月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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後日談やおまけなど

閑話 サイードとダルガートが耳環を作らせる話<1>

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※世界改変以前、サイードとダルガートがカイのために耳飾りを注文した時の話です。
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《貴石商・ハサンの動揺》


 その日、アル・ハダールの帝都イスマーンで一、二を争う貴石商・ハサンは急ぎハリファの宮城へとやって来た。

(一体どなたからのご注文なのだろうか)

 これがいつものように後宮からのお召しであれば、ハリファ・カハルのご内儀が新しい首飾りや指輪を求めて自分を呼んだのだとわかる。だが今回来るように指定された先は、宮城を守る近衛騎士たちが控える政堂の一室であった。
 ハサンは荷物を持たせた奉公人と、客が女の意見を聞きたがった場合に備えて特別な客の時だけ同行させている一番上の娘、そして貴重な貴石を守る護衛とともに衛士に案内された部屋で待つ。やがて黒髪で背の高い威風堂々たる男が入ってきた。

「待たせてすまない。よく来てくれた」
「は、はっ」

 現れた人物を見てハサンは仰天した。

(こ、これはサイード将軍!?)

 それはこの帝都の住人なら誰でも知っている、第三騎兵団団長であった。
 サイードといえばその凛々しい美貌と若くして騎兵団の長に抜擢された武勇とに惹かれる女は市井にも宮中にも数知れず。実際、後ろにいる長女が小さく声を上げて息を呑んだのがわかる。だがどんな美人佳人にも靡かぬと評判の人物だ。
 ハサンも間近で見るのは初めてだが、前髪を上げて露わにした額や意志の強そうな眉、涼し気な目元やくっきりとした口元などは見事なまでに整っていて、少しのゆるみもないまっすぐな姿勢や視線がさらにその風格を高めている。

(しかし噂には聞いていたが、まさに太陽神ラハルのごとき男振りであられるな)

 毎年ラウルの月の祭日に披露される騎兵団の閲兵式で、妻や娘が女の使用人たちとともに店の二階の窓から目を輝かせて見入っているのをハサンは知っている。
 厳しいけれど裏表のない誠実さと華美を好まぬ質実剛健さから、女たちからだけでなく騎士たちや市井の男たちからも憧れ尊敬されているが、そんな彼が宝飾品に興味を示すなどとは今まで聞いたことがなかった。

(まさかサイード様にもついに意中のお相手が?)

 この難攻不落の美丈夫の心を射止めた姫がついに現れたというのだろうか。だとしたら一体どれほどの美女か才女か、といささか下世話な興味を押し隠しつつ御愛想の一つも述べようとした時、彼の後ろから入ってきたもう一人の男の姿を見て思わず言葉を呑み込んだ。
 サイードの隣に立った男の圧倒的なまでの巨躯と深く被ったシュマグの下から覗く冷え冷えとした感情の見えない鋭い目に一瞬たじろぐ。

(こ、こちらのお方は一体……)

 ハサンは職業柄、帝都の主だった重臣や豪商、その他客になりそうな相手の顔と名前は心得ている。だが今サイードとともに目の前にいる男には見覚えがなかった。その眼光の鋭さに「少しでも不正を働いたりあこぎな商売をしようとすればただではすまさぬ」と言外に言われているような気がして唾を呑み込む。
 視界の端で娘の様子を見れば、サイードが現れた時の興奮した顔とは一変して青い顔をして固まっていた。

(いやいや、別に後ろ暗いことは何もしていないのだから怖がる必要もない)

 ハサンはそう自分に言い聞かせて動揺を押し隠し、深々と頭を下げた。

「サイード様、この度はわたくしどもに御用をお申し付け下さりありがとう存じます。貴石商のハサンと申します。こちらは我が娘ですが、装飾の意匠などに詳しく、きっとお役に立てると思い連れて参りました」
「ああ」
「あの……失礼ですが、そちらのお方は……」

 恐る恐る尋ねると、眼光鋭いその男が太く、けれど抑揚に欠けた声音で答える。

皇帝ハリファ付き筆頭近衛騎士、ダルガートだ」

 思わずヒュッと喉の奥が鳴りそうになって慌てて平静を装った。

(筆頭近衛騎士のダルガート様といえば、先のジャハール王を裏切りった身でありながら、なぜかハリファからの信用厚く、現在ではハリファの最もお傍近くにお仕えしている近衛騎士であったはず)

 さらに言えば見た目通りに冷酷無比で、ハリファに歯向かう者は誰が相手でも容赦なく斬り捨てるような人物だと聞いている。
 数年前、彼と同じく前王朝から帰順した帝国貴族の元大臣が密かにハリファを害そうと企んでいた時、ダルガート自らがその密約を暴いて断罪し、斬った首を城下に十日晒して見せしめとしたとか。

 そのような人がなぜサイード将軍と一緒にここにいるのか、皆目見当がつかない。
 だがハサンとて商人のはしくれ、誰が相手であろうがどのような状況であろうが商売はする。

「それでは御前を失礼いたします」

 床に敷物を敷いて座る奥向きの部屋と違い、騎士や官僚たちが立ち働くこの政堂では主にテーブルと椅子が使われている。サイードが席に座りその後ろにダルガートが立ったのを確認してから、ハサンは供に持たせていた箱をテーブルに並べて言った。

「貴石をお探しと聞いて、特に貴重で珍しき石を選んでお持ちいたしました」

 そう、仮にも王宮御用達の貴石商だ。誰が相手でも店の威信をかけて最高の石ばかりを取り揃えて来た。

(今までこうした物にあまり興味を示していなかったサイード様でも、きっと目を瞠り感嘆されるだろうて)

 ところが「そうか」とハサンの言葉に鷹揚に頷いたサイードは、箱の中に並んだひどく高価な貴石の数々にもまるで目の色を変えなかった。ダルガートも眉一つ動かしていない。ハサンは咳ばらいをするとサイードに尋ねた。

「それで、今回はどのような装身具をお作りに……」
「ああ、そのことだが。耳環じかんを一対、造りたいのだ」
「耳環……でございますか」

 ハサンは思わず聞き返した。
 耳環と言えば、身と心を交わし合った唯一無二の相手に贈るものだ。それを耳に飾ればすなわち「自分には耳環を交わす相手がいる」と万人に知らしめることになる。
 贈り手から言えば、決して手放したくない相手に耳環を付けさせて他の者たちを牽制する意味合いもあるのだ。

(サイード様は武官の中で第三位の高位にありながら、ハリファよりの褒章などもあまり受け取らず、城外の屋敷や身の回りのものにもあまり金子きんすを使ってはおられないと聞く。そのように派手さを嫌うお方が、お相手に耳環を贈られようとするとは……)

 つまりそれだけご執心のお相手、ということか。
 恋に目のくらんだ男は財布の紐も緩くなる。ハサンは揉み手をせんばかりに笑みを浮かべると、サイードに尋ねた。

「それではお相手様はどのような石がお好みでございましょうか。ここには紅玉、金緑石、潜晶石、また白玉や翡翠などもございますが……」
「生憎、私は石のことはわからぬ」

 そう言いながら、サイードの男らしくどちらかと言えば硬質な美貌が初めてわずかに和らいだ。

「……だが、かの人にもっとも相応しいものを選びたいと思っている」

 ほう、と娘が隣で目元を赤らめて息を漏らす。
 娘はサイードの言い分をお相手への愛の深さの表れと思ってうっとりしているようだが、商人ハサンにとってはいいカモだ。
 耳環に飾る貴石や台となる金属に何を用いるかで値段はいかようにも変わり、またその耳環を捧げた者の地位や相手へ向ける心の大きさ重さなどの証となる。その点サイードは第三騎兵団の長、恐らく相当な資産もあるだろう。

(ならば第一級の品をお買い上げいただけるはず)

 ハサンは張り切って持ち込んだ貴石を並べたが、サイードはそれを一つ一つ見た上で元の硬い表情のまま箱を戻してきた。

「残念だがこの中に私が欲しいと思う石はない」
「な……ッ、さ、左様でございますか……」

 だがここで素直に引き下がっては商人の名折れだ。ハサンは急いで言葉を畳みかける。

「サイード様におかれましては色がお気に召されませなんだか。それとも貴石の大きさに? 輝きに満足いただけませぬか」

 するとサイードはまっすぐにハサンを見て言った。

「そうだな。そのすべてだな」
「は?」
「例えばこの青の石だが」

 と言ってサイードがこの中で最も大きな蒼玉を取る。

「たいそう高価なもののように思うが、かの人の黒い瞳と並んではあまりに見劣りがしすぎる」
「は……」
「それにこちらの石もこの中では一番輝きが強いように見えるが、かの人を悪しきものから守るにはまだ心もとない」

 そう言って、この帝都で庭付きの豪邸が一棟買える値の鑽玉を脇に除けた。

「それにこれらの石は色の鮮やかさに欠け、こちらの石はどれも輝きが足りん」

 そしてサイードは静かに、だがきっぱりと告げる。

「私はかの人にもっと美しく、もっと強い守りの力に満ちた石を贈りたいのだ。だがここにある石ではどれも足りぬ」

 重い。これは相当重い。
 ハサンの背中に冷や汗が一筋流れる。
 するとそれまで一言も発しなかったダルガートがサイードの後ろから言った。

「サイード殿はすでに三人の貴石商に会われている。だがその誰もがサイード殿の心に適うものを出すことができなかった。そなたの持つ石は本当にこれがすべてなのか」
「は、は……ッ! それではこちらはいかがでございましょうか……ッ!」

 ハサンは後ろに控える護衛に指図すると、この後国一番の権力者であるハリファに売りつけようと隠してあった小箱をテーブルに出させた。その様子をダルガートが冷え冷えとした目でじっと見ている。
 ハサンは震える手で箱の蓋を開け、サイードの前へ差し出した。



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