月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第三部】西の国イスタリア

閑話 ダルガートの尋問

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「待たれよ」

 神子がサイードの跡を追って行った後、ダルガートは立ち去ろうとしたクリスティアンを呼び止めた。

「……何か」
「貴兄に尋ねたいことがある」

 ダルガートはクリスティアンのすぐ目の前まで歩き、尋ねた。

「神子殿が貴兄より聞いた話では、貴国に留まられた三代前の神子はエラル山の噴火で死んだとか」
「確かに、その通りだ」
「エラル山の位置は書庫に収められた地図に載っていた場所に相違ござらぬか?」
「……何が言いたい」

 クリスティアンの青い目に剣呑な光が宿る。だがダルガートは顔色一つ変えずに問い返した。

「私はアル・ハダールの騎士だが、元はエイレケの生まれだ。だからあの辺りの地理も知っている。あのような場所に火山などありはしない。なのに国の史書にまでそこにある火山の噴火で神子は死んだと書いてある。これは一体どういうことかと」
「知らん。話はそれだけか」

 そう言って再び踵を返そうとしたクリスティアンにダルガートは目を細める。

「お答えいただけぬのなら仕方がない。王女殿下に直接お伺いをたてるとしよう」
「ハッ、貴様のような一介の護衛騎士ごときがレティシア様に拝謁できるはずもない。身をわきまえろ!」

 クリスティアンが吐き捨てるように言った。ダルガートは腕を組み口角を上げる。

「我らはアル・ハダールより王女殿下の婚約を祝う正式な使者として参った。さらにはハリファ・カハルより貴国との友好を願って遣わされた《慈雨の神子》が、王女の主騎たる貴兄の助言・・により王都を出奔し、王女殿下がかねてよりご執心の騎士もこれに随従している。そう申し上げれば、王女殿下が私にお目通りを許す理由は十分すぎるほどにあると思われるが?」

 するとクリスティアンの青い目にギラリと殺気が籠った。

「くだらぬ。主君を裏切り二君に仕える恥知らずの言葉など我が高邁なる王女殿下が耳をお貸しになるはずがなかろう」
「ほう、私のことまでなかなか詳しくお調べのようですな。ならば――」

 と言いかけた瞬間ダルガートは大きく一歩踏み出す。すぐさま剣を抜こうとしたクリスティアンの右手首を掴んで後ろにひねり上げ、短剣ダガーを抜いた。

「……ぐ……っ!!」
「このようなことさえ躊躇なくできることもご存知か」

 後ろから鋭い切っ先を喉元に突きつけると、クリスティアンが唸り声を上げる。

「貴様……ッ! 我が王宮内でこのようなことをすればどうなるかわかっているのか! 国同士の争いの火種になるやもしれぬぞ!」
「確かに、これがサイード殿ならば国や主君の名誉を重んじ利を案じてこのようなことはせぬだろうが、元から裏切り者と呼ばれる私に失うものはない」

 ダルガートはもがくクリスティアンの後ろ手をさらにきつく締め上げる。

「必要ならばこの場でこの首を掻っ切ることさえ躊躇わぬ。さあ、どうする。おのれの命運を賭けてみるか? 青二才」
「っぐ…………ッ」

 ギリギリと腕を締め上げ刃を喉元に食い込ませると、一筋の血がクリスティアンの騎士服を赤く染めた。

「答えろ。ありもしない火山で神子が死んだなどという偽りを国を挙げてでっち上げる理由は一体なんだ?」

 すると悔し気にクリスティアンが息を吐き出す。

「……嘘ではない。確かに神子はあそこで亡くなられた。……いや、正確に言えば姿を消された」
「姿を?」
「ああ、その通りだ。それ以来あそこは一足入れば砂に捕らわれ逃げることのできぬ砂のあぎとと呼ばれている」
「……まさか流砂帯か?」

 ダルガートが呟くとクリスティアンが唇を歪めて笑った。

「神子殿の尽力により地下水脈が復活した今、砂の沼も元に戻っているかもしれぬな。そして神子に危険が及べば必ずあのイシュクは身を挺して守ろうとするだろう」
「……なるほど、狙いはサイード殿か」

 ダルガートはクリスティアンの身体を壁に向かって突き飛ばす。

「お前がサイード殿をここから追い出したがっているのはわかっていた。だがそのために慈雨の神子まで危険に晒す気か?」
「俺が神子にあの男を追えと言ったわけではない」
「だが神子殿を罠にかけ王女とサイード殿の会話を盗み聞きさせたのはお前だ。初めからこうなることを企んでいたのだろう」
「ああ、まさにその通りだ」

 壁にもたれて笑うクリスティアンにダルガートは冷ややかな目を向けた。

「愚かな。神子が消えればこのイシュマールの地が、ひいてはこの国と王女がどうなるかわかっているのか」
「そんな理屈や理性など、我が愛イシュクの前になんの力もない!」

 突然、クリスティアンが激昂したように叫ぶ。

「イシュク! 神子の守護者のみをイシュクと呼ぶとはおかしいと思わぬか! 元々イシュクとは、われとわが身を燃やし尽くしても足りぬほどの情熱を表す言葉。イシュクとは愛する者以外、全てを焼き尽くす劫火だ! 俺にとって我が心と情熱を捧げる相手はあのお方しかおらぬ! ――――馬鹿げたことだと思うか? だが貴様とて同じ穴の狢だ」
「ほう、なぜそう思う」
「しらばくれるな。神子殿の耳にたいそう立派な耳環があったな。右に鑽玉、左に橄欖玉、地金は白金。永遠と合縁和合を表す二つの貴石を九世違えぬ約定を誓わせる白金に刻むか。なんとも恐れ入る」

 クリスティアンの口角が笑みに歪んだ。

「耳の飾りはそれを与えた者との固い結縁を天地万民に示すためのもの。しかもあれほどの物を付けさせる男の執着の度合いなど見れば誰でも分かる。さらには異なる石が二つということはそれを与えた者も二人いるということだ。貴様がやったのは右か? 左か?」

 ダルガートが無言で彼を見下ろすと、クリスティアンがまた笑った。

「なあ、貴様は考えたことはないか? あの男がいなければお前だけが神子の寵を独占できるのだぞ?」

 彼の宝石のように青い目がギラギラと剣呑に光る。

「貴様はすでに一度主君を裏切った男だ。かの国では心底信用されるはずもなかろう。神子だけを連れて戻りイスタリアへ降るがいい。そう約束するなら『砂の顎』へ先回りできるよう正確な場所を教えてやろう。そして貴様を我が国で神子専属の近衛として取り立ててやる」

 それはまさに砂漠の蛇のごとく狡猾な誘惑だった。
 男が欲するものを誰にも渡さず自分だけのものにしたいと望むのは当然だ、とダルガートは思う。ましてやダルガートが想う相手は天与の力を持ち、誰もが一歩引いては恐れ疑う自分に屈託なく笑いかけ、冗談を言い、閨の中では恥ずかしがりながらもダルガートのすべてを受け止めさらに欲しがる貪欲さまで持っているほどの傑物だ。そんな彼の愛と憧憬を自分ただ一人が享受することができるのなら、誰しもがなんだってするだろう。

 クリスティアンが目を細めてダルガートを窺う。

「エイレケはいまだ神子を諦めてはいない。早く追わなければ鉢合わせしたエイレケの特使に神子をかっ攫われるぞ? 神子の騎士よ」
「なるほど」

 ダルガートがうっすらと笑うとクリスティアンもニヤリと笑みを浮かべる。その顔を見下ろしてダルガートは言った。

「言いたいことはそれだけか」

 途端にクリスティアンの顔が驚愕に変わる。

「残念ながら私にサイード殿の代わりは勤まらぬ。同様に彼も私がすることを同じようにはできまい」
「…………ッ、…………ぐ…………ッツ!!」

 クリスティアンが動くよりも速く逆手に握った短剣を右の太腿に突き刺し、その襟首を掴んで引きずり上げながらダルガートは尋ねた。

「さて、くだらぬおしゃべりはここまでだ。今から私が問うことに答えられよ、王女付き筆頭近衛騎士クリスティアン殿よ。さもなくば今回のことすべて王女殿下の差し金であるとナタリア女王陛下と我がハリファにすぐさまご報告申し上げ、神子殿を連れ国に戻ろう。そして《慈雨の神子》の庇護と恩寵を失ったこの国がご婚約相成ったエスペレラス国にどう思われ、貴国が今後どのような運命をたどることになるのか、興味深く拝見させてもらおうか」


     ◇   ◇   ◇


 クリスティアンから聞きたいことをすべて聞き出し、ダルガートが速足で部屋へと向かっているところにヤハルが駆けつけてきた。

「ダルガート殿、神子様とサイード様をご存知ありませぬか? 予定の時刻を過ぎても一向に戻られぬとアドリー殿とウルドが……」
「ヤハル。サイード殿は神子殿とともにエイレケとの国境へ向かわれた」
「なっ!? エイレケの……!?」
「急ぎアドリーを呼べ。時間が惜しい」
「は……ッ!」

 ヤハルが驚きながらもそれ以上は何も問わず即刻アドリーを探しに戻るのを見送り、ダルガートは自分に与えられた部屋から万が一の時にはすぐに発てるよう常に準備してある背嚢を取る。ダルガートの戻りを知ってすぐさま駆けつけたウルドに水と酒の革袋を用意させたところでアドリーが駆けつけてきた。

「ダルガート殿、一体何が……!?」
「歩きながら話す。ついてこい」

 ダルガートはアル・ハダールに割り当てられている厩へと急ぎながら、アドリーとヤハルに一部始終を話して聞かせた。二人ともサイードの一族の仇がどういうわけかエイレケの特使の護衛としてこの地に来ていたと聞いてひどく驚愕する。
 厩で従士が慌てたようにサイードと神子が馬で飛び出して行ったことを伝えようとするのを、ダルガートは手で制した。

「ヤハルはタリークとイシルと共に西回りの道から神子殿を追え。おそらくイザーンの町へ着くまでには追いつけよう」
「ダルガート殿は」
「エイレケは馬よりも駱駝を好んで使う。今回も特使は駱駝騎兵とともに砂漠を突っ切る道を選んでいるはずだ。私はその跡を追う」

 馬と違って駱駝ならば飲み水もいらず、砂の柔らかな砂漠でも休みなく最速で走ることができる。ただし馬と違って気性が荒く癖があり、慣れぬ者が乗るには恐ろしく不向きな騎獣だ。
 幸いエイレケの生まれであるダルガートにはその心得がある。
 ダルガートはさらに奥へと歩き、そこに繋がれている駱駝に急ぎ鞍を乗せるようにイスタリアの厩番に命じた。そして鞍に跨ると手綱を引いて駱駝を立たせ、振り向きもせずに城から駆け出した。
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