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クルンの町~カンダルの町へ(終)
しおりを挟む翌朝、無残に食い荒らされた傭兵と若い男の死体が見つかって、焚き火の周りで夜を明かした人たちはみな激しく動揺した。そして彼らを食ったと思しき魔獣の死骸を引きずって森の奥から現れたくすんだ金髪の大男の姿に、彼らは真っ青な顔で逃げ出そうとしたり腰を抜かしたりした。
けれど彼は、魔獣の死骸だけでなく大きな鹿も一緒に担いでいて、驚き慄く彼らの前に無造作に投げ出した。それからリツの前に膝をつき野生の実を与えるのを見て彼が敵ではないとわかったのか、恐る恐る近づいてきた。
なけなしの金をはたいて傭兵を雇い、食うや食わずでカンダルを目指して旅をしてきた彼らは、思いがけない鹿肉のご馳走をひどく喜んだ。そして手分けして鹿を捌き、焚き火に枯れ木をくべて肉を焼き始めた。
そんな彼らを横目で見ながら、リツは貰った実を半分、昨夜男たちに怒鳴られ焚き火の近くから追い払われていた半獣の家族に手渡した。
まだ幼い子どもたちは初めの内は怯えて母親のスカートの影に隠れていたが、リツが彼らを罵ったり虐めたりしないとわかって顔を出し、嬉しそうに赤い実を受け取った。
「ほら、あんたたちの分だ」
そう言って別の男が焼いた鹿の肉をリツのところに持って来た。
「そっちのやつはあんたが連れてる奴隷なのか?」
突然そう聞かれてリツは思わず隣に座っている半獣の彼を見る。
確かに彼の首には奴隷の証である鉄の首枷が巻かれている。だが少し考えれば、彼のように巨大な戦斧を担ぎたった一人で魔獣を倒せるほどの男をリツが所有できるわけないのはわかるはずだ。
もしもリツに、これだけの強さと鍛え上げられた巨躯を持つ健康な半獣の奴隷を買える金があるなら、こんな寄せ集めの一行に同行などしていない。
なんと答えていいか戸惑い言葉に詰まると、肉を持って来た男はリツたちが訳ありだと察して手を振った。
「いや、いいさ。大方表を連れて歩けねぇってんで、そいつだけ隠れてここまでついて来てたんだろう? お陰でこっちは命が助かった」
そして半獣の男の方を見て言った。
「礼を言うぜ。この肉もな」
そう言うと彼は、警戒するようにこちらを窺っている仲間たちのところへ戻り、彼らに手を振って何か言っていた。
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あちこちを鋭い爪で引き裂かれ、食い荒らされた二人の男の遺体。それはずっと粘着質な目つきでリツを見ていた傭兵と、悪夢にうなされたリツに水をわけてくれた男だ。
彼らは二人とも一夜のうちに死に、それから魔獣に食われた。
(……それとも、そう見せかけただけなんだろうか)
リツは小さく肉を噛み取り、咀嚼しながら考える。
引きちぎられた腕や胸や足に突き立てられた魔獣の牙の痕から血が出ていなかったのは、その時すでに彼らが絶命していた証拠だ。
半獣の彼が、男たちが魔獣に食われて死んだのだと偽装したのだろう。多分。
でもなぜそんなことをしたのか、リツにはわからなかった。
これで何人目だろう。リツの周りで人が死んだのは。
けれど人の命があまりにも軽いこの世界では誰かが死ぬなんてことは日常茶飯事だ。別に珍しいことでもなんでもない。それなのに、何かがひどく恐ろしい。
突然、ふるりと背筋が震えてリツは身を竦ませる。振り向くとすぐそばで半獣の彼がリツが肉を食べるのをじっと見ていた。
リツは何気ないふりをして視線を戻し、こぶし大の肉をなんとか食べ終わる。すると彼がようやく自分の分の肉を食べ始めた。彼の頑丈な歯が肉を噛み、鉄枷の下で喉が動いて胃へと送り込むさまをぼんやりと見つめる。
昨夜、リツは突然激しい劣情に襲われた。もしかしたらあの男がくれた水に何か入っていたのかもしれない。
(油断した。あんなの、信用したらいけなかったのに)
恐らくいつものリツならさすがに何の疑いもなく他人から貰ったものに口を付けたりはしなかっただろう。でもあの時ばかりはタイミングが悪かった。
この数日、あまりにもいろいろなことがありすぎた。
何日も前からずっと疲れていて気持ちも不安定で、しかもまたあの恐ろしい森の夢を見た直後で。
突然優しい言葉をかけられてつい気を許してしまい、うっかり流されて水を飲んでしまった。
(……でも、またこの人が守ってくれたんだ)
リツは黙々と食べている彼をこっそり盗み見る。
今朝リツが目を覚ますと、途中で別れたはずの彼がなぜか自分を抱いて大きな木の下に座っていた。
あの忌々しいヒグマの兜を脱いだ彼は、くすんだ長めの金髪に鋭いけれど意外なほど整った彫の深い顔、そしてけぶるように薄い青色の目をしている。いまだ見慣れぬその顔に、リツはついぼーっと見入ってしまう。
リツの視線を感じたのか、不意に前髪の隙間から彼がリツを見た。その目に射すくめられて、急にぞわりと腹の奥に籠る熱が蠢く。その時ふと気が付いた。
「…………そうだ、名前……」
そう、昨夜、誰かの声で彼の名を聞いたよう気がする。あれは夢だったのだろうか。
昨日の夜は盛られた薬のせいかいつも以上に意識が朦朧としていて、ほとんど何も覚えていない。ただじくじくと疼く腹の熱と今も太く硬い何かが挟まっているような後ろの違和感、そして時折内腿に伝い落ちるねっとりとした何かだけが、昨夜リツの身に何が起こったのかを教えている。
(でも、確かに声を聞いた)
低くて掠れた、妙にゾクゾクとするような声。あれが初めて聞く彼の声だったのか、それともリツの願望が見せた夢にすぎないのか。
リツはそっと、少しだけ彼に身を寄せて彼の目を覗き込む。すると彼が感情の読めない目でリツを見つめ返す。
リツは恐る恐る夢うつつに聞いたその名を口にした。
「…………ノルガン」
すると男の口の端がかすかに持ち上がる。リツは急にカッと全身が熱くなった気がして思わず後ずさろうとした。だがそれより早く彼の大きな手がリツを掴む。リツは目の前にいる恐ろしく強くて大きな獣が今何を考えているのか懸命に気配を探りながら、息を潜めてもう一度尋ねた。
「…………ノルガン……?」
少し期待したけれど、でもやはり彼の口からはなんの言葉も返ってこなかった。それでもリツは確かにそれが彼の名なのだと確信する。
(……そうか、ノルガンっていうんだ)
ずっと知りたかった名前がようやくわかって、じわじわと喜びがこみ上げてくる。まるで自分だけが彼に一歩近づくのを許されたような気がしてとても嬉しい。
リツはつい緩みそうになる口元をなんとか引き締めて元の位置に座り直して貰った果実を一口齧った。
赤くて甘い野生の実。
(初めて見る形と味だけど、一体なんの実なんだろう)
野生の実生でここまで甘くて美味いものがあるとは知らなかった。リツは夢中になって指についた汁を舐めていたが、ふと彼は肉しか食べていないことに気づく。
「ごめん……っ、ノルガンも食べる……?」
すでに一口齧ってしまった実を慌てて差し出したが、ノルガンは答えず食べようともしなかった。一人でほとんど全部食べてしまった上に食べかけを差し出すなんて呆れられただろうか。リツは恥ずかしくなって俯く。
すると突然大きな手が伸びて来てリツのうなじを掴んだ。驚いて顔を上げると、男の顔が視界いっぱいに広がる。
「ん…………っ」
弾力のある唇がリツに触れ、ぬるり、と温かくざらついた舌が入り込んでくる。久しぶりの肉に喜び群がる人たちのざわめきがふいに耳から遠ざかった。
それからリツは、濡れた舌や大きな手のひらや太い指であちこちまさぐられながら、奇妙に疼く下腹のあたりをぎゅっと手で押さえた。
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