【完】泡姫ミナミくんの初恋 ~獣人店長さんと異世界人のソープ嬢(♂)

伊藤クロエ

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ミナミくんの願い。

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「うう……」

 南は起き上がりながら、ズキズキと痛むうなじを撫でようとした。

「痛っ!」

 見えないので詳しくはわからないが、そっと触れようとすると火傷のようなビリビリとした痛みが走る。

「なんだろう……ってか、ここどこだ……?」

 南はこわごわ辺りを見回すが、明かり一つない部屋は真っ暗で何も見えなかった。

「そうだ、携帯……ってか眼鏡は!?」

 慌てて南は手探りで辺りを探る。すると肩に掛けていたはずのリュックは見つからなかったが、運よく近くに落ちていた眼鏡とズボンのポケットに入れっぱなしだった携帯電話は無事だった。レンズが割れていないのを確認すると二つ折りの携帯を開く。するとぼーっと頼りないながらも液晶のライトでわずかに手元が明るくなった。
 どうやらそこは打ち捨てられた店かオフィスのような部屋で、壊れた椅子やダンボールの箱などが転がっていた。
 南は手探りでぼんやりと見えたドアへと向かう。そこから出て見えたものに、思わず息を呑んだ。

「え、まさか、ここって」

 一度だけ見たことのある埃っぽくて狭い通路によく似た路が長く伸びている。足元には何かの食べかすやゴミが転々と落ち、天井には剥き出しの配管や電線のようなものが張り巡らされている。

(こないだ呉凱さんと一緒に行った円環大厦に雰囲気が似てる……)

 それも眼医者のあった路ではなく『入れば二度と出てこれない』と呉凱に言われた奥の通路に、だ。

「え……っ? マ、マジで……!?」
(いや、まさかそんなことあるわけない)
(だってついさっきまで俺は店の前にいて……)

 一瞬パニックになりかけながらも、そこまで思い出したところでハッと我に返った。

(そうだ、俺、呉凱さんに会いたくてこっそり店まで行ったんだった……)

 そして裏口のある路地を覗き込んだ途端、うなじに焼けつくような痛みが走って、そこから後の記憶がない。

(もしかしてあれは、スタンガンとかそういうヤツだったのかな)

 恐る恐るもう一度うなじを触ってみようとしたが、やはり痛みが強くてそれ以上触れるのを止めた。

(でも誰が俺にそんなこと……)

 単なる物盗りや強盗なら財布だけ取ってそのまま通りに放置していけばいい話だ。わざわざこんなところに連れてくる理由がない。それに南自身に何が遺恨があってしたことなら、ただこんなところに放り出していくだけなのはおかしい。
 考えられることは、相手は何か他に目当てがあって、南はそのとばっちりを食った、ということだ。

「そ……そんなの嘘だろ……、またかよ……っ」

 思わず南は脱力してその場に蹲ってしまった。

 南は過去に一度死んでいる。
 ただ偶然その場にいただけという理由で、勤め先のキャバクラの客がキャストの女を狙って振りかざしたナイフに喉を刺されて死んだ。そして今、またしても自分自身に直接関りのない理由でこんなことに巻き込まれてしまったというわけだ。

「なんだよ、それ……っ、クソッ!!」

 南はあまりのやるせなさに思わず膝を抱えて吐き捨てた。
 向こうの世界でもこちらの世界でも、南がどれだけ頑張って生きていても一瞬ですべてが壊されてしまう。そんな気がしてつい泣き言を漏らしそうになった時に、ふと気が付いた。

「……も、もしかして、呉凱さんを狙って……?」

 南がこの旧市街で関わりがあるといえばつい先週まで働いていた店しかない。特に南を指名してくれる常連の客は何人かいたが、とてもこんなことをするとは思えなかった。
 となると考えられるのはただ一人。南がこの世界で唯一、自分から深く関わりたいと思ったあの人だけだ。

「う、呉凱さん、まさか……!」

 途端に目が覚めて、南は立ち上がる。

(呉凱さんが、何かヤバイやつに狙われてるのか……!?)

 南とて二年間、キャバクラの黒服として働いていた経験がある。その間、同僚の黒服やキャバ嬢、常連客からいろいろとヤクザと風俗店のしがらみについての話を耳にしたことが何度もあった。
 ソープで働いていた時も従業員の獣人たちがロッカールームや事務所で呉凱と副店長に関する噂話をしていたのを聞いている。別に悪意のあるものではなく『とてもただ者とは思えない』だの、黒服が表で呼び込みをしていた時に絡んできたチンピラの大型の獣人の首根っこを掴んでいとも簡単に放り出し、それを見た別の男が呉凱にペコペコと頭を下げていた話などだ。

(どうしよう……呉凱さんに知らせなきゃ)

 慌てて携帯の画面を見るが、アンテナが立っていない。

(こんだけ建物が入り組んでると、奥まで電波が通じないんだ)

 南は再び膝を抱え込んできつく目をつむる。
 怖い。正直に言ってものすごく怖い。
 未だに予期せぬトラブルに巻き込まれるのを恐れて職場と自宅と店以外には近寄らないようにしている南が、こんな真っ暗な廃ビルのような場所から果たして本当に一人で抜け出せるのだろうか。
 その時、南はきつく抱えた膝に当たったものに気が付いた。首に掛けた紐を引っ張りホイッスルを取り出す。呉凱に貰った迷子笛だ。

(……これを吹いたら、迷子の子は誰かが助けてくれる)
「……本当に、呉凱さんが来てくれたらなぁ……」

 叶うわけがないと知りながらもそのホイッスルを口にくわえようとして止めた。南をここへ攫ってきた相手が近くにいるかもしれないのに不用意に目立つ音を立てるのはあまりに危険すぎる。
 南は笛を仕舞い、もう一度携帯を開いて考えた。

(せめて電波が繋がるところまで出よう)

 南はそろそろと立ち上がると、携帯の明かりを頼りに慎重に一歩ずつ足を踏み出した。
 どこか漏水しているらしく水が落ちる音がひっきりなしに聞こえてくる。ひどく汚れた床はびしょ濡れだ。南は滑らぬように歩いていくが、辺りは真っ暗で意外なほどひと気がなく物音ひとつしなかった。

(本当に、ここどこなんだろう……)

 その時、携帯の明かりに浮かび上がったものを見て、この辺りに人がいない理由がわかった。

(壁も天井も黒焦げ……この辺りで火事があったんだ)

 だから誰も住んでいないのだろう。水漏れが多いのもそのせいかもしれない。

(あ、階段だ!)

 南が足を滑らせないようにゆっくりと階段を下りていくと、少しずつ人の声や色々な物音が聞こえてきてホッとした。

(いや、待てよ。俺をここに連れてきたヤツがそこらにいるかもしれないんだ)

 足元を照らす携帯を握り締める手に思わず力が入る。恐る恐る下の階を覗き込んでみると、ありがたいことに所々明かりがついていた。

(な……なんだここは……)

 人っ子一人いなかった上の階とは打って変わって、この階にはここに住む獣人たちと彼らのリアルな生活が確かに存在していた。

 所々生きている蛍光灯に照らされた、ズラリと並んだ鉄のドア。大きく開け放された一室からは調子はずれの歌声が聞こえてくる。
 その隣ではゴウンゴウンと音を立てて動く洗濯機がいくつも並び、洗濯物を山盛りにした大きな籠を抱えた猫の獣人が胡散臭げな目つきで南を見た。
 その前を急いで通り過ぎて薄暗い通路を抜け、角を曲がると、そこには金網に囲まれた天井まで届く三段のベッドが並ぶケージハウスと呼ばれる最下層の宿があった。南は以前文字を学ぼうと読んだ古雑誌に載っていた記事を思い出す。
 怖い物見たさに日々旧市街に流れ込むバックパッカーらしき獣人たちが妙な匂いのする煙草のようなものを咥え、ニヤニヤとしまりのない顔で南を見ていた。宿の壁にはなかなかの達筆で『環境優美 高級享受 長居短住 無任歓迎』とある。

(……か、環境優美?)

 あまりに実際とかけ離れた文句に内心呆れながら、南はニヤニヤ笑いの獣人たちと目を合わさぬよう足早にそこを通り過ぎようとした。だがその瞬間、ガン! と金網を内側から蹴られて南は悲鳴を飲み込む。

「快滾!」
「該死的賤男人!」

 男たちが叫んでいる言葉の意味はわからなかったが、南は必死に走って逃げた。眼鏡がずれそうになったが構ってなどおれない。後ろから甲高い笑い声が聞こえてくる。
 こんなところを人間がうろついていて目立たないはずがない。その証拠に先ほどのケージハウスの獣人たちがまだ何か叫んでいるし、あちこちから注がれる視線がまるで突き刺さるようだった。

(怖い……っ、う……呉凱さん、呉凱さん……っ!)

 無我夢中でようやく見つけた階段を降りながら縋る思いで携帯の画面を見るが、まだ圏外のままだ。その時、何かぬるぬるした物を踏みつけて足を滑らせた。咄嗟に壁に手を付き壁のパイプにしがみつくが、上から漏れる水を被って髪と上着が濡れてしまった。

「ああ、くそ……っ!」

 思わず濡れた手を振って舌打ちをする。だが突然後ろから足音が近づいてきて南の全身に緊張が走った。

(だ、誰かついて来てる……っ!?)

 慌てて南は身体を起こし、再び先を急ぐ。心臓がバクバクと激しくなって耳の奥にガンガンと木霊する。そしてうなじの痛みが強くなった気がして、南は恐ろしさのあまり大声を張り上げながらめちゃくちゃに走り出したくなった。

(誰……っ、一体なんで!? ここ一体どこなんだよ! ああ、もう、くそ……っ!!)

 恐怖心を押さえきれずにとうとう南は走り出す。すると後ろからついてくる足音も速度を上げた。

(怖い、誰か、誰か……っ!)

 角を曲がりガラクタを飛び越え、なぜか通路をウロウロしているニワトリを避けてまた階段を降りる。

(怖いけど、なんとかしなきゃ、自分で)
(絶対また呉凱さんに会って、しゃべったり、ご飯食べたり)
(電話番号だって教えて貰って、それから、それから……っ!!)

 それでも我慢できずに涙が滲みそうになった時、ふと壁に黄色のペンキで文字が書かれているのに気が付いた。

『至、松隆路四巷』

(あれ……見たことある……!)

 そう、あれは呉凱と一緒に来た時だ。あの時もやはり同じ黄色のペンキでそう書いてあった。

(いや違う、あそこに書いてあったのは確か『三巷』だった。でもやっぱりここは円環大厦なんだ!)

 あの眼医者のあった一角からすぐ近くにあるのが『松隆路三巷』、そして自分が今いる場所が『松隆路四巷』なら、ここからその松隆路を通り抜けて三巷まで出ることができればあの場所にたどり着けるかもしれない。
 南は降りかけていた階段を一気に飛び降りると、ペンキの案内通りに角を曲がって更に走った。

(ここ……ここがきっと『松隆路四巷』……。多分円環大厦の中も外の住所表記と同じルールなら、広い通りが『路』狭い路が『街』、『巷』は路と街から分岐する路地だから、ここが四巷なら向こうがきっと……)
「あった! 松隆路三巷!」

 店らしき場所が並ぶその一角に錆びた琺瑯の看板があり、そこに確かに『松隆路三巷』と書いてあるのが見えた。

(ここからあの呉凱さんと来た場所に通じる路があるはず……! そしたら外に出られる!)

 その時、握り締めていた携帯が突然鳴った。後ろから追いかけてくる足音がさらに近づいてきている気がする。

(電話、もしかして呉凱さん……っ!?)

 魚の入ったバケツをぶら下げて出てきた太鼓腹の老狸を間一髪かわして、南は携帯のボタンを押す。

「も……もしもし……っ!?」

 電話に出るのと同時に角を曲がると、煌々と灯る電灯の眩しさに思わず南は目を瞑った。
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