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【最終章】新世界
最終話 夜明け
しおりを挟む◇ ◇ ◇
「おお! 遅れてすまぬ!」
怒涛のごとく馬をこちらへ走らせながら手を上げるカハル陛下の姿に、思わず笑ってしまう。
待ち合わせ場所の国境の小さな聖廟に一日遅れで戻ってきた彼は、少しばかり疲れた様子の護衛騎士の方を向いて行った。
「ついつい気が逸って海をぐるりと南の方まで行ってしまってのう! 急いで駆け戻ってきたが、こやつらがついて来れなんだわ」
「え、南の方?」
かつてイスタリアのどの地図を見てもカスピ海と思われる内海の南端が描かれていないことに疑問を持っていたのだが、陛下はそこまで行ってきたというのだろうか。
本来なら直答を許されていない身分にも関わらず、つい直に尋ねてしまう。
「海の南はどうなってたんですか?」
「おお、それが行き止まりになって陸地があったのだ。あそこをもっと西へ進めばまだまだ先まで海が続いているのか見れたかもしれぬが、さすがに時間が足りぬ。惜しいことをした」
僕の無礼を気にした風もなく騎乗したままピシャリ、と膝を打つカハル陛下を見上げて、僕は目を細めた。
結局前の世界でイスタリアへ行った時も王都しか見ることはできなかった。今度こそもっと時間をかけて見て回りたいな、と思う。それに歴史改変後、日本から来たもう一人の神子の加奈さんがどうなったのかも知りたい。
彼女がもしこの世界に残ることを選んでいたら彼女の子孫が今でもイスタリアにいるのだろうか。昔、食事が合わずに苦労した彼女のために特別に作られたという煎茶のように、彼女の生きた足跡がどこかに残っているだろうか。
そんなことを考えていたら、カハル陛下が不意に目を閃めかせて言った。
「ところで後ろにいるその者は?」
僕の代わりにダルガートが「貴殿の戻りを待つ間我らが世話になった、ダウレシュの長の子サイード殿だ」と答える。その隣に立ったサイードさんが目礼すると、陛下が頷いた。
「そうか。儂はアル・ハダールの商人ナシルと申す」
そういえばそういう設定だった。だからダルガートの言葉遣いがぞんざいなのか。相変わらず抜かりがないな。
ダルガートが皇帝陛下の筆頭近衛騎士だと最初に聞いた時は、正直こんなに冷ややかで尊大な雰囲気の人に務まるのか? と思った。けれど二年半一緒に過ごしてきて、なんというか高位の人に仕えるのに必要なそつのなさというのが群を抜いているな、と今更ながら気づく。
すると陛下がサイードさんを見下ろして言った。
「あれはそなたの馬か。ダルガートの馬もそうだが実にいい面構えをしておる! きっとそなた自身もよい乗り手なのだろう」
それを聞いてサイードさんが微笑む。
「ところでそなた、腕はどうした」
「わが土地を狙う賊どもを倒した折に」
「そうか。それは惜しいことをしたのう」
それからニッと笑って僕たち三人を見回した。
「どうやらそなたら三人、儂を待つ間によき時を共に過ごしたようだのう。顔が晴れ晴れとしておるわ」
その言葉に僕たちは三人で顔を見合わせ、思わず満面の笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
陛下と護衛騎士が馬を休ませている間、僕たち三人は小さな聖廟でラハル神に祈りを捧げた。そして行きに見た時は何も映さなかった球体を改めて覗き込む。
……多分、僕はここからあの砂漠の塔にアクセスできる。理屈はわからないけど間違いなくそう感じた。
あの嵐の夜、サイードさんとダルガートが記憶を取り戻してから僕の中に一つの確信が芽生えていた。
この箱庭の中で、僕はおそらく神に等しい力を持っている。天候に限らず、その気になれば各地に設置された端末からサーバーにアクセスして自由にこの世界のあらゆる事象を書き替えることができるはずだ。元々それがあの塔の男が僕というキャラクターを通して体験したかった『異世界転移物語』だからだ。
「サイードさん」
「どうした、カイ」
僕が呼びかけるとすぐにあのくっきりとした口元に浮かび上がる笑みを向けてくれる。
「僕、その腕治せると思うんです。治しますか?」
するとサイードさんは驚いたように目を見開いた後、静かに首を振って言った。
「これは今生では我が一族とダウレシュの地を、そして前の世ではカイを守ろうとして得た傷だ。すでにこれは俺の一部となっている。治すには及ばない」
「なんとなくそう言うんじゃないか、って思ってました」
「そうか」
サイードさんが頷いて僕の被ったジャヒーヤを直す。
「いいか、この耳環は決して人に見られぬように気をつけろ」
「はい」
「ダルガート、カイを頼む」
「承知」
聖壇の前から立ち上がると、僕たちはお互いの顔を見つめた。
僕たちは今日ここで別れ、僕とダルガートはダーヒルの神殿へ、サイードさんは家族の元に帰る。
実を言うと、サイードさんとダルガートにはまだ一つ話していないことがある。
あの塔の男たちによって造られたこの世界は、一体いつまで存在できるのかわからない。
元々は実験場であり研究の場であり、維持するのに莫大なコストが掛かると言われていたこのフィールドがいつ本来の用途に転用され、もしくは解体されるかもわからない。
だから僕はあの塔の男にもう一度会って、自分たちが生きている間、少なくともあと百年ぐらいはこの世界をこのまま維持させなければならない。そのための交渉の材料はすでにいろいろと考えてある。
再びあの砂漠の塔へ行くのは正直気が重い。でもあの嵐の夜に二人が言ってくれたように、これは僕だからこそできることであり、僕がなすべき役目なのだ。
太陽と月が空を巡り続ける限り、僕はこの世界で精一杯生きていく。そう心に決めたのだから。
僕はサイードさんを見上げて微笑んだ。
「また会いに来ます」
「ああ、待っている」
「サイードさんもぜひ一度神殿に礼拝に来てくださいね」
「わかった」
サイードさんとダルガートが無言で視線を交わす。
それから三人で手を繋ぎ、ありったけの想いを込めて口づけを交わし、お互いの無事と幸福とを祈った。
◇ ◇ ◇
「さて、そろそろ行くかのう!」
カハル陛下が鐙を踏みしめて声を上げる。
僕はダルガートの手を借りてあの大きな黒い馬に跨り、後ろにダルガートが乗った。サイードさんがその馬の鼻筋を撫でてから後ろに下がる。
「お元気で」
「カイとダルガートもな」
そしてサイードさんは馬上のカハル陛下を見上げ、拳を胸に当てて礼をとった。その礼には昔、自分を救い共に砂漠を駆け抜けアル・ハダールの国を作り上げた大恩ある人への万感の思いが込められていることを、僕とダルガートは知っている。
「ふむ、なかなか気持ちのよい男だ」
そう呟くと、不意にカハル陛下が僕たちを見て言った。
「おぬしら、ダルガートにはすでに言ったがそのうち我がアル・ハダールへ来てはみぬか。東の国もなかなか面白いところだぞ?」
その言葉にぎゅっと胸が詰まる。
東の猛き国アル・ハダール。
僕たちはかつてその国で共に多くの時を過ごした。
目を閉じれば目蓋に浮かぶ、どこまでも続く硬く乾いた大地と青い空。北の山脈から吹く冷たい風と、太陽の上る東の地平線。
丘の上に立つ暗赤色の柱が美しい宮城から見た街並み。そして初めて三人で旅したオアシスで眺めた、太陽の残り火のようなオレンジ色と夜の群青色が交じり合う空。
その何もかもが懐かしい。
ああ、僕はいつの間にか本当にこの世界の人になっていたんだ。
初めて心の底からそう思う。
目頭が熱くなって慌てて目をしばたくと、サイードさんが僕を見上げて微笑み、ダルガートは回した腕に力を込めた。
僕はジャヒーヤに隠れた耳をそっと撫でて答える。
「ええ。ぜひ、いつの日か」
僕たちはさっき、聖廟の中で約束をした。
いつかまた三人で旅に出よう。
たくさんの太陽と月の下を馬で走り抜け、そして懐かしいあの場所に帰るのだ。
白い砂の海を越えて、遥かなる夜明けの国へ。
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約一年の間お付き合いありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけてたら嬉しいです。
また後日おまけを書く予定です。よかったらブクマ残しておいて下さい。
伊藤クロエ
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