上 下
158 / 161
後日談やおまけなど

【お手紙お礼SS再録】6年後の三人のお話(1)

しおりを挟む
最終話から6年後の三人+一人のおまけ話です

編集部にお手紙をくださった方にお礼として書いたものです
当時お手紙くださった方々、本当にありがとうございました🥰

---------------------------------------



 ピィーーッ、とサイードさんの口笛が夜が明け始めた草原に響く。桶を手にして幕家から出た僕が顔を上げると、東の方からこちらに駆けてくる一組の人馬と空から舞い降りる一羽の鷹が見えた。どうやらサイードさんは今日も陽が昇る前からひと乗りしてきたようだ。
 夜空にわずかに滲み始めた夜明けの色とうっすらと浮かび上がってくる地平線、頬をなぶるキリリと冷たい空気とそこに響く山羊や馬のいななきに、僕は未だに自分が日本を離れてこの草原に暮らしていることが信じられないような気持ちになる。
 そう思わなくなった時が、完全にこのイシュマール大陸の民となった時だとなんとなく思う。

 僕とダルガートがダーヒルの神殿を出てサイードさんと一緒にここ、イシュカルに移り住んでから早いもので六年の月日が経った。
 イシュカルは元々サイードさんの遠縁にあたるアルタワという男の子が受け継ぐはずの土地だった。けれど彼がまだ幼い頃に一族の長であった彼の父親や氏族の男たちが皆事故や病で亡くなってしまったらしい。
 女性や子ども、年寄りしか残っていないイシュカルの土地や家畜を狙って、政情不安定なエイレケからよからぬ人物が襲ってきたりしないように、そして幼いアルタワを一族の長に相応しく育て上げるためにサイードさんがイシュカルに招かれた。
 そこへ僕とダルガートがやって来て、サイードさんを手伝いながら暮らしている。

 この地平線見遥かす大草原イシュカルは本当に自然豊かな土地だ。青々と茂る草原の匂いや大地を吹き抜ける風の気持ちよさ、気が遠くなるほど高い青い空とたなびく白い雲は日本では決して見られなかった光景だろう。

 朝起きて最初に山羊の乳を搾りに行くのが僕の日課で、今朝も欠伸をしながら幕家の周りにたむろしている羊たちの中から一頭を呼び寄せ、持って来た木箱にどっこらせと座る。そして一頭ずつ順に手桶いっぱいの乳を搾って、太陽が上り始めた東の空を見た。
 まだ反対側の西には夜の名残が残っている。そこへ現れた太陽の光がじわじわと空いっぱいに広がっていく光景は何度見ても綺麗だ。夕暮れの赤と夜の群青が交じり合う空も大好きだけど、やっぱり何事もなく無事に夜明けを迎えられた朝の空の清々しさは格別だ。
 けれど今朝はいつもと少し違った。ふと何かを感じて僕は目を凝らす。

 平和な現代日本で生まれ育った僕にはまだまだ圧倒的にこの世界で生きる知恵や草原での経験が足りない。だからこそ、この六年間は幼いアルタワと一緒に僕もサイードさんやダルガートにいろいろなことを教わる毎日だった。
 歴史が変わる前と違い、今のこの世界は比較的気候や世情は落ち着いている。それでも争いや天候不良が起きないわけではない。僕はまだ夜の気配が残る西の空をじっと見て、それから乳を搾った手桶を抱えて幕家に駆け戻った。

「空の様子がおかしい?」

 幕家に戻ってすぐ馬に朝の水をやろうと片手で大きな桶を運びながら、サイードさんは僕の言葉に振り返った。
 結局、サイードさんはあの後も右腕を元に戻して欲しいとは僕に言わなかった。でも馬の世話でも家のことでも狩りでも、何でも片手で器用にやってしまうのは本当にすごいと思う。
 そのサイードさんが立ち上がって僕と一緒に幕家の前まで歩いて行った。そしてじっと空を見上げる。

 今のサイードさんはもうすぐ四十になるくらいの年らしい。笑うと目尻に浮かぶ皺や以前よりもっと思慮深くなった言動は確かに積み重ねてきた年月の重みを感じさせる。でも初めて出会った頃と変わらず前髪を上げて露わにした額や高い頬骨は滑らかなままで、昔と変わらぬ凛とした男らしさに満ちていた。
 僕はいまだにサイードさんの横顔についつい見惚れてしまうけれど、今はそれどころではない。目を凝らして見ると、少しずつ日の光が広がりつつある地平線の際に一筋、奇妙に黒くにじんだ線のようなものが見えた。

「よく気づいた、カイ」

 サイードさんがそう言って僕の肩を叩いて踵を返す。

イシャラームが来る。備えをしなければ」
しおりを挟む
感想 398

あなたにおすすめの小説

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果

ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。 そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。 2023/04/06 後日談追加

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。