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後日談やおまけなど

【お手紙お礼SS再録】6年後の三人のお話(2)

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 イシャラーム、というのは季節外れの時期に時々起こる猛烈な嵐のことらしい。話に聞いたことはあったが僕がそれに直面するのは初めてのことだ。
 サイードさんは幕家に戻ると寝ぼけ眼で寝台を片付けていたアルタワを呼びよせて言った。

「恐らく今夜あたりイシャラームが来る。お前は急ぎ東へ行き、ダルガートにそれを伝えるんだ。お前はそのまま母上殿のところへ行け。お前が行けば役に立てるし母上殿も安堵されるだろう」

 眠たそうだったアルタワの表情が一瞬で替わり、目つきが鋭くなる。

「わかりました、叔父上」

 アルタワはサイードさんのお母さんのお姉さんが嫁いだ氏族に連なる子なので直接血の繋がりがあるわけではないらしいのだけれど、彼はいつもサイードさんを《叔父上》と呼んでいる。
 それから急いで三人で種なしパンと温めた山羊の乳とチーズの朝食を掻き込んだ。ダルガートとアルタワと彼の家族のために急いで種なしパンに肉をたくさん挟んだものを布に包んで手渡すと、アルタワはニッと笑って「ありがとう、カイ」と言った。

 初めて会った時はまだ十にもならない子どもだったアルタワも、今年の春、十六になった時に成人のお祝いをした。砂漠や草原の国では大体十五や十六で成人する。
 アルタワは成人のお祝いにサイードさんからは立派な馬具を、ダルガートからは剣を贈られた。その時の彼の誇らしげな顔は今でもよく覚えている。ちなみに僕は何をあげようか悩んだあげく、彼に欲しいものを聞いた。すると「いつでも焼肉の最後の端っこを食べさせてくれる権利」と言われて笑ってしまった。
 彼の顔つきは育ての親であるサイードさんに年々似てきて、年若いながらも強く逞しい草原の民として成長している。
 早速出立の支度を済ませたアルタワに僕は言った。

「くれぐれも気を付けて」
「わかってる」

 それからアルタワは仔馬の時からサイードさんと一緒に育てて来た馬に乗って、昨日から馬たちを東の川へ連れて行っているダルガートの元へ向かった。僕とサイードさんは嵐に備えて幕家や小屋の柱や綱に緩みがないか見て回る。
 僕も六年の間に二人に鍛えられて少しは力もついた。サイードさんと一緒に二つある幕家を一つ一つ荒縄で縛って杭を打ち直し、水を運び込んでは長期戦になった時のために追加のパンを焼く。それから普段暮らしている方の一番大きな幕家の床に油布を敷き詰めた。

 だんだんと陽が西へと傾き始めた頃、明らかに風が強くなってきた。大きい山羊たちはサイードさんが窪地へ連れて行き、僕はまだ小さな山羊の仔たちを集めて油布を敷いた幕家の中に入れた。まだ体の小さい仔山羊は嵐の中に吹きっ晒しの外にいたら死んでしまう可能性が高いからだ。
 気温もだんだん下がって来て、一度幕家に戻ってきたサイードさんがスープを飲んで身体を温めている間に、僕は急いで焼いた肉を挟んでピタパンもどきをたくさん作り、銅の湯沸かしにお茶を詰めた。それを布でくるんでサイードさんが背負えるようにする。
 これからサイードさんは嵐が過ぎるまで窪地で山羊たちと一塊ひとかたまりに集まって一緒に夜を明かすのだ。蝋引きの防水布と厚い毛布をたくさん馬に積んでサイードさんが僕を振り返る。

「カイは絶対に幕家の外には出るな」
「うん、わかってる」
「夜が明けたら一旦戻って来る。それまで一人で頑張れるな」
「大丈夫。心配しないで。サイードさんも気を付けて」
「ああ、行ってくる」

 それから僕はサイードさんの姿が見えなくなるまで幕家の前で見送った。風はさらに強くなっていて、やがて日が完全に沈んだ。幕家の中に戻るとすぐに仔山羊たちが集まって来る。

「おいで。みんなで集まれば温かいし、怖くないよ」

 面白がってあちこちに鼻面を突っ込んでる仔山羊たちを時々呼び戻しながら、僕は幕家の中の炉の傍で一人でもそもそとピタパンもどきの夕食を食べた。
 ダルガートはアルタワの知らせを受けて、今頃は川へ連れて行った馬たちと一緒に東の丘のふもとに避難しているはずだ。彼もそこで一晩過ごして、明日の朝風が弱くなっていたらこっちに戻って来るだろう。サイードさんも同じだ。それまで僕は一人でこの幕家と仔山羊たちを守らなければならない。

(今頃サイードさんもダルガートもピタパン食べてるかな)

 発酵させずに小麦と水と少しの塩だけで焼く種なしパンはこの世界で一番よく食べられている主食だ。僕がこっちで最初に作り方を覚えた食べ物でもある。
 普通は千切ったパンでお皿のおかずをすくうようにして食べるのが一般的だけど、毎日のように馬や山羊を牧草地や水場に連れて行ったり狩りをしたりであちこち移動しているサイードさんやダルガートが食べやすいように少し工夫した。丸く伸ばした生地の中におかずを詰めて半分に折り、縁を閉じてじっくり焼いてみると、サイードさんは「美味いし片手で食べられるのがいいな」と目を細めたし、育ち盛りのアルタワはものも言わずに一心不乱に食べた後「今度は中にチーズも入れて欲しい」と言った。すると滅多に人を褒めないダルガートに突然「いい思いつきだ」と真顔で頷かれ、驚いたアルタワが顔を赤くして「そ、そうかな」と照れていたのを思い出してつい口が緩む。そして知らず緊張で固まっていた肩をぐるりと回して深呼吸をした。

(大丈夫。この六年間、こんなピンチはいくらでもあったじゃないか)

 五日間も雨が降り続いて幕家に閉じ込められたのは三年前の冬。逆に二年前の夏は雨が少なくて毎日山羊と馬を連れて川まで通った。五年前に盗賊に馬を盗まれそうになった時はダルガートがすぐさま追って盗賊を斬り殺した。
 大自然のど真ん中で生きるということは、毎日たくさんの困難と闘い続けるということだ。でも僕とサイードさんとダルガートと、そしてアルタワも、そういったことをいくつも乗り越えてきた。
 だから大丈夫。絶対に大丈夫。

 夜が更けて仔山羊たちも寝静まり、幕家の外では雨も降り出し風がビュウビュウと吹き荒れているのがわかる。分厚い油布と毛織の毛布の上から何十にも縄を巻いて作った幕家は驚くほど頑丈だけれど、それでもあまりに強い風に幕家自体が揺さぶられて時折柱と梁がギシギシと音を立てる。
 万が一の時のためにランプを一つだけつけて、僕はまんじりともせずに夜を明かす。
 こんな時《神子としての力》を使えばすべてが解決できるだろう。でもそんな考えは頭に過ることさえなかった。そう気づいたのは三年くらい前だっただろうか。その時僕は初めて本当にこの世界の人間になれたような気がしてすごく嬉しかったのを今でも覚えている。
 そう思った日の夜、ぐっすりと眠り込んだアルタワの寝顔を見下ろしながらそのことをサイードさんとダルガートに話した。すると二人は顔を見合わせ、アルタワを起こさないように静かに僕に口づけてくれた。

 温かい仔山羊たちと毛布に埋もれてうとうとしながら、時々幕家がギシリと大きな音を立てて軋むたびにビクッと起き、それからまた眠りそうになるのを繰り返している内に、少しずつ風の音が弱まってきた。
 太い柱が軋まなくなったころにそっと立ち上がって外を覗いてみる。

(雨はずいぶんとマシになった。風もおさまってきている)

 サイードさんとダルガートは今頃寒さに震えていやしないだろうか。アルタワは今頃ここで習い覚えたことを生かしてお母さんたちを手伝い、励ましてやっているだろうか。馬も山羊たちも一頭残らず無事でいるだろうか。
 空には相変わらず黒く重い雲が垂れ込めている。それでも体感で夜明けが近いと感じて、僕は幕家の中の水瓶から水を汲み、湯を沸かし始める。
 目を覚ました仔山羊には水を飲ませ、自分も昨日の残りのパンを炉の傍に置き、チーズを串に挿して温めた。

「あちっ」

 とろりと溶けて串から落ちそうになったチーズをパンで受け止め、一口齧る。舌を焼く熱さに、無事に夜を越すことができたのだと少しずつ実感が湧いてきた。

 幕家の炉の横には錫の大きな壺が首まで地中に埋めてある。木の蓋を外してそこに沸かしたお湯を注ぎ、また新しく水を火にかける。そうするとお湯はしばらくの間保温できて、ついでにその近くの床が温かくなるのだ。
 仔山羊たちとゴロゴロしながら壺に半分くらい湯を溜めた頃、幕家の外から山羊の鳴く声と蹄の音が聞こえて飛び起きた。急いで外に出るとすでに雨は止んでいて、重苦しい曇天の中、山羊の群れを連れてサイードさんが戻ってくるのが見えた。
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