月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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後日談やおまけなど

カイの過去と未来と緑の大地(2)

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 そして視界に飛び込んできたのは光が溢れる部屋の、どこか見覚えのあるような美しい幾何学模様の天蓋だった。

「神子様……! お目覚めにございますか……!」

 感極まったような声とともに僕を覗き込んできた顔に、思わず瞬きをする。

「……ウルド……?」
「はい……! ウルドでございます。神子様」

 え、なんで? 僕、あの砂漠の塔にいたはずなのに。恐る恐る身体を起こそうとして、自分がものすごく大きくて豪華な寝台に寝ていたことに気が付いた。

「こ……ここは……」
「ここはダーヒルの中央神殿にございます」

 ウルドが僕の背を支えて起こしながら教えてくれる。

「神子様はレティシア女王陛下のご婚約のお祝いにイスタリアへ行かれ、その後エイレケとの国境に近い砂漠で意識を失われ倒れられたところを、同行しておられたサイード将軍とダルガート様がこの神殿へとお連れしたのでございます」
「そ、そうなんだ……って、女王?」
「昨年、イスタリアではナタリア女王陛下が崩御され、レティシア様がご即位されました」

 ええとつまり、僕がイスタリアでサイードさんの仇のことを聞いて、あの砂漠の塔があった場所へ行ったところまでは記憶にある通りなのか? で、そこで何かあって意識をなくして、ってのは塔であの男と話した後のことなんだろうか。
 自分の頭の中にはいろんな記憶があって、一体どれが本当で何がどう繋がっているのかとっさにはわからない。
 混乱して痛むこめかみに手を当てようとした時に、その手に掛かる髪がやけに長いことに気が付いた。

「……え? な、なんか髪、長くない……?」

 確かに最近の僕の髪は肩にかかりそうなほど伸びてはいたけれど、これはそれどころの長さじゃない。驚くくらいまっすぐで黒い髪は僕の肩どころか胸の下辺りまである。

「神子様、鏡をご覧になられますか?」

 そう言ってウルドが傍机から手鏡を取って僕に渡してくれた。

「…………これ、誰」

 そこに映っていたのは、真っ白な肌に流れ落ちるような黒髪の、呆れるくらい綺麗ではかなげな美青年の顔だった。

「え? は?」

 二の句が継げずに意味不明な声を漏らす僕を心配そうにのぞき込んでウルドが言った。

「神子様。神子様はこの神殿に戻られてから七年間、眠ったままでいらっしゃったのです」
「な、七年!?」

 七年も意識不明だったのならそりゃあ髪くらい伸びているだろう。でも七年も寝たきりなら筋肉がすっかり衰えて身動きとれないだろうに、一応身体は動かせている。それによく見ればパーツはそう変わっていないけれどやけにキラキラしているこの外見の変化は、僕が大人になったくらいのことで起こるとは到底思えない。
 その時、突然部屋の扉が開けられて誰かが飛び込んできた。

「ダ、ダルガート……?」

 それは間違いなくダルガートだった。でもこんな焦ったような、驚いたような彼の顔は見たことがない。彼は大股で歩いてくると、さっと身を引いたウルドに代わって僕の手を取り、額に押し当てて何か聖句のようなものを呟いた。そして改めて僕の顔を見ながら言う。

「無事のお目覚め、お慶び申し上げる」
「ダ、ダルガート、え、あ、うん」

 間近で彼の顔をみて、つい言葉が口から飛び出た。

「……え、あれ? なんか、顔変わった?」

 するとダルガートの口角がわずかに上がる。

「ご自分の顔をご覧になったのならばお分かりになるだろう」
「え、でも」

 あ、そうか。七年経ったんだからダルガートだってその分顔も変わるよね。じゃあ今は四十とかそんなもん……?
 うわ、どうしよう。七年後のダルガートの顔は鋭さやこちらが圧倒されるような威圧感は変わらないけれど、やはり前より渋みが増している。
 自分が知っている彼より年月を重ねた顔や雰囲気に、なぜかひどく気恥しさや落ち着かなさを感じてしまった。

「え、ええと、なんか七年も寝てたみたいで……心配かけてごめん」

 そう謝る僕にダルガートは答えず、深く被ったシュマグの下の底の知れない黒い目でじっと僕を見つめた。その視線に籠る熱に、急に腹の底がゾクゾクしてしまう。その空気を壊すように慌てて僕は口を開いた。

「あ、あの、僕はどうして神殿に? サイードさんは?」

 するとダルガートが寝台に腰を下ろして説明してくれた。

「《砂の顎》で、我らの目の前で貴方は突然姿を消された。それから間を置かずして戻られたが意識が戻らず、私とサイード殿とでこの神殿にお連れした。アル・ハダールへ戻すにも道中神子殿のお身体に何かあっては、と、神殿長殿のご厚意でこの神殿にてお世話を」
「そ、そうなんだ」
「ハリファ・カハルの命でウルドと私がここへ残り申した。そして私は神子殿専属の主騎に」
「ダ、ダルガートが僕の?」

 ダルガートはカハル陛下の筆頭近衛騎士だ。それが僕専属の近衛に? と驚くと、ダルガートが僕の手をとったまま不意に口角を上げた。

「いかにも。今は私が貴方をお守りする唯一の従者だ」

 なんとなく肉食獣めいたその笑みにまた背筋がぞくり、とする。
 ああ、ヤバイ。このダルガートはものすごくヤバイ。そんな気がする。

「サ、サイードさんは……」
「サイード殿は今北方へ。北の蛮族の襲来に備えておられる」

 それで僕はハッと思い出した。

「う、腕は!? サイードさんの……」
「腕? 彼の腕がどうかなさったか」

 その言葉を聞いて、今はサイードさんの腕が無事なのだとわかった。良かった、と心の底からホッとする。その途端、サイードさんに会いたくてたまらなくなった。するとすぐにダルガートがそれを悟ってぎゅっと手を握ってくれる。

「サイード殿へはすぐに早馬と伝鳥を送りまする。サイード殿の身動きが取れずとも、神子殿のお身体が本調子に戻れば必ず私がお連れいたそう」
「……うん、ありがとう」

 それからウルドが傍仕えに命じて用意させたらしい着替えやお茶、花だの珍しい果物だのが次から次に運ばれてきた。そして驚いたことにダルガートがずっと僕につきっきりでお茶の注がれた器を手渡してくれたり果物の皮を剥いて手ずから僕に食べさせたりしてくる。

「え、あの、自分でできるし、ええと……」

 サイードさんじゃあるまいし、あまりに至れり尽くせりなダルガートの世話にものすごく違和感を感じる。こんなの絶対にダルガートらしくない。

「ダルガートも何か仕事とかあるんじゃない?」
「今の私の役目は神子殿をお守りすることのみだ」
「いや、でも、えーと……」

 するとダルガートがかすかに笑って言った。

「恐らく、サイード殿がここにおられれば同じことをして差し上げただろう」

 つまりサイードさんの代わりにこうして甘やかしてくれているということだろうか。以前アル・ハダールでやっぱりサイードさんが不在だった時に、ダルガートが同じようなことを言っていたのを思い出す。

「気持ちは嬉しいけど、無理してサイードさんの代わりをしなくていいんだよ」

 突然ダルガートが顔を近づけて、硬直する僕の手から茶器を取り傍机に置く。

「ではこう申し上げようか」

 そしてすくい上げた僕の長い髪に口づけながら囁いた。

「ひと時なりとも、貴方を独占したいのだ、と」
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