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ダールの町~?【完】
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(今日は2話同時更新しています)
---------------------------------------------
「リツ……リツ! 良かった、気が付いたか!?」
突然名前を呼ばれて、リツは一瞬自分が生きているのか死んでいるのかわからなかった。どこかの部屋の誰かのベッド。リツはただただ茫然と目を開く。自分を覗き込む顔に見覚えがあった。しばらく考えて、リツは気がついた。
「…………ロウさん……?」
それはカンダルの町でリツたちを家に泊めてくれた半獣の兄弟の片割れだった。するとロウは見るからにホッとした顔で肩の力を抜いた。
「ああ……良かった。もう駄目かと思ったぜ」
どうやらベッドに寝かされていたらしいリツは、ロウに背中を支えられて起こされた。そして木の椀を手渡される。
「ほら、スープだ。まずはこういうもんから胃を慣らしていかないと。なんせ一週間も飲まず食わずだったんだからな」
「あ、あの、ここは……?」
「ここはダールの町の宿屋だ。あんたは二日前に助け出されてこの宿に連れてこられたんだ」
それを聞いてリツは震える声で尋ねた。
「あの……ノルガンは……?」
「その前にあんたに聞きたいことがある」
そう言ってロウの後ろから現れたのはカレンだった。
「……あんた、ノルガンとはどういう関係なんだい」
「え……っ」
厳しい顔をして尋ねるカレンに隣のロウもうなずいて口を開く。
「あいつは俺たちと同じ半獣だが、俺たちとは比べ物にならないくらい獣の血が濃い。それでもあいつはあんたを大事にしてた」
「あいつは奴隷の首輪をしていたけど、あんたが主人のようには見えなかった。何か事情があるんだろうとは思ってたけど、あたしらは何も聞かずにいた。それはあんたたちがまるで番のように、あたしらには見えない何かで繋がってるように見えたからさ。でも」
そう言ってカレンがリツの首に巻かれた包帯に目をやった。ノルガンに繰り返し噛みつかれたうなじがズキリ、と痛む。
「あんたに改めて聞く。あんたはノルガンに脅されたり無理矢理連れて来られたのかい? もしそうなら今言いな。あたしらがあんたを逃がしてあげるから」
あまりにも突然すぎる展開に頭が追いつかない。けれど口から出た言葉はたった一つだった。
「ノルガンに、会わせてください」
「リツ」
「違う、ノルガンは俺を脅したり、無理矢理何かをさせようとしたことなんてない」
スープが入った器が落ちる。
「ノルガンは、ノルガンは俺を傷つけたりしない。だって……」
リツは力の入らない手を必死に伸ばしてカレンの腕を掴んだ。
「だってノルガンは俺を食べなかったじゃないか……!」
そうだ、今リツが生きてここにいるのがその証拠だ。
ノルガンはリツを食べなかった。
(なんで? どうして?)
ぼた、とリツの目から涙が落ちた。
「……俺、ノルガンに捨てられたの……?」
するとカレンとロウが困ったように顔を見合わせる。それを見てリツは大声で泣き叫びたくなった。こみあげそうになる嗚咽を噛み殺して拳を握りしめる。するとカレンが参った、といわんばかりの顔でため息をついた。
「やれやれ。ああ、そうじゃないよ。ほら、大丈夫だから泣きなさんな」
そう言って懐から出した布で乱暴にリツの顔を拭う。それを見下ろしながらロウが眉尻を下げて笑った。
「なあ、覚えてるか? 前にカンダルの町であんたらに絡んでた探索者がいただろう。あいつら勧誘を断られたことにえらく腹を立ててたようでな。ギルドのやつらと組んで何やらきな臭いことを企んでるみたいで、俺たち一家みんな心配してたんだ。だから俺が代表であいつらの跡をつけて来た。こう見えても薬の交易で国境の山にだって何度も入ったことがあるんだ。足には自信がある」
そうだったのか、とリツは鼻をすすりながら頷いた。
「そんでこのダールに着いたらこの姐さんたちが真っ青な顔してあんたを探しててな。互いに事情を話してやっと合点がいった。それで俺があの山に登って行ったら、あんたを抱いて降りて来るあいつに出くわしたんだ」
「ノルガンが、俺を……?」
リツは驚いて言葉を失った。
(どうして? ノルガンは俺を食べたかったんじゃないのか?)
それとも食べようとしたけどやっぱり不味かったんだろうか。最後の最後でノルガンにも価値がないと見捨てられたような気がしてまた目の奥が熱くなる。するとカレンが困ったようにまたリツの目元を擦りながら言った。
「あんた、こんなに泣き虫だったのかい? チビだけど気丈なやつだと思ってたんだけどね」
「す……すみません……」
いい年をして、まさかこんな人前で涙を流すなんて。あの狭くて真っ暗な洞窟らしき場所で頭も涙腺もおかしくなったままなのだろうか。
カレンから受け取った布で目を拭い鼻をかんだところでロウが言う。
「で、あんたはやっぱりあいつに会いたいのか?」
リツは少し考えてから頷いた。
怖さがないと言えば嘘になる。でもリツはどうしても「なぜノルガンが自分を食べなかったのか」知りたかった。
「わかった。なら行くよ」
カレンがリツの布団を剥ぎ、顎で部屋の扉を指した。
「あいつは今、下にいる。ドーリーさん……あんたらがこのダールまで護衛してきたあの人だよ。あの人の奥さんの実家はこのダールじゃなかなかの大店でね。それなりの権力もある。あの人がノルガンを庇って後見人になってくれたのさ。だからあんたらはとりあえずは安全だ。ほら立てるかい? 癒しの呪文をかけてやるから」
「……ありがとうございます」
そういえばあの洞窟でカレンに教わった呪文がリツに最後の力を与えてくれたのだった。お礼をしなきゃ、とリツは思う。そしてせっせとリツの肩に上着を掛けたり靴を履かせてくれたりしているロウとカレンや、ノルガンの後見人になってくれたというあの商人のことを考えて微笑んだ。
この残酷で不条理な異世界で、こんなに親身になってくれる人がついに自分にもできたのだ。
◇ ◇ ◇
弱って立たない足腰を二人に支えられてなんとか宿屋の裏口に行くと、一人の男がこちらに背中を向けて石造りの段に座っていた。ロウとカレンは気を遣って立ち去ってゆく。
一体どれほど眠っていたのかわからないが、太陽は西にだいぶ傾いていて間もなく日が暮れる頃だと気が付いた。
リツが一人でそこにいることにとっくに気づいているはずなのに、ノルガンは動かなかった。裏口の木戸にすがって立つのもやっとだというのにノルガンは助けに来ない。こんなことは初めてだ。
リツはなんとかノルガンに向かって足を踏み出そうとするが、一歩進んだところで突然カクッと膝の力が抜けてしまった。
「……ノルガ……っ」
地べたに倒れ込みそうになる寸前、丸太のように太い腕がリツの胴を抱え込む。その腕にしがみつき、重たい身体に鞭打って顔を上げた。高い場所から自分を見下ろす顔は影になっていてよく見えない。リツは枯れてひび割れた声を懸命に振り絞った。
「ノルガン、なんで俺を食べなかったの」
ノルガンは答えない。ゴダルの商隊にいた時のように押し黙ったまま、ただリツを見ている。それが無性に悲しかった。
「ノルガン、どうして何も言ってくれないんだよ。なんで俺を食べなかったの?」
それでも言葉を返してくれないノルガンに熱い塊が喉の奥からせり上がって来る。
「……っ、もう、お、俺に名前呼ばれるの、いらなくなっちゃった……?」
「違う」
ようやく聞こえた声は記憶そのままに低くて太く、わずかに掠れていた。その声を聞くと、あの何も見えない暗闇の中でぴったりとくっつき合い、彼の声と息遣いと自分に触れる高い体温だけが頼りだったあの瞬間がまざまざと蘇る。そして胸や腹の奥底がじんわりと温かくなっていく感覚に目を細めた。
ノルガンがリツを見ている。冷たくて薄い青色の目。やはり綺麗だ、とリツは思う。そしてこの氷のような色の奥に揺らいでいた熱を思い出した途端、身体のどこかが不意に疼いて身を強張らせた。だがそれを抵抗と受け取ったのかノルガンの腕の力が緩む。それが嫌でリツはとっさに彼の胴にきつくしがみついた。
「ノルガン、ねえ、教えてよ」
今までだったらこれ以上ノルガンに何かを追求しようなどとは思わなかっただろう。
理由はいろいろある。
下手なことを言って嫌われたくない。
まるでノルガンを信用していないように思われたら困る。
自分にとって都合の悪い、恐ろしい何かが返ってきたら怖い。
全部リツが臆病でずるかったせいだ。
ごくり、とリツは唾を呑み込む。そして勇気を振り絞って尋ねた。
「ノ、ノルガンは、どうして俺を食べなかったの?」
長い長い沈黙の後に返ってきた答えにリツは瞬きした。
「……………………喰ったら、なくなる」
「……まぁ……確かにそうだよね」
食べればなくなる。当たり前のことだ。ということは。
「……お、俺がいなくなったら、いやだったの……?」
あの洞窟に何日も閉じ込められて、ノルガンだって相当腹が減っていたはずだ。なのに食べなかった。飢えよりも『リツにいて欲しい』という願いが勝った。つまりはそういうことなのか。
リツは一生懸命目を見開いてノルガンの顔を見ようとする。彼は珍しく微妙に視線を逸らしていて、それでもリツを支える腕と手には相当な力が籠っていて絶対に逃がさないと言われているようだった。
「あの……ノルガンは俺のことが好き……なの?」
そう尋ねるとノルガンがわずかに首を傾げた。『好き』という言葉の意味がわからない。そんな感じの表情だった。
「俺とずっと一緒にいたいって思ってる?」
そう言葉を変えるとノルガンはこくりと頷いた。
(ノルガンは、本当に俺のこと好きなんだ)
そう思った途端、じわじわと顔が熱くなる。
ノルガンはリツが好きだから。だからリツを食べず、死にかけていたリツを救うためにあの洞窟を出て山を下りたのか。
ノルガンのあの目が見たい。リツは首を伸ばしてなぜか他所を向いたままのノルガンを覗き込んだ。
「な、なんで俺を見てくれないの?」
またしてもずいぶん長い時間が経ってからノルガンが言った。
「見るとまた腹が減る…………かもしれない」
本当ならここは怯えたり怖がったりするところだったと思う。なのに口から飛び出たのは「ふふっ」という小さな笑いだった。
ノルガンはリツが好きで食べたいと思っているのに一生懸命我慢をしている。そう思うと、この大きくてとてつもなく強くて時に恐ろしく残酷に人を殺せる半獣の男がたまらなく可愛らしく見えた。
リツは手を伸ばし、そっぽを向いたノルガンの高い頬骨をそっとなぞる。
「……あのね、俺、ノルガンになら食べられてもいいって思った。本当だよ」
あの時は意識が朦朧としていたけれど、でもやっぱりあの気持ちと覚悟は嘘じゃなかったと思う。でも今はこれまでと違った意味で『死にたくない』と思った。
「俺もノルガンと一緒にいたい。ノルガンと一緒に生きていたいな」
するとノルガンが目を逸らしたままゆっくりと頷いた。そしてリツの肩に深く顔を埋めてきつく抱きしめてくる。まるで迷子の子どもみたいだ、と思った。内臓を圧迫する息苦しさと軋む骨に耐えながら、リツもノルガンの太い首に両腕を回して尋ねた。
「ノルガンはどうしたい……?」
しばらくして肩のあたりでノルガンのくぐもった声が零れる。
「リツと、俺だけがいい」
「……俺と二人だけでいたいってこと?」
そういえばダールの食堂でノルガンが突然リツを噛んだ時、リツは陽気に騒ぐカレンやドワイトたちと話したり、彼らと共に過ごすことをとても楽しいと思っていた。もしかしたらそれが嫌でノルガンは急に怒り出して首に噛みついたりしたのだろうか。
「じゃあこれからは二人だけでいよう」
獣人たちに寛容なこのダールの町はとても居心地がいい。この町でカレンたちと一緒に騒いだり、ギルドの試験を受け直して銀級への昇級を目指したり護衛の仕事をしたりするのは、きっととても楽しくてやりがいがあるだろう。
でもそんな生活とノルガンとどちらか片方だけを選ばなければいけないと言われたら、リツの答えは決まっていた。
リツは精一杯力を込めてノルガンを抱きしめる。
「一緒に行こう。これからはずっと俺たち二人だけだ」
ノルガンが腕を緩めてようやくリツの顔を見た。その目は相変わらず無表情だけれど、冷たい薄氷色が熱を孕み欲望に濡れてリツを射抜く瞬間を知っている。きっと彼のそんな目を見たことがあるのは自分だけだ。そう思えば惜しいものなど他にはなかった。
ノルガンが大盾と戦斧を掴み、反対の腕でリツを抱き上げる。リツはノルガンの首に腕を回してしがみついた。ノルガンの肩越しに見た空はすでに夕闇に覆われ、西の空に太陽の最後の名残がわずかに残っている。
もうすぐ夜が来る。様々なものを覆い隠してしまう闇の中なら、二人だけでいなくなるにはちょうどいいだろう。
「どこへ行こうか。俺はどこでもいいよ」
ノルガンは巨躯にそぐわぬ静かさで気配を断ち、カレンたちに気づかれる前に闇に紛れて宿屋を出た。痩せた犬が餌を求めてうろつく細い路地裏を抜け、明かりが灯り始めた賑やかな酒場通りを尻目に町のはずれへと向かう。
ノルガンがリツを抱いたまま、人間離れした跳躍力で町の外壁を飛び越えた。そして森の中へと走りだす。
土を踏みしめ枯れ葉を蹴り、冷たい風が吹き梢が揺れる。時々木々の隙間に見えるのは怖いくらいの満天の星。
夜目が利かないリツには今自分たちがどこに向かって進んでいるのかわからない。二人が行きつく最期の場所はあの暗くて狭い洞窟よりもっとひどいところになるかもしれない。でも、それでもよかった。
今度こそ本当にノルガンと二人きり。これからはずっとそうだ。
この先自分たちにはどんな運命が待ち構えているのだろう。
リツだってノルガンだっていつかは死ぬ。でも死ぬならノルガンと一緒がいい。生きるのも、死ぬのも、全部二人一緒に。
「ねえ、ノルガン」
吐く息がわずかに白い。間もなく森に冬が訪れる。冷たい空気がリツの頬を嬲った。
「ノルガン、これからもずっと仲良くしようね」
「ああ」
ぶっきらぼうでそっけない答えがたまらなく嬉しくて、リツはノルガンに回した腕にぎゅっと力を込めた。
END
-------------------------------
長らくお付き合いありがとうございました。エールボタン押してくださった方もありがとうございました!
更新遅くて申し訳ありませんでした~~~!
両思い後のハッピー♡♡♡がないので近いうちにおまけ話を一話追加します。
逃避行後の二人のイチャコラ新婚生活(?)の予定です。
よろしくお願いします!
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「リツ……リツ! 良かった、気が付いたか!?」
突然名前を呼ばれて、リツは一瞬自分が生きているのか死んでいるのかわからなかった。どこかの部屋の誰かのベッド。リツはただただ茫然と目を開く。自分を覗き込む顔に見覚えがあった。しばらく考えて、リツは気がついた。
「…………ロウさん……?」
それはカンダルの町でリツたちを家に泊めてくれた半獣の兄弟の片割れだった。するとロウは見るからにホッとした顔で肩の力を抜いた。
「ああ……良かった。もう駄目かと思ったぜ」
どうやらベッドに寝かされていたらしいリツは、ロウに背中を支えられて起こされた。そして木の椀を手渡される。
「ほら、スープだ。まずはこういうもんから胃を慣らしていかないと。なんせ一週間も飲まず食わずだったんだからな」
「あ、あの、ここは……?」
「ここはダールの町の宿屋だ。あんたは二日前に助け出されてこの宿に連れてこられたんだ」
それを聞いてリツは震える声で尋ねた。
「あの……ノルガンは……?」
「その前にあんたに聞きたいことがある」
そう言ってロウの後ろから現れたのはカレンだった。
「……あんた、ノルガンとはどういう関係なんだい」
「え……っ」
厳しい顔をして尋ねるカレンに隣のロウもうなずいて口を開く。
「あいつは俺たちと同じ半獣だが、俺たちとは比べ物にならないくらい獣の血が濃い。それでもあいつはあんたを大事にしてた」
「あいつは奴隷の首輪をしていたけど、あんたが主人のようには見えなかった。何か事情があるんだろうとは思ってたけど、あたしらは何も聞かずにいた。それはあんたたちがまるで番のように、あたしらには見えない何かで繋がってるように見えたからさ。でも」
そう言ってカレンがリツの首に巻かれた包帯に目をやった。ノルガンに繰り返し噛みつかれたうなじがズキリ、と痛む。
「あんたに改めて聞く。あんたはノルガンに脅されたり無理矢理連れて来られたのかい? もしそうなら今言いな。あたしらがあんたを逃がしてあげるから」
あまりにも突然すぎる展開に頭が追いつかない。けれど口から出た言葉はたった一つだった。
「ノルガンに、会わせてください」
「リツ」
「違う、ノルガンは俺を脅したり、無理矢理何かをさせようとしたことなんてない」
スープが入った器が落ちる。
「ノルガンは、ノルガンは俺を傷つけたりしない。だって……」
リツは力の入らない手を必死に伸ばしてカレンの腕を掴んだ。
「だってノルガンは俺を食べなかったじゃないか……!」
そうだ、今リツが生きてここにいるのがその証拠だ。
ノルガンはリツを食べなかった。
(なんで? どうして?)
ぼた、とリツの目から涙が落ちた。
「……俺、ノルガンに捨てられたの……?」
するとカレンとロウが困ったように顔を見合わせる。それを見てリツは大声で泣き叫びたくなった。こみあげそうになる嗚咽を噛み殺して拳を握りしめる。するとカレンが参った、といわんばかりの顔でため息をついた。
「やれやれ。ああ、そうじゃないよ。ほら、大丈夫だから泣きなさんな」
そう言って懐から出した布で乱暴にリツの顔を拭う。それを見下ろしながらロウが眉尻を下げて笑った。
「なあ、覚えてるか? 前にカンダルの町であんたらに絡んでた探索者がいただろう。あいつら勧誘を断られたことにえらく腹を立ててたようでな。ギルドのやつらと組んで何やらきな臭いことを企んでるみたいで、俺たち一家みんな心配してたんだ。だから俺が代表であいつらの跡をつけて来た。こう見えても薬の交易で国境の山にだって何度も入ったことがあるんだ。足には自信がある」
そうだったのか、とリツは鼻をすすりながら頷いた。
「そんでこのダールに着いたらこの姐さんたちが真っ青な顔してあんたを探しててな。互いに事情を話してやっと合点がいった。それで俺があの山に登って行ったら、あんたを抱いて降りて来るあいつに出くわしたんだ」
「ノルガンが、俺を……?」
リツは驚いて言葉を失った。
(どうして? ノルガンは俺を食べたかったんじゃないのか?)
それとも食べようとしたけどやっぱり不味かったんだろうか。最後の最後でノルガンにも価値がないと見捨てられたような気がしてまた目の奥が熱くなる。するとカレンが困ったようにまたリツの目元を擦りながら言った。
「あんた、こんなに泣き虫だったのかい? チビだけど気丈なやつだと思ってたんだけどね」
「す……すみません……」
いい年をして、まさかこんな人前で涙を流すなんて。あの狭くて真っ暗な洞窟らしき場所で頭も涙腺もおかしくなったままなのだろうか。
カレンから受け取った布で目を拭い鼻をかんだところでロウが言う。
「で、あんたはやっぱりあいつに会いたいのか?」
リツは少し考えてから頷いた。
怖さがないと言えば嘘になる。でもリツはどうしても「なぜノルガンが自分を食べなかったのか」知りたかった。
「わかった。なら行くよ」
カレンがリツの布団を剥ぎ、顎で部屋の扉を指した。
「あいつは今、下にいる。ドーリーさん……あんたらがこのダールまで護衛してきたあの人だよ。あの人の奥さんの実家はこのダールじゃなかなかの大店でね。それなりの権力もある。あの人がノルガンを庇って後見人になってくれたのさ。だからあんたらはとりあえずは安全だ。ほら立てるかい? 癒しの呪文をかけてやるから」
「……ありがとうございます」
そういえばあの洞窟でカレンに教わった呪文がリツに最後の力を与えてくれたのだった。お礼をしなきゃ、とリツは思う。そしてせっせとリツの肩に上着を掛けたり靴を履かせてくれたりしているロウとカレンや、ノルガンの後見人になってくれたというあの商人のことを考えて微笑んだ。
この残酷で不条理な異世界で、こんなに親身になってくれる人がついに自分にもできたのだ。
◇ ◇ ◇
弱って立たない足腰を二人に支えられてなんとか宿屋の裏口に行くと、一人の男がこちらに背中を向けて石造りの段に座っていた。ロウとカレンは気を遣って立ち去ってゆく。
一体どれほど眠っていたのかわからないが、太陽は西にだいぶ傾いていて間もなく日が暮れる頃だと気が付いた。
リツが一人でそこにいることにとっくに気づいているはずなのに、ノルガンは動かなかった。裏口の木戸にすがって立つのもやっとだというのにノルガンは助けに来ない。こんなことは初めてだ。
リツはなんとかノルガンに向かって足を踏み出そうとするが、一歩進んだところで突然カクッと膝の力が抜けてしまった。
「……ノルガ……っ」
地べたに倒れ込みそうになる寸前、丸太のように太い腕がリツの胴を抱え込む。その腕にしがみつき、重たい身体に鞭打って顔を上げた。高い場所から自分を見下ろす顔は影になっていてよく見えない。リツは枯れてひび割れた声を懸命に振り絞った。
「ノルガン、なんで俺を食べなかったの」
ノルガンは答えない。ゴダルの商隊にいた時のように押し黙ったまま、ただリツを見ている。それが無性に悲しかった。
「ノルガン、どうして何も言ってくれないんだよ。なんで俺を食べなかったの?」
それでも言葉を返してくれないノルガンに熱い塊が喉の奥からせり上がって来る。
「……っ、もう、お、俺に名前呼ばれるの、いらなくなっちゃった……?」
「違う」
ようやく聞こえた声は記憶そのままに低くて太く、わずかに掠れていた。その声を聞くと、あの何も見えない暗闇の中でぴったりとくっつき合い、彼の声と息遣いと自分に触れる高い体温だけが頼りだったあの瞬間がまざまざと蘇る。そして胸や腹の奥底がじんわりと温かくなっていく感覚に目を細めた。
ノルガンがリツを見ている。冷たくて薄い青色の目。やはり綺麗だ、とリツは思う。そしてこの氷のような色の奥に揺らいでいた熱を思い出した途端、身体のどこかが不意に疼いて身を強張らせた。だがそれを抵抗と受け取ったのかノルガンの腕の力が緩む。それが嫌でリツはとっさに彼の胴にきつくしがみついた。
「ノルガン、ねえ、教えてよ」
今までだったらこれ以上ノルガンに何かを追求しようなどとは思わなかっただろう。
理由はいろいろある。
下手なことを言って嫌われたくない。
まるでノルガンを信用していないように思われたら困る。
自分にとって都合の悪い、恐ろしい何かが返ってきたら怖い。
全部リツが臆病でずるかったせいだ。
ごくり、とリツは唾を呑み込む。そして勇気を振り絞って尋ねた。
「ノ、ノルガンは、どうして俺を食べなかったの?」
長い長い沈黙の後に返ってきた答えにリツは瞬きした。
「……………………喰ったら、なくなる」
「……まぁ……確かにそうだよね」
食べればなくなる。当たり前のことだ。ということは。
「……お、俺がいなくなったら、いやだったの……?」
あの洞窟に何日も閉じ込められて、ノルガンだって相当腹が減っていたはずだ。なのに食べなかった。飢えよりも『リツにいて欲しい』という願いが勝った。つまりはそういうことなのか。
リツは一生懸命目を見開いてノルガンの顔を見ようとする。彼は珍しく微妙に視線を逸らしていて、それでもリツを支える腕と手には相当な力が籠っていて絶対に逃がさないと言われているようだった。
「あの……ノルガンは俺のことが好き……なの?」
そう尋ねるとノルガンがわずかに首を傾げた。『好き』という言葉の意味がわからない。そんな感じの表情だった。
「俺とずっと一緒にいたいって思ってる?」
そう言葉を変えるとノルガンはこくりと頷いた。
(ノルガンは、本当に俺のこと好きなんだ)
そう思った途端、じわじわと顔が熱くなる。
ノルガンはリツが好きだから。だからリツを食べず、死にかけていたリツを救うためにあの洞窟を出て山を下りたのか。
ノルガンのあの目が見たい。リツは首を伸ばしてなぜか他所を向いたままのノルガンを覗き込んだ。
「な、なんで俺を見てくれないの?」
またしてもずいぶん長い時間が経ってからノルガンが言った。
「見るとまた腹が減る…………かもしれない」
本当ならここは怯えたり怖がったりするところだったと思う。なのに口から飛び出たのは「ふふっ」という小さな笑いだった。
ノルガンはリツが好きで食べたいと思っているのに一生懸命我慢をしている。そう思うと、この大きくてとてつもなく強くて時に恐ろしく残酷に人を殺せる半獣の男がたまらなく可愛らしく見えた。
リツは手を伸ばし、そっぽを向いたノルガンの高い頬骨をそっとなぞる。
「……あのね、俺、ノルガンになら食べられてもいいって思った。本当だよ」
あの時は意識が朦朧としていたけれど、でもやっぱりあの気持ちと覚悟は嘘じゃなかったと思う。でも今はこれまでと違った意味で『死にたくない』と思った。
「俺もノルガンと一緒にいたい。ノルガンと一緒に生きていたいな」
するとノルガンが目を逸らしたままゆっくりと頷いた。そしてリツの肩に深く顔を埋めてきつく抱きしめてくる。まるで迷子の子どもみたいだ、と思った。内臓を圧迫する息苦しさと軋む骨に耐えながら、リツもノルガンの太い首に両腕を回して尋ねた。
「ノルガンはどうしたい……?」
しばらくして肩のあたりでノルガンのくぐもった声が零れる。
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そういえばダールの食堂でノルガンが突然リツを噛んだ時、リツは陽気に騒ぐカレンやドワイトたちと話したり、彼らと共に過ごすことをとても楽しいと思っていた。もしかしたらそれが嫌でノルガンは急に怒り出して首に噛みついたりしたのだろうか。
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リツは精一杯力を込めてノルガンを抱きしめる。
「一緒に行こう。これからはずっと俺たち二人だけだ」
ノルガンが腕を緩めてようやくリツの顔を見た。その目は相変わらず無表情だけれど、冷たい薄氷色が熱を孕み欲望に濡れてリツを射抜く瞬間を知っている。きっと彼のそんな目を見たことがあるのは自分だけだ。そう思えば惜しいものなど他にはなかった。
ノルガンが大盾と戦斧を掴み、反対の腕でリツを抱き上げる。リツはノルガンの首に腕を回してしがみついた。ノルガンの肩越しに見た空はすでに夕闇に覆われ、西の空に太陽の最後の名残がわずかに残っている。
もうすぐ夜が来る。様々なものを覆い隠してしまう闇の中なら、二人だけでいなくなるにはちょうどいいだろう。
「どこへ行こうか。俺はどこでもいいよ」
ノルガンは巨躯にそぐわぬ静かさで気配を断ち、カレンたちに気づかれる前に闇に紛れて宿屋を出た。痩せた犬が餌を求めてうろつく細い路地裏を抜け、明かりが灯り始めた賑やかな酒場通りを尻目に町のはずれへと向かう。
ノルガンがリツを抱いたまま、人間離れした跳躍力で町の外壁を飛び越えた。そして森の中へと走りだす。
土を踏みしめ枯れ葉を蹴り、冷たい風が吹き梢が揺れる。時々木々の隙間に見えるのは怖いくらいの満天の星。
夜目が利かないリツには今自分たちがどこに向かって進んでいるのかわからない。二人が行きつく最期の場所はあの暗くて狭い洞窟よりもっとひどいところになるかもしれない。でも、それでもよかった。
今度こそ本当にノルガンと二人きり。これからはずっとそうだ。
この先自分たちにはどんな運命が待ち構えているのだろう。
リツだってノルガンだっていつかは死ぬ。でも死ぬならノルガンと一緒がいい。生きるのも、死ぬのも、全部二人一緒に。
「ねえ、ノルガン」
吐く息がわずかに白い。間もなく森に冬が訪れる。冷たい空気がリツの頬を嬲った。
「ノルガン、これからもずっと仲良くしようね」
「ああ」
ぶっきらぼうでそっけない答えがたまらなく嬉しくて、リツはノルガンに回した腕にぎゅっと力を込めた。
END
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長らくお付き合いありがとうございました。エールボタン押してくださった方もありがとうございました!
更新遅くて申し訳ありませんでした~~~!
両思い後のハッピー♡♡♡がないので近いうちにおまけ話を一話追加します。
逃避行後の二人のイチャコラ新婚生活(?)の予定です。
よろしくお願いします!
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お相手は人外(人型スライム)、冒険者(鍛冶屋)、錬金術師、兄王子達など。なにより皆、過保護です。
前半はギャグ多め、後半は恋愛思考が始まりラストはシリアスになります。
文章能力が低いので読みにくかったらすみません。
※一瞬でもhotランキング10位まで行けたのは皆様のおかげでございます。お気に入り1000嬉しいです。ありがとうございました!
本編は完結しましたが、暫く不定期ですがオマケを更新します!
【完結R18】異世界転生で若いイケメンになった元おじさんは、辺境の若い領主様に溺愛される
八神紫音
BL
36歳にして引きこもりのニートの俺。
恋愛経験なんて一度もないが、恋愛小説にハマっていた。
最近のブームはBL小説。
ひょんな事故で死んだと思ったら、異世界に転生していた。
しかも身体はピチピチの10代。顔はアイドル顔の可愛い系。
転生後くらい真面目に働くか。
そしてその町の領主様の邸宅で住み込みで働くことに。
そんな領主様に溺愛される訳で……。
※エールありがとうございます!
異世界で大切なモノを見つけました【完結】
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BL
突然異世界へ召喚されてしまった少年ソウ
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召喚されてしまった俺、望月爽は耳に尻尾のある奴らに監禁されてしまった!
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………逃げよう。
そうしよう。死にたくねぇもん。
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「隠れ有能主人公が勇者パーティから追放される話」(作者:オレ)の無能勇者に転生しました
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BL
バスの事故で亡くなった高校生、赤谷蓮。
蓮は自らの理想を詰め込んだ“追放もの“の自作小説『勇者パーティーから追放された俺はチートスキル【皇帝】で全てを手に入れる〜後悔してももう遅い〜』の世界に転生していた。
だが、蓮が転生したのは自分の名前を付けた“隠れチート主人公“グレンではなく、グレンを追放する“無能勇者“ベルンハルト。
しかもなぜかグレンがベルンハルトに執着していて……。
「好きです。命に変えても貴方を守ります。だから、これから先の未来も、ずっと貴方の傍にいさせて」
――オレが書いてたのはBLじゃないんですけど⁈
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追放ものチート主人公×当て馬勇者のラブコメ
一部暗いシーンがありますが基本的には頭ゆるゆる
(主人公たちの倫理観もけっこうゆるゆるです)
※R成分薄めです
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小説家になろう(ムーンライトノベルズ)にも掲載中です
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