仲良くしたいの。《転生魔法士はある日、森の中でクマさんと》

伊藤クロエ

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後日談(1)

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「よぉ、リツじゃないか」

 地面を覆う大量の枯れ葉を踏みしめてリツがたどり着くと、村の門番が手を挙げた。

「久しぶりだな。また森からいろいろ持って来てくれたのか? ハデルのおかみさんが手ぐすね引いて待ってるぜ」

 その気さくな言葉にリツは被ったフードの下で顔を緩める。門番は村を囲う木の塀を開けてリツを通してくれた。
 この世界ではどこの町や村でも必ず壁や塀でぐるりと囲まれている。魔獣の襲撃を防ぐためだ。以前訪れたことのあるカンダルやダールのような大きな町は立派な石の塀で囲まれていたが、この《黒の森》の近くにある小さな村では太い木の杭や厚手の板が精いっぱいのようだ。実際、この村には住民は百人もおらず、後は卵をとるための鶏と牛に似たわずかな家畜がいるだけで決して豊かとは言えない。けれどリツが訪れるたびに彼らは温かく歓迎してくれた。

「おや、リツじゃないか! そろそろ来てくれると思ってたよ」

 村の唯一の雑貨屋兼薬店に入ると、おかみがいつものキビキビとした口調で言う。リツはひとつ頷いて背負っていた荷物を降ろした。

「こんにちは、ハデルさん。こないだ言ってた薬草、手に入りましたよ」
「ああ、そりゃあありがたい。さ、こっちへお寄り。昨日からは昼でも暖炉に火を入れるようになったよ。冬ももうすぐだね」

 おかみは暖炉の自在鉤に掛けてある鉄の湯沸かしの取っ手を分厚い布で挟んで持ち上げる。ここのおかみさんは痩せた体躯からは想像もつかないほど力持ちだ。おかみは熱い湯をポットに注ぐとリツを呼んだ。

「裏のエリンばあさんが夏の間に収穫した薬草でお茶を作ってくれたんだ。後で一包みあげるから持ってお帰り」
「ありがとうございます、ハデルさん」

 リツはお礼を言って彼女が出してくれた腰かけに座る。そして渡された熱いお茶にふうふうと息を吹きかけた。

「ほんとだ。いい香りですね」
「だろう? 喉がすっきりするし、流感を防ぐのにいいって昔からこの辺りでは重宝されてるんだ。あんたは飲むの初めてかい?」
「…………初めてです」

 そう答えてリツはハーブティーのようなお茶を一口飲んだ。
 この世界にやって来てからずっとリツはひとりぼっちだった。仕事にありつけた時はゴダルや商隊の傭兵たちと一緒にいたが、こんな風にリツの健康に気を遣ってくれた者など一人もいない。
 もう一口飲むと、お茶の温かさが喉を伝わり腹に落ちてじんわりと全身に広がっていくのがわかる。おいしい、とリツは背中を丸めて深々と息を吐いた。

「じゃあ採って来てくれたのを見せてもらうよ。あんたはゆっくりお茶を飲んでな。そうだ、ハリー! 昨日焼いたクッキーを持ってきておくれ!」

 おかみが大声で呼ぶと、店の奥からおかみとは対照的に恰幅のいい小太りの旦那が素焼きの壺を持って現れた。

「やあ、リツ。いつも森からいろいろ採って来てくれて助かるよ。ほら、クッキーを食べなよ。こいつはトルアの実がたっぷりと入ってて、かみさんのお得意なんだ」
「ありがとうございます」

 子どもの顔くらいもある平べったくて大きな木の実入りのクッキーを貰ってリツは目を丸くした。すかさずかじりつくと、ざくざくとした触感とほんのりとした甘み、そして木の実のほろ苦さが口の中で混ざり合って涙が出るほど美味しい。お菓子なんて一体どれくらいぶりだろうか、とリツは一口一口ゆっくり噛み締める。

「月輪草にマダラキの葉、トルルカの実もあるね。ありがたいことだよ」

 おかみはリツの背負ってきた背嚢からあれこれと取り出しては目を輝かせる。

「こっちは見事な毛皮だね。銀狼かい? あんたと一緒に暮らしてるって人が獲ったのかい」
「ええ、俺ではさすがに無理なんで」
「そりゃあそんな細っこい腕じゃあ返り討ちにされちまうさ」

 と、おかみは豪快に笑うと、毛皮の裏を見ながら「それにしても綺麗に剥いであるね。見事な腕前だ。これなら町に持っていけば高く売れるよ」と感心した。

「おや、この包みはなんだい?」
「ああ、ガナンガルって魔獣の肝臓と心臓を干したやつです」
「ガナンガルの心臓だって!?」

 おかみとハリーが驚きの声を上げる。

「あんた、そりゃあものすごく貴重な薬の材料じゃないか! この辺りじゃ一番の薬師だったうちのおばあさんに話は聞いたことはあるけど、実際に見るのは初めてだよ!」
「《黒の森》の奥にしか出ない魔獣なんだろう? よっぽどの手練れが徒党を組んででもなきゃ、とてもじゃないがあの森には入っていけねぇからな」

 そう言ってハリーが首を振る。

「長年近くに住んじゃあいるが、あの《黒の森》はおかしなところさ。夜になればいつも恐ろしい獣どもの唸り声が聞こえてくるし、実際あの森に入って行った者は誰ひとり帰っちゃこなかった。そのくせあの森の生き物は決して森の外には出てこねぇ。こんなちっぽけな村でもやつらに襲われずに生き延びていられんのもそのお陰だけどな」

 おかみがリツの目を見て言った。

「あんた、これは相当な値のつく代物だよ。そうだね、春になったらロイダーんとこの息子が村の税を収めにカンダルへ行くから、その時にあっちの薬師に売って、それからあんたにその代金を……」

 カンダルの薬師、と聞いてリツはハッとする。

「い、いえ、ハデルさん。お金はいいんです。いつも村の人たちにはお世話になってるし、だからそれは村の人が病気になった時に……」
「でもね、これだけのものはちゃんと扱いを知っている手練れの薬師じゃないと。駄目にしちまったら大変だよ。あたしもちょっとした薬なら作れるが、残念ながらおばあさんの腕前には到底及ばないからね」

 雑貨屋のおかみである彼女は村の薬師も兼任していると聞いていた。だから彼女なら上手く役立ててくれると思っていたリツは、思わぬ成り行きに動揺してしまう。ところがリツの様子をじっと見ていたおかみが頷いた。

「わかった。あんたはこれの出所を探られると困るんだね」

 リツが答えられずにいると、おかみはどんと胸を叩いて言う。

「ならこれは、たまたま村に立ち寄った流れの旅人が宿代替わりに置いて行ったってことにするよ。大丈夫、ロイダーんとこの息子は怠け者だが頭は回るからね。あんたらのことは誰にも知られないように上手く立ち回るさ」
「……はい」
「売れたら報酬は金より別のものがいいかい? 武器とか香辛料とか。森の中じゃ金貨や銀貨なんてあっても役に立たないからね」

 カラカラと笑うおかみにリツはホッと胸を撫で下ろす。

「ありがとうございます」
「いいんだよ、色々あるさ」

 それからリツはおかみとハリーにお茶とクッキーのお代わりを振舞われ、森で採集した薬草の代金の代わりに小麦と塩と砂糖と蜜蝋を手に入れた。

「あんた、もし良かったら鶏も一、二羽連れて帰ったらどうだい。うちのがまたたくさんひよこを産んだからね」

 おかみが言うと、ハリーが「そりゃあいい。どれ、わしがすぐに籠に蓋をしたやつを用意してやろう」と立ち上がろうとする。リツは慌ててそれを止めた。

「いえ、いいんです」
「卵が取れるようになったら便利だろうに。遠慮するこたないんだよ」
「いえ……生き物は……いいんです」

 リツが重ねて断るとおかみもハリーも不思議そうに首を傾げる。

「そうかい……なら欲しくなったらまたお言い。そうだリツ、悪いけど森へ帰る前にネリーばあさんのところに寄ってやってくれるかい? 最近朝晩冷えるせいか腰が痛くてたまらないと言っていたからね」
「わかりました。そうします」

 リツは村の年寄りたちに癒しの魔法をかけてやり、そこでまたお茶の葉や日持ちのする堅焼きパンや蝋燭に油、いい匂いのする干し草をぎゅうぎゅうに詰め込んだ枕まで貰ってしまった。大荷物で戻って来たリツを見て雑貨屋のおかみは腹を抱えて笑う。

「あんた大丈夫かい。そんなに抱えて森まで戻れるのかい? ハリー、あんたちょっと途中まで送っておあげな」
「ああ、そうだな」
「いえ、大丈夫です」

 気持ちはありがたいが、そうして貰うわけにはいかない理由がリツにはあった。

「じゃあ、次に来るのは多分冬が終わったらだと思います」
「そうだね。今年は雪が早そうだよ」

 店の軒先で灰色の空を見上げながらおかみが言う。

「前も言ったけど、せめて冬の間だけでも村で暮らせばいいのに。もちろんあんたのツレも一緒でいいんだよ」
「そうだとも。空いてる家だってあるし、来るならわしがすぐに住めるように手入れだってしてやるさ」

 そう誘われたのはこれが初めてではなかった。その気持ちがありがたくてリツは微笑む。するとおかみはため息をついてリツの肩を叩いた。

「くれぐれも病気や怪我には気をおつけ。何か困ったことがあったらすぐに村に来るんだよ」
「はい、ハデルさんたちもお元気で」

 リツは村を出て森へと続く小道をえっちらおっちら大荷物を担いで歩いて行く。でもリツは道中の心配はしていなかった。

(だって、ほら)

 ふと気配を感じて立ち止まる。すると案の定、鬱蒼と茂る木立の向こうに見えた人影にリツは微笑んだ。

「迎えに来てくれたの?」

 のっそりと現れたノルガンは足音もなく近づいてくると、山ほどの荷物をあっという間にさらって歩き出す。リツは慌ててそのあとを追いかけた。
 ニメートル近いノルガンとその胸ほどまでしかないリツとでは歩幅がまったく違う。リツはほぼ手ぶらに近いというのになかなかノルガンと同じペースで歩くことができない。
 カサカサと落ち葉を踏みしめる音とリツの少し乱れた息遣いだけが静まり返った森に響く。その呼吸の音で気づいたのだろう。ノルガンが足を止め、振り返った。

「ごめん」

 するとノルガンは黙って前を向き、今度はもっとゆっくり歩き始めた。
 リツは落ち葉の下に大きな石でも転がっていないかと注意深く足元を見ながら歩く。《黒の森》に出る魔獣を、リツは心配していなかった。ノルガンがいるからだ。
 ノルガンはいつ何をしていても必ず魔獣の気配を察知する。以前はリツも森を歩く時は用心して気配感知の魔法を使っていたが、最近はその点は全てノルガンに任せていた。
 途中、ノルガンが立ち止まって上を見た。何かあったのだろうかとリツも顔を上げるがわからない。するとノルガンが荷物を地面に置いて大木の前に立った。そしてずっと上の方の枝から何かをもぎ取る。

「あ、エダルの実だ」

 赤くて甘いその実を、ノルガンは見つけるたびにリツにくれる。エダルだけじゃない、美味しいけれどとても硬い殻に覆われたペカンの実もノルガンは殻を割り、中の実だけを集めてリツに食べさせてくれるのだ。それを昔、旅の途中に出会った半獣の弓兵に「まさにオスの求愛行為さ」と言われて思わず赤面してしまったことを思い出す。

「ありがとう」

 気恥しいのをこらえて礼を言うと、ノルガンがじっとリツの顔を見た。そしてほんの少し、ごくわずかに目を細める。彼のいつにない表情の変化についどぎまぎしてしまい、苦し紛れに口を開く。

「ええと、は、早く帰らないといけないよね。日が暮れるまでにしないといけないこと、まだいっぱいあるし……」

 するとノルガンがまた無言で荷物を背負って歩き出した。

(やだな、心臓がドキドキしてる)

 なんでだろう、顔が熱くてたまらない。置いて行かれそうになったリツが慌てて駆けだすと、ノルガンが気づいて振り向く。その隣を一生懸命歩きながら、ずっとリツはふわふわと落ち着かない気持ちだった。
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