月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

文字の大きさ
上 下
76 / 161
【第二部】東の国アル・ハダール

閑話 ダルガートの仕事

しおりを挟む
 深夜、精魂尽き果てた神子がぐっすりと眠り込んだのを確認すると、ダルガートは身体を清めてやってから隣の続き部屋へと戻った。そしてそちらの扉から廊下に出る。
 しばらく歩いてから振り向くと、案の定中央神殿の神官として同行しているアスールが立っていた。

「どちらへ行かれるのですか、このような夜更けに」

 アスールが尋ねる。その目にはとても神官という職には似つかわしくない鋭さが見え隠れしていた。

 アスールは今回の神子の神殿行きに際して宰相のサルジュリークが遣わした男だ。
 ダルガートやヤハルたち帝国の騎士は神殿とは直接的な繋がりはなく、神官と騎士とでどちらの地位が高いのかも曖昧だ。万が一、東の神殿が神子に対して無礼な態度をとったり、逆に強硬手段に出ようとした時の防波堤として、宰相は中央神殿の上級神官であるアスールを同行させたと聞いている。
 確かにこの神殿で微妙な立ち位置にある神子のためにいち早く部屋を用意させたり細やかに立ち回っているが、結局はアスールは宰相が寄越した彼の手駒の一つだ。本当に神官かどうかさえも怪しい。
 とはいえ、使えるものは何でも使うのがダルガートのやり方だ。
 険のある目つきでこちらを見ているアスール神官に、ダルガートは答えた。

「国境だ。今一つ、確かめねばならぬことがある」

 するとアスールがわずかに目を見開いた。

「廊下への扉にはヤハルを立たせてある。続き部屋の前にはダーリクを。神子殿はすでにお休みだ。お側の守りを頼む」

 ダルガートがそう言うとアスールは一瞬驚いた顔をしたが、何かを考えてから頷いた。
 足早に戻っていくアスールを見送ることもなく、ダルガートはすぐに踵を返して裏口から外に出る。
 この神殿に着いてすぐに密かに確かめて回った時と同じく、夜でさえもこの神殿にはろくに警備の者も人の目もない。帝都であれほど熱狂的に求めていた神子がここにいるというのに、幾度も外敵に襲われている辺境の地とは思えないほどの手薄さだった。

 先のジャハール王の頃より近衛騎士を勤めているダルガートは、こうした屋内で主を守るということに長けている。だからこそこの神殿には外と繋がる出入口が意外と少なく、さらに神殿のそこここを行き来する者たちの足さばきを見ればとても剣や槍や武器としてのナイフを扱える技量がある者は一人としていないことにすぐに気が付いた。
 それゆえ、神子の守りは早々にヤハルと隠れて護衛に当たるもう一人に任せて、ダルガートは素早く秘密裡に神殿領内を動き回った。

 ここへ来る途中の道すがら、ヤハルに求められてダルガートは何度か彼と打ち合いをした。アジャール山での経験から思うところがあったのか、その時よりかなりの鍛錬を積んでいるのがよくわかる動きだった。
 そのヤハルが今、神子の部屋を守っている。それにあのアスール神官も、ダルガートより最も神子に近い場所の守りを任されたことで一層強い使命感をもって護衛に当たることだろう。
 彼が神官であろうがなかろうが、あの宰相が寄越したということは頭も腕も秀でた男であることは間違いない。そうダルガートは確信していた。

 ダルガートはあらかじめ裏手に回しておいた黒馬の手綱を取り、神殿を出てさらに東へと向かう。
 しばらく走ると見えてきたのは石造りの国境の壁だ。まるで天を衝くような巨大な壁を実際に自分の目で見たのは、これが初めてだった。
 国境にはいつの時代に誰が作ったのかもわからぬ巨大な壁があることは何かの折にダルガートも聞いて知っていた。けれどこれまで仕えた二人の王のどちらも国境を見たいと言い出したことがなく、それゆえダルガートも実際にここまで来たことはない。

 古く、強固な石壁を見上げながらふと、神子がこれを見たらなんと言うだろうか、と考える。
 以前、ダルガートが一足先にダーヒル神殿領を出発する時に、神子とサイードとダルガートとで神殿の上から砂漠を眺めたことがある。その時神子は景色よりも神殿の外壁や屋根の形を見たり触ったりしながら『これは建てられて何年くらい経つんだろう』とか『僕、昔から自然物よりも人間が作った物の方に感動する性質なんだよねぇ。日本最古の仏像とか黒部ダムとか竪穴式住居跡とかってすごいロマン感じない?』というようなことを話していた。
 その中にはダルガートが知らぬ言葉がいくつも出てきていたが、それでも神子がこれまで人が営んできた歴史や成り立ちに興味があるということぐらいは理解できた。
 ならばきっと『いつからここにあるのか誰も知らぬ』と言われるこの国境の壁を見たら面白いと思うのではないだろうか。そう考えた時、ふとあの好奇心の塊のような皇帝ハリファが一度も国境を見に行こうとしたことがないのが不思議に思えた。
 だがダルガートとて今まで一度も国境のことなど考えたこともない。今も神子を思い出さなければこんな疑問を抱くことさえなかっただろう。

 何か引っかかるものを感じながらも、ダルガートはもう一つしなければならない仕事を片付けるために馬首を返した。 
 今宵、幸い空には真円に近い月があり、元々夜目も利く。しかしダルガートの目には、皇帝ハリファよりの支援金を得て雇われた、常に国境を警備するための領兵は影も形も見えず、国境の壁を越えて異民族が入って来られるような場所も見つからなかった。

 それからダルガートは領主の館へと向かう。そこにも警備の兵はほとんどおらず、辺りは静まり返っていた。

(これでは領主が我らを館へ招きたがらぬのも当然か)

 ダルガートはそう納得する。
 あたりの村々は確かに家畜の数も少なくさびれてはいたが、荒らされた家などはなく、蛮族に襲われた形跡などどこにもない。
 そして度重なる東夷の襲来を伏せぐための領兵を雇うのに金が要る、という名目で少なくない国費を得ているにも拘らずその領兵がほとんど見当たらないのが明白な証拠であった。

(公費横領か)

 恐らく領主はダルガートが皇帝ハリファカハル直属の主騎であると知っていたのだろう。だからこそ敵の襲来があれば手助けする、という本来なら願ってもないはずの申し出を慌てて退け、それ以上の追及を避けるようにその場を逃げ出した。
 それだけでもこの地の領主がダルガートにとっては取るに足らぬ小者であることが容易に知れる。

(後の厄介は神殿の者たちか)

 あの神官は帝都を出てからずっと大人しくしているが、あの日帝都で衛兵やあの宰相にまで食って掛かってきた彼らの狂信的な目をダルガートははっきりと覚えていた。
 ダルガートは見るべきものを全て頭に収めると、再び神殿へと戻る。そして神子の部屋に入り、続き部屋への扉の前に控えていたアスールがすぐに立ち上がって鋭くダルガートを見るのに一瞥をくれた。

「領主は国境防衛のために得た国費を館に溜め込んでいる。そう宰相殿へ報告せよ」

 小声でそう言うと、アスールはじっとダルガートを見据えた後、音もなく神子の部屋から出て行った。
 これで領主の方の問題は早急に解決されるだろう。
 ダルガートは足音を殺して寝台に寄り、神子の寝顔を覗き込む。そして自分は神殿の外を見下ろす窓の前に椅子を置き、そこに座って夜を明かした。
しおりを挟む
感想 398

あなたにおすすめの小説

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている

飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話 アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。 無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。 ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。 朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。 連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。 ※6/20追記。 少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。 今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。 1話目はちょっと暗めですが………。 宜しかったらお付き合い下さいませ。 多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。 ストックが切れるまで、毎日更新予定です。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた

やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。 俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。 独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。 好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け ムーンライトノベルズにも掲載しています。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。