45 / 49
ミナミくん、頑張る。
しおりを挟む
(今回は2話分同時公開しています)
「あ、あった~~~~~っ!!」
ついに見つけた見覚えのある看板に、思わず南は携帯電話を握りしめて脱力した。
片方の壁に薄汚れた鉄のドアと謎の看板が並んでいる場所の一つ、正方形の電光板に大きく『目』『傷』『胃』『腎』などと書いてあるドアをそっと押し開ける。
「あのー……」
「お、来たな。お前さん虎が連れとったニンゲンじゃろ」
そう言って部屋の奥から振り向いたのは以前コンタクトレンズを買うための処方箋を書いてくれた山羊の医師と、
「哇塞! ほんとだ! 虎大哥の寶貝じゃねぇか! 無事だったか!」
と叫んだ、鼻先に冗談みたいな丸い黒メガネを乗せた背の低い狸だった。
(え、だ、誰!?)
驚いてとっさに返事ができずにいたが、山羊の先生に手で招かれて南は二人へと近づいて行った。
「あの、俺……さっき店から電話があって、ここに行けって……」
「ああ、志偉からじゃろ。お前さん、呉凱を狙っとるヤツに攫われたんじゃ。無事で良かった」
山羊の先生がそう言うと、向かいに座った黒メガネの狸がニヤニヤ笑いながら言った。
「志偉からアンタに電話させたのは俺だ。電波が通じるところにいてくれて助かった。アンタが攫われたって知って虎の旦那が激怒して大変だったんだぜ?」
「う、呉凱さん!? 呉凱さんは無事なんですか!?」
思わず叫ぶと、山羊の先生が横から口を挟む。
「まずはお前さんの方が先じゃ。どうじゃ。怪我はないかいの」
「あ……そういえば」
今まで恐怖ですっかり忘れていたうなじの痛みが急にぶり返してくる。とっさに首の後ろに触れようとした南の手を取って山羊の医師が言った。
「お、なんじゃこりゃ。ひどい火傷になっとるな」
「ほんとだ。あのゴーグル野郎にやられたのか? 畜生め、本気で見境ねぇヤツだな」
ケッとばかりに鼻を鳴らして狸が言う。
「醫生、俺は後でいいから先にこの子の手当てしてやってくんな」
「い、いえ、俺は別に……」
見れば狸は診察用の回転椅子に座って血の出た足を剥き出しにしていた。
「虎の旦那に頼まれて急いで来たんだけどよ。そこで小金目当ての馬鹿なガキどもにやられちまった。俺としたことがドジこいたぜ」
「さっきどこからか銃声が聞こえてきての。みんなピリピリしとるんじゃよ、今」
「じゅ、銃声!?」
「ああ。虎の旦那をつけ狙ってるヤツはちょっと頭がイカれてんのさ。だから俺もこれを届けに来たんだけどよ」
と狸が懐から何かの包みを取り出そうとしたところで突然何かが破裂したような音が響いた。
「またかよ、畜生! どっから聞こえた!? 醫生!」
「音の感じからしてこの棟じゃあないな。多分西側の羅斯福路のどこかじゃ。そこに楼の隙間があっていつもここまでよく響くからの。早くそれを届けてやった方がいい」
「そうは言ってもよォ」
狸は自分の血だらけの足を見て情けなさそうに唸った。
「あ、あの」
我慢できずに南は尋ねる。
「今、てん……、呉凱さん、危ないんですよね? それがあればなんとかなるんですか? だったら俺が行きます!」
「いやいや、嬢ちゃんはここにいな。下手にうろついて怪我でもされちゃ、こっちの首が飛ぶぜ」
慌てたように言う黒メガネの狸に山羊の先生が言う。
「いや、狗仔。お前はそんな足だし儂は年じゃ。ここは一か八かこの子に任せるしかないじゃろ」
「おいおい、醫生!」
「やります! やらせてください!」
そう迫ると狸は渋々その包みを南に渡してくれた。
「落とさないよう気を付けろよ。あと携帯は音切ってバイブにしとけ。万が一隠れてる時に突然音が鳴ったりしたらヤベェからな」
「あ、そうか……わかりました」
「相手はフード被ってゴーグルみたいなもんで顔を隠した灰色の犬人だ。銃も持ってる。ヤバそうなら無理せず逃げろよ」
「は、はい!」
すぐに言われた通りにして包みを受け取る。その中身がなんなのか、なんとなく想像はできたが予想外の軽さに密かに驚いた。
「いいか、ここを出て左の階段を上がって五樓まで行くと羅斯福路に通じる通路がある。くれぐれも気を付けるんじゃよ」
「ありがとうござます。行ってきます!」
すぐに醫院を飛び出して南は階段を探す。すでに夜も更けてただでさえ日の入らぬ暗い円環大厦は辛うじて生きている電灯がなければ本当に真っ暗で一歩も歩けないだろう。
南は階段の先がそこそこ明るいのを確認してホッと息を付いた。
不思議なものだ。山羊の先生と呉凱の知り合いらしい黒メガネの狸と会い、ここに呉凱が来ているのだと聞き、そして彼への預かり物を懐にしているだけで先ほどまでの恐怖がかなり薄らいでいる。
まったく怖くない、と言えばもちろん嘘だ。でも自分は今ただ闇雲に出口を探して迷っているのではなく、呉凱を探しているのだと思うと否が応でも心が逸る。
(まず階段を登って龍津道五樓まで行く。そこから左に行くと隣の建物に繋がる路があって、それから……)
南は走りながら山羊の先生に言われたことを頭の中で繰り返した。
(とにかく、まず呉凱さんを見つける。そしてこれを渡す。気を付けなければいけないのはゴーグルを嵌めた灰色の犬に見つからぬこと)
南にとっては最後が難しいところだが、足を怪我した狸の獣人と結構な年らしい山羊の医師が、この狭くて暗くてゴミやわけのわからないもので汚れて滑りやすい階段や路を駆け上って呉凱のところまで走りとおすのは無理な話だ。やれるのは南しかいない。
(ええと、あった。龍津道五樓)
階段を上がったところに赤のペンキでそう書いてあるのを見つけた。そして何が入っているのかわからないダンボール箱が積み上げられた細い路をぶつからないようになんとか通り過ぎて隣の建物に移る。
無理矢理別の建物を繋げたせいで中途半端な段差になっているところをよじ登った途端、また乾いた破裂音が下の方から響いてきて南は息を呑んだ。
(相手は銃を持ってるって言ってた。あの音はやっぱり呉凱さんを狙って撃ってるのか……!?)
さっき山羊の先生の病院で聞いた音はかなり遠かった気がするが、今のは違う。間違いなく近くから聞こえてきた。緊張で心臓がバクバクと激しく脈打ち、目の前が一瞬真っ赤になる。手のひらにじんわりと汗がにじみ出てくるのを感じて、南は爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
(大丈夫。怖くて血の気が引いて動けなくなるよりずっといい)
鼓動が激しくなるのにつれてうなじの痛みも強くなる。
(大丈夫。俺は行ける。行かなきゃ、呉凱さんのところに……!)
南は大きく息を吐きだすと勢いよく走り出した。
音が聞こえてきたのはもう少し先。うっかり横のドアから出てきた男を突き飛ばしてしまい、物凄い勢いで怒鳴られたが南はもう怯んだりはしなかった。
「對不起!」
開けっ放しのドアをくぐると目の前に大きな円形の吹き抜けがあった。錆びだらけの手すりから身を乗り出した途端、下からまた発砲音が聞こえてくる。
(さっきから音が移動してる……。やっぱり呉凱さんを追いかけて撃ってるんだ……!)
銃を持っている敵が自分の後ろにいないことがわかっただけでもありがたい。南は下へ降りる階段を探して再び走り出した。
なぜか通路を跳ね回っているネコやニワトリの群れを飛び越え、中華包丁を持って何かを叫んでいる男の脇をすり抜ける。
ようやく見つけた階段を駆け下りると、裸電球の下で新聞を広げた老人や大きな饅頭を頬ばる子どもが不思議そうに見ている。南は上がる息を抑えながら走り続け『羅斯福路 二樓』と壁に書かれたところでさっきと同じ吹き抜けに出くわした。
「一体どこがどう繋がってるんだ、ここは」
思わずそう呟いて下を覗こうと手すりを掴みかけると、下からまたしても銃を撃つ音が響いて南は咄嗟に床にしゃがみ込んだ。
(す、すごい、今までと比べ物にならないくらい音が大きい……っ)
おそらくこのビルの吹き抜けの構造が余計に音を反響させているのだろう。その時、ガサガサにしわがれた男の声が聞こえた。
「そっちは行き止まりだぜ、らしくねぇ手落ちだなァ。虎大哥」
(虎の……って、呉凱さんのことだ……!)
ということは今話している男こそ、五華路の店で南を背後から襲ってここへ連れ込み、呉凱を狙って何度も拳銃をぶっ放している張本人だろう。思わずごくり、と唾を飲み込むと、再びしゃがれた声が響いて来た。
「袋小路に追い込まれて手も足も出ねぇ気分はどうだ? せいぜい過去の自分を恨んで後悔しろよ」
「てめぇがどこのどいつで、なんで狙われてんのかもわかんねぇのに悔やみようがねぇだろうが」
突然耳に飛び込んできたその声に、南は息を呑んだ。煙草で擦れた、低くて太い呉凱の声。
「う、呉凱さん……っ」
好きだと言って付き合おうと言われたあの晩から一週間、やっと聞けた大好きな呉凱の声がひどく懐かしい。喉にこみ上げる熱い塊を必死に呑み込み、情けなくも濡れてぼやける目をゴシゴシと擦って南は腰を上げた。
錆びだらけの手すりの影からそっと下を覗き込む。すると円形の吹き抜けの一番下、一階部分の柱の影に隠れる白黒の毛並みをした大きな虎人の姿が見えた。
(いた……! 呉凱さんだ……!)
南はすぐさまその周りを見渡して敵の居場所を探す。吹き抜けの一番下は工事中なのかなんなのか、建材のような物や丸底のペンキ缶、灰色のビニールシートなどがあちこちに置かれている。
南は呉凱から見て吹き抜けを挟んだ反対側に立つ男を見つけた。裾が擦り切れた上着を来て、深くフードを被っている。その影にチラリ、と明かりを反射する何かが見えた。
(妙なゴーグルをつけてるって言ってた。それに銃も持ってる。やっぱりあいつだ!)
どうすればいい。南は必死に考える。このままでは呉凱がゴーグルの男に撃たれるのは時間の問題だ。
南は山羊の先生のところで黒メガネの狸から預かった物を上着の内ポケットから取り出した。
(どうやったらこれを今すぐ呉凱さんに渡せるか)
事は一秒を争う。南が階段を探して下まで行く余裕はない。
ゴーグルの男が右手に持った銃を構える。それを見て南の心臓が一瞬跳ねた。
(一か八かやってみるしかない……!)
南は足音を殺して呉凱の反対側にいるゴーグルの男の真上に回り込む。そして狸に渡された紙袋を見た。
果たして『これ』を素人の南が触っていいものかわからない。何か間違えてとんでもないミスを犯してしまう可能性だってある。だがあれこれ考えている暇はなかった。
(多分、袋から取り出す手間だって惜しいはずだ)
南は覚悟を決めてくしゃくしゃに丸められた紙袋を開けて『それ』を掴む。そして音を立てぬよう手すりに乗り出して呉凱を見下ろした。そして首に掛けた紐を引っ張り出す。
(ただ投げただけじゃ床に跳ね返って届かないかもしれない。必ず、正確に呉凱さんまで届くように……!)
「そろそろお終いだ。虎野郎!」
ゴーグルの男が怒鳴りつける。南は深く息を吸い込むと呉凱に貰ったプラスチックの迷子笛を思いっきり強く吹き鳴らした。
「あ、あった~~~~~っ!!」
ついに見つけた見覚えのある看板に、思わず南は携帯電話を握りしめて脱力した。
片方の壁に薄汚れた鉄のドアと謎の看板が並んでいる場所の一つ、正方形の電光板に大きく『目』『傷』『胃』『腎』などと書いてあるドアをそっと押し開ける。
「あのー……」
「お、来たな。お前さん虎が連れとったニンゲンじゃろ」
そう言って部屋の奥から振り向いたのは以前コンタクトレンズを買うための処方箋を書いてくれた山羊の医師と、
「哇塞! ほんとだ! 虎大哥の寶貝じゃねぇか! 無事だったか!」
と叫んだ、鼻先に冗談みたいな丸い黒メガネを乗せた背の低い狸だった。
(え、だ、誰!?)
驚いてとっさに返事ができずにいたが、山羊の先生に手で招かれて南は二人へと近づいて行った。
「あの、俺……さっき店から電話があって、ここに行けって……」
「ああ、志偉からじゃろ。お前さん、呉凱を狙っとるヤツに攫われたんじゃ。無事で良かった」
山羊の先生がそう言うと、向かいに座った黒メガネの狸がニヤニヤ笑いながら言った。
「志偉からアンタに電話させたのは俺だ。電波が通じるところにいてくれて助かった。アンタが攫われたって知って虎の旦那が激怒して大変だったんだぜ?」
「う、呉凱さん!? 呉凱さんは無事なんですか!?」
思わず叫ぶと、山羊の先生が横から口を挟む。
「まずはお前さんの方が先じゃ。どうじゃ。怪我はないかいの」
「あ……そういえば」
今まで恐怖ですっかり忘れていたうなじの痛みが急にぶり返してくる。とっさに首の後ろに触れようとした南の手を取って山羊の医師が言った。
「お、なんじゃこりゃ。ひどい火傷になっとるな」
「ほんとだ。あのゴーグル野郎にやられたのか? 畜生め、本気で見境ねぇヤツだな」
ケッとばかりに鼻を鳴らして狸が言う。
「醫生、俺は後でいいから先にこの子の手当てしてやってくんな」
「い、いえ、俺は別に……」
見れば狸は診察用の回転椅子に座って血の出た足を剥き出しにしていた。
「虎の旦那に頼まれて急いで来たんだけどよ。そこで小金目当ての馬鹿なガキどもにやられちまった。俺としたことがドジこいたぜ」
「さっきどこからか銃声が聞こえてきての。みんなピリピリしとるんじゃよ、今」
「じゅ、銃声!?」
「ああ。虎の旦那をつけ狙ってるヤツはちょっと頭がイカれてんのさ。だから俺もこれを届けに来たんだけどよ」
と狸が懐から何かの包みを取り出そうとしたところで突然何かが破裂したような音が響いた。
「またかよ、畜生! どっから聞こえた!? 醫生!」
「音の感じからしてこの棟じゃあないな。多分西側の羅斯福路のどこかじゃ。そこに楼の隙間があっていつもここまでよく響くからの。早くそれを届けてやった方がいい」
「そうは言ってもよォ」
狸は自分の血だらけの足を見て情けなさそうに唸った。
「あ、あの」
我慢できずに南は尋ねる。
「今、てん……、呉凱さん、危ないんですよね? それがあればなんとかなるんですか? だったら俺が行きます!」
「いやいや、嬢ちゃんはここにいな。下手にうろついて怪我でもされちゃ、こっちの首が飛ぶぜ」
慌てたように言う黒メガネの狸に山羊の先生が言う。
「いや、狗仔。お前はそんな足だし儂は年じゃ。ここは一か八かこの子に任せるしかないじゃろ」
「おいおい、醫生!」
「やります! やらせてください!」
そう迫ると狸は渋々その包みを南に渡してくれた。
「落とさないよう気を付けろよ。あと携帯は音切ってバイブにしとけ。万が一隠れてる時に突然音が鳴ったりしたらヤベェからな」
「あ、そうか……わかりました」
「相手はフード被ってゴーグルみたいなもんで顔を隠した灰色の犬人だ。銃も持ってる。ヤバそうなら無理せず逃げろよ」
「は、はい!」
すぐに言われた通りにして包みを受け取る。その中身がなんなのか、なんとなく想像はできたが予想外の軽さに密かに驚いた。
「いいか、ここを出て左の階段を上がって五樓まで行くと羅斯福路に通じる通路がある。くれぐれも気を付けるんじゃよ」
「ありがとうござます。行ってきます!」
すぐに醫院を飛び出して南は階段を探す。すでに夜も更けてただでさえ日の入らぬ暗い円環大厦は辛うじて生きている電灯がなければ本当に真っ暗で一歩も歩けないだろう。
南は階段の先がそこそこ明るいのを確認してホッと息を付いた。
不思議なものだ。山羊の先生と呉凱の知り合いらしい黒メガネの狸と会い、ここに呉凱が来ているのだと聞き、そして彼への預かり物を懐にしているだけで先ほどまでの恐怖がかなり薄らいでいる。
まったく怖くない、と言えばもちろん嘘だ。でも自分は今ただ闇雲に出口を探して迷っているのではなく、呉凱を探しているのだと思うと否が応でも心が逸る。
(まず階段を登って龍津道五樓まで行く。そこから左に行くと隣の建物に繋がる路があって、それから……)
南は走りながら山羊の先生に言われたことを頭の中で繰り返した。
(とにかく、まず呉凱さんを見つける。そしてこれを渡す。気を付けなければいけないのはゴーグルを嵌めた灰色の犬に見つからぬこと)
南にとっては最後が難しいところだが、足を怪我した狸の獣人と結構な年らしい山羊の医師が、この狭くて暗くてゴミやわけのわからないもので汚れて滑りやすい階段や路を駆け上って呉凱のところまで走りとおすのは無理な話だ。やれるのは南しかいない。
(ええと、あった。龍津道五樓)
階段を上がったところに赤のペンキでそう書いてあるのを見つけた。そして何が入っているのかわからないダンボール箱が積み上げられた細い路をぶつからないようになんとか通り過ぎて隣の建物に移る。
無理矢理別の建物を繋げたせいで中途半端な段差になっているところをよじ登った途端、また乾いた破裂音が下の方から響いてきて南は息を呑んだ。
(相手は銃を持ってるって言ってた。あの音はやっぱり呉凱さんを狙って撃ってるのか……!?)
さっき山羊の先生の病院で聞いた音はかなり遠かった気がするが、今のは違う。間違いなく近くから聞こえてきた。緊張で心臓がバクバクと激しく脈打ち、目の前が一瞬真っ赤になる。手のひらにじんわりと汗がにじみ出てくるのを感じて、南は爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
(大丈夫。怖くて血の気が引いて動けなくなるよりずっといい)
鼓動が激しくなるのにつれてうなじの痛みも強くなる。
(大丈夫。俺は行ける。行かなきゃ、呉凱さんのところに……!)
南は大きく息を吐きだすと勢いよく走り出した。
音が聞こえてきたのはもう少し先。うっかり横のドアから出てきた男を突き飛ばしてしまい、物凄い勢いで怒鳴られたが南はもう怯んだりはしなかった。
「對不起!」
開けっ放しのドアをくぐると目の前に大きな円形の吹き抜けがあった。錆びだらけの手すりから身を乗り出した途端、下からまた発砲音が聞こえてくる。
(さっきから音が移動してる……。やっぱり呉凱さんを追いかけて撃ってるんだ……!)
銃を持っている敵が自分の後ろにいないことがわかっただけでもありがたい。南は下へ降りる階段を探して再び走り出した。
なぜか通路を跳ね回っているネコやニワトリの群れを飛び越え、中華包丁を持って何かを叫んでいる男の脇をすり抜ける。
ようやく見つけた階段を駆け下りると、裸電球の下で新聞を広げた老人や大きな饅頭を頬ばる子どもが不思議そうに見ている。南は上がる息を抑えながら走り続け『羅斯福路 二樓』と壁に書かれたところでさっきと同じ吹き抜けに出くわした。
「一体どこがどう繋がってるんだ、ここは」
思わずそう呟いて下を覗こうと手すりを掴みかけると、下からまたしても銃を撃つ音が響いて南は咄嗟に床にしゃがみ込んだ。
(す、すごい、今までと比べ物にならないくらい音が大きい……っ)
おそらくこのビルの吹き抜けの構造が余計に音を反響させているのだろう。その時、ガサガサにしわがれた男の声が聞こえた。
「そっちは行き止まりだぜ、らしくねぇ手落ちだなァ。虎大哥」
(虎の……って、呉凱さんのことだ……!)
ということは今話している男こそ、五華路の店で南を背後から襲ってここへ連れ込み、呉凱を狙って何度も拳銃をぶっ放している張本人だろう。思わずごくり、と唾を飲み込むと、再びしゃがれた声が響いて来た。
「袋小路に追い込まれて手も足も出ねぇ気分はどうだ? せいぜい過去の自分を恨んで後悔しろよ」
「てめぇがどこのどいつで、なんで狙われてんのかもわかんねぇのに悔やみようがねぇだろうが」
突然耳に飛び込んできたその声に、南は息を呑んだ。煙草で擦れた、低くて太い呉凱の声。
「う、呉凱さん……っ」
好きだと言って付き合おうと言われたあの晩から一週間、やっと聞けた大好きな呉凱の声がひどく懐かしい。喉にこみ上げる熱い塊を必死に呑み込み、情けなくも濡れてぼやける目をゴシゴシと擦って南は腰を上げた。
錆びだらけの手すりの影からそっと下を覗き込む。すると円形の吹き抜けの一番下、一階部分の柱の影に隠れる白黒の毛並みをした大きな虎人の姿が見えた。
(いた……! 呉凱さんだ……!)
南はすぐさまその周りを見渡して敵の居場所を探す。吹き抜けの一番下は工事中なのかなんなのか、建材のような物や丸底のペンキ缶、灰色のビニールシートなどがあちこちに置かれている。
南は呉凱から見て吹き抜けを挟んだ反対側に立つ男を見つけた。裾が擦り切れた上着を来て、深くフードを被っている。その影にチラリ、と明かりを反射する何かが見えた。
(妙なゴーグルをつけてるって言ってた。それに銃も持ってる。やっぱりあいつだ!)
どうすればいい。南は必死に考える。このままでは呉凱がゴーグルの男に撃たれるのは時間の問題だ。
南は山羊の先生のところで黒メガネの狸から預かった物を上着の内ポケットから取り出した。
(どうやったらこれを今すぐ呉凱さんに渡せるか)
事は一秒を争う。南が階段を探して下まで行く余裕はない。
ゴーグルの男が右手に持った銃を構える。それを見て南の心臓が一瞬跳ねた。
(一か八かやってみるしかない……!)
南は足音を殺して呉凱の反対側にいるゴーグルの男の真上に回り込む。そして狸に渡された紙袋を見た。
果たして『これ』を素人の南が触っていいものかわからない。何か間違えてとんでもないミスを犯してしまう可能性だってある。だがあれこれ考えている暇はなかった。
(多分、袋から取り出す手間だって惜しいはずだ)
南は覚悟を決めてくしゃくしゃに丸められた紙袋を開けて『それ』を掴む。そして音を立てぬよう手すりに乗り出して呉凱を見下ろした。そして首に掛けた紐を引っ張り出す。
(ただ投げただけじゃ床に跳ね返って届かないかもしれない。必ず、正確に呉凱さんまで届くように……!)
「そろそろお終いだ。虎野郎!」
ゴーグルの男が怒鳴りつける。南は深く息を吸い込むと呉凱に貰ったプラスチックの迷子笛を思いっきり強く吹き鳴らした。
13
お気に入りに追加
674
あなたにおすすめの小説
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)

義弟の婚約者が私の婚約者の番でした
五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」
金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。
自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。
視界の先には
私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。
急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。
石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。
雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。
一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。
ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。
その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。
愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています

僕だけの番
五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。
その中の獣人族にだけ存在する番。
でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。
僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。
それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。
出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。
そのうえ、彼には恋人もいて……。
後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる