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後日談やおまけなど
【書籍購入お礼SS再録】カイが召喚される前のサイードとダルガートのお話(1)
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めっっっちゃくちゃお久しぶりですが、カイが召喚される前のアル・ハダールでのサイードとダルガートのおまけ話です。最後にカイも出てきます。
※この短編はWeb版ではなく書籍版の設定に基づいています。そのためWeb版とは少し差異があります。ご承知おきください。
書籍刊行時に『#月の砂漠に銀の雨』タグ付きでツイートして下さった方にご案内していたおまけSSです。
当時ツイートしてくださった方々、本当にありがとうございました。
★このお話の後、当時編集部さんへお手紙をくださった方々へ差し上げたお礼SSを再録します。
そちらも合わせてお読みいただけたら嬉しいです。
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「今年がどういう年かわかるか、サイードよ」
早朝の日課である遠駆けから戻るなり皇帝カハルに呼び出されたサイードは、その意図を図りかねて玉座に座る彼を見上げた。
広々とした部屋には他に人影はなく、ただ一人だけ、ハリファの後ろにシュマグを目深に被った体格のいい近衛騎士が立っている。
サイードの躊躇を察してか、カハルはそれ以上サイードの言葉を待たずして答えを言った。
「五十年に一度、ラハル神の思し召しにより慈雨をもたらす神子が降臨する年だ」
それはこのイシュマール大陸に生きる者ならば誰でも知っている伝承だ。
五十年に一度、こことは異なる神の国より一人の神子が遣わされる。《慈雨の神子》と呼ばれるその者は不思議なみわざをもってして、このイシュマール全土に恵みの雨をもたらすと伝えられていた。
宝玉で飾られた皇帝の座に、いささか行儀悪く肘をついて座ったハリファが眉を顰めて言う。
「我が治世が始まって十年が経った。辣腕の宰相殿やそなたらの尽力もあり国内の乱れは平定されつつあるが、水不足による地の荒れようは一向に改善されぬ。天候ばかりは我の力ではどうにもならん。こればかりはラハル神の力に頼るほかあるまい」
そしてハリファはぐい、と片方の眉を上げて問うた。
「今年、西のダーヒルにある中央神殿で《慈雨の神子》を招く召喚の儀式が行われる。そこでどの国が神子を庇護仕るかが決まるが、その国を選ぶ方法を知っているかサイードよ」
「方法、でございますか」
ダーヒルにある中央神殿の神殿長のみが神子を召喚することができるのはサイードも知っていた。そしてイシュマールにある三つの大国のうち一国のみが神子を擁し、おのれの国へ神子を連れ帰り庇護するのだ、ということも。
だがサイードは今でこそアル・ハダールの第三騎兵団の長を拝命しているが、元は馬や羊を追って暮らす一介の草原の民にすぎない。ハリファ・カハルの臣となってから士大夫の教書である五書ぐらいのことは修めたが、大陸きっての三つの大国が国の威信を駆けて神子に選ばれるために相争う秘策まではさすがに埒外のことだ。
「寡聞にして、そこまでは」
素直にそう答えると、カハルはニヤリと笑ってサイードを見た。
「神子が召喚された後《選定の騎士》と呼ばれる三国の代表たる騎士が神子に拝謁つかまつる。そして神子殿自身が三人の騎士の中から一人を選ぶのだ。おのれを守るに相応しき神子の守護者をな」
「神子自身が選ぶ……?」
「左様」
守護者とはたいそう古い言葉で《慈雨の神子》のもっとも近くに侍り仕える騎士を指す。確か五書の『史教』あたりに載っていたな、とサイードは思い返した。
いずれにしても神子のイシュクに選ばれるということは大陸の騎士たちにとっては最も高き誉れであることは間違いない。
するとカハルは親指で顎を擦りながら言った。
「神子が降臨されれば、その癒しの力はイシュマール全土に遍くもたらされるというが、神子を擁する国はやはり最も大きな恩恵を受けると聞く。そしてこの東の国に神子がおいでになったことはこれまで一度もないらしい。これはゆゆしき事態だと思わぬか、サイードよ」
このハリファ・カハルがアル・ハダールの皇帝となる前、この東の地には約400年続いた王朝があった。
ハリファが愚王ジャハールを弑して自ら帝位を奪い取った後、当然宰相や文官たちが押収した史書をつぶさに調べたことだろう。その中に神子がこの地に来たという記録が見つからなかったということか。
サイードはカハルの前に片膝をつき控えながら考えた。
ハリファ・カハルがこの地を平定した今、運よく五十年に一度の神子召喚の年が巡ってきた。恐らくハリファも、そしてあの大陸一の頭脳を持つといわれる宰相も、何が何でもこのアル・ハダールにその神子を招き、名実ともに大陸一の国にしたいと考えているに違いない。
(選定の騎士とはいわばその国の命運を握る者。それぞれの国で一番の騎士が選ばれるはずだ)
このアル・ハダールに仕える武官たちの中でサイードの序列は第三位にあたる。最も位が高いのはハリファ・カハルの一番古くからの臣下であり、兄弟のごとき絆で結ばれているといわれる第一騎兵団の長サファルだ。
(我らがアル・ハダールの選定の騎士には、ハリファの最も信頼厚き盟友であるサファル殿が選ばれるはず)
そう思ったサイードの耳に、カハルの声が飛び込んできた。
「このアル・ハダールの《選定の騎士》の役目、そなたに任せる」
「……私に、ですか?」
あまりにも思いがけない言葉にサイードは思わず目を瞠る。
このアル・ハダールに《慈雨の神子》を。
それは日々飢え乾いた大地と領民、そして馬や家畜たちを見ている身にはまさに悲願と言えるだろう。だからこそイスタリアやエイレケの騎士よりも徳高く武に優れ人格卑しからぬ者こそが《選定の騎士》の栄誉を受けるべきだ。
(そのような大役をこの俺が?)
サイードにとってカハルはまさに命の恩人だ。一族を亡くし、その仇を討つこともできず、失意のあまり心を無くして砂漠をさ迷っていた時にカハルに拾われたサイードは、彼のためならどんな難しい役目からも逃げずに戦うし、命を投げ出す覚悟だってある。
それでも名将と名高いサファル将軍を差し置いて自らが《選定の騎士》となることには、さすがに気おくれを感じずにはいられなかった。
「……しかし」
そう言いかけたのを遮るようにカハルが言った。
「サイードよ。イシュクの最も大事な役目は何か知っているか」
「……神子の身の安全を守り、イシュマールの地によき雨を降らせることかと」
「その通り!」
パシン、とカハルが膝を叩く。
「『神子が涙を流す時、エルミランの頂に恵みの雨が降る』だが神子の涙にはよき涙と悪しき涙がある。あらゆる手管を用いてそれをうまく操り、イシュマールの地によき雨を降らせる。それこそが神子の従者である守護者の仕事だ。そなたならばその役目を果たせよう。のう、我が忠臣サイードよ」
「は、ありがたきお言葉にございます」
おのれの主君からそのような言葉を掛けられたら光栄に思うのが当然だろう。だが今回ばかりはサファルのように人生経験が豊富で武勇に優れ、めったなことでは動じない人の方が向いているような気がする。
ところがハリファ・カハルはサイードの不意を突くように突然その矛先を変えた。
「のう、サイードよ。ところでそなた、相変わらず浮いた話の一つや二つはないのか」
「は?」
あまりにも突飛な方向に話が飛んで、サイードは一瞬虚を突かれる。
「そなたもすでに三十を超えたであろう。そなたのように兵や民たちの人望厚く、清廉潔白、勇猛果敢な男が未だに妻を娶るどころか愛妾の一人も持たぬとは、いささか堅過ぎるのではないのか?」
「は……」
何と答えていいかわからず、サイードは言葉を濁した。するとハリファが人の悪い笑みを浮かべる。
「聞けば先日の宴の折にはそなたの杯を満たす役目を争い、そなたと自分の耳に同じ飾りを付けたがる娘たちが列をなしていたとか。そしてその者たちをことごとく袖にしたとも聞いておるぞ」
イシュマールには、互いに心を交わし合った男女が相手に耳飾りを贈る習慣がある。そして今までサイードの耳朶に穴が開けられたことはなく、またサイードが誰かに耳環を贈ったこともなかった。
サイードとて男の欲がないわけではないが、特に縁を結びたいと思う相手に出会ったことはなく、また自分に群がる女たちの背後に潜んでいるかもしれない種々の思惑までをも慮らねばならぬのはただ面倒でしかなかった。
それに未だ各地で異民族との小競り合いが続くアル・ハダールにおいて、もっと重要なことはいくらでもある。そう考えたサイードはまっすぐにカハルを見て答えた。
「我らが第三騎兵団が任されております北方には、未だゲイルハンの残党や長年続く冷害の被害など憂患の元が絶えませぬ。そのような私ごとよりも、まずはそれらの懸念を晴らしてからであるべきか、と」
「相変わらず生真面目な男よのう」
カハルが呆れたような顔をする。
「のう、サイードよ。神子殿に選ばれるには何が必要であると考える?」
そう問われてサイードは考える。
《慈雨の神子》は、この乾ききった大地に雨を降らせるというまさに神のみわざをもたらす者だ。そのような只人にあらざる力を持つ者に選ばれるには、それこそ大陸で最も強く賢く勇気に溢れた者でなければならぬだろう。それに馬鹿ではいけない。こことは異なる世界から来るという神子に何を問われても答えられる知識と、彼を助け支える頭脳も必要なはずだ。
「武と知と徳、でございましょうか」
「ではその条件のうち、何かそなたに足りぬものはあるか」
さらに問われて言葉に詰まる。
槍の腕前には自信がある。騎馬の技も。だがそれ以外のこととなると果たしてどうか。
「恐れながら、私にはいまだ足りぬものばかりかと」
するとカハルは突然大きくため息をつき、被ったターバンとこめかみの間をボリボリと掻いた。
「お前さんは謙虚にもほどがあるな」
「は……申し訳ございませぬ」
「のうサイードよ、意味もわからずただ口先だけで謝るのはよくないぞ」
かつての奴隷騎士時代の頃のようにざっくばらんだが鋭いカハルの言葉にサイードはぐっと詰まる。するとカハルはふっと目つきを和ませた。
「確かに、昔のそなたは愛する者たちを守る力が足りなかったかもしれぬ。それを悔いて初心を忘れず、常におのれを磨き研鑽し努力し続ける姿勢は大したもんだ。だがな、男たる者、おのれを誇る自信だって大事なもんだ。それを忘れるな、我が忠臣サイードよ」
「……はっ」
カハルはもう一度ニヤリと笑うと手を振って言う。
「一月後、ダーヒル神殿領へ向かうこととなる。そなたもそのつもりで心づもりしておけ。よいな」
「はっ」
※この短編はWeb版ではなく書籍版の設定に基づいています。そのためWeb版とは少し差異があります。ご承知おきください。
書籍刊行時に『#月の砂漠に銀の雨』タグ付きでツイートして下さった方にご案内していたおまけSSです。
当時ツイートしてくださった方々、本当にありがとうございました。
★このお話の後、当時編集部さんへお手紙をくださった方々へ差し上げたお礼SSを再録します。
そちらも合わせてお読みいただけたら嬉しいです。
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「今年がどういう年かわかるか、サイードよ」
早朝の日課である遠駆けから戻るなり皇帝カハルに呼び出されたサイードは、その意図を図りかねて玉座に座る彼を見上げた。
広々とした部屋には他に人影はなく、ただ一人だけ、ハリファの後ろにシュマグを目深に被った体格のいい近衛騎士が立っている。
サイードの躊躇を察してか、カハルはそれ以上サイードの言葉を待たずして答えを言った。
「五十年に一度、ラハル神の思し召しにより慈雨をもたらす神子が降臨する年だ」
それはこのイシュマール大陸に生きる者ならば誰でも知っている伝承だ。
五十年に一度、こことは異なる神の国より一人の神子が遣わされる。《慈雨の神子》と呼ばれるその者は不思議なみわざをもってして、このイシュマール全土に恵みの雨をもたらすと伝えられていた。
宝玉で飾られた皇帝の座に、いささか行儀悪く肘をついて座ったハリファが眉を顰めて言う。
「我が治世が始まって十年が経った。辣腕の宰相殿やそなたらの尽力もあり国内の乱れは平定されつつあるが、水不足による地の荒れようは一向に改善されぬ。天候ばかりは我の力ではどうにもならん。こればかりはラハル神の力に頼るほかあるまい」
そしてハリファはぐい、と片方の眉を上げて問うた。
「今年、西のダーヒルにある中央神殿で《慈雨の神子》を招く召喚の儀式が行われる。そこでどの国が神子を庇護仕るかが決まるが、その国を選ぶ方法を知っているかサイードよ」
「方法、でございますか」
ダーヒルにある中央神殿の神殿長のみが神子を召喚することができるのはサイードも知っていた。そしてイシュマールにある三つの大国のうち一国のみが神子を擁し、おのれの国へ神子を連れ帰り庇護するのだ、ということも。
だがサイードは今でこそアル・ハダールの第三騎兵団の長を拝命しているが、元は馬や羊を追って暮らす一介の草原の民にすぎない。ハリファ・カハルの臣となってから士大夫の教書である五書ぐらいのことは修めたが、大陸きっての三つの大国が国の威信を駆けて神子に選ばれるために相争う秘策まではさすがに埒外のことだ。
「寡聞にして、そこまでは」
素直にそう答えると、カハルはニヤリと笑ってサイードを見た。
「神子が召喚された後《選定の騎士》と呼ばれる三国の代表たる騎士が神子に拝謁つかまつる。そして神子殿自身が三人の騎士の中から一人を選ぶのだ。おのれを守るに相応しき神子の守護者をな」
「神子自身が選ぶ……?」
「左様」
守護者とはたいそう古い言葉で《慈雨の神子》のもっとも近くに侍り仕える騎士を指す。確か五書の『史教』あたりに載っていたな、とサイードは思い返した。
いずれにしても神子のイシュクに選ばれるということは大陸の騎士たちにとっては最も高き誉れであることは間違いない。
するとカハルは親指で顎を擦りながら言った。
「神子が降臨されれば、その癒しの力はイシュマール全土に遍くもたらされるというが、神子を擁する国はやはり最も大きな恩恵を受けると聞く。そしてこの東の国に神子がおいでになったことはこれまで一度もないらしい。これはゆゆしき事態だと思わぬか、サイードよ」
このハリファ・カハルがアル・ハダールの皇帝となる前、この東の地には約400年続いた王朝があった。
ハリファが愚王ジャハールを弑して自ら帝位を奪い取った後、当然宰相や文官たちが押収した史書をつぶさに調べたことだろう。その中に神子がこの地に来たという記録が見つからなかったということか。
サイードはカハルの前に片膝をつき控えながら考えた。
ハリファ・カハルがこの地を平定した今、運よく五十年に一度の神子召喚の年が巡ってきた。恐らくハリファも、そしてあの大陸一の頭脳を持つといわれる宰相も、何が何でもこのアル・ハダールにその神子を招き、名実ともに大陸一の国にしたいと考えているに違いない。
(選定の騎士とはいわばその国の命運を握る者。それぞれの国で一番の騎士が選ばれるはずだ)
このアル・ハダールに仕える武官たちの中でサイードの序列は第三位にあたる。最も位が高いのはハリファ・カハルの一番古くからの臣下であり、兄弟のごとき絆で結ばれているといわれる第一騎兵団の長サファルだ。
(我らがアル・ハダールの選定の騎士には、ハリファの最も信頼厚き盟友であるサファル殿が選ばれるはず)
そう思ったサイードの耳に、カハルの声が飛び込んできた。
「このアル・ハダールの《選定の騎士》の役目、そなたに任せる」
「……私に、ですか?」
あまりにも思いがけない言葉にサイードは思わず目を瞠る。
このアル・ハダールに《慈雨の神子》を。
それは日々飢え乾いた大地と領民、そして馬や家畜たちを見ている身にはまさに悲願と言えるだろう。だからこそイスタリアやエイレケの騎士よりも徳高く武に優れ人格卑しからぬ者こそが《選定の騎士》の栄誉を受けるべきだ。
(そのような大役をこの俺が?)
サイードにとってカハルはまさに命の恩人だ。一族を亡くし、その仇を討つこともできず、失意のあまり心を無くして砂漠をさ迷っていた時にカハルに拾われたサイードは、彼のためならどんな難しい役目からも逃げずに戦うし、命を投げ出す覚悟だってある。
それでも名将と名高いサファル将軍を差し置いて自らが《選定の騎士》となることには、さすがに気おくれを感じずにはいられなかった。
「……しかし」
そう言いかけたのを遮るようにカハルが言った。
「サイードよ。イシュクの最も大事な役目は何か知っているか」
「……神子の身の安全を守り、イシュマールの地によき雨を降らせることかと」
「その通り!」
パシン、とカハルが膝を叩く。
「『神子が涙を流す時、エルミランの頂に恵みの雨が降る』だが神子の涙にはよき涙と悪しき涙がある。あらゆる手管を用いてそれをうまく操り、イシュマールの地によき雨を降らせる。それこそが神子の従者である守護者の仕事だ。そなたならばその役目を果たせよう。のう、我が忠臣サイードよ」
「は、ありがたきお言葉にございます」
おのれの主君からそのような言葉を掛けられたら光栄に思うのが当然だろう。だが今回ばかりはサファルのように人生経験が豊富で武勇に優れ、めったなことでは動じない人の方が向いているような気がする。
ところがハリファ・カハルはサイードの不意を突くように突然その矛先を変えた。
「のう、サイードよ。ところでそなた、相変わらず浮いた話の一つや二つはないのか」
「は?」
あまりにも突飛な方向に話が飛んで、サイードは一瞬虚を突かれる。
「そなたもすでに三十を超えたであろう。そなたのように兵や民たちの人望厚く、清廉潔白、勇猛果敢な男が未だに妻を娶るどころか愛妾の一人も持たぬとは、いささか堅過ぎるのではないのか?」
「は……」
何と答えていいかわからず、サイードは言葉を濁した。するとハリファが人の悪い笑みを浮かべる。
「聞けば先日の宴の折にはそなたの杯を満たす役目を争い、そなたと自分の耳に同じ飾りを付けたがる娘たちが列をなしていたとか。そしてその者たちをことごとく袖にしたとも聞いておるぞ」
イシュマールには、互いに心を交わし合った男女が相手に耳飾りを贈る習慣がある。そして今までサイードの耳朶に穴が開けられたことはなく、またサイードが誰かに耳環を贈ったこともなかった。
サイードとて男の欲がないわけではないが、特に縁を結びたいと思う相手に出会ったことはなく、また自分に群がる女たちの背後に潜んでいるかもしれない種々の思惑までをも慮らねばならぬのはただ面倒でしかなかった。
それに未だ各地で異民族との小競り合いが続くアル・ハダールにおいて、もっと重要なことはいくらでもある。そう考えたサイードはまっすぐにカハルを見て答えた。
「我らが第三騎兵団が任されております北方には、未だゲイルハンの残党や長年続く冷害の被害など憂患の元が絶えませぬ。そのような私ごとよりも、まずはそれらの懸念を晴らしてからであるべきか、と」
「相変わらず生真面目な男よのう」
カハルが呆れたような顔をする。
「のう、サイードよ。神子殿に選ばれるには何が必要であると考える?」
そう問われてサイードは考える。
《慈雨の神子》は、この乾ききった大地に雨を降らせるというまさに神のみわざをもたらす者だ。そのような只人にあらざる力を持つ者に選ばれるには、それこそ大陸で最も強く賢く勇気に溢れた者でなければならぬだろう。それに馬鹿ではいけない。こことは異なる世界から来るという神子に何を問われても答えられる知識と、彼を助け支える頭脳も必要なはずだ。
「武と知と徳、でございましょうか」
「ではその条件のうち、何かそなたに足りぬものはあるか」
さらに問われて言葉に詰まる。
槍の腕前には自信がある。騎馬の技も。だがそれ以外のこととなると果たしてどうか。
「恐れながら、私にはいまだ足りぬものばかりかと」
するとカハルは突然大きくため息をつき、被ったターバンとこめかみの間をボリボリと掻いた。
「お前さんは謙虚にもほどがあるな」
「は……申し訳ございませぬ」
「のうサイードよ、意味もわからずただ口先だけで謝るのはよくないぞ」
かつての奴隷騎士時代の頃のようにざっくばらんだが鋭いカハルの言葉にサイードはぐっと詰まる。するとカハルはふっと目つきを和ませた。
「確かに、昔のそなたは愛する者たちを守る力が足りなかったかもしれぬ。それを悔いて初心を忘れず、常におのれを磨き研鑽し努力し続ける姿勢は大したもんだ。だがな、男たる者、おのれを誇る自信だって大事なもんだ。それを忘れるな、我が忠臣サイードよ」
「……はっ」
カハルはもう一度ニヤリと笑うと手を振って言う。
「一月後、ダーヒル神殿領へ向かうこととなる。そなたもそのつもりで心づもりしておけ。よいな」
「はっ」
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