月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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後日談やおまけなど

カイの過去と未来と緑の大地(4)

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 またいつかのように、突然ものすごい力で意識をどこかへ引っ張られるような感覚がして息を呑んだ。そして次の瞬間、パッと目の前に現れたのは。

「……僕の家だ」

 ごく普通の住宅街にあるごく普通の一軒家。そこに誰か若い男がやってくるのが見えた。その男は手にしたメモを見ながらうちの表札を見るとインターホンを押す。そして家から出てきたのは――――

「……ッ、母さん……っ!」

『はいはい、まあわざわざ来てくれてどうもありがとう』

 母はその若い男にそう言って頭を下げると家の中に案内する。僕は急いでその男の後ろからついて懐かしい家の中に入って行った。

『本当に、連絡ありがとうね。せっかくだから上がって行って。お茶でもどうぞ』
『あー、すみません。じゃあ』

 そう言った男を母がリビングに案内する。そこに置かれたテレビは記憶よりも画面が大きくて、でも壁にかけられた絵や部屋に漂う花のようないい匂いはちっとも変っていなかった。

『ええと、これがこないだ電話でお話したやつなんですけど』

 そう言って男が下げていた紙袋から何かをソファーの前のテーブルに出す。

『俺たちが卒業する時に埋めたタイムカプセル、卒業から十年ってことでこないだ同窓会やって、その時に掘り起こしたんです』
『あら、まあまあ』
『それで、これが春瀬の分って、俺たちが皆で一緒に埋めたやつです』

 それはケースに入った卒業アルバムと恐らく卒業証書が入った黒い筒、そしてカラフルなシールがペタペタと貼られた封筒だった。

『あの時おばさん、アルバムとか辛くて受け取れない、って言われたって担任から聞いて、でも十年とか経ったらその頃にはあいつ戻って来てるかもしれないし、それに……そうじゃなくてもおばさんも見れるかもって思って、カプセルに入れたんです。――――ほら、あいつの写真も載ってるんですよ、ここ。二年の時のですけど』
『あら……まあ……』
『それからこっちの封筒は手紙です。あいつあんまり目立つタイプじゃなかったけど、なんかちょこちょこ女子が困ってたとこ助けたりとかしてたみたいで、そういうの、あの時は言えなかったけどありがとう、みたいな。そういうの伝えたかったやつらが手紙書いてここに入れたんです。ああ、あとこれ図書室のカード。ものすごい数読んでてすごいってあの時の司書の先生が持ってきて、ほらこれです』
『まあ……そうなの……』
『ええと、ちょっと恥ずかしいんですけど、手紙、俺のも入ってて……。あいつめちゃくちゃ潜水長く出来るって知ってました? 俺、昔水泳の授業で溺れてんのかってビックリして』
『あら、まあ』
『そんでその時、そんな特技あるならもっとアピールして、なんかやってみればいいじゃん、みたいなこと話したんですけど』
『まあ、そう……そんなことが……』

 涙声だった母さんの声が少し明るくなって、目を細めて微笑むその顔は記憶よりも年を取ってて、僕の視界もぼやけて目の奥が熱くて喉が痛くて。
 その時、玄関の開く音がして急に人の声が聞こえて来た。僕も母さんもハッと我に返ったようにそちらを見る。するとリビングに入ってきた父さんが少し驚いた顔で言った。

『あれ、お客さんか』
『そう、あの子の同級生の。ほらこのあいだお手紙と電話をくれた』
『ああ、確か加賀谷君、だったな』
『すみません、お邪魔してます』
『いやいや、来てくれてありが――――』

 その時、視界が揺れてまるで場面が変わったように今度は別の人物がリビングに現れた。あれは……兄さん? でも驚いたことにソファーに座った膝の上になんと赤ん坊がいる。……多分、兄さんの赤ちゃんだ。だって顔がわらっちゃうくらいそっくり。
 一体ここは僕がいなくなって何年後の世界なんだろう、わからないけれど兄さんの隣に知らない女の人がいて、なんとその腕の中にも赤ちゃんがいた。ふ、双子!? え、双子のお父さんになっちゃったの!?

『それで、ユカさんの体調はどうなの?』

 また母さんの声が聞こえてくる。

『お里帰りから戻ったばかりなのにうちにまで寄ってくれてありがとね』
『いえ、こちらこそいろいろ用意して下さってありがとうございます』
『どこかお店を予約してやった方がいいかとも思ったんだけど……』

 そう言いながら母さんが運んできたお盆にやけに小さな茶碗や皿があった。それぞれにほんのちょっとずつ食べ物が載っていて、なぜか石が一つ置いてある。それが二人分、リビングのローテーブルに並べられた。
 すると兄さんが大きなトートバッグから何かを取り出して、いつも母さんが花や小物なんかを飾っているキャビネットの前に立った。そこにはさっき見た僕の卒業アルバムと、昔家族四人で撮った写真が飾られていて、その横に兄さんが何かを置いた。それは綺麗な色の色紙で、そこに書いてある文字を読んで僕は息を呑んだ。

命名 櫂
命名 桜

 それは、僕がかつて両親から貰ったのと同じ名前だった。

『櫂ってね、舟のオールのことなの。お父さんと二人で考えてつけたのよ』

 ぽつり、と母さんが言う。するとお嫁さんがためらうように言った。

『とても家族思いの、優しい人だったと漣さんから聞いています。でも、本当にお名前頂いてしまって良かったんでしょうか』
『もちろん。むしろ私たちの方がお礼を言いたいくらいよ』

 母さんが頷いてお嫁さんの方を見た。

『自分の手で自分の人生を切り開いていけますように。どんな世間の荒波も乗り越えていけますように。そんな願いを持ってつけた名前だったの。だから今どこにいたとしても、あの子はきっと人生という大きな流れの中でちゃんと望む場所を目指して進んでいると思うの。だからいいのよ』

 そう言って小さく笑った顔を見て、僕はわかった。
 僕がいた世界では僕は失踪したままで、けれど両親も兄も僕がいなくなったことに心の中である意味決着がついたのだと思う。だから僕と同じ名前をつけたんだろう。
 もしかしたら心のどこかでもう二度と僕が戻らないと諦めがついたのか、それとも何かを悟ったのか。
 でも僕は寂しいとは思わない。それどころか本当にホッとした。そう思う時点で僕はもう、自分が住む場所はここではなくてサイードさんとダルガートのいるあっちの世界なんだとすでに心の中で決まっていたんだ、とわかった。

 僕は二人の小さな赤ん坊の顔を見る。
 櫂と桜。『櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとうべき』か。サッカー馬鹿だった兄さんにしてはなかなか詩的な命名だ。お嫁さんのセンスかな?

 だいじょうぶ。もう、だいじょうぶ。

 そんな風に、突然思う。
 目を閉じると、ふわりと身体が宙に浮いているような感覚が戻ってくる。
 帰らなきゃ。二人のところに。多分きっと心配してる。
 意識がまたどこかに引っ張られていって、突然手足に重さを感じた。僕は目を開ける方法、手足を動かす方法を思い出そうとする。脳が目覚めて途切れていたシナプスが繋がって情報が伝達されて、それから。
 人間の身体の中身って大きなネットワークみたいだな。なんとなくおかしくなって口の端が上がる。
 大丈夫、僕は動ける。目覚められる。手を伸ばせる。また歩き出せる。

 そして僕は再び砂の海が広がる世界に戻って、突然現れた僕を見て目を見開いた大好きな二人に手を差し出した。
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