホッとした表情を見せた。
 父ハロルドは何を考えているのか押し黙ったままで、兄のヴァージルはしかめっ面、姉マリアと妹ジョージーナは今にも泣き出しそうな顔をしている。
 そんな彼らの手前、カイルも神妙な顔つきで座っていたが、心の中では快哉を叫んでいた。

(未知の旧大陸インデシアだって!? すごい、この僕が大手を振ってそんなところに行けるなんて……!)

 しかも天下の合衆国大統領直々のお声掛かりだ。誰だってカイルの大旅行を妨げることなんてできやしない。
 カイルは厳しいしつけと教育とによって培われた如才ない笑顔で宣言した。

「これもきっと神の思し召し。すぐに準備してインデシアに行き、竜蛇の神の末裔と名高い王族のアルファとお見合いをしてきましょう」
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