【完】泡姫ミナミくんの初恋 ~獣人店長さんと異世界人のソープ嬢(♂)

伊藤クロエ

文字の大きさ
上 下
10 / 49

虎の店長さん、ミナミくんに付き合う。

しおりを挟む
 夜七時を過ぎて歩行街になった通りには大勢の獣人たちが行き来している。呉凱ウーカイがそれを掻き分けて近づくと、ずらりと並んだ屋台の一つ、湯米粉の看板が出ている店にソイツはいた。丼を前に見覚えのある封筒を握りしめ、ぽつんと一人で座っている。
 その顔はしゃれっ気の欠片もない黒縁眼鏡と重たげな前髪に隠れているにも関わらず、うっすらと開いた唇とぼんやりと宙に浮いた視線、ほんのり赤らんだ目元、そして何より鼻の利く獣人ならすぐに気づくほど気だるげなある種の『匂い』を漂わせていた。

(あの馬鹿、何こんなところでフェロモン垂れ流してんだ)

 案の定、そのニンゲンのすぐ後ろにニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべた狗が二匹近づこうとしている。
 ニンゲンにも発情フェロモンがあると聞いた試しはないが、あれはそうとしか言いようがない。だがそれを言うなら、彼が男欲しさにずっと自分で慰めていたという後腔を散々いじくり回し、ぷっくりと膨れた最も敏感な場所をこれでもかというほど突いてこねておきながらもイく寸前で放り出し、最後まで面倒を見てやらなかった呉凱ウーカイにこそ一番の責任がある。
 呉凱はもう一度舌打ちをすると、未だ呉凱にも後ろの狗どもにも気づいていない相手の名を呼んだ。

「おい、ミナミ!」
「ッ、っひゃい!?」

 するとよほど驚いたのか、ミナミが飛び上がって返事をした。呉凱はその肩をぐい、と掴むと後ろの狗どもを睨みつけて言う。

「おう、俺の連れになんか用か」

 ついでに牙を剥きだして軽く威嚇してやれば、相手はすぐにしっぽを丸めて逃げて行った。ミナミは不思議そうにその狗たちを見て、そして呉凱を見上げて言った。

「あ、虎の店長さん」
「……呉凱ウーカイだ。何やってんだこんなとこで」
「え、せっかくなので夕飯を……」

 呉凱はガシガシと頭を掻いて言った。

「そうじゃなくて、お前みたいなのがウロウロしてると危ねぇからさっさと帰れっつっただろ」
「え……でもこの辺りなら観光客だって普通に歩いてるし、ご飯食べるだけなら別に……」

 困ったように眉を下げていうミナミに、呉凱は思わず口を大きく曲げた。たった今薄汚い狗二匹に目を付けられていながらよく言えたものだ、と呆れるしかない。
 カタギのニンゲンとは言えもういい年なのだから放っておけばいいと思いつつ、呉凱は仕方なしにミナミの隣にどっかりと腰を下ろして屋台の親父に言った。

喂、頭家おい、おやじさん! こっちにも一つだ」
是啊あいよ!」

 そして腕を伸ばして足元の氷バケツに突っ込まれたビールの瓶を一本取る。王冠を牙で引っ掛けて外し、泡が零れる前にごくり、と飲むと、唖然とした顔をしてミナミが呉凱を見ていた。

「なんだ」
「え、いや、…………い、痛くないですか……?」
「あ? 何が」
「……なんでもないです」

 なぜかそれきり黙ってしまったミナミがずり落ちてくる眼鏡を押し上げた。それを横目で見ながら呉凱はビールを煽る。

 今日、呉凱の店に面接に訪れたこのミナミというニンゲンは、なんというか実に薄味の顔をしたごく普通の青年だ。呉凱たち獣人から見るとニンゲンはどれも大体凹凸に乏しい顔をしているが、ミナミの場合はとにかくやけにデカくて縁の太い眼鏡ばかりが目について本人の顔がまるで印象に残らない。
 だがこの眼鏡の向こうには全体の雰囲気からはあまり想像できない、目尻の切れあがった黒目がちの目が隠れていることを呉凱はすでに知っていた。

(しかもアノ時だけはやたら色っぽいっつーか、そそる顔すんだよな、これで)

 それに、こちらも微妙にサイズが合っていないようなダボっとした服に隠れているが、脱げば傷一つない滑らかで艶やかな肌と、決してひ弱でも貧弱でもない綺麗に筋肉のついた身体をしていることも知っている。恐らくニンゲンの間では充分メスを惹きつける魅力を持っているだろうし、こういう「オスなのに綺麗でしなやか」な雰囲気に弱い獣人だってかなりの数いるに違いない。
 なのに今こうして黙って俯いたまままた落ちてきた眼鏡を指で押し戻している姿は妙にぼんやりした印象しかなく、あの呉凱の指に啼かされ耳まで真っ赤に染めながら「もっと」と言わんばかりの顔をして呉凱を見上げた淫蕩さの欠片も伺えなかった。

「お前、フレームのサイズ合ってねぇんじゃねーの」

 懐から煙草を取り出してそう言うと、しゃれっ気の欠片もない黒縁眼鏡の向こうでミナミがパチパチと瞬きをした。

「あー、これお下がりなんで……」
「お下がりって、眼鏡のお下がりなんて聞いたことねぇぞ。じゃあサイズだけじゃなくて度も合ってねぇのか」
「こっち来た時、俺、向こうの老敦路ラオダンルーに倒れてたんですけど、気が付いたら自分の眼鏡がなくて……でもないと見えないし困ってたら最初に俺を保護してくれた救護院の熊の……寮母さん? が買い換える前のをくれて……」
「それでそれをずっと使ってんのか」

 呉凱は新しく点けた煙草の灰を道に落としながら呆れる。

「お前、昼の仕事についてるって言ってただろ。設計だったか? 眼鏡くらい買い換えろよ」
「や、それがアパート借りたりなんだりで結構出費がかさんで……まあ、そこそこ見えるので……」
「…………ひょっとしてその服も貰いもんか?」
「え、あ、はい」
「不精なやつだな。」
「う」

 どうやらこのニンゲンは自分の身なりや容姿にまるで構わない性格らしい。とは言えサイズこそ合っていないがきちんと洗濯されているし、風呂場でも見たが身体の方も耳の裏からアソコまでどこも綺麗なものだった。

(見た目に頓着しねぇってだけで不潔なわけじゃないからな……。俺が口出しすることじゃねぇな)

 そう思ってまた煙草をふかしていると、屋台の親父の「大哥、做好了!」という声が飛んできた。呉凱は飯とビールの代金を渡して丼を受け取る。そして割り箸を牙の端にひっかけて割ると肉味噌をかき混ぜ麺をたぐった。すると白い湯気がもわり、とたつ。

「熱そうだな」

 思わず舌打ちをすると横からミナミが「美味しかったですよ」と口を添えた。

「そうは言っても俺は熱いの食えねぇんだよ」

 仕方なしにふーふー麺を吹きながらそう言うと、ミナミはぽかんと口を開けて呉凱を見た。

「なんだよ」
「い、いえ……………………あっ! 猫舌!?」

 驚いた顔でそう叫んだミナミをギロリ、と睨む。だがミナミは怖がるどころか、パッと破顔するなりおかしそうに声を上げて笑った。

「そうか、虎ってネコ科なんですね」
「うるせぇ」
「す、すみません」

 そう謝りながらもまだ笑っているミナミからはもうあの妙なフェロモンは感じなかった。呉凱は鼻を鳴らすと、用心しつつ麺を啜る。

「確かにうめーな」
「でしょ」

 何が楽しいのかニコニコしているミナミを横目で見ながら、呉凱は尋ねた。

「お前、一人暮らしか」
「ええ、ちょっと前までは職場の倉庫に泊まらせて貰ってたんですが、最近なんとかアパート借りられて」
「そうか、そりゃ良かったな」

 ミナミはいわゆる『界客』らしいが、時々異世界から落っこちてくるという彼らはそう数多くいるわけではない。呉凱は今年で三十四になるが、実際に界客と話をするのはこれが初めてだ。そんな圧倒的少数派の彼らを保護するための制度や手当てなど公的なものは多分存在しない。
 先の大戦で荒廃した旧都心の後始末と急激すぎる高度経済成長期とがぐっちゃぐちゃに混ざって混乱しっぱなしの政府にそこまできめ細かい対応ができるはずもない。
 だからこそこの円環城区のようなスラムや呉凱のような後ろ暗い過去を持つ獣人も堂々と存在していられるわけだが、界客であるミナミがまともな就職先を見つけて給料を稼ぎ、自分の家を借りるのは相当大変だっただろうと想像がつく。
 なんにしてもミナミの言う通りいきなり右も左もわからぬ異世界なんぞに飛ばされてきたのならとんだ災難だっただろうな、と呉凱は思った。

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~

tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。 番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。 ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。 そして安定のヤンデレさん☆ ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。 別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。

君なんか求めてない。

ビーバー父さん
BL
異世界ものです。 異世界に召喚されて見知らぬ獣人の国にいた、佐野山来夏。 何かチートがありそうで無かった来夏の前に、本当の召喚者が現われた。 ユア・シノハラはまだ高校生の男の子だった。 人が救世主として召喚したユアと、精霊たちが召喚したライカの物語。

小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)

九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。 半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。 そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。 これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。 注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。 *ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)

義弟の婚約者が私の婚約者の番でした

五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」 金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。 自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。 視界の先には 私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。

──だから、なんでそうなんだっ!

涼暮つき
BL
「面倒くさいから認めちゃえば?」 「アホか」 俺は普通に生きていきたいんだよ。 おまえみたいなやつは大嫌いだ。 でも、本当は羨ましいと思ったんだ。 ありのままの自分で生きてるおまえを──。 身近にありそうな日常系メンズラブ。 *以前外部URLで公開していたものを 掲載し直しました。 ※表紙は雨月リンさんに描いていただきました。  作者さまからお預かりしている大切な作品です。  画像の無断転載など固く禁じます。

急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。

石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。 雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。 一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。 ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。 その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。 愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

処理中です...